ポンポさんでジーンくんが「何かを残すために何かを犠牲にしてきた」こと、そしてそれをダルベールの物語にも見いだしたこと。そこに強く勇気づけられた。次元こそ違えども自分も、切り捨ててきたものはあって、ずっと自問してきたので。
自分の場合はジーンくんやダルベールとは違って、積極的というよりは消極的に切り捨てたというほうが近い。やりたいことをやるために、他にリソースを割くだけの余力がなかったというほうが正確かもしれない。それでも、自分が切り捨てたものを切り捨てず大事にしている人達をうらやましく思ったり、この選択は正しかったのだろうか、他の生き方もあったのではないかという気持ちが拭えなかった。でもポンポさんを観て、それが人生なんだ、すべてを得たように見える人達も見えないところできっといろいろなものを切り捨ててきたんだ、とふっと気が楽になった。人生が選択の連続で、自分が今得ているものが何かを切り捨てたからこそ得られたものであるのなら、自分のド下手な「編集」も少しは意義があったのだろう。
ジーンくんがダルベールを観て「これは自分だ」と気づくシーン、ほぼ同時に観客もジーンくんを観て「これは自分だ」と気づく構造なので、追撮のエピソードの説得力が半端ない。そう、これは自分なのだから、「何かを切り捨てるシーン」は絶対必要だよなと。そのためなら土下座だってするのもわかる。つくづくよく出来た映画だと思う。