花弁/flowerについて少しお話しします。
私はこの曲を自分で歌うことが出来ない。
きっと、恐らく、一生。
花弁/v_flower
<N>https://nico.ms/sm38874899
<Y>https://youtu.be/WrTGVmZtWi8
こちらの新曲を6月12日(土)に投稿させて頂きました。
改めてこちらの話を軽くしようかなと思ったのですが、先日の雑談配信でほぼ暴露したので、簡単にまとめたお話と勝手な独り言を書かせていただきます。
この曲の基は実話をベースとしています。ただ、動画の作中に登場する女の子たちの名前は創作です。実在する人物とは事実が異なります。
投稿してから改めて気がついたのですが、今回の楽曲、今までの中でも1番『自我』が強い作詞になったなと思っています。細かな分析は出来ないのですが、感情の浮き沈みが激しく、とても不安定な青春の中身を書き連ねているなと。私の今までの歌詞だと、感情は入っているけどあくまでも第三者視点の目線の作風だったのに対し、この花弁という楽曲はあまりにも異質だなと感じました。
大雑把に言うとえらく自分勝手でエゴの塊なんですよね。最後の叫ぶ所なんて特に。ずっと引き摺ってしまっているのが、恐らく皆さんに伝わったんじゃないのかなと思いました。私のこと大好きな人が居たら、今まで作った私の歌詞の分析とかしてみてください。恐らく、この花弁の歌詞だけは異質であると気づけると思います(?)
主観的と言えばいいのでしょうか、しかし、その主観を越えた自分という目線で書いた初めての作品だったと思います。不安定で崩れてしまいそうな、自分にいつまでも嘘をついて友達を演じ続けた。呪いは解けず、失恋となって何も解決しない、なんとも言えない終わり方。嫌いになれたらいいのに。とは違う暗い終わり方となりました。
嫌いになれたらいいのに。の時は、男の子に対して幸せになって欲しいというコメントが寄せられておりましたが、逆にこの子に対してはそう言ったコメントをするのが難しいんじゃないのかなと思いました。もちろん、実話で結末はもう存在しているからということもあるのでしょうが、そうでは無いのです。この子は神様に願っても呪いが解かれることは無かったのです。もう最初から、同じ舞台に立つことなど許されなかったのです。だからこそ、この子に幸せになって欲しいなんて軽い言葉はかけられないんだろうなと思いました。
この子=私なのに、えらく冷静なのは、少しだけ心の傷が癒えたからなのでしょうか?それは私にも分かりません。
でも、好きな人が好きな人のことを思ってみせる顔が好きなのは今も昔も変わりません。それが例え、同性であろうと異性であろうと、私はその人が幸せになってくれればそれで充分なのです。でも、その視線の先に私が映らないってのはやっぱり寂しいものなんです、悔しいものなんです。そんな心苦しい恋愛をしている人に是非聴いて欲しいなと思いました。
そして、これは私の独り言なので無視していただいていいのですが、もし、自分の恋が実らない形は思ってもない形で終わったとしても、『その相手が好きだった自分や思い出を否定しないで』あげてください。楽しかった時間、思い出だけは否定しないであげて欲しいです。きっとそれが未来の自分が誰かを救うことになると思うので。
長々と話してしまいましたが、最後に一つだけ。
私はこの曲を自分で歌うことが出来ません。それは音程が高いとかそういうことではなく、私がこれを歌うということをするのはまだ先だと思っています。今はまだ、全てを受けいれたりする心の余裕が私にはなくて、だけど、いつかは歌いたいんです。それがいつになるか分かりませんが、しばらくはまだ、この思い出に浸っていたいのです。ただ、それだけです。
ここまで拙い文章でしたが、お読みいただきありがとうございました。またこれからもおむ野という存在をどうぞよろしくお願いいたします。頑張るぞ。