本日の一次創作短編です。
お題は「あなたに見せる表情」「どこか寂しげに」です
アレルギー
「私ね、アレルギーなの」
友人の浅葱 美鈴に、そう打ち明けられた。
「アレルギー?」
私は聞き返した。小学校の帰り道、夕暮れの公園。ブランコに座って、ランドセルを背負って2人で話していた。
今日の昼休み、美鈴が病院に運ばれた。昼休み中に具合が悪くなって、そのまま救急車に乗せられたのだ。なんとか体調がよくなって、帰りの会までには帰ってこれたので、私たちは一緒に帰っていた。
「今日の給食、デザートがリンゴだったでしょ。あれがダメだったんだって。
リンゴを食べると、私は死んじゃうらしいの」
リンゴ、美味しいんだけどなあ。美鈴は寂しそうに言った。
キイキイ、ブランコの軋む音。私は思ったことを、素直に言った。
「好き嫌いは、ダメだと思うなあ。
お母さん、いつも言ってるもん。そういうのは、食べれば治るって。
だから好き嫌いしないで、ちゃんと食べたら?」
「…………そうなのかな」
「そうだよ!私だって、お蕎麦嫌いなのに、食べさせられてるもん!
でも元気だよ!だから大丈夫だよ!!」
私は美鈴の前で、元気のポーズをした。ほら、こんなに元気!だから大丈夫!!そう自信を持って言った。
美鈴は、少し寂しそうに笑った。
「…………そっかあ」
家に帰って、母にその話をした。母は言った。
「あらあら、美鈴ちゃんはリンゴが嫌いなのね。
それはダメね、リンゴは身体にいいのに」
「だよねえ」
母ならそう言うと思った。母はすぐに買い物の支度をした。
「アップルパイなら、食べられるかもしれないわね。
ツカサ、買い物手伝って。美味しいリンゴを買いに行きましょう」
「はーい!」
私は迷いなく返事をした。美鈴の好き嫌いを治す、という使命感に燃えていた。リンゴをたくさん食べれば、きっとアレルギーも治るだろう。これは美鈴を救うための、大切な大切な任務なのだ。
リンゴやパイ生地を買い、母と2人でアップルパイを作る。できたアップルパイは美鈴用の一切れを残し、家族みんなで焼きたてを食べた。アップルパイはサクサクで、中のリンゴもとてもジューシー。大人の香りがするシナモンもいいアクセントになって、とても美味しかった。これならきっと、美鈴も美味しく食べられる。
翌日。私は忘れずにアップルパイを持って行き、美鈴に手渡した。
「美鈴、はい!これ!」
美鈴はきょとんとして、その包みを受け取った。
「これ、なあに?」
「アップルパイだよ!昨日作ったの!
普通のリンゴじゃなくて、こっちなら食べられるよって、お母さんも言ってたから!」
アップルパイ、と聞いて、美鈴は一瞬硬直した。
でも、アップルパイなら食べてもいい、と聞いて、美鈴の心が揺らいだように見えた。
「…………食べられるかなあ」
「ぜったいいけるって!昨日作って食べたけど、美味しかったから!
今日のお昼に、ぜったい食べてね!2人で、好き嫌い克服しようね!!」
私は一生懸命、美鈴を元気づけた。けれど美鈴は、どこか寂しそうに微笑むばかりだった。
「…………うん」
その日の午後、美鈴は授業に出なかった。クラスメイトの証言によると、また病院に運ばれたらしい。家に帰って、それを母に話したら、母はこう言った。
「最近の子は、身体が弱いのね。やっぱり好き嫌いが多いからかしらね」
その翌日も、美鈴は学校に来なかった。朝のホームルームで、先生が沈み切った顔で言った。
「浅葱 美鈴ちゃんが、天国へ逝きました。みんなで、お別れをしましょう」
天国へ逝った。その意味がよくわからなかった。
「せんせい!天国ってどこですか?私、迎えに行きます!!」
先生は一時、言葉を詰まらせた。でもすぐに口を開いた。
「人が死んだ時に、天国へ逝くんだよ。天国には一度逝ったら、もう戻ってこれないんだ」
私はすかさず言った。
「なんで美鈴はそんなところに行っちゃったんですか?私、連れ戻してきます!!」
「ツカサちゃん、もうやめようよ」
隣の席の女の子が、泣きそうな顔で私を止めた。
「美鈴ちゃんは死んじゃったの。もう、会えないんだよ。わからない?」
その子の言葉が、私にはよくわからなかった。死なんて、今まで見たことがなかったから。「わからない?」その言葉に、まるでバカにされたような気持ちを覚えた。
「なにそれ、意味わかんない!」
私は不機嫌になって、ガタンと音を立てて席に座った。隣の席の子は泣き出した。この子を泣かせたのは美鈴のせいだと思った。美鈴が勝手にどこかに行っちゃうからいけないんだ、と思った。
私たちのクラスは小学校の制服を着て、大人がいっぱいいるところに連れていかれた。大人はみんな黒い服を着て、みんな涙を流していた。「美鈴ちゃん、まだ2年生だったのに」「ご両親の悲しみはいかほどか…………」そんな声が聞こえたけれど、私にはよくわからなかった。
キレイな花がたくさん飾ってあった。私はあの花がほしいと先生に言った。先生はダメだと言った。「あれは美鈴ちゃんのものだから」と言った。美鈴がなんでも独り占めにしているように感じて、私はずっと不機嫌だった。
成長していくにつれて、だんだんと死というものを理解するようになった。大人のいっぱいいた場所は告別式で、その時の私たちは美鈴とお別れをさせられていたんだと、私は4年生になってようやく気付いた。他の子は、みんなペットが死んだなどという理由で、死というものを理解していた。知らないのは、私だけだった。その事実がなんとも腹立たしかったけれど、それ以上にあの時、美鈴の花をほしがったことが、今は少し恥ずかしく思えた。ごめんね、美鈴。私、知らなかったの。
そうして、私は中学にあがった。友達もそれなりにできた。クラス内ではいじめもあったけど、幸いにも私はそれに巻き込まれることはなかった。犠牲者をひとり立てておけば、私の身は守られる。その子には気の毒だけど、学校を生き抜くことはもはや戦争に近かった。いじめられないために、イケニエを立てた。それが正しいと思った。
ある日の昼食。友達とお弁当のおかずを交換していると、友達のひとり、瑞風 幸奈が私の差し出したおかずを断った。
「ごめん、私ピーナッツがダメなんだ」
「え、何、どうしたの?」
友達のひとりが幸奈に問いかける。
「ごめんねー、アレルギーでさ。ピーナッツ、食べられないんだよね」
幸奈は申し訳なさそうにそう言った。それを聞いて、友達はみんな「あー」と言った。
「アレルギーはね、しょうがないよね」
「幸奈アレルギーあるんだ、大変だねえ」
「アレルギーの人とかって、普段どうしてるの?やっぱり、食品のパッケージの裏とか確認したり?」
「そうそう、ピーナッツ入ってないか絶対確認する。私の場合、同じ工場で作ったものもダメで」
私には、それがよくわからなかった。私は無理やり、幸奈の弁当箱にピーナッツ入りのおかずを入れた。
「えっ、ちょ、ツカサ?」
「ダメだよ、好き嫌いは。アレルギーは食べたら治るんだから」
「は?ツカサ、何言って」
「ほら、食べなよ。食べなかったら豺狼に言いつけるよ」
それを聞いて、幸奈はさっと顔を青くした。豺狼は私のクラスで最も力のあるいじめっ子だ。ものすごく狡猾で、陰湿ないじめをする男だった。あいつに目をつけられるくらいなら、こんなおかずひとつくらい、迷わず食べるだろう。私はそう踏んで、豺狼の名を出した。
案の定、幸奈はおかずを箸でとった。そして、おそるおそるかじって、口に入れた。
「幸奈!大丈夫なの?!」
「や、やばいんじゃない………?」
友達が戦々恐々としている。安心させてあげなきゃ。
「大丈夫だよ!アレルギーで死ぬ人なんていないから!!
好き嫌いはちゃんと治さなきゃ、親に怒られるんだよ!!
死ぬと思って食べるから死んじゃうんだよ。大丈夫だと思って食べれば、ぜったい治る!!」
幸奈はおかずを飲みこんだ。涙目になって、顔を真っ青にしていた。倒れるようなことはなかった。私は自信を持って言った。
「ほら、大丈夫でしょ?食べ物で死ぬなんておかしいから!!」
私が胸を張ると、友達はひそひそと耳打ちした。やばいよね。大丈夫なのかな。そんな不安そうな声がした。
それからお弁当を片付けて、15分ほど経った頃だった。
幸奈が真っ青な顔をして、床に倒れ込んだ。友達が慌てて駆け寄った。
「幸奈!!大丈夫?!」
友達が幸奈を起こすと、幸奈の顔はパンパンに腫れあがっていた。明らかに異常だった。
「幸奈?!どうしたの?!」
「せ、先生!!先生呼んで!!」
辺りが騒然として、いくらかの生徒が先生を呼びに駆けだした。
幸奈はすぐに救急車で運ばれた。午後の授業は全て欠席。それきり、幸奈は戻ってこなかった。
翌日。重い顔をして先生が口を開いた。
「瑞風が亡くなった。死因は、アレルギーだ」
幸奈が死んだ。私はショックだった。何人かが私を振り返る視線を感じた。
「瑞風の死を無駄にしないために、急遽家庭科の特別授業として、アレルギーの講義を行うことになった。
みんなも真剣に授業を聞いて、アレルギーの怖さを知ってほしい」
ホームルームのあと、先生は私を呼びつけた。誰もいない教室で、2人で話をした。
「夕霧。クラスの女子から聞いたよ。瑞風に、ピーナッツの入ったおかずを食べさせたそうだな。
何故、瑞風に無理やり食べさせた?瑞風の死は、そのおかずが原因だ」
私はすかさず言った。
「そんなのおかしいです。食べ物で人は死にません。何か別の原因のはずです」
先生は絶句した。しかしすぐに落ち着きを取り戻して、言った。
「夕霧。アレルギーは人が死ぬものだ。
人はごくまれに、食べ物で死ぬこともある。今回の授業で、それをしっかり学ぶように」
「私は欠席します。アレルギーで人が死ぬなんてウソです。みんな騙されてるんです」
「夕霧、ワガママを言うな。これは学生の義務だ。きちんと教育を」
「教育なんて、みんな洗脳でしょ?!」
私は怒りで立ち上がった。教育、教育、教育。そんな言葉、大嫌いだった。間違っているものを正しいと信じ込ませる、そんなものはみんな洗脳だった。あまりにも許せない、非道な行い。私は断じて認めるわけにはいかなかった。
だって、だってもしも万が一、アレルギーで人が死ぬことが正しかったら、
(私が殺人鬼になっちゃうじゃん!!)
そんなもの、認められるわけがなかった。先生はため息をついた。
私は学校を抜け出した。アレルギーの授業なんて、受けたくなかった。もとより小学校の頃からアレルギーの授業はたくさんあったし、今さら洗脳なんてされたくなかった。それに今アレルギーの授業を聞いたら、まるで私が犯人だと責められるような気がした。だから、絶対に行きたくなかった。
寄り道をして適当に帰ると、母が夕食を用意して待っていた。
「おかえり、ツカサ。今日はお蕎麦よ」
母が茹でた蕎麦をざるにたっぷりと盛りつけた。私は気が重かった。蕎麦を食べると喉が痒くなるからだ。そう思って、私は硬直した。
(アレルギーの症状は、食べると喉が痒くなる)
(呼吸ができなくなり、死に至ることもある)
小学校の授業で習ったことが脳裏をよぎった。私はまさかと思った。そんなはずはない。今まで蕎麦を食べても平気だったじゃないか。ちょっと喉が痒くなるくらいで、死ぬことなんてなかったはずだ。
ああでも。嫌な汗が出る。蕎麦を食べた日は必ず寝込んだ。しばらく起き上がれなくて、呼吸が苦しくて。その苦しみがまた訪れる?今までは生きてこれたけど、今度はどうかわからない。死ぬ?私は死ぬの?
「…………食べたくない」
絞り出すように、私は言った。母はあら、と、きょとんとした顔をした。そして言った。ネギを切っている途中の包丁を持って、言った。その姿、その一言は、まさに私の目の前に現れた「死」だった。
「好き嫌いは、ダメよ」
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「アレルギー」4,708字
お題「あなたに見せる表情」「どこか寂しげに」
(ああ、今度は私の番だ)