
閃光星 flare star ※つるみか
第一話 鶴丸国永
同人誌にする予定の話 バックアップ兼サンプルとして
序
――真っ暗闇で水を浴びるというのは、かなり間抜けな事である。
雪がちらつく中、三日月宗近は禊ぎをしていた。襦袢を身につけているものの、浅瀬の水は余計に堪える。少し進み、膝上まで冷やす。眼前には穏やかな滝がある。……滝壺に身を沈めれば、そのまま死ねるだろう。
一歩、二歩、三歩。四歩。注意深く進んで行く。五歩。六歩。七歩――そこから先、踏み出した足が浮いてしまった。これ以上は進めない。
既に腰まで浸かっている。禊ぎするからと言って、ここまでの深さは必要ない。
三日月は諦めて引き返して、膝が浸かる所で止まった。穏やかな滝を見て、その後、水面を見つめた。
丁度良い日を選んだ為――月が水面に映っている。月と、己と、己の捧げる白い太刀。
三日月は目を細め、意識を集中させた。
あらん限りの霊力を与え、眠る太刀を起こそうとする。
「先先古来正しき歴史に在る御刀剣、草薙剣の加護を受けし匠、五条国永が刀剣よ――これなる審神者、三日月宗近が恐み申す……」
どうか加護を。我に力添えを。
祝詞を詠みながら、膝を突く。いつのまにか汗を掻いていた。
「――顕現せよ。鶴丸国永」
その瞬間、今までになかった震えが起きた。三日月の霊力を吸って刀が振るえている。振動は伝わり、水面が小さく揺れた。一瞬で凪いで――小さな風が起こった。落ちたのは桜の花。風が桜を飛ばし、三日月は目を見開いた。
桜の中に白い着物を纏ったモノがいる。それは瞬きの間、水の上で遊んで、名乗った。
「――鶴丸国永だ。俺みたいなのが来て、っっっおおお!?」
次の瞬間、ばしょ、と盛大に水しぶきを上げて落ちた。
◇◆◇
「おい、きみ、大丈夫か?」
三日月が目を開けると、真っ白な顔が見えた。顕現が成功した事を知って、三日月は微笑んだ。寒い。三日月は目を閉じた。
次に起きた時、三日月は本丸にいた。今から主の部屋に行く。三日月はなぜか、強い不満と焦燥を感じ己の足を止めようとした。が、止まらない。勝手に歩いて行く。そして廊下に膝を付く。来訪を告げ、部屋に入る。やめよ、とめよ、とまれ、三日月は唸った。叫ぼうとしても声が出ず、手を伸ばした。入ってはいけない。
――行っては駄目だ。よせ、やめてくれ! とまれ!
「おい、きみ、しっかりしろ、おい!」
急に目眩がして、三日月ははっとした。目を開けて、自分が寝ていた事に気が付いた。
「良かった! ……じゃない、大丈夫か?」
そこに居たのは鶴丸国永だ。三日月は茂みの中の、どうしてこんな場所に、と言う所で鶴丸に抱えられていた。
「……ああ」
鶴丸の姿を見て、三日月は息を吐いた。一切合切これで報われたような気持ちになってはらはらと泣いた。鶴丸は戸惑って、黙り込んでいた。
第一話 鶴丸国永
「とにかく、このままじゃ寒い。きみ、何とか出来ないのか……っ」
言い終わると、鶴丸はくしゃみをした。鶴丸は顕現直後に落下し、全身水濡れになっていた。
「すまんな。俺の着物しかない。一枚貸そう」
三日月は起きた時、自分の着物にくるまれていた。これは禊ぎの前に脱いだ物で、やはり脱いでおいて良かったと思った。思った通り、三日月は顕現で霊力、気力、体力を使い果たして気を失った。鶴丸は三日月の着物を見つけた後、少しでも温かいようにと背の高い草むらに入ったらしい。二人は今もそこにいる。
三日月は一番上の青い着物を剥がして鶴丸に渡した。
「助かる……」
そこで鶴丸は何か考え込んだ。
「君も寒いだろう。二人で使うか」
鶴丸は着物を広げて、三日月をそこに収めようとした。
「いや、いい。おぬしは、まず濡れた着物を脱いだ方が良い。顕現したばかりで悪いが……とりあえず、脱いで、これをかぶってくれ」
三日月は何から語ればいいのか、どう名乗ればいいのか迷って、やはり着物を勧めた。
鶴丸は大人しく従って羽織を草むらに被せて、もう一枚の白い着物を脱いで、三日月の着物を羽織った。
「さて……俺は三日月宗近だ」
そこで三日月はくしゃみをした。鼻をすすって、次の言葉を探した。
鶴丸は『全く訳が分からない』と言う顔をしてこちらを見ている。
「……俺は刀剣男士だが、何故か審神者の真似事ができた」
三日月は、鶴丸に会ったら話したい事が沢山あった。三日月を覚えているかとか、どんな認識を持って顕現したかとか。
すぐにでも聞きたかったが、口から出たのはつまらない、身上を現す言葉だった。
「へえ、そいつは凄いな……で?」
鶴丸は三日月に調子を合わせてくれた。
「本丸という場所がある。それは分かるか? 俺は一応、審神者の力を持ってはいるものの顕現が得意ではないから、なにか記憶に不具合があってもおかしくない。おぬしが今、分かる事を言って欲しい。己の使命については分かるだろうか」
鶴丸は頷いた。
「ああ、分かる。ええと、俺は刀剣男士で、歴史を守る為、人間に力を貸すって約束をした。敵は歴史を修正しようと企んでいて……そうそう、時間……そこう、さこう、ああ、そこう軍? だったな。本丸ってのはよく分からないが、どこかで人間に力を貸すって事だけは分かる。さにわ……っていうのは何だったかな、要するに、人間の事か?」
顕現したての刀剣男士は、皆こんな物だから、三日月は頷いた。
「ああ。そうだ。審神者は本来は人間がなる。問題は無いようだ」
三日月は微笑んで、鶴丸の手を取った。
「会いたかったぞ。鶴丸」
「……それは良かった、が、まさかと思うが、あんた……宿無しか?」
鶴丸が言うので、三日月は思わず笑った。
「はっはっは」
「はっはっは、じゃない。おい! いや、まさか本当に……!?」
「はっはっは。おぬしは運が良い」
三日月は更に笑った。
「よりによって、俺の元に来たのだから、本当に運が良い。夜が明けたら、ここを発つぞ」
「ちょ、そもそもここはどこなんだ?」
「おそらく京都、椿寺の辺りだ。大分山奥に入ったから。時代はさていつ頃か……鎌倉の辺りか戦国か、仮想の時代なのか。正直、何一つ分かっておらん。すまんな」
三日月は謝った。
三日月は本丸を出てからずっと、鶴丸を起こそうと躍起になっていて、基本の調査を怠っていた。時代など、少し調べれば分かる事さえ放っていたのだ。
「はぁ……」
「眠いか?」
「いや。別に……」
三日月の問いに、鶴丸は首を振った。大人しい刀を引いたかと思ったが、顕現したばかりでこの状況だ。途方に暮れているのだろう。
以前、演習で見た鶴丸国永は大変快活だったから、この刀もそうなってくれると嬉しい。
その時の事を思うと、なにやら嬉しくなる。
「夜明けまで、語ろう」
三日月は自分の身の上を、始まりから話す事にした。
◇◆◇
――『三日月宗近』は比較的早く、九番目に顕現した。
顕現した時は盛大に驚かれ、本丸の主に感激された。
三日月を鍛刀したのは前田藤四郎で、主の声を聞いて駆け付けた者達も、三日月を見るなり皆、顔を真っ赤にして喜んだ。
三日月はごく普通の刀剣男士だったので、自分の使命、目の前の人間を主とすること、敵の目的、そういった事を知っていた。
『おお、今剣か、懐かしい』
三日月は今剣を見つけ、すぐに声をかけた。今剣は存在しない刀のはずだが、なぜか懐かしく感じた。
『会えて嬉しいぞ』
『――! ぼくもです』
今剣は飛びついてきた。
口々に案内します、と言われ、説明もそこそこに連れ出された。
存外広い本丸を一周して、主と会話して――翌日、しばらく内番をする事になった。
理由は、三日月が一度脱いだ着物を上手く身につけられなかったからで、出来るまでお預けを頂いた。三日月は今剣や前田の手を借りて、なんとか着付けを覚えた。
それからは第一部隊に編成された。初期刀は蜂須賀で、よく、一緒に洗濯をした。
「あの頃は良かった」
三日月の口からこぼれた言葉に、鶴丸が反応した。
「……」
しかし何も言わずに口を閉じて、目線で先を促した。
三日月が顕現して、一月が過ぎた頃、出陣後、主に声を掛けられた。
近侍部屋には、蜂須賀とこんのすけ、主がいた。
座れ、と言われて、三日月は畳に腰を降ろした。
『三日月様に、お話があります』
口を開いたのはこんのすけだった。
『三日月様はこの本丸に鍛刀で顕現しました。が、不具合によって、刀帳の番号が、飛ばされてしまったようで……本来は九番目なのですが、記載なしでもよろしいでしょうか?』
意外な言葉に、三日月は瞬きをした。
『それは、構わんが……どういうことだ?』
『三日月様は、まだ、審神者様と上手く主従関係を結べていないのです。政府に問い合わせた結果、しばらく後で調整するそうですので、構わないとの事でしたが、先に伝えておこうかと……』
三日月は己が顕現した時の事を思い出した。三日月は審神者との会話もそこそこに本丸を回った。
『それは、俺が話の途中で出て行ったからか?』
すると審神者が首を振った。単純に不具合だから気にするな、と言われた。
『あいわかった。調整とやらをよろしく頼む』
三日月は頷いた。
三日月は主を好ましく思っていたし、他の刀剣達も、こんのすけもそうだった。だから刀帳に記載がないというのは――なんとなく少し不安になる、その程度の事だった。
それから二週間ほどで刀帳の不具合は解消された。元の場所に入れることができなかったらしく一番後ろにつけられたが、正直、些細な事だった。新しい番号は二十四。
新しい刀が毎日顕現して、本丸は賑やかになっていく。
主の端末には、刀剣男士の強さが練度という数値で記されていた。次の練度までいくつ、今の強さはこれくらい。これは政府が審神者の為に、出陣回数からから割り出した値らしい。確かに強さの指標があれば編成に困ることも少ないだろう。三日月は出陣が少ないので成長がゆっくりらしい。
仲間達と出陣を繰り返し、三日月の練度が三十を越えた頃、ある出来事が起きた。
刀装もあるし馬も頂戴した。怪我をする事も少なくなり。演習では稀に勝てるようになって来た。つまり三日月は調子が良かった。部隊も調子に乗っていて、新しい刀を見つける事が多かった。大抵はかぶり、つまり既にいる刀剣で、いない刀は稀だった。
ある日、敵の本陣を攻め落とした後、三日月は辺りを見回した。
戦場で刀が拾える事があるので、此度も何か無いかと草むらに目をやった。何も無かったので目線を戻して、しかし何かが引っかかり、もう一度そちらに向かって歩き出した。少し歩いたところで、白鞘の太刀を見つけた。
手に取って三日月は目を見開いた。『鶴丸国永』だった。
三日月は鶴丸の事を良く知っている気がしていて、会ってみたいと思っていた。
……三日月にとって、縁は会ってから思い出す物だった。これはこの本丸の他の男士もそうらしい。
『それ、もしかして』
『誰? 新しい刀?』
『ふむ。これは鶴丸国永だ』
珍しい刀の発見に部隊は沸いた。
伊達で縁のある燭台切、大倶利伽羅が早く顕現させろと言って主の元に詰め寄った。
ところが、これが上手く行かない。何か在るのかと、主は焦った。
端末を調べて、こんのすけが声を上げた。
『あっ、審神者様。刀剣男士の枠が一杯ですね。政府は資材の枯渇を防ぐ為に、男士の数に一定の規則を設けています。先に戦場を広げましょう。次の戦場を踏破し、戦績が上がれば、すぐ許可が下ります』
なんだ、そんな事か、と皆拍子抜けした。
刀剣男士はそこまで多くなかったが、連結用の刀が所持枠を圧迫しているらしい。連結するか、となったが、主は強化する男士を考えたいので焦らず慎重に行こうと言った――要するにしばらく保留となって、三日月は少しがっかりした。
鶴丸は燭台切の部屋に置かれた。
「その鶴丸が、今のおぬしだ」
三日月は苦笑した。
「後で知ったのだが、本来、拾えるはずの無い場所に落ちていたらしい。どこぞの狭間に迷い込んだか、検非違使が落としたか……それは良かったのだが……おそらく、こうなる定めだったのだろうな。本丸を出る時に、大倶利伽羅が投げて寄越した。ふたつきかけて、ようやく顕現できた」
鶴丸が眉を潜めた。
「本丸を出る時に……って、どうしてだ?」
鶴丸は何故、三日月が本丸を出る事になったのか、それを知りたいようだ。
三日月は続けた。
「ふむ。その時は気づかなかったが、主の力は、少しずつ弱まっていてな。手入れに時間が掛かることが多くなり、ついには、手入れが出来なくなった。その頃、たまたま俺が、触れた刀を顕現させてしまって。俺には審神者の力があると分かった。しばらく平穏だったが、突如、大問題になった。次第に主に疎まれるようになり……色々あって、本丸を出て行く事にしたのだ」
三日月は眠気を覚えて、目を閉じた。
「主はいい主だった。未練はないが……」
三日月は言いながら、己はやはり、あの本丸に未練があるのだろうか、と考えた。
「主がおぬしを顕現できなかったのは、俺のせいか、それとも本当に政府の制限だけか。どちらにせよ、こうなる定めだった。大倶利伽羅には、本当に感謝している。すまんが……もう本丸には……」
◇◆◇
二
三日月が眠ってしまったので、鶴丸は溜息を付いた。
とんでもない場所に来てしまった、というのが率直な感想だ。
鶴丸は三日月の体を温めようと、引き寄せた。すると三日月がはっと目を覚ました。
「……、すまんな、横になる」
そう言って、草むらに身を横たえて眠ってしまった。
鶴丸は首を傾げたが、羽織っていた青い着物をかけてやった。
そこで気が付いたが、三日月の着物はずいぶん破れていた。
ふと、目を凝らす。
何がおかしいのか分からなかった。しばらく考え、辺りを見回し太刀『鶴丸国永』を見つけ、はっとした。
三日月は、自分の刀を持っていない。
鶴丸の中に焦りが浮かんだ。一瞬考えて三日月を揺すった。
「おい、お前さん、刀はどうした」
すると「刀?」と眠たげな返事があった。
「刀だ、三日月宗近だ!」
「ああ、あれか……あれはな、置いてきた」
「置いてきた!?」
鶴丸は心底驚いた。どこかに隠しているのかと思ったが、嫌な予感がする。
三日月は寝る気らしい。
「どこにある!?」
「本丸だ。持ち出す暇が無かったからなぁ」
「ちょっと待て、詳しく教えろ。お前さんは、どうしてここにいるんだ?」
すると三日月はむにゃむにゃと口を動かした。
「俺は本丸を追放されて、丸腰でここにいる。もう四ヶ月か? 魚と草以外、何も食っていない。よく生きていると自分でも感心する。まあ、なんとかなっているし、良いだろう……」
鶴丸は思わず口を開けた。
◇◆◇
翌朝、鶴丸が目を覚ますと、三日月は既に起きていた。
あの後、詳しい事情も分からないし、どうしようもないしで、鶴丸も寝たのだ。
「起きたか。羽織は乾いたようだ。天気が良くてよかったなぁ」
三日月が鶴丸の羽織を渡して来た。
「……そりゃどうも」
鶴丸は大きな羽織を受け取って身に纏う。確かにほとんど乾いている。湿っぽい気もするが、羽織を気にしている場合ではない。
三日月が自分の着物を纏った。
三日月の衣装は白い襦袢の上に青い着物。土で汚れた白袴、白足袋に草鞋。
それだけだった。
昨夜との違いは、襦袢の中に黒い襟と、両腕にも揃いの籠手を身につけていることだ。
青い着物、内側の白い襦袢は共に袖が大きく斬れていた。
左手の袖は五割は残っているが、右手の袖は三割ほどしかない。大分破れて血がにじんでいる所もある。袴は左腿の辺りに破れがある。顔には傷がなかったが、よく見れば腕や肩……あちこちに小さな切り傷があった。荷物は一つも無い。
いかにも放浪中です、と言わんばかりの様子に鶴丸は呆れた。
「早速聞きたいんだが。お前さんはどうして本丸から追放されたんだ? 何をやらかした? 丸腰なんてよっぽどだ。というかそもそも、刀剣男士から刀を取り上げるなんて、あっていいことなのか? 本丸には戻れないのか?」
鶴丸は疑問を並べた。
すると三日月が曖昧に微笑んだ。
「そう焦るな。俺は大した事をしていない。したのは主の方だな。主は冷静さを欠いて、幾度か無理な出陣をした。そこで前田が大怪我をしたので、俺が急遽、手入れ――手当てをした。それが気に障ったらしく、刀を取り上げられた。しばらく謹慎して、後日呼ばれて……」
三日月は初め饒舌だったが、すぐに言いよどんで、終いには閉口した。
あまり良くない記憶なのだろう。
三日月は放逐され傷ついているように見える。顕現したてでもそれくらいは分かった。
「いやいい。分かった。もう聞かない。で、俺は何をすればいいんだ? 俺はこのままきみと放浪するのか? お前さんは俺の主なのか?」
すると三日月が、またまた、曖昧に微笑んだ。
鶴丸は少し苛ついた。
思わず舌打ちした程だ。三日月の曖昧な笑みの裏に、鶴丸が思う以上の事が隠れていそうな、――直感からだ。
三日月が笑みを消した。
「話が早くて助かる。まずは俺の本体を取り戻す。その次に、時間転送装置を探す。転送装置が先かもしれないが、ここが何処かも分からないのではどうしようも無い。本丸のある座標なら良いのだが。今日はこの辺りを回ってから、山を降りてみよう。民家があったら、何か食べ物を盗んでこよう」
鶴丸は思わず耳を押さえた。聞き違いかと思ったのだ。
「盗む?」
「金が無いし、人が居るかも分からない。ざっと見たところでは民家はなかったが、余り調べていないのだ。敵陣に近い場所かもしれんから、なるべく接触は避けたい。俺はそこそこ戦えはするが、得物は今までおぬしを使っていたからなぁ、さて、どうするか……」
「ここは敵がうろついてるのかい?」
鶴丸の言葉に、三日月が頷いた。
「ああ。本丸から出てすぐに襲われた。短刀だったが、他にも気配を感じた。気配の無い方へと逃げたら、こんな山奥に来てしまった。……まあ、つまり迷子だな。あっはっは」
のんびりと声を上げて笑う三日月を見て、鶴丸は深い溜息を吐いた。
「まったく……」
「すまんな」
「いや、いい。分かった。それできみは俺の主なのか?」
「やけにこだわるな」
「こだわるさ。こんな状況ではな。驚きすぎて呆れたのは初めてだ」
「顕現したばかりなのにか?」
三日月が揶揄するように言った。
鶴丸は肩をすくめて笑った。
「そうだな。きみを三日月と呼べば良いのか、主と呼ぶのか。お前さんはどっちがいいんだ?」
鶴丸は三日月を見た。
本音を言えば、鶴丸の中での三日月の認識は『主』だった。全く不思議だが、確かにこの三日月からは主としての、審神者の力を感じるのだ。
……霊力があまり感じられない、というのが懸念材料だが。前田を手当てしたと言っていたし最低限の事はできるのだろう。が、主と呼んで良い物か。三日月が求めているのは、仲間か、友か、とにかく違う物である気がする。だから鶴丸は率直に述べた。
「俺がお前さんを主と呼ぶのは、少し違う気がする。お前さんが欲しがっているのは、よく分からないが、一緒に戦う仲間なんじゃないのか」
すると三日月が、ほう、と唸った。
「本当に察しが良いな。ああ、俺はおぬしに仲間になってほしい。主従では足りないのだ。実は俺にはある目的があってな。その目的の為なら手段は選ばないつもりだ」
鶴丸は腕を組んで、ふうん、と生返事をした。
「なるほど。目的か。なんだ。教えてくれ」
「ふむ。俺は本丸を出てから考えた。敵はどこから来るのか。検非違使とは何なのか……ばらけた歴史を元に戻す方法は無いのか、それらの答えを見つけ、この戦いを終わらせる。それが俺の目的なのだ」
◇◆◇
「きみが審神者の力を持って生まれたって言うのは、全く、良くない事だな。今からでも遅くないから、主に頼み込んで本丸に戻してもらうといい」
畑で大根、人参、ついでに不在だったからと鍋と茶碗と味噌、火打ち石、そのほか必需品を盗んだ後である。
申し訳無いので、鶴丸は何か置いて行こうと思ったが、置いていける物などあるはずも無い。三日月は「茶碗は明日返せば良い」と言って笑った。
鶴丸は「笑っている場合じゃ無い」と言ったが、三日月は笑うばかりだった。
茶碗も借りたが、箸を忘れたので鶴丸は木を削っている。
包丁は無い。借りるのを忘れた。では何を、と言えば当たり前『鶴丸国永』を使った。
もちろん今、枝を削っているのも『鶴丸国永』だ。
三日月は鍋に水を入れて湯を沸かし、具材を適当に煮て、具材が柔らかくなった後で味噌を入れた。すると色の薄い味噌汁になった。
「俺は戻らぬ……。戻っても仕方無い。追放と言ったが、ほとんど処刑だ。まあ、こうして生きているからいいが。主は俺の追放を政府に隠したままだ。このままでも良いが、いつ刀解されるか分からんのは困るな」
三日月は、やはり詳しい経緯を説明する気がないようだ。鶴丸も聞く気は無いから、知らない言葉を聞く事にした。
「刀解って言うのは?」
「平たく言うと、刀を鉄くずに戻す事だ。その刀に宿っていた魂はどこかに消える。同じ刀があれば、また違う魂、霊体や分祀、分体と言えば分かりやすいか――が呼ばれる。本丸は幾つもあり、刀剣男士は無限に存在する。その上に政府がある。主は外聞の為、俺の本体を手元に置いておくつもりだろうが……主の気が変われば、可能性もある」
「そいつは不味いな」
鶴丸は箸を渡した。枝の先を削っただけの簡単な物だ。木じゃくしは無いので、椀を汁に浸けて汁を掬った。
一口食べて、鶴丸は目を丸くした。
「……うまい!」
自分の口から、自然に言葉が出て来た。
「こいつは驚いた! 驚いたって言葉が出て来たことにも驚いた。うまいって言葉も初めて言った。物を食べたのも初めてだが、まったく、驚きだ! 体が温かい!」
鶴丸が驚いていると、三日月が笑った。
「それは良かった」
鶴丸は不思議な感覚を覚えた。三日月はよく笑っていたが、今初めて本当に笑った顔を見た気がした。一瞬、鶴丸の脈が乱れた。
「ん?」
鶴丸は胸に手を当て首を傾げたが、程なく元に戻ったので、それ以上気にする事はなかった。その後は排泄やら睡眠やら、人として生きる上で必要な最低限の事を教わった。
鶴丸は俄然楽しみになってきた。
どんな驚きが待ち受けているのやら。困難の方が多そうだが――今の所、二振りきりだ。
鶴丸と三日月でやっていくしかない。となれば鶴丸も相応に働くのが筋だ。
聞けば歴史修正主義者との戦いは、泥沼化し、今は膠着状態だという。
鶴丸は周囲を歩きながら、戦い、本丸、審神者、政府について尋ねた。
刀剣男士は審神者に従い、本丸の全てが政府に従う物なら、そこに属さず『戦を止める』などという馬鹿げた事を言う三日月はとても珍しい物だ。
「今の俺が役に立つかは分からないが、雨よけくらいにはなってやる。この羽織は大きいからな。三日月――いざとなったら、俺を捨てていけ」
鶴丸が念の為に言うと三日月は目を丸くした。
「何を言い出す」
「代わりがいるんだろう?」
「そういう物では無い。『記憶』というものがあってな、記憶は同じ刀でも共有が出来ないのだ。顕現してからの思い出が本来同じはずの刀剣男士を別の物にしている」
「へえ。そうかい。だが俺は、幾つも存在して、幾つあっても、きっと同じように考えるぜ。いざと言う時、どちらが残るかといったら、審神者の方だ」
すると三日月が少し目を伏せた。
「縁起でもない」
「そうか……」
鶴丸は刀に手を掛け、顔を上げた。
少し先に気配がある。
「いるな。どちらがやる? 俺でいいか」
「いや、五体いる。まだ気づかれてはいない。手練れのようだ。ここは避けよう。こちらもだが、敵はほぼ、六体で行動する。どこかにまだ――」
「上だ!」
鶴丸は叫んで、三日月を突き飛ばした。三日月の居た場所に矢が立った。木の上に大きな蜘蛛がいた。上半身が人間で、下半身が八本足。長い髪、腐ったような色の肌に、禍々しい気配を纏っている。おそらくこれが敵だろう。
「脇差か――やれるか。急げ! 増援が来る」
三日月が一歩下がる。
「やってみる! 駄目なら渡す」
蜘蛛が糸を吐き出した。
鶴丸はそれを受けず、木の上に飛び上がった。自分の身軽さに驚きながら、潔く縦に一閃する。顔面と体を浅く切り裂き、次いで横切りにする。一撃が軽く、仕留める事はできない。脇差しが何か叫んだ。上半身が動き、刀が向かってくる。鶴丸は浅いとみて、宙返りで躱した。
「残念、こっちだ!」
鶴丸は左側から袈裟切りにした。予想を裏切ったのだろう。脇差は地に落ちた。
鶴丸は木の上で、倒した脇差が消えていくのを見た。
「――なんとかなったな」
倒せた事に驚きながら呟くと、三日月が「急げ、逃げるぞ!」と言った。先程の叫びで仲間が気づいただろう。鶴丸は飛び降りて、三日月に続いた。
全力で走りながら三日月に尋ねる。
「何処へ逃げる?」
「宛ては無い。とにかく遠くへ走る」
「無策か、面白い!」
「この辺りは敵がうろうろしているから、その間を縫って、本丸からは離れるが、布陣の外まで行くぞ。敵は京都五里を越えて追って来られぬ」
「この先、いるぜ」
「ああ、が、こちらは弱い。おぬしに任せる」
鶴丸と三日月は京の山を駆け抜けた。
◇◆◇
「ふう、はぁ、はぁ」
鶴丸の息が上がってきたので、三日月は立ち止まった。
三日月も汗だくで、息も上がりかなり疲労している。呼吸を整えながら声をかけた。
「……鶴丸、大丈夫か」
「ああ……」
鶴丸が汗を拭った。時刻は昼を過ぎだろうか。
五度ほど敵の部隊に出くわしたが、初めは短刀五体、次は打刀二体、と短刀一、その次は脇差一体、と京から離れるにつれて敵は減っていった。
いざとなれば、と思ったが三日月が刀を借りる事は無かった。三日月は無傷、鶴丸も小さな擦過傷が一つあるだけだ。鶴丸は初陣にしては良く戦った。誉をやりたいくらいだ。
一息吐いて、三日月は微笑んだ。
「少し座って休むか。この山を抜ければ大津へ出るはずだ」
「大津?」
「今で言う滋賀に入るはずだ……ふう」
三日月はさっさと腰を下ろした。道は無いので、木の下の、草が低い場所を選んだ。
「なるほど? こっちでいいのか?」
鶴丸も刀を抱え座った。
「おそらく」
三日月は言ったが、正直言って、分からない。
それは一先ず置いて、敵の布陣は抜けられた。三日月は鶴丸に感謝した。
「それにしても、助かった。俺一人では抜けられるか分からなかったからなぁ。少し休んだ後進もう。それで安全なはずだ」
「まだ行けるなら、早めに進もう」
鶴丸が急かすので三日月は不思議に思った。
「いつ敵がくるかもわからないし、三日月、きみは少し顔色が悪い。動けるうちにもう少し進んで、どこかで休んだ方がいい。熱があるんじゃないか?」
手を伸ばされたので、いい、と言って苦笑した。体調が悪い自覚はあったので、三日月は頷いた。
「風邪を引いたようだ」
「きみ、こんな寒い時期にあんな冷たい水に入るからだ。全く……具合が悪いなら背負っていくが、歩けるか?」
「おぬしに会えて、気が抜けてしまったのだ」
三日月は微笑んだ。今までは冬で野宿でも平気だったし、あまり冷えそうな日は昼間に休んでいたから風邪も引いていなかった。それが急にこれだ。刀剣男士は人間より丈夫に出来ているが風邪くらいは引く。
体調の悪さを自覚したら体が熱くなって来た。熱いのに寒気もする。
鶴丸に会って気が抜けたとしか思えない。しばらく三日月は体を休める事に専念した。
「――立てそうか?」
「それが、無理……だなぁ」
しばらく休み、鶴丸に尋ねられる頃には三日月は立ち上がる事ができなくなっていた。
鶴丸は眉を潜めて、三日月の額に触れた。
「熱いな。背負っていくから、何かあったら言ってくれ。家があったら、休ませて貰おう」
「すまんなぁ」
三日月は苦笑した。笑い声が聞こえた、と思ったら背負われていた。
「気にするな」
ふわふわと柔らかい布が心地よく、三日月は感激してしまった。
目頭が熱くなって来て、泣きそうになって目を閉じた。鶴丸の上着の鎖が外してあることに気が付いたのは、うとうとし始めた後だった。
◇◆◇
「少し休ませて貰うだけでいいんだ」
鶴丸の声が聞こえて、三日月は目を覚ました。
少し顔を上げると僅かに空いた板戸と、その向こうに人影が見えた。
人影が何か言って首を振る。
「ここら辺は、何かあったのか?」
鶴丸は少し戸惑っている様だ。
「どないもこないも、早う出て行きなはれ!」
聞こえた声は老女の物で、どこか逼迫している。
「そうは言うが、病人なんだ。事情があるなら教えて欲しい。戦か?」
「――それもあるけどな、疫病やで、病人はあかん」
「疫病……? こっちはただの風邪だ。移したりしないから、何か、せめて水か食い物を貰えないか」
「水なら勝手に汲んでいったらええのに。いや……ここの水はやめた方が……」
老女は鶴丸にちょい待ち、と言って、しばらく後、これしかあらへん、と言って竹筒を差し出した。
「ありがとう、助かる!」
「う、ん……?」
三日月はそこではっきりと覚醒した。
鶴丸が取り出したのは鎖だった。
「礼をできたらいいんだが、あいにく何も無くてな。こんな物しか無いが受け取ってくれ。まあ、ただの鉄の鎖なんだが、霊厳はあらたかだ。金(きん)じゃ無いが受け取ってくれ、ん?」
三日月はそこで「鶴丸」と声をかけた。
鶴丸は老女に鎖を無理矢理渡し、背負った三日月を見た。
「三日月、大丈夫か?」
「少し良くなった。降ろしてくれ。如何した?」
三日月は尋ねた。
鶴丸は三日月を降ろして、立たせて支えた。
「どうやら戦と疫病があったらしくてな。どこの家も空っぽだったり、人がいても戸が開かない。男はいないし女もほとんどいない――あといるのは子供くらいか……? 三日月、もう行こう。乗れ――悪いな、ねえさん。助かった。大丈夫だ」
鶴丸はそう言って、三日月の手を引いて家から離れた。
三日月はもう少し押せば泊まれたかもしれない、と思ったのだが、鶴丸は三日月を背負って進んで行く。集落を出た所で鶴丸が背中の三日月に声をかけた。
「この辺りは、空気が良くないな。嫌な感じがする。このまま山を抜けられそうだから、一度里に降りても良いか? あとこの辺り、どうも大津への道じゃ無いらしい」
「あなや」
三日月は驚いた。
すると鶴丸が苦笑した。
「山一つ違うって聞いた。京からは離れてるから敵は見かけないが。日暮れまでに山を降りたい。そこでまた宿を探そう。それでいいか?」
「ああ……すまんな」
「もう少しの辛抱さ」
鶴丸は言ったが、三日月は項垂れた。顕現したての鶴丸に介護をさせている。自分を情けなく思ったが、それ以上に心強かった。早く良くならなければと思った。
「では、俺は眠る。後は頼んだぞ」
「ああ――ん?」
そこで鶴丸が顔を上げた。鶴丸は木の陰に身を寄せた。
「三日月、起きろ。誰かいる。この先、刀剣男士だ」
「なに?」
三日月はそちらを見た。
「こっちに来る」
初めは熱で感覚がにぶっていて分からなかったが。確かに、近づいてくる。一定の早さで進んで、気づいている様子は無い――いや、今気づかれた。
「二、三、四振り……か? どうする?」
鶴丸が言った。
「鶴丸、上着を貸してくれ」
三日月は鶴丸の背中から降りて、彼の上着を奪って纏い、頭巾も深めにかぶった。
「俺は木の下にいる。俺が話をするからお前は立って話を合わせてくれ。遠征に出たが風邪を引いたと、いや風邪だったと言ってくれ。遠征だぞ」
そのまま腰を下ろして木の横で休んでいる風を装う。
鶴丸は太刀を弄びながら、腰に手を当て三日月を眺めていた。
程なく、相手の姿が見えた。
――加州清光、秋田藤四郎、前田藤四郎、小夜左文字。
練度は加州が三十ほど。他もさほど高く無いと見た。向こうも気づいていて、進む道に鶴丸と、木にもたれた三日月がいた、と言った状況らしい。
「あっ」
秋田藤四郎が鶴丸を見つけた。
「あ。……よう!」
鶴丸は手を挙げた。秋田はそのまま近づき、歩いて来た加州が反応する。
「あれ? お仲間?」
加州が鶴丸の様子と、傍らの布の塊、三日月を見る。
「ああ。お疲れさん」
「この人、どうしたの?」
「――四人か?」
三日月は声を発した。
「え? うんそうだけど……あっもしかして、三日月宗近?」
加州が三日月の目を見て、自信なさげに言った。短刀達は鶴丸も珍しそうに見ている。鶴丸を見た事が無かったのだろう。始まって間もない本丸のようだ。三日月は微笑んだ。
「ははは、いかにも。そちらは遠征か?」
「うん、まあね」
「俺達は戻ったところだが、この先へ行くのか?」
「そう。ひょっとして……危険?」
「いいや。そこまででもなかった。が、風邪を引いていてな……具合が良くない。こうして休んでいる」
「風邪ですか?」
風邪と聞いて秋田が少し心配そうにした。
「ところで、おぬしらは何の調査に来たのだ? それとも資材集めか?」
三日月は尋ねた。
「そっちは何してたの? 風邪って大丈夫? 二振りだけ?」
「あぁ。二振りで来たのだが、失敗だった。主に頼んで戻して貰おうと思っている。こちらは疫病の調査をしていた。簡単な聞き込みだが」
「ああ。俺達もそれだよ。どうだった?」
「何件か訪ねたが、戦もあるし留守の家も多かったな……或いは死んだのか……民家で水を貰ったが、井戸の水は良くないらしい。それは調べないと分からないが。俺はあいにくこの状態だから、一旦、出直すしかない。山の奥や、京の街中は敵がうろついている。さほど強く無いとみたが、山に深く入って、会わないように気を付けろ。どこまで行くつもりだ?」
三日月は鶴丸に聞いた話をつなげた。
「俺達は醍醐寺(だいごじ)まで行って周囲を探って、戻るつもり。そっちには行った?」
「いや、行っていない。民家だけでよいと言われたのでな」
「そっか。分かった」
「後を任せても良いか?」
「うん、大丈夫。早く迎えに来て貰いなよ。何かする事ある?」
加州が言った。
「そうだなぁ、腹が減ったな……まあ、戻れば良いんだが……」
三日月は言ってみた。
本当は転送装置が欲しいが、この部隊を今巻き込むのは得策では無いと判断した。
「あの、これを良かったらどうぞ」
すると前田が包みを差し出して来た。藍色の手巾に包まれている。
「これは?」
「お結びです。一つで申し訳ありませんが……」
「いやいい、それはおぬしの物だろう」
三日月は欲しかったが諦めた。さすがに短刀から貰うのは気が引ける。
「お弁当持ってるでしょ」
加州が三日月と鶴丸に向けて言った。すると今まで黙っていた鶴丸が口を開いた。
「それが、午前で帰るつもりだったから忘れて来たんだ。まあくれとは言わないが。主も遅いな。俺達がのんびりしてるとでも思ってるのかな。ちょっと遅れそうだ」
「なんだ無いの? じゃあ仕方無い。そうだな……少しあげるね。一個ずつでいい? 情報のお礼って事で。敵がいるなら俺達も早めに帰る事にする。そっちは鶴丸……国永だっけ? 初めて見た。どうぞ」
加州はそう言って、懐から銀紙に包まれた握り飯を取り出し、鶴丸に渡した。
「おっ。助かる! ありがとう。すまんが三日月にもやってくれ」
鶴丸が言うと、前田が包みを差し出した。前田は包みを解いて一つ、銀紙を取り出す。
「僕のお結びは小さいんですが……」
「じゃあ、僕のもあげます!」
秋田が言った。
「……これって僕も?」
「小夜はいいよ、二つもあればいいでしょ。じゃあ行くよ」
加州が苦笑した。
「気を付けてな」
三日月は微笑んだ。「はい!」と元気な声が聞こえた。
――姿が見えなくなった後、鶴丸が『で?』という顔で三日月を見た。
三日月は微笑んでいた。
「握り飯か。上々だ。短刀というのは可愛い物だなぁ」
前田も秋田も加州も、あの本丸に居た。気の良い刀剣達だ。
鶴丸は彼等が去った方を興味深げに見ていた。
「へえ。あれが短刀か。小さいんで驚いた。もう一人も細かったが、あんな体で戦えるのか? なんて刀だ?」
「ああ、尼削ぎが前田藤四郎、桜色の髪が秋田藤四郎。傘を背負ったのは小夜左文字だ。洋装の者は加州清光。打刀だな。打刀もそうだが、短刀は特に夜戦では活躍する。短刀が一番すばしこい。あの本丸はまだ若いようだから、見逃した」
「見逃したって」
そこで三日月の腹が鳴った。
「とりあえず食べよう」
「そうだな」
三日月にとっては久しぶりの、鶴丸にとっては初めてのまともな飯に舌鼓を打ちながら、三日月は先程の本丸を『見逃した』理由について語った。
「怪我と言う事にして、宿や助けを求めても良かったが。俺の格好は少しくたびれているからな。刀も無いしかえって怪しまれる。転送装置を奪うなら、良く相手を見なくては」
三日月は言った。
「奪うつもりか? さっきの様子なら、無くしたって言えば貸してくれそうだが」
鶴丸が指についた米粒を舐めながら言った。
「ああ。良い本丸のようだな。だが、転送装置は主の許可無しでは使えない。奪うにしても、いきなりは不味い。悪くすれば、奪われた刀剣が責任を負うことになる。俺は出来る事なら身なりを整えなければ。鶴丸、おぬしは少し後で醍醐寺に様子を見に行って、もう一度あの部隊と会ってくれ。会えなくても構わんが……ここはどうやら、文明二年か三年――西暦、千四百七十年頃のようだ。その辺りは確か応仁の乱の最中で、醍醐寺の祈祷で農民に疫病が流行ったとあった。確証は無いし、祈祷は寺領へ向けての物だったが……今の場所から考えるとその可能性も否定できない。……とすれば、俺は門から落ちて、ずいぶん時を遡ったようだ。さて、この辺りがどうなっているのやら。この時代の呪いは効くからなぁ。何にせよ、遠征部隊と出会えたのは運が良い。折角だから、縁を繋いでおこう。彼等に会えたら『主と連絡が取れて、醍醐寺の辺りは調査していなかったから、三日月を置いて見に来た』と言えば良い。そのまま手伝うのもいいが、太刀は見つかりやすいから気を付けろ。もう少しこの時代について話しておくか……」
応仁の乱が始まったのは千四百六十七年。
室町幕府の跡継ぎ問題を発端として、東軍、西軍に別れ争った。争いは十一年間も続き、その間に京は焼け、様々な思惑が絡み泥沼化して、元々の跡継ぎ問題も忘れられ、果てには東軍の大将だった足利義視が何故か西軍の大将になり……西軍が元々は東軍の大将だった足利義尚を擁立するなど、有力大名が自分の利益を優先し、最後は意味を成さない戦いとなった。
三日月達がいる千四百七十年はちょうど大将が変わった辺りだろうか。戦としてはまだまだ先は長い。
――三日月は先程の遠征部隊を追う頃合いを探りながら、醍醐寺周辺の地理についても地面に図を引いて伝えた。
鶴丸は相づちを打って聞いていた。
「ずいぶん詳しいな?」
「この時代の京は国の都だ。よからぬ事を企む連中が多くてな。何度も出陣した」
「なるほど。分かった。日暮れまでに戻れば良いのか?」
鶴丸が言った。
「ああ。先程の様子では、ここからそう離れていないだろう。この道を行け。俺はここで眠っておく。果報は寝て待てという。頼んだぞ」
三日月の言葉に鶴丸が苦笑した。
「きみは寝てばかりだな。分かった、早く治せよ。上着は置いていく。全く便利な物をくれたもんだ――気を付けろよ」
鶴丸が手を振って颯爽と歩き出す。
三日月は手を振りかえした。
一振で無いと言うのはなんと心強い物か。
三日月が体調を崩したのはおそらく、顕現の反動だ。
握り飯で腹も膨れ、水も飲んだ。これならば直ぐに霊力も戻るだろう。
三日月は鶴丸の上着にくるまって目を閉じた。
◇◆◇
追いつくなら早い方がいいが、先程の部隊が出てから既に四十分は経っている。
他の部隊に出会ったことで、鶴丸は自分達が置かれた状況というのをようやく実感し始めていた。
通常は本丸という場所があって、そこを拠点に歴史の調査をするらしい。だが自分達はどうだ? 帰る場所は無く、助け合う仲間も居ない。金も無く、食事でさえまともにありつけない。加えて真冬だ。録に物も喰わず、三日月は今まで良く生きていたと思う。
今は鶴丸がいるが、鶴丸は顕現したばかりで分からない事だらけだし、戦闘にも手間取って負傷した。怪我は三日月が手入れ――手当できるらしいがそれも良く分からない。
鶴丸は歩調を早めた。
追いつけるとは思えないから、寺を探して合流するしか無い。三日月の説明でだいたいの方角は掴めたのだが――。
「村に行ってみるか」
加州達が行った道を戻ると、先程の村がある。一本道だからそこを通っただろう。村に行けば先程の老婆がいるはずだ。加州達も聞き込みをしたかもしれないし、会うのは二度目となれば、道を聞けるかもしれない。おそらくあの村から違う方向へ出るのだろう。
鶴丸は早足で歩きながら首をひねった。
今は村に行く道を半ば過ぎたところで、元々、村からそんなに離れてはいなかったからも少しで着くのだが……行く先に、先程は感じなかった重苦しい感じがある。
呼吸が若干しにくいのは空気が悪いせいだ。空気に匂いが付いているわけでは無い。
これは鶴丸には覚えのある――亡者の気配だ。
面倒な事になっているのでは、と鶴丸は急いで、程なく村に到着した。
村全体がおかしな匂いに包まれていた。意識を集中させたが、匂いの元の亡者、遡行軍などは見られない。加州達もいないようだ。一番近くの民家を見ると、扉が壊れていた。ここには数名、人が居たはずだ。何かあったに相違ない。ここに残っている重苦しい匂いは亡者の残り香だ。鶴丸は老婆の家へ向かった。
するとこの周辺だけ、空気が違う。戸口はぴたりと閉じたままだ。
鶴丸は扉を叩いた。
「おい、ねえさん、大丈夫か? この村、何があったんだ?」
するとしばらく後、内側から扉が開いた。
出て来たのは、小夜左文字だった。
「お前さん?」
鶴丸は驚いた。刀剣男士の気配は無かったはずだ。
「入って」
小夜は鶴丸を引き込んで扉を閉めた。
扉の裏側にはかんぬきがかけてあり、鶴丸が渡した鎖が引っかかっていた。
中は六畳と四畳半を二つ足した程度で、入って直ぐに土間があって、その横の座敷に老婆がいた。老婆は数珠と位牌らしき板切れを握りしめている。
「あんたは……」
「大丈夫か。何があったんだ?」
鶴丸が尋ねると、小夜が答えた。
「僕たちが来た時、家の扉がほとんど壊されてて……この家だけ無事で、何があったか聞いた。そうしたら、見た事の無い化け物達が村を襲ったんだって。お婆さんの家だけ避けて。たぶんこの鎖のせいだって加州が。皆は遡行軍を追った――でも遡行軍とは違う感じがするって加州は言ってた。鶴丸さん、ここを任せてもいい?」
「ここは安全なのか?」
「加州が主の札を貼ったから多分。もう来ないと思う。こっちは気安めだけど、鎖が効いてるみたい」
「……なら、俺も行く。ねえさんには悪いが、小夜、すまないが三日月を起こしてきてくれないか? 風邪だが、何かの足しにはなるはずだ」
「――わかった。でも、近くの村にまだ人がいるかもしれない。やっと連中がいなくなったんだ」
小夜が動揺しているようだったので鶴丸は尋ねた。
「亡者を見たのか」
小夜が頷いた。
「……見た。死体が人をかついで行ったんだ……亡者?」
「この辺り、亡者の気配がするんだ。感じないか?」
すると小夜が首を振ってから頷いた。
「亡者……確かに、気配は分からないけど、あれは遡行軍とは違う気がする。そうかもしれない。三日月さんを呼んでくる。他に人が居ないって分かったら、この人を避難させてからすぐ追うから、先に行って欲しい。加州は寺に増援を頼むって言ってた」
「寺に増援?」
「寺に仲間を転送して貰うって」
「分かった。じゃあ今から行く。霊験はあったみたいで良かった。小夜、頼んだぞ」
鶴丸は老婆を見てから家を出ようとしたが、思い出して止まる。
「――すまん、寺への道は分かるか?」
すると老婆が、この家の裏方向へ進み、村を出て道なりに行けばたどり着けると教えてくれた。四半刻もかからないと言う。思ったより近いらしい。
「もう着いてるかもしれへん、早う、皆を助けと……!」
「分かった!」
鶴丸は急いで家を出た。
◇◆◇
道なりと言われただけでは迷ったかもしれないが、亡者の気配が濃い方へ向かうと、まず塔が見えた。鶴丸は正面からではなく横手の山道から来たらしい。境内に入ると、遡行軍の短刀が浮いているのが見えた。建物の影に隠れて進み、加州達を探す。
塔の近くの大きな堂――構造からして金堂か――そこから嫌な、本当に嫌な気配がする
経の合唱が聞こえる。が、明らかに普通の経では無い。聞いた事の無い言葉だった。
足が重い。浅い沼を歩いているようだ。一歩ごとに深さが増す気がする。
(加州はどこだ……!? まさか中か)
金堂の中には遡行軍の気配が多くあり、更には亡者の気配もある。気配だけでは無く、物理的に、匂いが漂っている。――これは腐敗臭だ。鶴丸は小さな建物を見つけてそこを覗いた。見なければ良かったと思った。中には死体が積み上げられていた。男と、女の死体もある。稀に武者の格好をしているものもあったが、数は多くない。単に死体置き場なのかと思ったが、これだけ積み上げて放置するとは考えにくい。真冬とは言え腐っているのだ。
(疫病の原因はこれか……?)
鶴丸は扉を閉めて、壁と石灯籠の間に身を潜めた。死体が直接の原因、つまりこの死体を川などに捨てて病が流行ったのか、それとも違うのか。鶴丸には分からなかったが、いくらかは人の仕業ではない。不味い事は分かる。そして今も何かの儀式が行われていて、加州達が見つからない。金堂の中の気配は入り交じっていて判別が出来ない。分かるのは中に人が多く居ることくらいだ。鶴丸は声の聞こえる金堂を探る事にした。これだけあからさまなのだ。加州達もそうしただろう。かなり危険そうだが、中の様子は一刻を争うかも知れない。
(俺は、顕現したばかりなんだがな……!)
鶴丸は舌打ちした。敵の本陣に行ってどうなると思うのだが行くしかない。
近づこうとして潜む場所を変えたら、偶々その場所の近くに居た短刀に見つかった。襲いかかってくる。短刀は二匹、見ると短刀ではなく苦無を咥えていた。鶴丸は苦戦する事も無く切り捨てた。
金銅を観察すると、警備は遡行軍がちらほら。正面に二体。正面に近い側面に一体。逆側面に二体。これはかなり少ないと言えるだろう。罠か、中の儀式に行っているのか。
鶴丸はそのまま突っ込む事にした。
今は昼間で、周囲は明るく、建物は無い。鶴丸の姿は丸見えだろう。隠れても無駄だ。
一体が金堂の方を見た時、鶴丸は駆け出した。刀剣男士は駿足だが、近づく姿を見て遡行軍が構えた。鶴丸は斬りかかる振りをして扉を斬り、そのまま金堂に突っ込んだ。
◇◆◇
侵入した鶴丸が見たのは正面のたき火――護摩と、僧侶、部屋の真ん中に仰向けに倒れた人間達――胸や腕に刀が刺さって張り付けにされている――と、金堂の左右に別れて人間が座っている。左が人間、右が亡者。人間は一身に読経している。左側の人間の幾人かがこちらを見た。僧侶の近くに巨大な太刀を構えた敵がいた。
鶴丸の背後から遡行軍が襲いかかる。鶴丸は身を翻して避け、とにかく足を動かした。走ったのは、手間の人間に見覚えがあったからだ。秋田、前田。加州。
秋田、前田の胸には刀が刺さり、意識が無い。刀はどす黒く染まっている。彼等は手足を伸ばした状態で、四肢に杭を打たれていた。加州は痛みに喘いでいる。鶴丸は攻撃を受け、転がりながら秋田の胸に刺さった刀を抜いて、前田の刀に手をかけ抜いて弾く。加州の所へ行く前に、どす、と音がした。鈍い痛みに姿勢を崩し、片足だけで飛びついて、加州の刀を抜いた。そのまま倒れ込んで、加州の手を縛る杭に手をかけた。がつ、と衝撃が走る。何が起きたのか分からなかった。
◇◆◇
小夜と三日月が金堂に着いた時には全てが終わっていた。
金堂の周囲には多くの刀剣男士がいた。三日月はそれを押しのけ中に入った。
「加州、加州っ!!」
「これはもう……っ」
「いいから!! やれ!! いける!!」
複数の、審神者らしき人物が倒れた加州、前田、秋田を囲んでいる。小夜左文字が駆け出した。
倒れたその中に鶴丸がいた。
「鶴丸ッ!!」
四肢はもげ、胸には刀傷。着物は真っ赤に染まっている。意識は無く、審神者と刀剣男士が必死に血を止めている。三日月はそれらを押しのけて膝をついた。
「こいつの審神者はまだか!!」
審神者が叫んでいる。
「俺だ!! 札をかせ!!」
三日月は叫び、鶴丸の刀を奪い取った。近くにあった札を取ると、むき身の鶴丸国永で自分の左腕をざくりと傷付けて血を纏わせる。
その赤い刀を鶴丸の胴体に置いて、手をかざして押しつける。
「禊ぎ払いたまう時にあれませる、やまとたけるのおおかみよ。どうか、この傷を癒やし、汚れを祓い、彼の身を清めたもう――」
鶴丸の様子を見ると、濃い穢れを喰わされたのだろう。胸の傷が黒く膿んでいる。四肢が断ち切られている。一度に手入れすることは難しいので、まずは止血と傷の修復を願う。
直ぐに血が止まっていくが、これは血管を塞いだだけだ。
次に札を刀の上に乗せていく。近くの者が渡して来た。五枚並べて手をかざす。
「――祓い清めたもう、――祓い清めたもう、――祓い清めたもう……」
うわごとのように静かに何度も呟いて、霊力を注いでいくと少しずつ膿が収まり、黒く染まった胸の傷から、黒い霧が立ち上って溶けて行く。
審神者が差し出す札を受け取って、三回繰り返した所で、霧が収まった。
「……よし……!」
三日月は手応えを感じた。これで後は、手入れで引き戻せる。
「この札を貰って良いか」
札の束を持ち、近くにいた審神者に言うと、審神者が無言で頷いた。三日月は札を懐に押し込んで、鶴丸の刀と鞘を手に取ると、鶴丸の体を抱え上げた。
「鶴丸はこれで大事ない。俺は行くから後は頼む」
三日月はそのまま金堂を出た。