陸奥一連を見てふと思ったんだけど、刀ミュ本丸って普段も普通に出陣をしている訳だよね。大阪城掘ったり、海辺で連隊戦して、厚樫山を回っている。私達多くの審神者達に物語として提示されるのは、強いて話すべき事件の話だった、と考えると
今までの作品群がドラマチックな理由の説明がつくなあと。
全部の出陣がドラマなわけではなく、普通にお仕事して普通に帰ってきているのが大半。
演劇として私達に報告されるのは、
「特別印象に残った任務」
「あの出陣してから変わったよねってことがあった任務」
「初任務」
「イレギュラーあった事件性のある任務」
などなどの特殊な任務だと思う。
だからこそ、元主に会って悲痛な思いをした刀がよく目撃されるわけだし、刀剣男士としてターニングポイントになる歴史をテーマにされる。
でも、今回の出陣、登場する歴史の人物に「この戦にこのメンバーじゃなければいけなかった!」っていう、ロジカルなパズルのような気持ちよさや、歴史の人物との遭遇、元主を見守る胸の切り裂かれそうな悲哀、って情感は、比較的薄かったと思う。
メンバーがちゃんと全振り真面目な出陣を経た練度の高い刀だから、歴史を守るための手順がちゃんとしてた。
全振り隊長経験者だしね。
問題なく組み分けして分散して見守って、無事に時代のマスを進めて遡行軍を倒して、まあ検非違使出て重傷は食らったけど手入れしてまた出陣して、っていう、見慣れた景色で出陣してた。
ある意味、普段は沢山の審神者にミュージカルとして報告するところまで出さない、日常的な任務に近い色を帯びていると思う。
(日常的な任務、ってそれはそれで新しい……普通に審神者としても、時代を加味した意図的な出陣はあまりしないからリアル……)
それでも、今回、多くの審神者達のところに陸奥一連がお出しされたのは「とあるひとつの本丸の歴史にとって、この出陣が重要かつターニングポイントだった」からなんじゃないかなと思う。
出陣先自体が特殊だった訳ではない。任務自体が困難だった訳ではない。
(検非違使出て大怪我はしたが……審神者目線で考えると検非違使が出ることってそんなに騒ぐことではないので……)
ただ、その先で起きたことが事件だった。
今まで暗黙のうちに目を背けていたことを、新しい刀が指摘しにきた。
事態は動き、古い刀の心も変わり、伝えようと思う心が芽生えた。
任務で事件は起こらなかったけど、部隊に事件が起きたよ。それも本丸の中でもかなりの大事件だったよ。だからいつも見守っている多くの主達に報告しにきたよ、って形なのかなあと。
じゃあ、任務が普通なら、事件が起らなかったのなら、本当に出陣する場所はどこでもよかったのか、って疑問がわいてくるんだけども。
あの時代の戦に行ったことは、阿弖流為に会った、坂上田村麻呂に会ったことは、無駄だったのか? 別に他の誰かでもよかったのか? っていう気持ちについて。
私個人の感想としては、行ける場所はいくつもあったけれど、行った場所はそこでよかった、と思う。
助けてくれるなら誰でもよかったけれど、助けてくれたのは君だった。
旅行に行くならどこでもよかったけど、選んだ土地はそこだった。
五振りの中からはじまりの刀を選ぶなら、誰でもよかったけれど、選んだのは君だった。
三日月が鶴丸に見つかるなら、山姥切国広が昔の話をしてくれるようになるなら、どこに出陣したってよかったけれど、その時出陣したのは、生まれた場所で生きて散る、それがすべてと歌う人達の戦場だった。
そういうところに、意味があったと思う。
それって意味のあることだと思う。
無数に咲いて散る山吹の花と同じように。
唯一無二にして、無数の本丸のひとつである存在の歴史の話をするのならば、その戦場はとても相応しかったと、私は感じている。
仕掛けというか、ちょっとメタな話をすると、よくある無数の本丸の、いわばよくある悲劇の話をしたくて、無数の歴史の中でもとても普遍的な形状の戦を舞台にしたのかなって思う。
資料だってとても少ない、聞き慣れない古い古い名前の人達が、今に通じる理由で敵味方になり、戦をしている。
それは、過去でも未来でも繰り返し繰り返し起こっている、利害の不一致と文化の衝突の話だし、古代でも、近代でも、未来でも起こる普遍的な戦の話だし、戦場で戦うものたちの心は、本丸と審神者のものと一緒のように思える。
ここで生まれて、ここで咲いて、ここで散る。それがすべて。
そう歌う姿は刀剣男子だし、時に非情に指示を出し、狡猾に上と立ち回り、だからと言って慈悲がない訳でもない、心がないわけでもないから悩むし苦しむけれども、立場があるから戦うしかない姿は審神者と重なる。
たぶんどこでもそんな感じで、歴史は未来でも繰り返し、結局2205年でも時間遡行軍と審神者は戦っている。
そう思ったら、なんだか、平泉の小さな子供を見つめる三日月や、手入れ終わりにお饅頭を差し入れられる水心子の姿が思い出されて、世の中に戦いは終わらないかも知れないけれど、平穏や日常を愛する気持ちだって消えやしないでしょう!?!?
っていう気持ちになった。
どの本丸でも、戦場は日常だったけれども、それでも自分達の身に降りかかれば忘れられない。
だからこそ、泣いてもいいし悲しんでもいい、苦しんで引きずって、自分のためだけに倦んでいい。
歴史は繰り返すけれど、だからといって蓮の花が開いた平和の都は無意味ではない。
失われた美しい平穏をいつくしんだっていいし、夜鳴きそばをみんなですすったっていい。
一振り一振りをいつくしんで桜を植えてもいいし、無茶して危ない目にあって心配させられたら唐辛子かけてもいい。美味しく食べられる範囲で。
なんか、そう、陸奥一連、戦してる本丸の日常を、まるごとそのまま浴びたって感じがする。
ミュージカル刀剣乱舞作品の中でも「戦う刀剣男士と審神者の日々」って感じだった。
刀ミュ本丸の事、今までで一番、本丸として身近な存在に思えている。
ありふれた本丸の悲しい話。
どこの本丸にもあるかも知れない、苦労と日常の物語。
そうとらえた上で、この本丸の刀達は心からよい刀ばかりだし、審神者も刀達のことを心から愛しているのがわかる、良い本丸だった。
ここまで書いたら、なんか、なんかあの本丸、幸せになって欲しいなーーーーーーー!!!!!!!!!
って気持ちが爆発してきた。
よこから見てるただの審神者だけど大丈夫!!!同僚大丈夫、話聞こうか!?!?
いや私何にもできないけどさあ!! でも話聞くだけでもなんか、なんか……ねえ!
とりあえずうちの本丸の刀を大事にしてきます。