杜野凛世とプロデューサーの水色感情に関する考察
1 はじめに
この文章は[水色感情]杜野凛世のコミュについて、偉大なる先人の考察を参考としながら自分なりの解釈を述べたものです。
特にPの感情について特大の妄想と願望が多分に含まれたものとなっておりますので、その点ご了承ください。
また、本考察はコミュ2「A2.恋は何色(R.Morino)」、コミュ4「B2.人の気も知らないで(Isnt)」、及びTrueコミュ「R&P」に的を絞って行われております。コミュ1・コミュ3の意味と役割についてはまだよくわからないので、さしあたっては直接の関連性を想起しやすい2・4・Trueを中心に触れています。
2 A2.恋は何色(R.Morino)
レコードを回す凛世とPの話。
Trueコミュ「R&P」が「Rinze & Producer」であり「Record & Player」でもある、という仮定に基づくと、レコードは凛世、プレーヤーはPのメタファーとしてとらえることができます。「つややかで黒い音の出る盤」はそれ単体では何の音を奏でることもありませんが、回るレコード(凛世)にプレーヤーの針(P)を置くことで、美しい曲が響き渡るようになります。であるならば、ここで流れる曲は凛世とPが出会ったことで表出された芸術、つまり「アイドル杜野凛世」を暗喩していると考えることができそうです。
また、プレーヤーの針を置いたのが凛世である、という点も意識しておくべきでしょう。水色感情では、「誰が」「どうした」という主語述語の関係を強く意識して描かれているように感じます。(ここまで書いて思い出しましたが、コミュ1ではまさに「SVOC」について触れており、水色感情全体の導線として機能しているとも考えられます。)プレーヤー(P)はあくまで凛世が針を置くのを導くだけであり、実際にレコードの上に針を置き、曲を再生するのは凛世の役割としています。これは、そのまま「アイドル杜野凛世を生み出すのは、Pではなく凛世自身」というメッセージと読み替えることができそうです。
さて、曲が再生されると、Pは「おおっ、鳴った!」と喜びます。「ものすごくいい音みたいな気がするな!」と無邪気に喜ぶPを見て、凛世は「まわれ……まわれ……」とレコードに祈りを込めます。ここにも、「Pが曲(=アイドル杜野凛世)を喜んでくれるよう、レコード(凛世)は回り続ける」という凛世の想いを感じます。
やがてPは「なんて歌ってるんだろうなぁ」と歌の内容に興味を持ちます。コミュ内では明示されませんが、コミュや思い出アピール名などから指摘されているとおり、ここで再生された歌は「恋はみずいろ(L'amour est bleu)」の原語版であると考えるのが自然でしょう。つまりバリバリのフランス語であるわけで、Pや凛世が実はフランス語も堪能です、とならない限り、何度聞いても歌詞の意味が分かるような代物ではありません。「聴いていればわかるような気がして」と答える凛世に対し、Pの返しはなんと「それじゃ……わかるまで聴こうか」。は?なんだそれ?プロポーズか?一生一緒か?結婚しろ。
……というのは冗談として、これは明らかに「永遠」の暗示です。Pはかつて「微熱風鈴」でも似たような爆弾発言をかましてますが、日常的に「凛世→P」の文脈で用いられる暗示(「末永くご一緒に……」など)を、ここでは逆に「P→凛世」の文脈で用いていることになります。しかも今回は「冗談だよ」とは言わずに。これがどういう意味を持つのか、後ほど詳しく述べたいと思います。
3 B2.人の気も知らないで(Isnt)
頭の中で流れ続ける曲が何なのか不思議に思うP。そんな中、事務所に迷い込んだ蝶を凛世とともに捕まえ、外へ逃がしてやろうとした時、Pは頭の中で流れ続ける曲があの喫茶店で聴いたものだと気が付きます。
非常に解釈に悩むコミュでした。さしあたっては先人に倣い、「蝶」を凛世のメタファーだと仮定して考察していくのが妥当でしょう。
このコミュでは、(1)「窓から放そうか」(2)「驚いてるかな、この蝶」(3)「なんて蝶かな?」の3つの選択肢が登場し、それぞれ膨大な情報量が込められた文章が展開されます。
まず(1)についてですが、「蝶」を凛世とした場合、Pは「凛世がもう迷わないよう」窓を閉めています。窓を閉める行為はそのまま心を閉ざす行為と読み替えてよいでしょう。「迷いたい時もある」と猶予を求める凛世に対しても、「でもやっぱり、帰してあげなきゃ」と頑なとも言える態度で「迷い」を拒絶します。
これを単純に考えれば、「Pと共にいたい凛世の感情は『迷い蝶』であり、Pはそれを拒絶した」となりそうです。しかし、ここでポイントとなるのは、二度にわたって挿入される、凛世とレコードのリフレインです。よく読むと、「窓を閉める」「やっぱり帰してあげなきゃと考える」のはいずれもリフレインの直後の出来事であり、Pがリフレインに突き動かされているように描写されています。先述の通り、凛世がレコードに針を置く行為はアイドル杜野凛世を生み出すメタファーと考えられますので、Pが「凛世」を拒絶する行為には「アイドル杜野凛世」の強制力が働いている、というメッセージと解釈することができます。凛世に対するこれまでのPの言動からして、「『迷い蝶』は帰してあげなきゃ」という結論はある種当然の帰結であり、取り立てて強調する必要性は感じられません。にもかかわらず、あえて「アイドル杜野凛世」の強制力を暗示していることが、逆にPの迷える感情を示唆しているのではないかと感じます。これは補足ですが、コミュタイトル「人の気も知らないで」は「恋はみずいろ」と同じくシャンソンの名曲として知られており、原題は「Tu ne sais pas aimer(あなたは愛し方を知らない)」となっています。
続いて、(2)では、「逆」というキーワードが提示されます。これも素直に読めば「プロデューサーが凛世を導いている一方で、凛世がプロデューサーを導いているときもある」というだけの話に思えます。
ここで気になるのが、Pの「凛世、不思議だよ」「俺は時々、逆みたいに感じることがあるから」という台詞です。これらの台詞はコミュ2には登場していないことから、リフレインではなく喫茶店での光景を踏まえたPのモノローグだと考えるのがよさそうです。コミュ2ではレコードを凛世、プレーヤーをPとして考えてきましたが、ここにきて唐突にその逆、すなわちレコードがPであり、プレーヤーが凛世である可能性が示唆されることになります。そして、レコードとプレーヤーの出会いにより奏でられる「曲」を「なんとなくもの悲しい」と評価するP(明確な描写はありませんが、この評価もおそらく凛世と「逆」であると考えられます)から、「アイドル杜野凛世」に対する感情の色を感じ取ることができそうです。
(3)では、カード名にもなっている「水色」がキーワードとして初めて提示されます。Pと凛世のどちらも喫茶店のレコード(「恋はみずいろ」)を想起していることから、両名の「水色」に対する感想はすなわち「恋」に対するものと考えることができます。
「水色」を「美しい」と感じる凛世はとても素直で可愛らしいですが、問題はPの方です。「水色」というより「ブルー」である、というのは、英語版が「Love Is Blue」と訳され、「ブルー」のイメージ通り失恋・恋煩いの歌となったエピソードと無関係ではないでしょう。「恋はみずいろ」である凛世と対照的に、Pにとっては「Love Is Blue」であるわけです。
また、「水色」「ブルー」は奇しくも凛世のイメージカラーとなっています。(公式サイト等でのキャラクターカラーは水色である一方、ブレイブヒーロージャージを始めとした放クラ内でのポジションは青色が強調されています。)突然「凛世……」と言い出したのもこれらの連想によるものと思われますが、これにより、「恋」「水色」「ブルー」「凛世」が一連の事象として関連付けられたことになります。
最終的に、Pは水色の蝶とさよならしますが、「水色」が「恋」、「蝶」が「凛世」であるという今までの仮定を当てはめると、Pが手放したものが大変なものとなっています。再び鳴り始めた曲は、祝福なのでしょうか、はたまた呪縛なのでしょうか。
4 リフレイン
さて、コミュ4の解釈により、Pが潜在的に凛世への並々ならぬ感情を抱いていることが示唆されました。ここで、Trueコミュへ向かう前に、Pの感情を踏まえて、改めてコミュ2を振り返ってみましょう。
レコードの溝は外側から内側に向かって螺旋状になっており、プレーヤーの針は溝をなぞりながら徐々にレコードの中心へと近づいていきます。そして、針がレコードの中心に最も近づいた時、レコードの曲は終わりを迎えます。これと、コミュ4でPが語った「俺は時々、逆みたいに感じることがあるから」という台詞を合わせて考えると、凛世こそが「プレーヤー」の針であり、ただひたすら回り続ける「レコード」であるPの中心へと近づいていく存在であること、凛世がPに最も近づいた時、「曲」の終焉と共に凛世が去っていくこと、そうした運命を感じ取ったが故に、Pはコミュ4で「なんとなくもの悲しい」曲だと考えたのかもしれません。
コミュ2でPが発する「それじゃ、わかるまで聴こうか」という誘い。そこには、「曲」を終わらせてはならない、という、凛世以上に強い「永遠」への渇望が込められていたのではないでしょうか。
5 R&P
ここまでで、Pが凛世に対して抱く「水色感情」が概ね明らかとなりました。どう考えても拗らせた末のビターエンド一直線であるPですが、ここで一つの転機が訪れます。
Trueコミュでは、ある撮影の仕事での一幕を端緒に、凛世とPの感情の表れが対照的に描かれています。拗らせているPについて語る前に、まずは凛世の「水色感情」がどのようなものであったかを整理していきましょう。
結論から言えば、今回のコミュで凛世の物語は進んでいません。というのも、凛世が見せる感情の発露は、新鮮でさえあれど、決して新しいものではないからです。思い慕う相手からの評価に喜び、溢れる思いを声に乗せて叫ぶ。尊くも微笑ましくもあるこの光景は、凛世が持つ等身大の少女としての魅力を改めて描いたものであり、これ自体が凛世の物語におけるターニングポイントとなっているわけではありません。
そう、Pがどう感じていたとしても、凛世は「レコード」であり、「プレーヤー」と触れている限り、曲を奏でていく強い思いを持って回り続けるのです。そして、鳴り響く曲は「美しい」水色の恋。どこまでも純粋でまっすぐな凛世の「水色感情」は、「曲」を奏でる喜びに満ち溢れています。これまで、[微熱風鈴]や[凛世花伝]等における一部コミュでの描写から、「想いが報われない」として悲劇的な観点で語られることの多かった凛世ですが、そうではありません。Pに導かれて回り続け、アイドルとして歌い続けることによってこそ、杜野凛世の想いは「報われている」のです。
翻って、撮影スタッフから自分の知らなかった凛世の魅力を指摘された(ここでPが知らなかった魅力が「大人っぽい」顔であることが、Pにとって凛世がずっと少女のままでいてほしいという「永遠」への渇望を表している、と考えるのは穿ちすぎでしょうか)Pは、「凛世のいいところ 俺が一番、知ってなきゃいけない」「凛世のこと、わかってるような気がしてた」と落ち込み、同時に「自慢できるプロデューサー」になる決意を新たにします。ここで、「聴いていれば……わかるような気がして……」という凛世のリフレインに対し、Pは「気がする、じゃダメなんだ」と明確に否定します。コミュ2において「それじゃ……わかるまで聴こうか」と「永遠」を肯定したPは、Trueコミュにおいてそれが「停滞」に過ぎないことを自覚しました。改めて凛世と向き合うことを決心し、明確な成長を見せたPは、ここで物語の大きな転換点を迎えたと言えます。
「アイドルマスター」というゲームは元来アイドルを導き育成していくシミュレーションゲームです。すなわち、成長し変化していく物語としての「主人公」はあくまでアイドルであり、Pに与えられた役割はそれを導く「魔法使い」であるはずです(多分に他事務所の要素を含んだ表現ですが、他に適当な言葉が思いつかなかったので)。そんな中、アイドルを差し置いてPの物語が動いた今回のTrueコミュは極めて異質であり、今後のPと凛世の物語に大きな影響を与えることは間違いないでしょう。
レコードプレーヤーの演奏は永遠に続きはせず、やがて曲は終わります。「アイドル杜野凛世」も、いつか終わる日が来るでしょう。その時、再生を終えたレコードはプレーヤーから取り外され、再び回る日を待ち続けるのか。はたまた、レコードを裏返し「B面」を奏で始めるのか。互いに永遠を夢見ながら、それでも進み続けるPと凛世の物語に、今後ますます目が離せません。