ラトヴイームの守り手だったようです
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/21864/1685538347/-100
読んだ勢いでカッとなって考察記事書きました
(注意)
この記事は「ラトヴイームの守り手だったようです」の考察になります。
考察にあたり、本編のネタバレが多分に含まれております。
未読の方は是非原作を読んでください。飛ぶぞ。
ラトヴイームの守り手だったようです
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本編読んだ!?
読んだなら先へどうぞ!
①セフィロトの樹について
ざっくり言うとセフィロトの樹(以下、生命樹図)は、神による七日間の世界創造をチャート化した象徴物である。
https://privatter.net/i/7191784
いわば思考法や哲学の足がかりとして利用されており、近代以降の西洋魔術や神秘思想家によって様々な解釈が行われている。
なかでも旧約聖書の生命の樹と関連付けることも多い。
またティファレトの上に、ダアトと呼ばれる深淵がある。
※図には記載していない。
②生命の樹について
旧約聖書創世記3には下記のような記述がある。
22節*
主なる神は言われた。
「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木(生命の樹)からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
知恵の実を食べてしまったアダムとイヴが、神にも等しい命を得ることがないよう二人はエデンから追放された。
いわゆる原罪、失楽園と呼ばれている物語である。
神秘思想家や西洋魔術に通じる人がセフィロト(生命の樹)による思惟を好むのは、物事の本質をそこから得ようとするためである。
③ リリとショボン、シィの足取り
>>9
果てへと連なる入り口の門、始まりのマルクトを前に、軽やかに足を弾ませて。
>>114
「当然さ、これが当然の反応なのサ」
「なぜならここは永劫郷愁のネツァフ」
>>195
「幾何対黄金のイェツィラ――その中心部に位置するティファレトの城塞さ」
※作中でティファレトにたどり着いたのはリリのみ
以上の描写から察するに、おそらく下記画像のような足取りと考える。
https://privatter.net/i/7191754
ティファレトより先のルートについては、作中で言及されていない。
最終的にケテルをゴールとしているのは、あくまでも私の想像に過ぎない。
が、根拠は二つある。
まず一つ目について。
>>405
炎は、赤くなかった。赤ではなく白く、白色に発光していた。光り輝いていた。
――――
願いの本質を悟ったリリを包む『炎(の剣)』は、白い光を放っている。
樹図にもある通り、ケテルを象徴するカラーは白だ。
ケテルの白と白い炎。
ただの偶然で片付けるには、惜しいと私は考える。
二つ目の根拠については、⑤の項目にて後述する。
④セフィロトを守る炎
>>39
「このセフィロトに留まれるのは創造に掛かった日数に等しく、
七日の期限の間のみ。だがそれとても、七日の滞在を担保するものでは決してない」
――――
ラトヴイームではセフィロトを滞在できる期限が最大でも七日間として設定されている。
ただしセリフにもある通り、滞在期間は変動してしまう。
その原因が、『炎の剣』である。
>>40
「炎の剣は壁と化して、常にその幅を狭めている。
願いを抱いて訪れた、惑い人の背中を追って」
>>325
直後に、炎が燃え上がった。
燃え上がった炎はフォックスの身体を包み込み、末端からその肉体を灰へと変換していく。
炎の壁。七日の限りの、タイムリミット。
>>326
「俺たちは願いに囚われているんだよ。
願いが叶うまで何度でも灰になり、何度でもこのセフィロトの道を繰り返す。(中略)」
――――
炎(の剣)が触れるとすべてを燃え尽くしてしまう。
願いを叶えたい者は、願いの本質を悟るまでセフィロトの道をループしてしまう。
この恐ろしい炎の正体については、二つ考察できる。
まず一つ目は、旧約聖書創世記3にヒントがある。
24節*
こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。
――――
きらめく剣の炎と作中の『炎の剣』は同一と考えていいだろう。
もともとは神がセフィロトを守るために置いたものなのだ。
そしてもう一つのヒントが、生命樹図の読み方にある。
通常、生命樹図を頼った思考法はケテルかマルクトを起点とする。
生命樹図の最上部、ケテルからマルクトを目指す手法は『燃える剣の道』『炎の剣』と呼ばれている。
リリたちの旅は生命樹図最下層のマルクトからスタートしている。
旅の進捗度によっては道どころか、最上部のケテルそのものが焼けてしまった恐れがある。
セフィロトでの滞在期間が変動するのは、ゴールそのものが失われてしまう可能性があるのだろう。
⑤叡智の蛇とは何か
作中ではトリックスターとして、流石兄弟扮する叡智の蛇が活躍する。
まず作中より、黄水晶の王鯨アドナのセリフを抜粋する。
>>82
「そしてなによりも、叡智の蛇には気をつけなさい。
あれは識らしめ拓く者であり、同時に呑み込み留まらせる者でもあるのだから」
――――
なかなか韜晦に満ちた評価である。
実は叡智の蛇とは、前項でも触れた『燃える剣の道』と対になる存在である。
前項でも述べたように、生命樹図を頼った思考法はケテルかマルクトを起点とする。
生命樹図の最上部、マルクトからケテルを目指す手法。
それこそが『叡智の蛇』と呼ばれているのだ。
つまりリリたちが歩んだ道そのものが、叡智の蛇なのである!
ゆえに叡智の蛇こと、流石兄弟はことあるごとに彼らに干渉しているのだ。
またこれこそが、願いの本質を悟ったリリがケテルへと至ったという根拠にも通ずるであろう。
⑤アッシャーとイェツェラについて
>>6
アッシャー、イェツィラ、クリフォト。アッシャー、イェツィラ、クリフォト。
ボクが旅した三つの秘境。ボクらが旅した夢の頂。
>>359
『星の飛沫の流れしアッシャー』はきっと、小さな星の欠片が川や海に漂っているんだよ。
触ったらどんな感じなのかな。ぱちぱちって弾けたりしたら楽しいね。
『幾何対黄金のイェツィラ』は?
何もかもが左右対称で、全部が全部整っているっていうのはどうかな。
もしかしたら何かが対称なんじゃなくて、右も左もないくらいに見渡す限りの
真っ白が広がっている世界なのかもしれないね。
――――
シィとショボンが繰り返す、不思議な三つの言葉。
ひとまずアッシャーとイェツィラについて、紐解いてみよう。
1.アッシャーとは
https://privatter.net/i/7191755
スタート地点であるマルクト、流石兄弟のいたネツァフ、ホド(作中未登場)を結んだ三角形。
それがアッシャー(活動)である。
この三角形は物質界、つまりは現実世界を象徴している。
また神秘思想において一番重要なのは、魂及び意識となる。
魂を束縛する肉体は、思惟の枷となる。
2.イェツィラとは
https://privatter.net/i/7191756
イェソド、ネツァフ、ホド、ケセド、ゲブラー、これらを結んだ五角形。
それがイェツィラ(形成)である。
イェツィラには天使やエデンが存在する、いわば魂に近い世界だ。
リリと出会うまで、シィとショボンはこれらをぐるぐると巡っていたと推察できる。
⑥神秘思想におけるクリフォトについて
思考法として発達した生命樹図だが、それと対になるチャートが存在する。
https://privatter.net/i/7191775
それがクリフォト、ないしは邪悪の樹と呼ばれる図だ。(以下、邪悪樹図)
邪悪樹図の構造や内包する概念は、生命樹図と反転した形をとっている。
また邪悪樹図が抱える概念は、生命樹図が司る概念にとって負の側面と捉えられる。
単純な悪の勢力と解釈するよりも、表裏一体の明暗として捉えた方がラトヴイームを理解できるかもしれない。
⑦ラトヴイームにおけるクリフォト
作中におけるクリフォトについて、言及している箇所は多くある。
重要な概念であることが推察できる。
なかでも叡智の蛇こと流石兄弟のセリフには、かなりのヒントが込められている。
>>395
「そしてこれは罰だ。“お前自身が願った”罰」
「贖われることのない永劫の罰」
「罪滅ぼしで罪を重ねる、お前が望んだお前の罰」
「お前に課せられた知恵<クリフォト>の罰」
――――
⑥でも触れた通り、クリフォトとセフィロトは表裏一体、相関関係にある。
セフィロトの旅によって得られる叡智とは、善行も悪行もすべて内包した歩みを振り返るものなのだろう。
そして身にあまる叡智を突きつけられた際に、誤った方向へ思考を誘導する。
――これがセフィロトからクリフォトへ反転するためのトリガーではないかと、私は考えている。
また生命樹図には隠された概念として、ダアトと呼ばれる深淵がある。
https://privatter.net/i/7191964
これはティファレトからケテルに向かう途中の十字路に位置する。
ビナー(理解)とコグマー(叡智)に挟まれるダアトは、クリフォトへの入り口にも見える。
ただしクリフォトに囚われてしまうのは、あくまで自らの意思によるものだと感じている。
現実における生命樹図による思考法を考えるに、悪しき考えに堕ちるのも、脱するのも自らの意思が最大限影響していると思うからだ。
⑧果てなき東
>>169
果てなき東のクリフォト。
>>170
クリフォトの対極に位置する西の果て、セフィロトという名の聖地に向かって。
>>359
それじゃあクリフォト、使徒王さまが最後に戦った『果てなき東のクリフォト』はどうだろう。
おどろおどろしくて、いつも曇って、悪魔たちがいるような場所だったりするのかな。
――――
クリフォトを語ると、『東』という単語が強調されている。
かなり上になるが、④まで遡ってほしい。
旧約聖書において、ケルビムと『きらめく剣の炎』が設置されているのはエデンの東である。
果てなき東のクリフォトとは、つまりエデンの入り口なのではないだろうか。
⑨独冠王と使徒王
そう考えると独冠王(フォックス)と使徒王(トソン)に課せられた役割も意味深に思えてくる。
彼らは恒久平和という、未だ誰にも成せない願いを背負っている。
元を正せばフォックスとトソンも人間であり、二人の願いは終わりのない戦いからの離脱と仲直りなのだろう。
だが二人とも、周りから抜け駆けして幸せになることを望んでいない。
これがセフィロトをループするきっかけとなり、神話がまだ終わっていないという結論にも辿り着く。
>>85
>>242
「知れ、そして喧伝せよ。『バチカルの暁光』が悪徳を――!」
――――
また独冠王(フォックス)が繰り出す攻撃も、クリフォトは関係している。
バチカルはケテルと対になる概念で、無神論を司っている。
⑩ヘブライ文字について
>>5
אין→無(ゼロ?)
>>13
א →アレフ(数価1)
>>51
ב →ベート(数価2)
>>90
ג →ギメル(数価3)
>167
ד →ダレット(数価4)
>>243
ה →ヘー(数価5)
>>260
סוף →ソフ(意味:終わり)
>>333
ו →ヴァヴ(数価6)
>>407
ז →ザイン(数価7)
>>420
ח →ヘット(数価8)
>>428
ט →テット(数価9)
>>434
אור →オール(意味:光)
>>464
י→ヨッド(数価10)
>>473
יא→ヨッド・アレフ(意味:11)
ヨッド・アレフについては、タイトルとともに添える形で明示されている。
セフィロト及び生命樹図を構成するケテルからマルクトは、1から10のナンバリングが与えられている。
それを超えてナンバーをつけたということは、きっと意味があるはずだ。
私の見解としては、以下の通りになる。
リリとショボンは願いを叶えた、あるいは現実でも叶えるために奮闘し続けているのだ、と。
(11)終わりに
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
まさか本編と同じナンバリングになるほどの考察記事になるとは思わなかった。
私自身もセフィロトやカバラは題材にしようとしたものの、難解で想像を膨らませられなかったという経験がある。
ものがなさんの熱意は素晴らしく、それに引っ張られる形でここまで思いを叩きつけることができてよかったなと思っています。
合ってても間違ってても、形にできたというのは結構いい体験だったかもしれない。
どえらい量の小難しい話をここまでお付き合い頂いた方は、ぜひラトヴイームを周回読みしてみてほしい。
すべては素晴らしい作品を書いたものがなさんの手柄であり、私はその熱に動かされた一オタクに過ぎないのだから。
*聖書の引用元https://www.bible.com/ja/bible/1819/GEN.3.%E6%96%B0%E5%85%B1%E5%90%8C%E8%A8%B3