置物様作CoC「スクワレヌモノ」後日談SSです。草加葵君の今後について。
あの時の俺はひどく動揺していて、何かやらないといけないと強く思っていた。思い込んでいた。そうして後先考えずに行動した結果に何が待つのか、俺は一度味わっていたはずなのに。
気づいた時には全て選択し終えていて、与えられた結果は目の前に放り投げられていた。
……ああ、あの男の言う通り、確かに元気な姿だった。どんなに呼びかけても目覚めない、ということを除けばの話だが。
葵とあめさんが病院に運ばれた、と聞いた時には背筋が凍った。後のことをミフネさんと翡翠さんに任せて、すぐに私は一人、連絡のあった病院に車を走らせた。
幸いにも、葵達が運ばれた中央病院には知人がいたため、到着直後二人に会う前に容態を聞くことができた。
どうやら発見された時からあめさんは眠り続けているらしい。検査しているが原因は不明。葵は軽い栄養失調で、恐らく三日三晩ろくに食事も睡眠も摂っていないという見立て。いずれにせよ、近所の子供達が気づいて通報してくれなければ二人とも衰弱死しかねない状態だった。
そんなやり取りをしている最中、知人の下に「病室から葵がいなくなった」という緊急連絡が入った。思いつく場所は一つしかない。知人に頼み込んで、少しの間だけ「その場所」には誰も立ち入らないようにしてもらった。
あめさんの症状には前例がない。病院ともなれば難病に罹患した患者には一般病棟とは離れた病室が充てがわれる。そして予想通りというか、「草加あめ」という標札のかかった個別病室の中に彼はいた。白いベッドに寝かされているあめさんの側にあった椅子に腰掛けて、虚ろな眼差しを彼女に向けている。
「葵、戻るぞ。点滴は受けただろうが、お前も体調が万全じゃない。一日くらいしっかり休まないとまた倒れるぞ」
「……ほっといてくれ」
「あのな、そういう訳には……」
「ほっといてくれって言ったんだよ!!」
強烈な怒号が病室に響き渡る。あまりの威勢に、私は歩み寄ろうとした足を止めてしまう。
葵の右手があめさんの左手に差し出される。優しく持ち上げるも、彼女の手に力は入らない。
「ごめん、ごめんな……俺のせいだ、俺があの時間違えなければこんな目に遭ってなかったはずなんだ」
彼女の手を力強く握りしめて、首を垂れる。
「『小学校で話せる友達ができた』って言ってたのに、『俺と一緒にいたい』って言ってくれたのに、それなのに俺、守れなかった……」
髪が顔にかかるのも、頬が濡れるのも気にせず、懺悔の言葉は止まることなく紡がれる。
「死ねなくて、殺したくてもできなくて、でも俺が悪くて間違えたからあめが、あめが……」
失意の底にいる彼の前に、意を決して立つ。
次の瞬間、私は座っていた葵の胸倉を力ずくで掴み上げ、涙で濡れた頬に向かって右手拳を振り抜いた。脱力していた身体は容易に吹っ飛ばされ、葵の身体は床に叩き付けられた。
病人に対する医者の行動とはかけ離れた行動だろうが、今、私は「医者」として葵の前に立っているわけではないのだから。
「……何を終わったように言っているんだ。お前も、あめさんも、まだ生きているだろう!?」
倒れ伏したままの葵の体が僅かに反応するが、構うことなく続けて言い放つ。
「ああ、知っているさ。私もお前も、世界の不条理や悍ましい出来事を嫌というほど味わってる。だからこそ、あえて言ってやる。
『この程度のこと』、当たり前じゃないが決して日常でもあり得ない話じゃないだろう!?」
徐々に葵が体を起こす。片膝をつき、その場で立ち上がる。私を見る彼の目には、先程までの腑抜けた様子は見受けられなかった。
「患者を救える可能性が少しでもあるのなら諦めない、それが医者の本分だ。だがお前は、あめさんのことを諦めるっていうのか。目の前で確かに呼吸をして、体温もあって、間違いなく生きている彼女を救える可能性を考えずに、諦めるって言うんだな!?」
「そんなわけ、ないだろっ!!」
病み上がりとは思えない力で胸倉を掴まれ、悪寒すら覚えるような鋭い眼差しと威圧が私に向けられる。十数秒もの間、互いに睨み合いを続けるも、不意に葵が大きく息を吐くと、彼の手から力が抜けた。
もし葵が本気で私に怒っているなら、とっくに一発お返しを食らわせているはずだ。それをしないのは体力が弱っているからか、それとも……いや、考えなくても分かることだ。
「……怜兄」
「何だ」
「……まずは、何をすればいいと思う?」
「あめさんの入院手続きと、必要な荷物の準備。あとは、小学校に休学の連絡を入れないといけないな。ただ、それは私でもできることだ。お前は自分の病室に戻って休んだ方がいい」
「……分かった」
葵は素直に頷くと、先程までの行動が嘘のように静かに病室を立ち去った。正直、ずっとこの場に留まるつもりなのかとも思ったのだが、杞憂だったようだ。葵自身、衝撃が大きすぎて自分の言動が定まっていないのだろう。いずれしても、私のやるべきことは決まっている。
「忘れていないか? 彼女も私の『家族』だからな」
ーー草加あめが目覚めるまで、あと28ヶ月。