透の開けたワインはどのような味がしたのか?――「天檻」第6話読解の試み
初出:2022年6月10日Privatterに投稿
◇はじめに
この文章は「天檻」第6話「くじらを捕まえろ」の最後のステージの場面をめぐって書かれるものです。私がもともと抱いていた問いから出発し、「天檻」感想を話す通話の中ですかいだよさんと夏目P石さんに聞かせていただいた話を足がかりにして展開していきます。そして最後に、シナノさんから聞かせていただいた「天檻」読解をもとにさらなる可能性を見出します。
ポイントになるのは3つで、1つはステージに円香が上がることであり、2つ目はワイン、そして3つ目は爆発です。
◇なぜ円香だったのか
「天檻」第6話のプライベートパーティーのステージでは、ノクチルの4人がパフォーマンスをする約束だったはずが、円香1人だけがステージに上がることになりました。円香を選んだのは透です。ではなぜ透は円香を選んだのでしょうか? 小糸や雛菜ではなく、なぜ円香だったのか。この問題をまずは考えていきますが、その前にまずはこのステージはどうしてこのような形になることになったのか、ということを「天塵」を振り返ることで考えていきます。
「天檻」第6話のステージは、明らかに「天塵」の反復、あるいは再演のようなものになっています。参照先は2つで、1つはネット配信番組でのステージで、もう1つは花火大会のステージです。後者の方が明らかで、「天檻」第6話のステージで円香がステージに上がるとき、花火大会のステージ後に海に飛び込んだときに言われる「こ っ ち み ろ」という言葉が挿入されています。
前者に関しては「天塵」を含む透読解を必要としますが、詳細は省くとして結論だけ言うと(この透読解はいずれ公開されます)、誰を見るかということを相手に恣意的に決めさせることを許さないという態度があり、そのことがここにも表れていると読むことができるからです。
いずれにしてもはっきりしているのは、観客側には見たいものがあるのだが、その観客の見たいものは恣意的なものであって、透たちはその観客が見たいと思っているものから零れてしまうものがあるということをよく分かっているので、「お前たちには見落としているものがあるぞ」ということを相手に突きつけようとするということが考えられるわけです。
「天檻」第6話のシナリオを読んでいると、円香の側がここに関連する問いをプロデューサーに立てていることが分かります。ノクチルは売れ始めていて、こういうプライベートパーティーにも呼ばれているけど、なぜノクチルは興味を持たれているのか。この問いを円香は「浅倉に? でなければ、幼なじみのアイドルユニットに?」という風にプロデューサーに問うています。観客が求めているのは浅倉なのではないか。そうでないならば、「幼なじみのアイドルユニット」というものを見たがっているのではないか。
第5話で透も似たような問いをプロデューサーに問うていました。プライベートパーティーというファンでも業界の人でもないような人の催しになぜノクチルが呼ばれるのか。ノクチルは何を求められているのか。プロデューサーはここでは、「透を見たいんだ。透が感じているものに、透に見えている世界に、興味があるんじゃないか」と答えています。しかしここでプロデューサーは、第1話で代理店営業の人に言われた「勝ってるやつのにおいがするから」勝ちに相乗りするために群がってくる人がいるという事実を透には伝えませんでした。
ここから分かることは、観客たちはノクチルに対して期待をしています。それはこう言ってよければ身勝手な期待であり、理想像の押し付けをしています。見たいのは浅倉透であり、「幼なじみのアイドルユニット」であり、「勝ってるやつ」なわけです。ここには浅倉透を中心としたイメージが出来上がっていて、これは「天塵」のネット配信番組で浅倉透を中心に番組を回そうとした番組側の恣意性の延長線上にあります。でもこうした「見たいもの」からは、透以外の3人は零れ落ちてしまうわけです。このことに円香も小糸も雛菜も気がついていました(受け止め方は3人それぞれで異なっているようです)。
このことを踏まえると、舞台をもらった透が、約束通りの4人のステージをやらず、また自分がステージに上がるということもしなかったということが分かります。そしてここに「こ っ ち み ろ」の言葉が重ねられることも分かります。「お前たちの見たがっているものから零れ落ちているものがある」ということを観客に突きつけるわけです。
ですが謎が残ります。その謎こそ、なぜ透は円香を選んだのかということです。小糸でも雛菜でもなく、なぜ透は円香を選んだのか。
第6話のシナリオを読んでいると、ステージの場面のすぐ前に円香がプロデューサーに「浅倉に? でなければ、幼なじみのアイドルユニットに?」と問うており、この問いが円香がステージに上がる理由になっているということを考えることができます。しかしこれはシナリオの演出上の論理であって、あるいは円香にとってのステージに上がる理由であって、透が円香を選んだ理由にはなりません。透はなぜ円香を選んだのでしょうか。
この問いに関して、さくめりさんによる素晴らしい読解があります。
https://fusetter.com/tw/aG9qyF9q#all
https://fusetter.com/tw/MJURQwTr#all
さくめりさんの読解は、【国道沿いに、憶光年】と合わせた読解になっており、この読解によれば透が一緒に濡れてくれる人を求めていたこと、円香は真っ先に透と一緒に濡れてくれる人であると透が分かっていることが理解できます。また、第6話のステージは、プロデューサーが言った「透が感じているもの、透に見えている世界」が求められているということに透が答えたという線が見えてきます。
これらの読解は非常に説得的であると私は思います。ですが、それでも第6話のステージで透が円香を選んだ理由としては決定打を欠く印象を抱きます。真っ先に一緒に濡れてくれる人であるからということがステージに上げることの理由になるのかどうか。また透にとっての「自分に見えてる世界」の中には円香しかいないのか。やはりなぜ円香でなければだめで、小糸でも雛菜でもなかったのかという問いへの答えとしては不十分であるように思います。
ここに「とおまど」的な何かを想定するとしても、透←円香の思いは「天檻」の中で語られている(「浅倉に? でなければ、幼なじみのアイドルユニットに?」)一方、透→円香の思いは「天檻」の中ではほとんど語られていないため、ここを考えるためには「天檻」内部での記述以外からの何らかの補助線が必要であるように思います。いったい浅倉透はなぜ第6話のステージに上げる人物として樋口円香を選んだのでしょうか。
◇円香でなければならない理由
この問題に関して、すかいだよさんと夏目P石さんのお2人から示唆的な話を聞くことができました。
すかいだよさんからは、まずは円香が抱いている思いについて聞かせていただきました。
円香は「透にできて私にできないことはない」と考えているように、透に対してライバル心ととれるような心情を抱いているように見える。しかしこれは単なるライバル心ではない。すごい天才の人物は理解者を得られなかったり、一緒に歩んでくれる人が得られないなど孤独になってしまいやすく、浅倉透という人物がすごい人物であるほど、浅倉透も孤独になってしまうかもしれない。そこで自分もまた浅倉透に並ぶ人物であることによって、自分が浅倉透の隣に立ち、浅倉透が1人きりにならないようにと思っているのではないか。
そしてそうした円香の思いを、透ははっきりとではなくとも、何らかの形で受け取っており、そうした円香の思いに答え、円香という人物を観客に見せるということをするために、第6話のステージでは円香を選んだのではないか。こういうお話でした。
この円香像は、私個人的には目を見開かれました。円香が透に対して見せてきたライバル心ともとれるような心情が、私の中でずっと謎だったのですが、それが解消されたように思います。ここで思い出しておきたいのは、円香が初めてプロデューサーのところに殴り込みに行った場面です。円香は透がプロデューサーに騙されているのではないかという理由でプロデューサーのもとに駆け付けたのでした。また「天塵」においても、ネット配信番組に出演することが決まった時点で、「何かあったら、許しませんので」と言っています。円香の思いの中には、透たちを守ろうとする意思があることが考えられ、「透にできて私にできないことはない」に見られるライバル心ともとれるような心情を、透を1人にしないという思考として解釈するということは非常に納得感の高いものでした。
夏目P石さんからは、円香が歌手として実力を備え始めているという話を聞かせていただきました。最近の円香の描写を見ていると、円香は歌手として仕上がっており、透はそれを認識していたのではないか。「天檻」の中でも200円払って3回歌ってもらっている場面のように、透も円香の歌を評価していて、第6話のステージで透はそうした円香の歌を観客に聞かせようとしたのではないか、というものでした。
またさらに夏目P石さんは、小糸はアイドルとしての自分に自信を持てておらず、透にその自信のなさを投げかけており、透の視点ではこの時点では小糸は準備が万全な状態であるようには見えていなかったと考えられ、この点からも小糸ではなく円香が選ばれたのだろうとのことです。
両者のお話を合わせることで、第6話で透が円香を選んだ理由がよりはっきり見えてくるように思います。透を1人にしないようにするということをしてくれるのは円香だけであり、いまアイドルとして仕上がっているのは円香だけである。それを透は観客に見せようとした。観客が求めていたのは「浅倉」であり「幼なじみのアイドルユニット」であり「透の見えてる世界」だったわけですが、透はこの要望に答えつつ、しかしその要望において予め期待されていたものを脱臼させるものを透は見せたわけです。それが円香1人のステージであったというわけです。
◇味わうべき(だった)もの
ここにたどり着いたことで、最初に挙げておいた2つ目のポイントにたどり着きます。ワインです。
第6話でノクチルのステージの出番が回ってくる直前、透はパーティーの主催者であるワイナリーのオーナーと話をしています。ワイナリーのオーナーはどこにいても大体のことが分かってしまって、驚くことがないと話しており、退屈しています。しかしそのオーナーは、驚くことがたった1つだけあると話していました。それはワインを開ける瞬間です。
ワインはボトルの中で熟成させるお酒です。コルクを通して空気が通り抜けているのかいないのかという議論があるようですが、最近ではワインはコルクによって密閉されていると考えられているようです。密閉されたボトルの中で熟成させ、飲み頃になるまで長いものだと35年ほどかかるようです。そして開栓した瞬間から空気に触れて酸化が始まるとのことです。
作中のワイナリーのオーナーは50年寝かせたワインを開栓していました。「こうやって久々に外の空気を吸って今やっと花が開く」と言っています。寝かせに寝かせて、飲み頃になった頃に開けることによって、「今やっと花が開く」というのです。何年も寝かせること、飲み頃を適切に見計らうこと、そしてその時に開けること、これらが重要であるようです。
オーナーはこうも言っています。「開ける時を間違ったら、もうダメなんだ」と。いつ開けたらいいのか知ってたのかと透は聞きます。オーナーの答えはこうです。「ううん、知らないよ。だから驚くの」。いつが飲み頃であるのか、今が飲み頃であるのかどうかを、予め知ることはできない。それを予め知ることができないままに開けるしかない。開けたその瞬間が飲み頃であったのかどうかは、事後的に決定される。こういう風になっています。
ここでノクチルのステージの出番が回ってきます。オーナーの部屋の去り際に透が残した言葉は、「じゃ、50年後に」でした。話の流れに乗ると、透は50年もののワインをこれから開けようとしているようです。
ここには透の独特な時間間隔と言葉の使用の才能が表れています。透の言っている「じゃ、50年後に」という言葉は、「今こそが50年もののワインを開けるべきときである」ということを予知する言葉になります。別の見方をすると、「50年後の未来とはまさにこの今である」ということになります。ここに、第3話で小糸に向かって問いかけられた「将来なのかな。今って」という問いへの答えの現れを見ることができます(この読解も夏目P石さんの指摘によって得られたものです)。つまり、今この時こそ、熟成されたワインを開けるべき50年後の未来の時であり、今この時こそ、なりたいものになり花開くべき瞬間である、ということになるのです。
それでは透が開けようとしたワインは何だったのか。それは円香1人をステージに上げたことです。ステージをもらった透がステージをあのようにしたということ、そこで円香が選ばれたことの理由はすでに読解した通りです。樋口円香は歌手として熟成してきており、それを透はステージで披露した。閉じられたボトルの中で熟成したワインを開けるように、歌手として熟成した円香を観客たちに見せたわけです。あのステージで歌った樋口円香は熟成されたワインだったのです。
ワイナリーのオーナーは、このステージについて「悪くない」としつつ、その風味を「まるで寝かせてない味だけど」と評価しています。ここで語られている「まるで寝かせてない味」という言葉は、歌手としての円香の力量に対する評価というよりは、ステージをあのようにしたことに向けられている言葉であるように見えます。つまり、4人でステージに上がるはずが、円香1人だけをステージに上げたということに対する評価です。「まるで寝かせてない味」という言葉には、こうしたこと(約束の反故)を行った透たちの若さ、こう言ってよければ青臭さをオーナーが感じ取ったと読み取ることができます。しかし、ワインとしてはどうなのでしょうか。私はここで、オーナーが感じ取りそびれたものがあると思っています。つまり、このワインはしっかり寝かされたものであったのではないか、ということです。ですがそれは、歌手として円香がしっかり寝かされて熟成されていた、という意味ではありません。
オーナーが感じ取りそびれたものを見出す鍵は、円香をステージに上げて歌わせた後、透が逃げようと言う場面に現れます。透は円香に対し、「まどかー」と呼びかけています。鍵はここにあります。
この「樋口ー」でもなく「円香ー」でもない、「まどかー」という呼びかけから感じ取られるのは、今現在の透ではなく、子供の頃の透です。今でこそ透と円香は互いを「浅倉」「樋口」と呼び合う仲ですが、「天塵」で描かれた幼少期の回想場面では、円香は透を「とおる」と呼び、透は円香を「まどか」と呼んでいました。「天檻」の場面での「まどかー」には、この幼少期の「まどか」という呼び声が反響していると考えられます。それゆえこのステージでは、ずっと閉じ込められていた幼少期からの4人の時間が花開いていたと考えられるのです。だから、このステージは、「まるで寝かせていない味」などではないのです。味わうべき寝かされていた時間が、ここにはあったのです。それをワイナリーのオーナーは感じ取ることができなかった。おそらくそれは、4人にしか味わうことのできない味だったのです。「お前たちには見落としているものがあるぞ」ということをここでもまた突きつけているのです。
「天檻」オープニングの「やつらのゲーム」では、ギラついた大人たちの会話から逃れるように透たちはプールへ飛び込みます。この飛び込みは「天塵」の花火大会後の海への飛び込みのリフレインと取れるものですが、「天塵」では誰もノクチルを見ていなかったのに対し、「天檻」ではこれこそがノクチルだ!という風に歓迎されています。ノクチルは、突拍子もないことをするやつらだであるとか、予想だにしないことをして驚かせてくれるやつらだという風に認識され、業界や世間に受け入れられていることが分かります。ここには外部がありません。何をやっても「これこそがノクチルだ!」という風に、相手の期待や喜びの中に回収されてしまうわけです。
「天檻」第6話のステージで透が開けたワインもまた、このように受け入れられました。約束されたステージと異なることを透たちはしたわけですが、円香の歌は観客たちに喜ばれ、透の行動もまたワイナリーのオーナーに喜ばれたのです。しかしここには、受け止められなかったものが残りました。それが、このステージにおいて花開いた、寝かされていた4人の時間です。これを味わうことができるか?ということを透たちは観客に突きつけたのです。
この味わうべき寝かされていた時間がどのようなものだったのかは、エンディングの「それでもいましか見えないよ」で少し語られています。第6話のステージで円香が歌った歌は、かつて透たちが見ていた教育番組のエンディングテーマでした。この曲はもともと4人で歌う予定であったものらしく、選曲したのは透です。
この歌について雛菜は「ごはんの匂いする」「夕方してた匂い」と言い、小糸はそれに同意した上で「みんなで遊んで…… 大体、帰るくらいに鳴ってて」「帰るの、寂しくなっちゃう曲」と言っています。4人にはこの曲に思い出があるわけです。そしてこの発言を受けて透は、「じゃ、合ってたね。選曲」と言っているのです。
透は未成年ですからワインを飲むことはできませんでしたが、50年もののワインの香りを透は味わっています。ですので、ここにおいてワインに関して重要なのは味覚以上に嗅覚であり、雛菜が円香の歌った歌から「匂い」を想起していたことは、雛菜たちが円香の歌について味わうべきものを正確に味わっていたということを示しています。
このように、あの円香のステージには4人にとっての寝かされていた時間が花開いており、そこには味わうべきものがあり、それを4人は味わっていたわけです。しかしワイナリーのオーナーはそれを感じ取ることができず、「まるで寝かせてない味」と評価してしまったのでした。おそらくあそこに居合わせた人で、4人が味わった寝かされた味を感じ取ることができた人は4人のほかにはいなかったのではないかと思われます。「お前たちには見落としているものがあるぞ」ということを示しているわけです。相手の要望に答えつつ、しかし相手の要望を脱臼したり、その要望から零れ落ちるものがあるということを示すこと。こうした空隙を示すところに、私はノクチルの最大の魅力を感じます。
◇爆発
これは夏目P石さんが指摘してくださったことですが、ワインの開栓が密閉された時間を開封するということは、「天塵」のサポートコミュで貯金箱を開けていたことと通じるのではないか、ということでした。密封されたものを開けるというモチーフがノクチルの周りにはあるのではないか、ということです。またこれも夏目P石さんの指摘ですが、クジラの死骸はガスが溜まって爆発する(破裂する)というのです。Wikipediaには「鯨の爆発」という項目があるのです。
「鯨の爆発」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AF%A8%E3%81%AE%E7%88%86%E7%99%BA
「爆発」ということはすぐに透のLanding Pointへの連想を誘うものです。以前バズっていたツイートに、ノクチルの名前の由来になったノクチルカ(ヤコウチュウ)は、波打ち際でストレスをかけられると光るのであり、ノクチルもまたストレスのかけられた状態で輝きを発するというものがありました。透のLPで語られた爆弾は「瞬間的な圧縮」があり「莫大なエネルギー」が得られるものでした。
クジラの死骸にはガスが蓄積されて、それによってクジラの身体は爆発(破裂)するようです。「天檻」終盤の第6話で透は「息してる。クジラのおなかの中で」と言っていますが、クジラの死骸が爆発するものであることを考えるとこの言葉にも味わいが増してくるように思えます。
◇おわりに
通話の中ですかいだよさんや夏目P石さんから聞かせていただいたお話を取り上げておりますが、この通話にはシナノさんもいらっしゃって、シナノさんからは次のような読解を教えていただきました。「天檻」オープニングのコミュでノクチルがプールに飛び込んだ後、パーティー参加者たちも続けてプールへ飛び込んで行ったが、その飛び込んだ瞬間にはパーティー参加者たちの権威的な肩書や経歴などが剥ぎ取られてみんな同列の存在になるということがありえたのではないか。ノクチルがどんなに突拍子もないことをしても「これがノクチルだ!」と回収されて外部性が消えるように見えても、あのプール飛び込みにおいて肩書や経歴が剥ぎ取られることで風穴が開くということがありえたのではないか、と。
私はあのパーティー参加者たち(ギラついていて偉そうな人たち)にそれほどの感性があるとは思えないと考えてしまったのですが、周りの人たちにそれほどの影響を与えるポテンシャルが透にはあるということはまず事実であると思われます。そしてそれを認めるとするならば、そうしたことがあのパーティー会場において起こるという可能性を否定することはできません。現に、ワイナリーのオーナーはあのパーティー会場に居合わせた人物であるわけで、こうした影響は現に起きているわけです。
この肩書や経歴が剥ぎ取られて並列化されるという読解は、透の【殴打、あるいはその他の夢について】へも繋がるものです。【殴打、その他の夢について】では、透は球技大会のカメラマンの役割をしますが、写されるのは球技の場面ではなく、顔のアップばかりでした。撮影された写真の中では球技をプレイしている人たちという状態が剥ぎ取られ、人物そのものが並ぶことになります。そしてそこにはさらに、教員や、他学年である小糸や雛菜も含まれることになるわけです。この肩書や経歴を剥ぎ取って、むき出しの存在(命)として並列化するという力が透には備わっていると考えることができるのです。
こうしたシナノさんの読解に基づくと、第6話のステージの場面で、4人が味わった寝かされた時間を味わうということまではできずとも、ワイナリーのオーナーが「まるで寝かせていない」という風に重要なものを味わいそこねてしまったところで何かを味わった人物があそこに居合わせたということを考えることもできそうです。オープニングコミュのパーティーで、プールの飛び込みにワイナリーのオーナーが何かを感じ取ったみたいに。
通話で聞かせてくださった、すかいだよさんや夏目P石さんやシナノさんのお話をここではもとにしておりますが、この文章の文責は響きハレにあります。お話を聞かせていただく中で、「天檻」が1人で考えていた以上に奥深いものであるように見えてきました。お三方ともお話を聞かせてくださってありがとうございました。
ところで「天塵」の読解を省略したところで少し書きましたが、浅倉透についての合同誌が企画されており、「天塵」についての私の読解はそこでもう少し詳しく書かれていますので、そちらの情報が公開されるのをお待ちいただけましたら幸いです。
*Privatterの投稿は削除済み