言葉から身を守る――プロデューサーに対する樋口円香の特徴的な応答の仕方について
初出:2020年10月26日Privatterに投稿
◆はじめに
今回は、プロデューサーを相手にした樋口円香の会話の中に現われる、円香の特徴的な応答の仕方を見ていきます。それは2つの応答の仕方です。1つは、相手の言ったことのロジックに従って、相手が「そうじゃない」と思う結論を導くことで、相手の言葉の穴を相手に突き付ける、という応答の仕方です。もう1つは、会話の中で、言葉の中から円香自身が消えてしまうことで、相手に相手自身の言葉に向き合わせる、という応答の仕方です。いずれからも、円香の言葉に対する警戒心とともに、言葉に対する真剣さをうかがうことができます。
実際に2つの応答の仕方を見ていく前に、円香をスカウトしたコミュから、円香が言葉に対してどういう態度を取っているのかということを確認します。そして2つの応答の仕方を見た後で、円香の特徴的な応答の背後には言葉から身を守るという企図があるのではないか、ということを最後に考えます。
◆前提――「夜に待つ」
前提として、言葉に対して樋口円香がどういうスタンスを取る人間であるのか、どういう考えを持つ人間であるのかを、プロデューサーの前に初めて現れたスカウトのコミュから見ていきます。このコミュに描かれる円香はアイドルになる前の円香であり、プロデューサーと交流する前の円香であって、以前からの円香の基本スタンスが描かれていると思われるからです。
ところで【カラカラカラ】Trueで語られていたように、円香は初対面からプロデューサーに対して厳しい態度を取っています。円香は初対面の人間に対して基本的に厳しい態度を取るなんてことはしません。それは「非常識」だということを円香自身が分かっています。円香によればプロデューサーは「例外」であって、初対面から厳しいのには「理由」があったと言っています。ですがその「理由」は定かではありません。
◇
実際に会話を見ていきます。
「――など、283プロでは、本人の資質や希望に合わせた活動を……」
「資質や希望? 本当に? やりたくない仕事を無理やりさせたりとかは?」
この段階では、まだ円香は話している相手が283プロのプロデューサーであるということを知りません。ですがそれでも不信感をあらわにして質問しています。特に「資質や希望」と相手が言った言葉を用いて聞き返すなどしていて、あなたが言ったことは本当なのかと問い詰めています。この相手の言葉を用いるということが、プロデューサー相手に話すときの話し方の特徴の一つだと思います。
◇
「私の幼馴染がそちらに所属することになりまして。騙されてないか、確かめに来たんです」
「そ、そういうことでしたか……」
「悪どい芸能事務所もたくさんあるようですから?」
話している相手がプロデューサーであると分かったあとの会話です。円香は「騙されていないか」という疑問を抱いています。つまりプロデューサーあるいはそもそも芸能事務所というものは、騙すものでありうるという可能性が念頭にあるということです。
また「騙す」というのは、言葉を用いて真実ではないことを相手に真実であるかのように信じ込ませるということです。ここから円香は、言葉を警戒していることが分かります。それは次の会話ではっきりと語られます。
「認めてもらえるように、プロデューサーとして全力で頑張りたいと思います。大事なお友達が望む空に羽ばたけるように――」
「すばらしいモットーですね。口だけなら、なんとでも」
プロデューサーの発言に対して「すばらしい」といったん評価したうえで、それに対して「口だけなら、なんとでも」と付け加えています。「すばらしい」ことを言うだけなら簡単であって、誰でもいくらでも「すばらしい」ことを言うことができます。ただ、その言葉で言われた「すばらしい」ことは、単に言葉で言われたことにすぎないのであって、それ自体ではその「すばらしい」ことが真実であるということは保証されません。真実であるという保証がないのに、まるでそれが本当に真実であるかのように相手に思わせたとして、もしそれが虚偽だったとしたら、それは「騙す」ということになります。
上で見た会話でも、「資質や希望?」と相手の用いた言葉を繰り返して、相手の言っていることが本当なのかということを問い詰めています。円香は言葉に対して不信感や警戒心を抱いているように見えます。これはさらに円香をスカウトした場面でもそうです。
「出会った時にすぐにわかりました。……ダイヤの原石だって……!」
「は……? ふざけないでください。近寄らないで」
プロデューサーの発言は、大それた言い方のように思われます。それこそ「すばらしい」ことです。出会った瞬間に相手がダイヤの原石であると分かるなんてことが、実際にどのくらいあるでしょうか。それが分かるなんて能力を持っている人がどれほどいるでしょうか。あるいはプロデューサーにそう言われている自分が、本当に「ダイヤの原石」であるなんてことが、本当にあるのでしょうか。ないとは思わないのですが、やはりそれは大それた言い方だなという印象を抱かれても仕方がないと思います。
おそらくこの大それた言い方をしているというところにも、円香は引っかかっていると思われます。大それた表現は、誇張しているのではないかという印象を与えます。誇張するというのは、それそのものより大きく見せようとした表現だということで、大きく見せようとした分だけ真実から離れていきます。真実から離れている分があるので、その誇張した表現を信じてしまうと最終的にそれは虚偽だったということになる、つまり騙されたことになる可能性が高まります。だから信じることはできません。それにそもそも、出発点としてあまり信用していない人物にこんなことを言われるわけです。
こうやって見ていくと、円香相手にプロデューサーは「大事なお友達が望む空に羽ばたけるように」とか「出会った時にすぐにわかりました。……ダイヤの原石だって……!」のような、芝居がかった言葉というか、詩じみた言葉を使っていて、円香にとってこういう表現は特にひっかかりやすいのではないか、ということを考えたくなります。プロデューサーのこうした言葉遣いはおそらく283プロの社長に通ずるものがあって、283プロとシャニマスに欠かせないものなのですが、そうした言葉遣いと表現に引っかかりを覚えるというのはメタ的にも面白いところだと思います。
ところで、こんな風にプロデューサーのスカウトの言葉に不信感と嫌悪感を露わにした円香が、なぜスカウトを受けたのでしょうか。実際にスカウトを受けた場面が次の会話です。
「ぜひ、浅倉さんと一緒に! どうでしょうか……!」
「……わかりました。そういうことであれば」
「浅倉さんと一緒に」と言われて「わかりました」と答えているところはとても興味深いところです。そもそもプロデューサーとスカウトの言葉に対して不信感と嫌悪感を露わにしていた分、こうしてスカウトを受けているところから浅倉透(たち)の存在が円香にとって重要であるということがうかがえます。
このように、円香はプロデューサー(と芸能事務所)に対して不信感を抱いているということ、そして言葉に対して警戒心を抱いているということが分かります。この前提を押さえた上で、プロデューサーを相手にした円香の特徴的な会話を見ていくことにします。
◆言葉の穴を突き付ける
◇
最初に見るのは、WING編シーズン1のプロデュースコミュ「カメラ・レンズに笑う」の中の会話です。宣材写真を撮り終えた円香がプロデューサーと街を歩いているときに、アイドルが路上ライブをしているのを見て交わされる会話です。
「笑っておけばなんとかなる。アイドルって楽な商売」
「…… いや、円香。それは……」
「別に否定してませんよ? おかげで私みたいな素人でもやれるんですから」
選択肢→「うーん……」
「確かにダンスも歌もまだまだかもしれない。でも、一生懸命頑張って――」
「つまり未完成でも商売になるってことですよね。社会ってもっと厳しいものだと思っていました。私の勘違いで何よりです」
この会話を初めて読んだとき、私はプロデューサーの言葉の方に同調していて、円香の言葉に対しては「そうだけど、そうじゃない」という印象を抱きました。円香の言っていることはロジックとしてはそうだと思うのですが、プロデューサーが首肯しないようにそうではない部分もあるように思ったのです。
この、ロジックとしてはそうだというところがポイントです。ロジックとしてはそうだというのは、ロジックの上ではそれは正しいということです。それゆえ、ロジックとしてはそうだ、ということについて全面的に否定するということは難しくなります。
「笑っておけばなんとかなる」という円香の発言に対しプロデューサーは、「確かに」と譲歩を見せます。「歌もダンスもまだまだかもしれない」と言っていて、路上ライブをしているアイドルたちのパフォーマンスは完全ではないということを示しています。そこですかさず円香は「つまり未完成でも商売になるってことですよね」と問い詰めます。プロデューサーが譲歩したことと、「未完成でも商売になる」ということは矛盾していないばかりか、プロデューサーが譲歩した部分が正しいならば「未完成でも商売になる」ということもまた正しいということになるわけです。
「未完成でも商売になる」に対してもまた、「そうじゃない」と言いたくはなるのですが、「未完成でも商売になる」はロジックの上ではプロデューサーの譲歩の部分に正しく従っています。それゆえ「そうじゃない」とは簡単には言いにくくなるのです。
このロジックの上ではそうだけど、そうじゃない、という応答は、ストレイライトのイベントシナリオの中にも現れています。円香のこの応答を、それと比較して検討してみたいと思います。ちょっと回り道になりますが、ストレイライトのイベントシナリオの会話を見てみましょう。
◇
ロジックの上ではそうだけど、そうじゃない、という印象をシャニマスのシナリオで以前に感じたことがあります。それは「Straylight.run()」の第1話、化粧品の試供品を配っているときの芹沢あさひに対してでした。小さな子供に試供品をあげてしまったあさひに、冬優子は「気をつけた方がいい」と言った後の会話です。
「? なんでっすか? 欲しがってる人にあげるのが一番っすよね?」
「それはそうなんだけど。でも同じ人にたくさんあげちゃったら、その分渡せる人が少なくなっちゃうでしょう? ふゆたちは、商品と、スポンサーの会社さんを効果的に広めるためにお仕事をしてるわけだから」
「欲しがってる人にあげるのが一番」というのは、「化粧品の試供品を配る」ということと矛盾していないし、「化粧品の試供品を配る」という目的に適っています。だからあさひのしたことと言っていることは、ロジックの上では何ら間違いではないわけです。ですが、冬優子のリアクションの通り、そうだけど、そうじゃないわけです。ロジックの上では正しいんだけど、化粧品の試供品を配る上で前提となっていることに反しているのです。冬優子は押さえておくべき前提をあさひに教えています。
この後も、現場責任者相手に「宣伝する必要はないっすね!」と言っていて、これまた冬優子が教えた化粧品の試供品を配る上での前提にはロジックの上では反していないけれども、責任者相手に取るべき態度があるというさらに別の前提には反しているという風にして、そうだけど、そうじゃないということを再びやってくれています。その仕事の帰り道での会話に、この構造がはっきりと表れています。
「でも、商品と会社を知ってもらうのが大事だって、冬優子ちゃん、言ってたっす。わたし、それはすごくわかったっすよ! でも、責任者の人とおしゃべりするのは違う気がするっす」
「それは――…… 時と場合っていうものがあって――」
(中略)
「……でも、もしあさひちゃんが責任者の人からよく思われなかったら、その次のお仕事が来なくなっちゃうかもしれないでしょう?」
第1話のあさひと冬優子の会話から分かることは、世の中には言明されていないさまざまな前提があって、世の中は言明されたロジックに従って運営されているだけではなく、言明されていないさまざまな前提にも従って運営されている、ということです。しかもその前提を予め全て言明するということは難しい(というか不可能)のです。
◇
冬優子の言ったことに対して見せたあさひの応答は、冬優子が押さえている前提をあさひは押さえていないということを示しているように見えます。だから冬優子は言明されていない前提を言葉にして伝え、納得すればあさひはそれを受け容れます。
一方、上で引用した「カメラ・レンズに笑う」の円香の会話ではどうでしょうか。おそらく、というかかなりの程度、円香はわざと言っているように思います。円香は、【カラカラカラ】True「エンジン」で言っているように、初対面の人相手に厳しいのは「非常識」だということを知っている人ですし、プロデューサー相手に厳しい言動をとることについて「心臓を握る」では「八つ当たり」だとも言っています。あさひのように言明されていない前提に無自覚なわけではなく、自分が言っていることがプロデューサーに対して厳しいことであるということを自覚した上で言っているのだと思います。つまり、「ロジックの上ではそうだけど、そうじゃない」ということについて、自覚しながら言っているのではないか、と思われるのです。
では、少なくとも上で引用した会話において円香があのような発言をしたのはなぜなのでしょうか。その一つは、挑発ではないかと私は思います。「笑っておけばなんとかなる。アイドルって楽な商売」というのは、明らかにアイドル(とプロデューサーを含めた業界)というものに対する侮蔑です。これは円香自身から出てきた、不信感を抱いているプロデューサーと業界に対する挑発ですから、その発言の責任は円香自身にあります。ですから実際「……違うよ」の選択肢で「誰かのための笑顔は簡単じゃない」とプロデューサーに言われると、いちおう「それはすみませんでした」と謝罪を口にします。自分の言ったことが挑発であり侮蔑であるということ、その発言の責任を、円香は理解しているのだと思います。
選択肢の前に戻るのですが、円香は「否定していませんよ?」と言います。もはや自分もそのアイドルの一人であって、「楽な商売」であるからこそ「私みたいな素人でもやれる」と。これもロジックとしては正しい。「うーん……」の選択肢の後の会話は、すでに見たようにプロデューサーの譲歩があり、その譲歩を認めるならば円香の言い分はロジックの上では正しい、という会話がなされます。
この会話において、円香が「ロジックの上ではそうだけど、そうじゃない」ということに自覚的であったのだとしたら、円香の応答はこの「ロジックの上ではそうだけど、そうじゃない」ということを示す意図があったのではないか、と考えたくなります。言ってみれば、「あなたが言ってることに従うならこういうことになりますが、それでいいんですね?」と言っているということです。
それに対して「そうじゃない」と応答したくなるはずです。ですが、円香の応答はロジックとしては正しいものであるはずで、「そうじゃない」とは言いにくいことです。円香は「そうじゃない」と言いにくいということも、分かっているはずです。それゆえ円香が言っていることはこうなります。「プロデューサーが言ったことの論理に従えばこの結論が出てきますが、その結論が「そうじゃない」のだとしたら、そもそもプロデューサーが言ったことは正しくなかったんじゃないですか?」と。
つまり円香はプロデューサーに、プロデューサー自身が言ったことの中にある穴に向き合わせていることになるのです。
◇
その態度は、別の選択肢の次の会話の中によりはっきりとしたかたちで現れます。
選択肢→「『気持ち』が重要なんだ」
「さっきの写真だってそうだ。円香が全力で取り組んでくれたからこそ――」
「は? ないです、そんなの。宣材写真に全力が必要なんですか? 私は普通にやっただけです。でも『宣材写真にしておくのはもったいない』素晴らしい出来栄えだったんですよね?」
「……」
「さすが…… 人を見る目がおありですね」
円香はまず「全力で取り組んでくれた」ということをはっきりと否定します。「全力」を出すことを拒む態度は、他のコミュでも繰り返し見ることができます。円香が心の内側や、自分のコアに近い部分を、他人の前でさらけ出すことに対して拒否感を感じていることに通じている部分です。
重要なのは「宣材写真にしておくのはもったいない」というプロデューサー自身の言葉を引用して突き付けているところです。アイドルの路上ライブ見る前、宣材写真を撮り終えた後で、プロデューサーは実際にこのように言って円香を褒めていました。その言葉を引用して、突き付けてくるのです。
「全力を出してなんていない。全力なんて出さずとも「宣材写真にしておくのはもったいない」ような写真が撮れた。ならばやはり「笑っておけばなんとかなる。アイドルって楽な商売」は正しい。そうですよね?」と円香はプロデューサーに問い詰めているのです。これはロジックの上では正しい。これに対してプロデューサーは何も言えません。そして「人を見る目がおありですね」と、おそらくスカウト時の大それた言葉を想起させながらダメ押しをします。これは明らかに皮肉です。コミュはここでブツっと途切れるように終わります。まるでプロデューサー(≒読者)を突き放すかのように。
もしこのロジックの上で正しい「笑っておけばなんとかなる。アイドルって楽な商売」という結論が事実に反しているのだとしたら、前提のどこかに事実に反した部分があるわけです。全力を出していないということを、プロデューサーが否定することは難しいでしょう。円香が全力を出したかどうかは、円香本人にしか分からないことです。そうであるとするならば、事実に反していることになるのは「宣材写真にしておくのはもったいない」というプロデューサーの発言です。もしこれが事実に反しているのだとしたら、プロデューサーは嘘を言ったことになります。嘘を言って、その嘘を真実であるかのように信じさせようとしたのだとしたら、それは騙そうとしたことになります。これらが円香にとって許せない行為であることは、スカウト時のコミュの会話から分かります。
円香はこのように、プロデューサーの言った言葉の中にある穴を見つけ、それをプロデューサーに突き付けて向き合わせるのです。言葉に対する警戒心は深いですが、相手の発言の中にある穴を見つけ、それを言葉でもって突き付ける手さばきは鮮やかです。円香の頭のよさと、言葉に対する真剣さがここから感じられます。
◆言葉から消失する
◇
続いて見ていく会話は、WING編シーズン2のプロデュースコミュ「バウンダリー」の中の会話です。
「……あのさ、円香――」
選択肢→「無理はするなよ」
「その言葉は無理をしそうな人にかけるべきです。それかちょっと優しくすれば、簡単に落とせそうな子にね。雰囲気でしゃべるのはやめていただけますか? ミスター・好青年」
「…… すまん…… で、でも、円香もアイドルとして頑張っているじゃないか」
「はい、そうですね」
「……! ああ、だから力になりたいんだ」
「はい、そうですね」
「う…… 『雰囲気』なんて言われないように…… ちゃんと行動で伝えられるようにするよ」
「はい、そうですね」
この会話は、事務所近くを歩いているときに、円香のファンだという女子高生に声をかけられて円香がファンサービスをした後の会話です。女子高生は円香に向かって「トップアイドルになれる」と言います。それに対して円香が「疑問が先立って。私に何を期待しているんだろうと。まあ、わからなくても対応しますよ」と言った後の会話が上の会話です。
選択肢の「無理はするなよ」は、何を期待されてるのか分からないけど対応するというところに向けられた心配の一言だと思われます。ですが、その心配の言葉を円香は受け取りません。おそらくですが、「無理をしている」と思われたくないのだと思います。別の選択肢では「ほどほどに生きること」が夢だと言っているわけですし、そもそも「全力」を出すこと(を知られること)を拒んでいます。「無理をしそうな人にかけるべきです」というのは、円香はそれには該当しないということ、円香は無理をしていないということを示しています。「雰囲気でしゃべるのはやめていただけますか」と言っているように、「無理はするなよ」というのは根拠がない上に事実に反した心配であるということです。それゆえ円香は「ちょっと優しくすれば、簡単に落とせそうな子にね」と言います。人を根拠のないいい加減な言葉で丸め込もうとするなら、丸め込めそうな人に言え、ということです。
ここで重要だと思われるのは、「雰囲気でしゃべるのはやめていただけますか」です。雰囲気でしゃべるというのは、事実に即しているかどうかの根拠がなく、確実性を抜きになんとなく言葉を発する、ということです。プロデューサーの言葉はそうした発言になっている、と円香は糾弾しています。
プロデューサーはいちおうは謝るのですが、「円香もアイドルとして頑張っているじゃないか」と、完全に事実に反しているわけではないのではないか、と反論しようとします。ここからが最も興味深いところです。
円香は「はい、そうですね」と応答します。これはプロデューサーの発言に肯定的に応答したように聞こえます。プロデューサーもそのように聞き取って「……!」と反応します。そして「力になりたい」と続けるのですが、円香は「はい、そうですね」と先ほどと全く同じ応答を繰り返します。これは、「円香もアイドルとして頑張っているじゃないか」に対する「はい、そうですね」が、実は肯定的な応答なんかでは全くなかったということを遡及的に示しています。プロデューサーはめげずに「ちゃんと行動で伝えられるようにするよ」とさらに応答するのですが、それに対しても円香は「はい、そうですね」とだけ答えるのです。
全く同じ応答が繰り返されることで、「はい、そうですね」は肯定的な応答ではなくなります。繰り返される「はい、そうですね」からは、発言者の意思が抜け落ち、ただの音声になってしまうわけです。ここで円香という個人は消え去っています。円香自身が消え去ることで、プロデューサーは自分の言葉に向き合わざるをえなくなります。ここでの円香に向けて言った言葉は「雰囲気でしゃべ」った言葉なのではないか、と自問させられるわけです。ロジックに従って「そうじゃない」結論を導くことで穴を突き付ける手法とはまた違った手法で、自分の言葉について向き合わせているのです。
◇
この手法に近い手法が見られるのが、【ギンコ・ビローバ】「偽」の中の次の会話です。
選択肢→「円香は優しいよ」
「たぶん、嘘をつこうとしていないし。たぶん、何を言うのが正解だったのか、今も考えているんだろうから」
「…… たぶんをつければ何を言っても許されるとでも」
「そ、そういうわけじゃ…… なんていうか…… 円香は、言葉に誠実なのかなって思ったんだ」
「………… じゃ、それで構いません。たぶんね」
この会話は、オーディションの前に緊張して気持ちが不安定になってしまったアイドルを円香が落ち着かせようとする場面の後の会話です。円香はアイドルの話を聞き、「願い続けることが大事」などと話します。こうして不安定になっていたアイドルは落ち着きを取り戻します。この会話について円香は「私は優しくないので。願いは叶わない、適当に生きる方が楽…… そう教えてあげなかっただけです」と言います。円香は自分が話していたアイドルはオーディションに合格しないと思っています。そうしたアイドルに「願い続けることが大事」と言うのは、円香が嫌悪感を示していた「騙す」ことにほかなりません。でもプロデューサーが「願いは叶うこともある」と言うだろうということも円香は分かっています。つまり「円香の言ったことは嘘ではないし騙したことにはならない」ということです。その直後に選択肢があって、上で引用した会話が続きます。
プロデューサーは円香をフォローしようとしているのですが、「たぶん」を付けて話していて、言っていることに確実性があるわけではないということを示しています。確実性があるわけではないことを言うということは、それが事実に反しているという可能性、つまり偽である可能性があることを意味します。その点も円香は気にかかっているはずです。
ですがここで重要に思われるのは、プロデューサーは円香の心の内側に踏み込んでいることです。【ギンコ・ビローバ】「信」では、電車の中で円香とプロデューサーは円香に関するひどい噂話に遭遇します。別の車両に移動しようとしたプロデューサーに対して、円香はメッセージで「余計な気遣い」と送ります。そして円香はさらに「気にするだけ無駄」だと付け加えます。「気にしないからって」の選択肢の後でプロデューサーは、「気にならないとは限らないから。少しだけ心配になったんだ」と返信します。それに円香は何らかのことを感じたようですが、それについては明らかにしないまま「私の代弁者になろうとしないで」と送り、コミュが終わります。円香は、自分が何を思っているのかということについて、他者に勝手に踏み込んできてほしくないようです。しかも「代弁」という風に、勝手に自分の心の内側を言葉にするなと言っています。「噤」のコミュでも、映画の感想についてできれば人に話したくなかったと言っていますし、自分の好きなものについても「大切なものほど」他人に言いたくないと言っています。
上で引用した「偽」の会話では、プロデューサーは円香の心の内側に踏み込んでいます。円香にとってはこれは好ましくないことであることが推測できます。その上「たぶん」が付いていて、確実性抜きに言っているのです。つまりプロデューサーはまたしても「雰囲気でしゃべ」っているわけです。円香にとってこれは二重に許せない発言であるように思われます。
それゆえ円香は「たぶんをつければ何を言っても許されるとでも」と糾弾します。「何を言っても」という言い方から、プロデューサーの発言は円香にとって一線を超えた過剰さがあったということ、つまり行き過ぎた発言だったことが分かります。
プロデューサーは「何を言っても許されるとでも」という円香の糾弾に対して、そんなつもりはないと否定したいのですが、ちょっと弱気に見えます。そしてまた「なんていうか」と曖昧さを示す表現を付けて「言葉に誠実なのかなって思ったんだ」と言います。円香の言葉に対する態度を振り返れば、「言葉に誠実」というのは事実に即しているように私にも思われます。
それに対する円香の応答は「じゃ、それで構いません」です。「それで構いません」というのは、否定ではないものの、肯定的な応答のようでいてそうではないような応答というニュアンスです。否定するわけでも肯定するわけでもない応答という感じがします。しかもそこに「じゃ、」というやや投げやりな言葉が付きます。「じゃ、それでいいです」と同じ感じで、こう言われると「え、本当はそうじゃないってこと?」と疑問が浮かんできてしまいます。肯定とも否定とも、はっきりしません。
極めつけは、ここにさらに「たぶんね」がくっついていることです。「たぶん」はプロデューサーの言った言葉であり、これを付ければ「何を言っても許される」ことになります。ですから「たぶんね」の付いた「じゃ、それで構いません」というのも、プロデューサーが言ったような確実性抜きの「雰囲気」の発言になります。
重要であると思われるのは、円香が付け足した「たぶんね」はそもそもプロデューサーが先に言った言葉であるということです。「じゃ、それで構いません」からは否定も肯定も読み取れず、円香の思っていることは分かりません。その上そこにプロデューサーが先に言った「たぶん」を引用してくっつけるのです。こうすることで、この応答の言葉から、円香自身が消失するのです。もし何の脈絡もなしに「たぶんね」を付けられたら、「「たぶんね」って何だよ」という風に言いたくなるところですが、ここでは「たぶん」はプロデューサーが先に言っている言葉ですから、「いや「たぶん」ってあなたが先に言ったんでしょう」という風に逆にプロデューサー自身が追及されることになります。
つまり円香は、円香の心の内側についてプロデューサーが確実性もなく言ったことをそっくり繰り返して投げ返すことで、プロデューサーにプロデューサー自身の言葉の責任を突き付けているのです。「だって「たぶん」を付ければ何を言っても許されるんでしょう? あなたが私についていい加減なことを言ったみたいに」という風に。もし円香の「じゃ、それで構いません。たぶんね」に対して「本当は違うってことなのか?」とさらに問い詰めたくなるのだとしたら、そもそもプロデューサーが「たぶん」を付けて言ったことも、怪しくなってきてしまうわけです。プロデューサーはそんないい加減なことを言っていたのでしょうか? 円香の応答はそういうところまでプロデューサーを連れていくことになります。
ここで円香は、「バウンダリー」の会話で見られたように、自分自身を言葉の中から消し去ることで、プロデューサーに自身の言葉に向き合わせるということをしています。ですが、この「偽」での会話ではもう一つのポイントがあるように思われます。それは、プロデューサーの言葉から円香が消え去るということです。別の言い方をすれば、円香は自分自身をプロデューサーの言葉の網に捕らえられないように、そこから消え去っているということです。あるいはプロデューサーの言葉の空間の中に円香のイメージを作らせないようにしているということです。つまり円香はプロデューサーに、自分のことを理解させないようにしているのです。円香が自分自身の心の内側や、自分自身のコアに近い部分を他人にさらけ出すのを拒んでいるところから考えると、プロデューサーの言葉の網から逃れるということは円香にとって重要なことであるように思えてきます。
円香はこのように、会話の中で自分自身を消し去ることによって、プロデューサーに自身の言葉に向き合わせるのです。そしてプロデューサーの言葉の中から自分を消し去って、円香の理解像を作らせないようにしています。言葉の穴を突き付ける手法と同様、これらの会話においても、円香の言葉に対する警戒心と、言葉に対する真剣さの両方が感じられます。
◆まとめ
円香のプロデューサーとの会話の中から、特徴的な会話を抜粋して見てきました。その特徴とは、相手に、自身の言葉に向き合わせる方法です。相手の言葉のロジックに従って「そうじゃない」と言いたくなるような結論を導くことで相手の言葉の穴を相手に突き付ける方法と、言葉の中から自分自身を消してしまうことで相手に相手自身の言葉に向き合わせる方法の2つの方法が見られました。ここに円香が言葉に対して警戒心を抱きつつ、言葉に対して真剣であることが見て取れます。
私自身の実感に即して考えると、言葉に対して警戒心があるからこそ、言葉に対して真剣になるのではないか、と思いたくなります。言葉から身を守るために、言葉に対して真剣になるということです。【ギンコ・ビローバ】「噤」では、映画についてプロデューサーに聞かれたときは一言「良い映画でした」とだけ答えるのですが、出くわした関係者に対して「言葉で表せないくらい、素晴らしかったです」と言いつつ、言葉でもって映画の感想を伝えようとしています。ですが関係者と別れた後、「映画、楽しめたようでよかった」の選択肢の先でプロデューサーに向かって言ったのは「できればひとりで観たいものでした。感想を言葉にしなくていい時、しばらくの間、誰とも話さなくていい時に」と言っています。円香は関係者に対して、本当は言葉にして言いたくなかった感想を言葉にして伝えたということになります。「映画、好きなのか?」の選択肢の先では、自分の好きなものについて「大切なものほど」人に言いたくないという考えを口にします。このように円香は自分の内側のことを言葉にすることに対して後ろ向きな態度を見せます。
おそらくこれは、WING編「心臓を握る」で語っていた「怖い」という感情と通じているように思われます。「噤」の映画の感想を関係者に話したとき、「すみません、素人の解釈なので、間違っているかもしれませんが」と言っていて、自分の感想(解釈)が間違いでありうることを自覚していることが分かります。感想や解釈は、心の内側に生まれるものですが、言葉にすればそれ自体が他人から評価されるものになります。正しい解釈、間違っている解釈、センスの良い感想、センスの悪い感想という風に…… 言葉に出される感想や解釈は自由でも何でもありでもなく、評価の対象となり序列を付けられるものなのです。
これは「心臓を握る」で円香が「怖い」と言ったものと同じように「試される」ことです。感想や解釈は、心の内側に生まれるもので、それは自分自身のコアに近い部分から生まれるものでありえます。このようにして生まれた感想や解釈が、試され評価され、序列を付けられるというのは、自分自身のコア、つまり自分自身という固有の存在が、試され評価され、序列を付けられるということになります。これは「怖い」ことだ、と私も思います。
私自身の実感では、言葉に対する警戒心というのは、こうした自分の実存が試され評価され、序列を付けられるようになるということへの恐怖から来ています。言葉は公共性があるものですから、言葉によって表されたものは比較したり序列を付けたりすることができます。自分自身という固有の存在は、それ自体では比較したり序列を付けたりすることはできません。ですが、公共性のある言葉によって表現されることで、それは試され評価され、序列を付けられることができるようになるのです。円香の言葉に対する警戒心が実際にそうであるかどうかは分かりませんが、少なくとも「心臓を握る」で語られていた恐怖は、このように実存が試され評価され、序列を付けられることへの恐怖だと思います。
そして、このように警戒心を抱いているからこそ、言葉に対して真剣になります。自分を表現する言葉としてこれは適切なのか。自分自身に対して大げさすぎないか。あるいは自分自身を示す言葉として誤っていないか。いったん言葉として表現されてしまえば、歩き回るのは私自身ではなく、表現された言葉の方です。そしてその言葉が試され評価され、序列を付けられることによって、それでもって、私自身が試され評価され、序列を付けられたということになってしまうのです。ですから、言葉に対して真剣にならないわけにいかないのです。
この言葉に対する警戒心と真剣さは私個人の実感に基づくものですが、円香が言葉に対して警戒心を抱きつつ言葉に対して真剣であるのもそうした理由であると考えることは大きく外れてはいないのではないか、と思います。
このように言葉に対して警戒心と真剣さを抱いているのだとすれば、相手に相手の言葉の穴を突き付けるということと、言葉の中から消失するということは、重なります。もし自分について語る相手の言葉に穴があるのだとすれば、自分自身について語るその言葉は正しくないということになり、相手の言葉によって自分自身が捕らえられることはなくなるというわけです。相手の言葉に空いた穴を出口として、そこから出ていくというイメージが浮かび上がります。プロデューサー相手に円香が特徴的な応答をするとき、その背後にはこうして言葉から身を守る企図があるのではないか、と考えたくなります。
円香は「口だけなら、なんとでも」と言っているように、言葉ではなく行動で示せと考えているところがあるように思われます。今回見てきた円香の応答の仕方は、言葉の内容による応答ではなく、言葉を用いて行っている行動というレベルの応答です。言葉の内容のレベルでは、今回見た会話の中ではあまり円香自身のことは語られていませんが、言葉を用いた行動のレベルでは、相手の言葉の穴を突き付けたり、言葉から自分を消し去ったりとするというところに、言葉から身を守るという企図を抱いた円香自身を読み取ることができるような気がするのです。
*Privatterの投稿は削除済み