スピンオフ「バンブルビー」の続編についてと、今回のあのエンディングについて、トラヴィス・ナイト監督の踏み込んだインタビューのお話ちょこっと。(以下エンディング内容バレが含まれますので未見の方ご注意下さいね)
まず、comicbook.comでのトラヴィス・ナイト監督のインタビュー記事がこちら。
(https://comicbook.com/movies/2019/04/05/bumblebee-director-says-charlie-could-come-back-in-a-sequel/)
今回脚本を担当したクリスティーナ・ハドソンさんも続編執筆に意欲を示しておいででしたけど、将来においてナイト監督も、「チャーリーとバンブルビーが再会する物語が描かれる可能性もあると僕は確信している(I’m sure a creative mind could come up with a way to bring them back together)」とおっしゃってます。
この辺はおそらく、過去のベイ監督版との擦り合わせを今後どの程度考慮しなければならないかが関わってくるので、ディレクターのディ・ボナベンチュラ氏の最新コメントの通りに完全リブート路線が確定すれば(要するに既存の「サムとの出会い」の縛りがなくなれば)、よい脚本次第では十分にあり得る、ということかと思います。
「しかし」とナイト監督が続けておっしゃったのはこんなこと。
「しかし僕にとって常にとても重要なのは、神話やコミックやアニメ、映画から成る巨大な(「トランスフォーマー」シリーズという)ひとつの流れの中にこのスピンオフが位置づけられているとしても、あくまでもこれがひとつの作品として自己完結しているということなんだ」
(but it was always incredibly important to me that this film, even though it sits within a larger context of mythology and comics and cartoons and films, that this film be self contained that it lives on its own.)
「この物語には『始まり』があり、『中盤』があり、そしてふさわしい解決とともに『終わり』がある。僕は二人のキャラクターの相関関係を、これ以外の終わり方はあり得ないかたちで描いていた。この物語は、彼らが別れることで終わらねばならなかったんだ」
(That it had a beginning, it had a middle and an end and it had proper resolution. And so as I was charting the relationship between these two character there was no other way for it to end. It had to end with them parting.)
以前、公開前のツイートで、日本版のキャッチコピー(「はじめての相棒は、少女だった。」)に対して原語版のコピーはこれだった、って話をしたです。
"Every adventure has a beginning"(すべての冒険には始まりがある)
「原語版の"Every adventure has a beginning"(すべての冒険には始まりがある)ね、この定番フレーズには"has an end"が付くんです。「始まり(と終わり)がある」でセットなの。要するに、ちょうど日本語で言う「会うは別れの始め」に近い雰囲気を含んだ、ちょっと切ない意味合いのキャッチコピーなんですね原語版の方。うまく説明できないんですけど伝わるでしょうか」
(https://twitter.com/toasttweet/status/1025344652294017024)
トラヴィス・ナイト監督が今回のインタビューでおっしゃったのはまさにこれのことです。
すべての冒険には始まりと終わりがある(Every adventure has a beginning and an end)。
たかがコピーひとつと思えても、でも実はとても重要な意味を含んでいることってたくさんあると思うんですよね。
これまで連綿と続いてきた実写TFの中の一本でもあり、今後のリブートの新たな起点ともなる「バンブルビー」ですけど、あくまでも単独の「一本の作品」として完結している物語である、という監督のコメントは、このスピンオフにとってとても大事なことだと思うです。