@null 個人的メモと素人考察と妄想。日本号と福島光忠に関わること、弊本丸の基本設定等
※まとめ途中です※
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~福島光忠について~
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~日本号について~
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・元は皇室所持(御物)、正三位の槍
・足利→織田→豊臣→福島→母里(黒田の臣下)→後藤→略→黒田
・母里太兵衛像が色濃い。福島正則のことは教訓のように語る
・熊毛製の毛鞘に総黒漆塗の柄、螺鈿
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~メモ~
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【福島光忠】備前長船光忠作/南北朝時代頃の作/所在不明
【日本号】無銘(大和国金房派と推定)/室町時代後期(1492~1569年)作/福岡市博物館所蔵
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~福島正則(市松)~
・1561年 尾張生
・左衛門大夫
・賤ケ岳の七本槍。一番槍、一番首として活躍。
・秀吉子飼いの武将で、加藤清正と並んだ
・1592年~、1594年~に朝鮮半島に出兵
・大酒飲みで酒癖が悪いと言われている
・黒田節
・一度隠居を申し出るが却下される。移封後に隠居、出家(号:高斎)。1624年7月13日、64歳信濃で病没
その他刀剣
・義助(槍)
・福島兼光
尾張生まれで、秀吉・ねね様も尾張弁となると、この辺りの方言は理解できるのかもしれない。
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【それぞれ妄想という名の弊本丸上での設定】
地盤固めに描いた号福設定
https://poipiku.com/1525760/5948608.html
◎光忠の色々メモ
・花と刀について
https://fusetter.com/tw/WQQ1mraV
・軽く酔う位であれば実はそれほどでもないけれど、感極まったときと、深酒したときの酒癖とか、戦いの時とかは、実はちょっと荒さが出てると良いなと思ってる。
・自分はもう隠居したし、燃えて失われているからとあまり今の功績には執着はしていない。ただし過去には誇りを持っているので、その辺りはしっかりと自負している。
◎日本号の色々メモ
・御物の時の姿は不明(剣だった説に関しては個人的には何とも……)。龍に限りなく近い可能性も高い。秀吉の頃に柄の長さが変わったとしたら、それまではもう少し背丈が低かった可能性も?秀吉の頃に背丈が伸びている。
・はじめは光忠の感情は正則のものなのではないかと思っていたため、感情の向け方を迷っていた時期もあった。
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【SONGS】
※準備中
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今後考察変わっていくかもしれないし、
また色々漁ったら追記していきたい……。
(2021.07.17/2021.07.17更新)