『ビアトリス』という、あまりに美しい叶わない夢について。
もう叶わないと知ってしまった夢の話の中の犬の名前なのだとインスタライブで話すのを聞き、ここまで来てしまった、と思った。ついにここまで来てしまった。
『クジラのステージ』を初めて聞いた時、ショックだった。明るく美しいメロディーで歌い上げられる「叶わないと知りながら」の歌詞。
本人も2023年3月なはーとでのライブでそうしたことを話していたが、願いは叶う叶わないに関わらず抱くものだ。叶わないと思っていても、叶わないと知っていても、それでも胸に湧くものだろう。叶わなければ無駄だとか、無意味なものではない。
「どうせ叶わない」と思っていないとやっていられないものや、しのげないもの、続けていけないものがある。「叶わないって知っている」と言い聞かせていないと、どうにもならないものがあるということも。
たとえば死別は極端でわかりやすいもののひとつだろう、特に老衰ならなおさらかもしれない。もうこの世で一緒に走ったり笑いあったりすることはできないってわかっている、でも恋しい、さびしい、会いたいなと思うことがあったりはしないだろうか。私は昔飼っていた犬に対してそう思っている。
そうした願いの中に、生まれ育った場所が平和で、みんなが幸せに笑っていられたら、があるとしたら?その重さと切実さが、私にわかるとは思えない。
アイデンティティが引き裂かれ、引きちぎられ引きはがされたことはあるか?私はない。
祖父母が戦争を生き延びた者は多くとも、その祖父母が本来の言葉を禁じられ、文化風習を捨て去るよう命じられ、罰を受けたりスパイだと呼ばれ殺されることは?多くはないはずだ。
もちろん日本の戦時犯罪において、生まれ故郷から連れ去られた人たち、移住させられた人たちは多い。その前から移住和人によって土地を奪われ、言語と文化から引き離された人々もいる。
そうした多くの複雑性を、日本人が複雑にしてしまった人やものや文化や土地を、少しでも知ろうとしては途方に暮れる。わからないのだ。あまりに途方もなく、わかりようがないのだ。そして、「わかりようもないから」と存在しなかったことにはできない。私の立場は加害者側だから。
「変わらない」という言葉をドキュメンタリーやインタビューの中で見聞きすることはある。琉球ルーツの人が口にする場合も、たまたまたった10年ぽっちを沖縄県で移住して暮らしただけの和人が言う場合も。
それを侵略加害者側は死んだって口が裂けたって言うなと私は思う。私たちには責任がある。
でも琉球ルーツが思ったり、言うことには何をも言うことはできない。過去と現状がそれを言わせている。そうとでも思わないとやっていられないものがあるだろう、と思う。
これについてはCoccoもインタビューで言及している。『2.24』のことだ。
■敗北感を味わって傷ついて…Coccoが歌い続けるワケ 新アルバム収録の楽曲「2・24」に込めた思い
公開日時 2019年11月08日 17:21 更新日時 2019年11月09日 14:28
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1022403.html
下記、記事内から引用をする。
「『2・24』は県民投票が行われる直前に、できる限りの自己防衛というか、自分を防御する盾を作ろうとして生まれたんだと思う。(辺野古の新基地建設に)ノーと言っても結局、国のイエスの答えは覆せない。(私も)40歳を過ぎてあきらめることがいっぱいある。それでもノーと言うんだけど、そのたびにすごい敗北感を味わって、傷ついて、泣いた。でも、自分の子どもと同じくらいの選挙権を得たばかりの子たちは『ノーになるかもしれない』と本気で信じている。それを見たときに、この子たちがまたショックを受けて泣くことになると思った。この子たちが泣くことになる現実を受け止められない」
「ノーっていう気持ちを持ってきたけど、やっぱりそうなるんだっていう感じ。国が変わらないなら、自分の許容範囲を広げるしかない。みんなどんどん自分の殻を厚くして鈍感にしていかないと(受け止められない)。私は辺野古のニュースが流れていても見られない。『大丈夫、こうなることは知っていた、大丈夫だよ』と自分を守るので精いっぱいになる」
「自分は19歳のときに世界を変えられると思っていたし、ノーが通用するかもしれないって信じていた。若いときは大人が手伝ってあげないと価値が認められる『本物』になることは難しい。だから『本物』になるためのバトンを次の世代に渡さないと、という思いが自分の原動力だ。だけど、なんで今歌えるかというと、沖縄のためだから歌えているんだとも思う。誰かのためになり、初めて自分が立っていられると分かった」
引用ここまで。
こうした思いを吐露する人が歌う「叶わないと知りながら」は、「とんだファンタジー」は、重くて重くて、言葉にならないものがある。
「“起こるべくして”だなんて 非道い仕打ちだろう?」ついにここまで言わせてしまった。申し訳ないとすら言えない、正直言葉が出てこない。出てこないから、これを書いている。この、取り返しのつかないあまりにも多くのあきらめと願いと祈りと怒りについて、自分が出せるものを身体から出したいがために。
時々読み返すレビューがある。Amazonでの『スターシャンク』のレビューだ。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2DZL9BTOUA1PC/ref=cm_cr_getr_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B07VM8RG8T
こちらも自分の記録をかねて引用する。
「生きてまた死に、また産まれ
2019年10月12日に日本でレビュー済み
20年近く前、Mステで焼け野が原を歌い投げキスをしてCoccoが走り去って行った時、もう二度とCoccoには会えないという喪失感と、一瞬の閃光のように燃え、ポロメリアの歌詞のごとく自分を焦げ付かせて消えた、あまりにも潔く鮮烈な歌姫の物語に目眩がするほど感動した。
5年の休業の後、Coccoが戻ってきた時も、それはもういたく感動したものだった。
しかしその後もCoccoはアルバムを出す度に拒食症でぶっ倒れたり、もうこれで最後にしたいと言い続けていた。
今にも消えてしまきそうな危うさで浮いたり沈んだりして、そして、必ずまた戻ってくる。
先日の限定ライブでも、友達とよく絶交しては仲直りすると話していた。
もらったファンレターも重さに耐えられなくなると海で焼き、引っ越し魔でもあるらしい。
0か100かしかない人生。
きっとこの人はそういう生き方を繰り返してきたんだろう。
沖縄を出る時も、家族を解散し、大切なものは全て焼いて、紫陽花を生き埋めにして飛び出した。
20周年の、巨大な葬式のようだった武道館ライブ。
その時ももう表舞台からは去りたいと発言していた。
しかし音楽から手を引いている時期も、Coccoは絵本を描いたり、アクセサリーを作ったり、映画にバレエに、常に休むことなく駆けずり回っているように見える。
止まることなく泳ぎ続けるマグロのごとし。
100パーセントの力で生きて、200パーセントの力で歌って、そりゃあ疲れるし、痩せるし、死にたくもなるよな、と思う。
どのアルバムにも「遺書」のような曲が必ずある。
今回は「海辺に咲くばらのお話」が明確にそれに当たる。
この曲を遺書として、Coccoは自分を殺し、死の淵へ沈めて、だけどまた、必ず浮かび上がって来るのだろうと思う。
20年間、Coccoの死と再生をずっと見続けている気がする。」
引用ここまで。
“どのアルバムにも「遺書」のような曲が必ずある。”、これは私もそう思う。『PROM』なんてもう、ものすごい「遺書」だと思った。
『ビアトリス』は、いわばもう「遺書」からはじまり「遺書」で終わったとさえ感じる。『クジラのステージ』から『ファンタジー』(『SE2024』は一応S.E.なので除外している)。
このオール「遺書」のようなアルバム、「叶わなくてもやっていきましょうね」という『ビアトリス』。
当たり前だがこれらはすべて私の勝手な印象である。年齢を経て変わったものもあるだろうし、年齢を経たからこそ出てくるものもあるだろう。それでもやはり、本人が言うように「こーの歌は沖縄の歌だわけ」なのだと思う。
FBで友人の話をつづっていた『お望み通り』だって「沖縄の歌」だと思うし、WBSを観て生まれた『ファンタジー』だって「沖縄の歌」だと思う。口にするとおそろしく侵襲的な響きを伴うが、「ルーツ」であり、「アイデンティティ」であり、「生まれて帰る」場所として、そうなんじゃないのかと勝手に思っている。
私にはわかりえないものだ。『OKINAWAN BLUE』を聴きながら思わず口ずさみそうになり、己の頬をぶん殴ろうとした。明確にヤマトルーツの私にはわかりっこない歌だ。わかったような気になること自体がおこがましい。
これらの私の感情に落ちなどない。私が生きている限りは抱えていくものだろう。そしてこんなことを手紙で書き送ることも言うまでもなくできないし、しないし、する意味もない。それでもこうしてどうしようもなく湧き出てくるので、記録しておく。
命からがらここまでなんとか生きてきて、走ってきて、「“起こるべくして”だなんて 非道い仕打ちだろう?」という歌詞を聴いた。「叶わないと知りながら」なんて、涙させることだって、非道い仕打ちなのだ。