「スリー・ビルボード」について今日のうちに思ったことを綴っておく。
悪そうかと思いきや真っ当だった署長の自殺を見た時は、なんて決断だろう、自分が同じ立場だったら同じように出来るだろうかと考えてしまった。つまり、闘病が家族との最後の思い出になるくらいなら自分で最後を決めるという決断だ。私なら最後までウダウダ悩みながら死んでしまいそうだ。広告代まで遺していった意外にも粋な署長と比べて、いかにも公正に見える後任の署長が、実際には長いものに巻かれてそうなところがこの映画の一筋縄ではいかない味になっている。
そしてあの、署長のディクソンへの手紙である。ひとつの手紙であんなにも未熟な男の潜在的な善を引き出すことが出来るものだろうか。延々と燃えさかる警察署の中で、誰もがクソ野郎だと疑わない男が、正しいことを選ぼうとする人間に生まれ変わる。あんなに劇的な瞬間は他にない。観ているこちらまで、生まれ変わった気持ちにさせられる。
さらに、ディクソンに窓から投げ飛ばされた広告社の兄ちゃん=レッドだ。火傷したディクソンが同じ部屋に入れられたところを見て、私は思わず吹き出してしまったけれど、ディクソンだと知らずに優しい言葉をかけて気遣うレッドは、それが自分を殴り落とした男だと気づき、怒りかもしくは恐怖に震えながら後退りながらも、オレンジジュースを入れてやり、ディクソンの方に向かってストローの位置を整えてやりさえもする。謝罪しながら涙を流すディクソンに、涙は傷にしみるから泣くなと言ったりもする。ディクソンの方は、涙が傷を癒すんじゃないかとこぼしたりする。やるせないけれど、深く優しいシーンだ。
他にも言葉もよく知らない19の少女と再婚して間違った読み方を嫁から教わったまま覚えている元暴力亭主や、主人公ミルドレッドのアリバイ作りに協力したことで好意を持たれるのではないかとちょっと期待していた小男も、なんとも情けないけど憎めない。母の首を締めようとする父の首にナイフをつきたてる息子の姿も忘れられない。
てっきり、フランシス・マクドーマンド無双が見られるのかと思っていたら、助演の役者たちのそれぞれの存在感の大きさに、見終わった後も圧倒される。このまま忘れたくない、この気持ちを永久保存していつでも思い出せるようにしておきたいくらいだ。