ワンピ副音声聞きました。映画を無かったことにしたくて迷い続けていたけど結果的に聞けてよかった。
結論だけ言うと私は一度ワンピ追うのやめますのでフォロワーリア友各位よろしく頼む。
今日の映画代は手切れ金のつもり。
※1/30追記
映画終わったし作者が円盤に副音声収録する気がないらしいので再公開します。
収録しません発言の意図は知りませんが、リアルタイムで見聞きした人にしか伝わらない場所で映画と原作に関わる話をガッツリした精神が心底気に入らん。
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一つだけ謝っとくと私は副音声のネタバレ見た上で今日映画を見た。その人は鍵垢で、「こんな発言があった」と一部内容を書いていてそれが私にとってあまりに大切な部分だったので自分の耳で聞かなければと思った。ネタバレは本来いけないことだし私も今からネタバレをバンバンするので、それを許容した私に嫌悪を感じる人は読むのやめて欲しい。
ネタバレ無しで今の気持ちを整理するのはちょっと無理。
私にとって大切な質問は
・ルフィが音楽家をずっと求めていたのはウタの影響なのか
・REDはマルチバースなのか実際にある話なのか
・原作にでてきたウタのシルエットはウタ本人なのか
この3つだった。あともう1つワンピを降りる決断に至った質問があるけどそれは一旦置いとく。
3つに共通してるのはとにかく「原作にもウタは存在するのか?」という疑問だった。私はREDが本当に嫌いでウタの存在を受け入れることが出来なかった。
ウタが存在からパラレルなら映画が嫌いで済ませることができるけど、原作者が関わってる以上パラレルでは無いかもしれない。でもREDがあれだけ好き勝手やってるのはパラレルだと尾田栄一郎本人が割り切ってるからじゃないか?
REDを見てから、そしてウタがガンガン推される現状を目の当たりにして私の中にはずっとそんなモヤモヤが渦巻いていた。
そして副音声でその疑問がようやく解けた。解けてしまった。
質問の答えを纏めると
・音楽家を求めてたのはウタの影響か?
→(尾田)そうです(笑)そういう風に上手くつながりましたね(笑)そういう事にしときましょう。
・REDはマルチバースなのか?
→(監督)マルチバースって割り切って映画を作っちゃうと始めから嘘の作品になっちゃう。ルフィを始めから作り直すってことになるから、自分たちはマルチバースでは無いと思って作ってます。でもそれを本当に原作に組み込むかは原作者とファンの皆さんに委ねます。
(尾田)自分は(監督のマルチバースでは無い発言に)責任取りません。でも今まで自分が関わってきた映画は実際にあってもおかしくないと思って作ってるから今回もそう。今までの映画のキャラも存在してる。
・シルエットはウタなのか?
→(尾田)そうです。あのシーンはシャンクスが「そんなに怖いか、新時代が…!」と新時代にまつわる人達を回想しているシーン。そこにウタがいなければシャンクスあまりに酷いだろうと(笑)勿論漫画だけ読んで映画を見ない人もいるからガッツリは出せないけど、小さく書くくらいは許してね、分かんなかったら読み飛ばしてねって意味です。
結論:尾田栄一郎の中でウタはシャンクスの娘ルフィの幼なじみとして存在していてシルエットも単なるファンサービスではなくて「この時のシャンクスならこうするだろう」という意図の上で組み込まれてる。REDは原作で起きてなくても原作にウタは存在する。
って意味でいいですよね、穿った見方してないですよね。私はどうすればいいか分からない。原作の根幹に作者発案では無い映画のオリキャラ(ウタは監督が「シャンクスの娘、世界の歌姫にしよう」と言い出した)が割り込んできて、しかもそれがこれから原作軸として進んでいくなんて。こんなことが許されていいのか。
しかもウタの存在が肯定されたということは音楽家を求めていたのはウタの影響、というのもパラレルではなく原作設定ということ。
じゃあブルックは、「ウタみたいな音楽家が欲しい」と思ってた中で見つけた音楽家だったの?ブルックはウタの代わり??そういう考察見かけてブルックをバカにするなと切れてたんだがこれ公式になっちゃうの???
そんな訳ないのに、私はブルックが本当に大好きだからそんなこと思いたくもなかったのに、副音声のせいでそう考えるようになってしまった。
そして私がワンピを離れる決意をした極めつけは
・REDに対する観客の反応で予想してなかったものはあるか?
→(監督?)概ね予想通りだった。今回は音楽をテーマにしたから今までの映画を見てきた人はなんか違うと思うだろうな、と予測してた。
(尾田)予想はしてたけどこんなにハッキリ層が分かれるか、と感じた。この前M-1グランプリで○○(芸人の名前)が言っていたのは「俺たちのネタで笑えないなら顔で笑え。笑うことを諦めるな!」これすごい真理だなと思って。映画を面白くなかったで片づけるのは簡単だけどそれでは寂しい。楽しめる部分を他に見つけて欲しい。
もう、これを作者から言われたのは本当にしんどくて映画館で声を殺して大泣きしてしまった。その場にいた人には申し訳ないが途中退席もした、劇場を出ても副音声は流れ続けたのでトイレで1人泣きながら聞けるだけは聞いた。
つまりREDを楽しめなかったのは、私がREDを楽しむことを諦めたから。原作との齟齬やウタに対しての違和感ばかりに目を向けて他の楽しめる場所を見つけなかったから。そう尾田栄一郎に断言されたと感じた。
本質的にはそうかもしれない。楽しむ側が最初から批判するつもりで作品を見ていたら、粗ばかり探して楽しめない。私もそもそも予告の時点で自分には合わないと感じていて、あまり期待はせずに見に行った。
だけどそれを制作側が言うのか。自分達の作品には何も問題がなく、楽しめないのは消費者の責任だと言い切ってしまうのか。あらゆる作品には賛否があって当然なのに、否定意見は全て否定する側に原因があると切り捨ててしまうのか?
誓って言うが私がREDを楽しめなかったのは原作が好きだったからだ。シャンクスとルフィの関係が大好きで、1話が大好きだったからこそ、そこを変えかねないREDとウタが受け入れられなかった。こちとら10年以上ワンピを追ってるのに、たった1つの映画で設定を塗り替えられたら黙っていられない。
でも尾田栄一郎にとってそれは「楽しむことを諦めている」のだそうだ。そうじゃない、私はREDを楽しむ以前にワンピースを楽しみたいのだ。ワンピースを楽しむことを諦めたくないからこんなにもREDの扱いに困ってきたのに。
REDでは私のような古参で口煩いファンがターゲットでは無いことはもうとっくに分かっていたから、REDが楽しめないのは当然の事としてその気持ちを原作にまで持ち込まないよう、「原作を楽しむため」に何とか自分の中でREDを飲み込もうとしてきたつもりだった。
その私にそれを言うのか。REDは私のようなファンを楽しませる為の映画ではなかった癖に、層を分けたのは制作側の癖に、私は楽しめなかったと割り切った事を「諦めた」と評してしまうのか。賛否の「否」は存在すら許容してくれないのか。
ならもう、いいと思った。
今の尾田栄一郎は、ワンピはREDを重要視し過ぎている。それを批判しながらワンピを楽しもうとした私は、もう想定したファンでは無いのだ。これ以上しがみついても互いにいいことは何一つ無い。
そんな理由で私は今日ワンピから離れる。
とはいっても10年以上愛してきた作品だし麦わらの一味とその他推し達は相変わらず大好きだ。彼らの冒険を見届けたい気持ちはずっとあるから気持ちが落ち着いたら、ワンピを何も考えずに楽しめると思ったら原作を読むだろう。でも今までのような熱量はもう戻ってこないし単行本を買うのかどうかすら分からない。
中途半端で申し訳ないが、まだ私自身10年分の思い出との向き合い方を決めかねている。REDに対する意見も感想も二度と口にしないから、ワンピースに暫く未練を持ち続けることだけは許容して欲しい。
以下はその他の気になった質問と回答、そして最後だからとぶちまける制作側への不満。スッキリするために吐き出すだけなので見なくていい。
トットムジカはどういう存在か?
→(監督?)人々の負の感情の集合体。世界に生きる人々の悲しみとか逃げたいという気持ちそのもの。
(尾田)僕の中ではワンピースの中で不思議なことは悪魔の実だけ。だからあれも悪魔の実にかかわる…だから世界観としてはokです。この辺は多分原作では最後まで描きません。
(監督)そうなんですか、そんなこと言ってしまっていいのかな(笑)
本編に出てこない情報を前提に魔王を作られても困る。客に見せるものなら「尾田栄一郎の中のワンピース」ばかりじゃなくて「現時点で世に出ているワンピース」にももう少し寄り添ってくれ。あと監督は悪魔の実の能力だと思って作ってないようだけどそれはいいのか??
ウタは死んだのか?
→(尾田)面白い意見を見つけたんですけど僕はプロットに「死に逝くウタ」としか書いてない。死んだとは言ってない。そういうことです(笑)
死んでなかったら最後赤髪海賊団が囲んでる棺はなんだ。ウタの生死は物語のラストとして一番重要だろうにそこにもこだわりないのか?あと脚本家は「死ぬ事でケジメを付けた」って言い切ってたからせめて監督・脚本・原作者で認識は合わせてくれ。製作期間の3年間何話してたんだ。
ウタはルフィの夢の果てを知っているとプロットにはあったが、アニオリ過去編ではウタといる時は「まだ決まってない」様子だったが?
→(尾田)これは謝りたい。あのプロットを書いてからストーリーも僕の考えもだいぶ変わってる。あのプロットは消してもらわなきゃいけなかった。
ウタはASLの関係を壊しかねないキャラだったからルフィにどのくらい関わらせるか僕もだいぶ迷って、最終的にウタはルフィの夢の果てを知らないことになった。
ASLの関係に気を使ってくれてありがとう。シャンクスとルフィの関係にも気を使って欲しかったな。あとそもそもそんな重要キャラを映画で書くのやめて欲しかったな。
ウタにとってゴードンとは?
→(監督)親戚の優しいおじさん?
(尾田)もう一人のお父さんだと思ってた。監督は冷たかった(笑)
認識を!!!!合わせて!!!!中身なんか何も無いような映画だったけど辛うじて親子がテーマの映画じゃないのか!??
あと全体的に「監督からシャンクスの娘ウタという設定が出てきたので僕の中にあるシャンクスの人生にウタを組み込んで行った。」っていうスタンスだし尾田栄一郎の中ではそれが正史になったようだけど何で映画に原作が合わせてるの?主人公であるルフィに深く関わる分、今までのオリキャラとは訳が違うと思って欲しかったな。
以上。さよならワンピまた会う日まで。
1700円の映画代が今日はやけに高く感じたよ。
※11/8追記
ブルックの辺りめちゃくちゃ感情論で語ってしまったせいで余計な諍い生んだなと思ったのでもうちょい具体的に書きます。ごめんね言語化が下手で。
私はあの回答で、ルフィが音楽家に拘ったきっかけが「ウタみたいに冒険を盛り上げてくれる音楽家が欲しい」になったのだと理解した。
それは「ブルックはウタの代わり」という考察をしていた人達に寄り添う答えだと感じたので
「あの考察を見る度に『そんな訳ねえだろ!ブルックはブルックだ!!原作読め!』と切れていたのによりにもよって原作者がそっち側に行ってしまった」
と思ってしまって反射で公式なん???と口にしてしまったという意味です。
今は冷静さを取り戻して、皆さんの意見も読んだおかげで「きっかけはどうあれブルックがウタの代わりなわけない」と揺らがず思えるようになってます。ただこれ書いた時はショックがでかくて「否定したいのに否定できない」状況になってた。
ここに書いた全てが私のお気持ちだし誰かに何かしろとかこう思えとか強要するつもりは無いです。映画もこの意見にも感じ方は人それぞれでいいと思います。それこそ自由だもんね。
今度こそ本当に終わり。