春ゆきてレトロチカ、クリアしたので(クリア後までの内容を↓)
#春ゆきてレトロチカ
終章で
プレイ中にん?と思った所などが最後に触れられる形になっていたのと、
如水と佳乃、あの二人の結末とそこへの収束させ方は文句をつけることがないくらい良いものを見ることができたので満足。
如水を男と思わせる誘導と演出をプレイヤーにも刷り込みつつ、それと相反する事実をさりげなく示してくれていたのは好評価。
個人的に、一番好きで面白かったのが、2章で追い込まれてからの弥宵の振る舞いがとても好きだったので、終章で満を持して登場する弥宵=佳乃=トキジクを食べていたことが判明という流れが最高なんですね
ただ、結局二章で出てきた西毬真琴こと梶裕貴(実写)の扱いがあの程度で終わったのが残念。わざわざ主人公の小説の登場人物を名乗ってきたのには、意味があると思ったので、赤椿からはただの役者程度の扱いだったのがどうしても肩透かしだった。弥宵による西毬殺しが本当にせよフェイクにせよ西毬自体にももう一捻りくらいあると思ったのだが。
赤椿に関しては……可哀想な人だと思うけど、作中人物の言葉でボコされてた以上に、3章の犯人に対して言われたことがそっくりそのまま当てはまるタイプの人間なので、あの終わりでも有情だなと思ったというか。当時の四十間家や永山に恨みを持つならともかく、もはや関係ない人たちの人生を台無しにしたのは論外なので。
3章で如水は、犯人の彩綾(かな子を結局見殺しにした)がレクイエムを歌うことに対して、「自分が殺した人間に対するレクイエムを歌う行為」に本気で怒りを表明していたわけで(終章では彩綾の自殺を止めるためという理由も明かされたけど、如水のあの怒りは本気なところもあるという演出と受け取ったので)。
真摯に罪を悔いる、反省するという行いが傲慢ということではなく、彩綾にしろそして赤椿にしろ「自分の救い」「自己満足」という要素があるというのはやっぱり見ていて”気色悪い”ものを感じざるを得ない(そういう要素を排除できないとしても)。
これは本作のキャッチコピーが「100年にわたって~」とされながらも、実質は大正時代の1年と少し程度の時期(1920s)と1970年代以降の50年間のみが中心となっている問題ともかかわると思っている。赤椿は、3章のナイトクラブで了永の言葉から報復心を抱くわけだが、やっぱりそこで狙うのが了永の弟(=自分より弱い立場の何も知らない子どもや若者に相当する人間)というのが「うわぁ……」となるわけで。赤椿の最後も、如水という同類に自らを殺すように迫りながら、如水と佳乃の再会後は”仲間外れ”になったことで刺しに行くのが、やっぱり自分のことしか考えてないのでは……という思いを抱かざるを得ない。
司直によるにせよ、全てが明らかになったことによるにせよ、結局のところ赤椿は自裁という形で不老から開放されたというのが、実は作中では明確に言われていないけれど、非難されているようにも見えるというか。例えば、演出もあって、横たわる赤椿の遺体を四十間家の人々は、見ることはないというのがこの上なく彼女の本質を物語っているというか。
ゲームシステム的には、仮説のデモシーンのテンポが悪くて、それを何度も見るのが時間かかるなぁというのと、5章の主観視点での謎解きはやりにくかった。あとデモシーンのオートセーブ仕様と、謎解き画面のセーブ仕様の違いは混乱した。
あとは上にあるように「100年にわたって~」の割には、1920年代後半から1970年くらいまでが空白なこと、年表にあがっている医学・ミステリーの歴史との関連がもう少しあったほうが、と感じた。