シンエヴァを見て爆死したカヲシンの民へ捧ぐ
(クソ長い 矛盾多い 頭悪い ネタバレ多い ガバガバ)
・少なくともシンマリじゃない理由諸君はエヴァの漫画版はご覧になったことがあるだろうか。その漫画版では唯
一、マリとゲンドウ、冬月、碇ユイの関係が事細かに描かれている。少々ネタバレになってしまうが、マリは碇ユイに尊敬の念と恋愛感情を抱いていた。そしてユイはその気持ちを受け入れた上でマリに優しく接している。ユイにはゲンドウがいるためカップルにはなっていないものの、ユイとマリの関係は特別なものであった。この関係と、エヴァの永遠のテーマであり最大のテーマである庵野監督の他人がいたっていいじゃないという考え方(旧劇かなんかのインタビューより)、シンエヴァの展開や登場人物の発言より新劇の世界観がアニメ版、旧劇場版のループである可能性が高いこと、新しいエヴァゲリオンを作るために新劇にマリを追加したという庵野監督の初期構想、マリとシンジの恋愛に関する伏線、描写が無いことから考察すると、最後のあのシーンは、シンマリエンド、というよりは、他人との心の干渉を拒絶し、自分自身を塞ぎ込んできたシンジが一他人であるマリを受けいれた描写にすぎない気がする。今までと似て非なる、新しいエヴァンゲリオンを作るという点で、アニメ版、旧劇場版の、シンジが他人を受け入れる描写を残しつつ、漫画版からの異物(言い方悪い マリ好きよ)であり、他人であるマリを受け入れ、新しい世界に駆け出していくシンジ 、庵野監督はかつてエヴァをガンダムのように何世代も続く作品にしたい、その為にこんなエヴァもいいんじゃないかというサンプルを作る(新劇場版)と言っていたが、未来の世代にエヴァという作品を繋いだぞ、比喩のようにも取れる。(流石に考えすぎかもしれない)
・加持とカヲル
ここは正直分からない。(どっかで描写されてたっけか、自分が忘れているだけかもしれない)空白の14年間を描いたのではないか?と言われるQの予告編に、カヲルくんが司令服を着た姿が一瞬登場するが、加持がスパイをした際に仲良くなった可能性があるが、あんなに馴れ馴れしいカヲルくん、初めて見たぞ。全く意味が分からない。分からないが加持カヲではない。なぜなら加持にはミサトがいて、カヲルくんにはシンジがいるからだ。(これは納得出来る答えが出来るまで何回でもエヴァシリーズや他の人の考察を見直すし、考察させていただく 諦めない気持ち、大事 )
・カヲシンである理由
・加持とカヲル
ここは正直分からない。(どっかで描写されてたっけか、自分が忘れているだけかもしれない)空白の14年間を描いたのではないか?と言われるQの予告編に、カヲルくんが司令服を着た姿が一瞬登場するが、加持がゼーレのスパイをした際に仲良くなった可能性があるが、うーん、カヲルくんの自我、個体の強調?全く意味が分からない。分からないが加持カヲではない。なぜなら加持にはミサトがいて、カヲルくんにはシンジがいるからだ。(強引)しかし、りょうちゃん呼びは謎。関係ないだろうが、いつかカヲルくんはゲンドウをおとうさんと呼んでいた気がするが、これもなんか引っ掛かる。(自分が忘れてるだけ?)
・カヲレイもない
いや、これは普通に意味が分からないし強引すぎんか。他の人も言ってるけど、あの最後のシーン、シンジと反対側のホームの描写、普通にカヲル(アダム)(使徒)とレイ(リリス)(人類)の共存の比喩だと思う。もしくは、シンジと握手できた尊さを語り合っているのか?????(冗談)
・カヲシンである理由
まず新劇がアニメ版、旧劇からのループである(可能性が高いこと)からカヲシン。シンエヴァの趣旨は似て非なる全く新しいエヴァンゲリオン。そうなると、新劇はアニメ版、旧劇を否定するものではなく、アニメ版、旧劇の上で成り立っているはず。そして旧劇の人類補完計画発動のシーン、ビッグ綾波に対して発狂したシンジだが、その綾波の姿がカヲルくんに変わった途端、そこにいたんだね、カヲルくん と旧劇で唯一の笑顔、安堵の表情を見せる。これをカヲシンと言わずしてなんと言うかのだろうか。(ついでに語りたいのだが、公式設定で旧作のカヲルくんは碇シンジが女の子でも花でも石でも水でも愛したとあったはず これが真実の愛)
これはいつもなんだけどシンジ、カヲルくんがいなくなったとき死ぬほど引きずる。アスカやレイの時より遥かに引きずる。今回はほぼ半分くらい引き摺ってた上にDSSチョーカーで嘔吐してしまったシーン、トラウマなのはよく分かるが作中最大クラスで引きずり方がエグい。自分がしでかした行為のデカさ、ニアサーもそうだけどこれは多分カヲルくんを目の前で失ったことに対しての引きずったのだと思う。このシーンもシンジのカヲルくんの存在のデカさが伺える。(カヲルくんのDSSチョーカーシーンのフラッシュバックが多かったことから)そして何とかトラウマを克服してDSSチョーカーを自らつけるシンジくんからの例のシーン。正直号泣してて記憶がほぼ無いのだが、シンジの存在を受け入れ優しく包み込んでいたカヲルくんを大人になったシンジがカヲルくんそのものを受け入れた。そして手を握ったのは幼少期のシンジ。これはどの世界線の、どの時点のシンジもカヲルくんそのものを受けいれたという比喩だと考える。
あとこれまでのカヲルくんは、君だけ(シンジだけ)を幸せにしてみせる方針だったけど、シンジがカヲルくんそのものに手を差し伸べたおかげで、幸せになる対象にカヲルくんが入り、カヲルくん自身も救われた。
何よりグッズ展開がずっとカヲシンだった。公式はカヲシンを推している。なぜかカヲシンだけセット。Qでシンジに手を差し伸べたカヲルくん、シンエヴァでカヲルくんに手を差し伸べたシンジ、2人の相思相愛さがシンエヴァのグッズとなっているのだ。
結局このカヲシンパートと加持さんのパート自分の感情論というか自分が呼んでても意味が分からないものになってしまった。加持とカヲルくんの謎関係、カヲルくんの自我について、シンエヴァ、もう何周かしてソースのある考察をして、カヲシンの民を救いたいと思う。
カヲシンは公式。公式はカヲシン。