國學院大學博物館 特別展 #神に捧げた刀 ミュージアムトーク
「日本刀の誕生と環境変化」笹生衛先生
「武士と刀と馬の関係」吉永博彰先生
のメモを書き起こしました。
ちなみに図録に誤植があるので後日HPにまとめて載せられるそうです。
國學院大學博物館 特別展 神に捧げた刀 ミュージアムトーク(2019/02/9)
「日本刀の誕生と環境変化」笹生衛先生
「武士と刀と馬の関係」吉永博彰先生
修正もしやすいように今回はふせったーさんのお世話になってみます。
雪の日なので、第一回ほどの人ではなかったですが、やっぱり今回も大教室に変えていただいていて正解だったような聴講者数ですね。
「前回は弥生時代から奈良時代の初めについて語りましたが、今回はそこから日本刀にいたるところと、武士との関係について時代背景を踏まえて話します。」
と、始まりました。
■「日本刀の誕生と環境変化」笹生衛先生
●武士の成立、その背景
・承平天慶の乱。武士の成立として語られる争い。これは起こるべくして起きたもの。
・その10年後、天暦10年(956年)の駿河国の申請(解文)には、地方の役人が帯剣、武装することを願い出ており、許可されている。東国では無法者が多く、官職に就く人たちにも武力が必要であったということ。
→10世紀中頃、950年代頃、地方行政、治安維持には刀や弓による地方官吏の武装が不可欠となったことにより実用的な武力が発達した。
これらの背景には、大規模な旱魃と洪水が短期間で頻発し、飢饉、疫病が発生したことがある。本朝世紀にもこれらは記される。
(本朝世紀は鳥羽上皇の命で信西(藤原通憲)が編纂したもの。大河清盛見た人間としてもとても萌え。)
この時期、列島内の各地で洪水による川筋の変化、川底の低下、海岸部での砂丘・砂堆の急速な発達が発生。これらによりほとんどの集落が分解・解体され、社会不安が強まった。
●直刀から湾刀へ
蕨手刀から毛抜形太刀への変遷を津野仁氏が考古学的に再検討している。
方頭共鉄柄刀(ほうとうともづかとう)から毛抜形太刀への流れの再考。
・7世紀末~8世紀中葉、方頭共鉄柄刀が奈良時代の刀として東国で成立。長さは40~50cm。
・8世紀中頃~後半以降、柄が反りはじめる
・9世紀後半~10世紀前半、柄に長方形の透かしが入る
・10世紀後半、毛抜透かしが出現
・11世紀中頃までに鎬が入る
・11世紀中頃~12、全体に装飾性が増す
例)野辺沢遺跡出土 毛抜形太刀(宗賀太刀)-平安10世紀(展示No.16)
→このあたりは図録の論考で「のべ沢出土毛抜形太刀(宗賀太刀)について」を参考にされるとよさそう。
10世紀後半以降、刀の形が大きく変化している。当時の社会情勢に応じて、日本刀の祖形に変化した。
(源満仲の活躍は10世紀中~後半)
●騎馬との関係
・10世紀前半、平将門の乱。将門記(真福寺本)の奥書を見ても、「騎」の文字が多くある。
→平安時代後期、騎馬による戦いが重要な意味を持つ。
・私的な「牧」の成立。香取社領には保元元年までに「牧」が成立していたことが確認される。
●毛抜太刀の神への奉納
・大神宝の奉献:天皇が即位後に、一代一度全国の主要な神々に奉る
・後一条天皇の内容は「左経記」に記される。寛仁元年十月二日、「神宝支配の事」で確認される。諸国四十五社には野剣一腰が捧げられたと記録にあり。野剣(野太刀=衛府の太刀)が実践に対応して成立した毛抜形太刀を指すと考えられる。
●刀と馬を神へ捧げる(まとめ)
・武器(弓矢、刀剣、鉾、盾)と馬、馬具は5.6世紀以来神への重要な捧げもの。
・10世紀以降、地方官人、荘司が武装する
→後に武士と呼ばれる武力行使の専門集団へ
武力行使する上で重要な武器、毛抜形太刀から発達した湾刀(日本刀)と戦略的に重要な乗り物(馬)が、武士たちが神への信仰を示す捧げ物の中核に位置づけられ、これらが鎌倉、室町時代へ継承される。
■「武士と刀と馬の関係」吉永博彰先生
~中世東国武士の神社信仰と刀剣~(神と刀と武士と)
1.中世東国武士の神社振興
●平安時代から社会構造が大きく変化
・上級官人とその後裔の地方への土着化
・地方官人、有力な土豪
→東国と奥州
●関東の武士
・9世紀末、高望王が平氏を賜り上総介となる。
・平高望は上総・下総・常陸国内の土地開発を進めて上総国内で力を蓄える。
→坂東八平氏
→房総平氏(千葉)
秩父平氏(埼玉)
相模平氏(神奈川)
その他、伊豆平氏(北条氏)、伊勢平氏(清盛)などがいる。
●清和源氏と東国
・河内源氏(源満仲)
→(三男)頼信:平忠常の乱平定
→(嫡男)頼義:前九年の役平定
→(嫡男)義家:後三年の役平定
→奥州藤原氏の発展へ
2.鎌倉幕府の成立神社信仰
●源頼朝と神社信仰
・吾妻鏡に見た神への捧げ物(→詳しくは図録の論考へ)。
・衣(幣帛、調度品、馬具、武具)食(神饌)住(社領、社殿)等各種を捧げている。
・この中で、刀剣と馬が入っていることから、貴重な品として取り扱われていたと考えられる。
(神への捧げ物としても、下賜するものとしても贈答品として選ばれている。)
●武士と刀の物語(駆け足だったので出てきたワードだけ並べる状態になってますごめんなさい)
・吠丸、鵜丸
→ この時代から優れた刀剣には「名前」がつくようになる。
「名前」にはそれにふさわしい「物語」がついてくる。
・執権北条氏、累代の重宝:鬼丸国綱。「太平記」巻第三十三 鬼丸鬼切の事。
(國學院大學デジタルライブラリより)
http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/largeImage.do?data_id=16243&class_name=col_ldl&mDataId=42848&pageNo=28
http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/largeImage.do?data_id=16243&class_name=col_ldl&mDataId=42849&pageNo=29
・「本邦刀剣考」榊原香山(1798)
・『太平記』に出てくる「鬼丸」のエピソードは"初代執権:北条時政"が夢で鬼に苦しめられていたところ
刀に助けられたという話。
→ だが『本邦刀剣考』のとおり、鎌倉の建長寺にいた「国綱」が作ったのだとしたら、
それは"5代執権:北条時頼"の時代になるはずで矛盾がある。
(時政は1215年没、 建長寺ができたのは建長5年1253年)
■剣巻
時間切れ…で終わったかと思いきや、またお話になる方が変わって、ここでミュージアムトークの延長戦始まりました。
図録の羅生門絵巻のところをお書きになった方でしょうか。
「いつもに比べ、これだけ人が来てくれているのは「刀剣乱舞」のおかげだと思っています。(会場失笑)。
私もやってみたのですが、ひげきりが来なくて止めてしまいました(会場失笑)。
そうしたらバチがあたったんでしょうか、誤植をしてしまいまして…」とのこと。
・図録に誤植があります。p.30 羅生門絵巻のところ、「鬚切」ではなく「膝丸」。(誤植はまとめられ、後日HPに載るそう)
・源氏に伝わる二振りの太刀(鬚切膝丸)、草薙の剣を中心に、源頼朝までの歴史を語る物語
天下を守護せよと命を受けた多田満仲が鍛えさせた鬚切膝丸。これらが源頼朝の元に揃うまでを描かれていますよ。
・「ひげきり、字が違うんですよね」と。
髯:ほほひげ
髭:口ひげ
鬚:あごひげ
なので、「髭切」ではなくて「鬚切」ですよと。
■宣伝
●大学のデジタルライブラリに是非訪れてください、とのことでした。
・國學院大學デジタルミュージアム
http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/
・國學院大學デジタルライブラリー
http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/dbTop.do?class_name=col_ldl
●次回企画展
3/21〜4/21、軍記物語。