【BLUE GIANT】たまたまグリユニと絡んで見ることになって余計に感じたんですけどグリユニがとめどなく溢れる想像/創造の肯定をする映画ならBLUE GIANTは内側から溢れる創造をどう届けるかの話だったように見えました
グリユニのことを書き始めると全てがそれになってしまうのでまあそれは別のところを読んでいただくとして。
自分の内側から溢れるものをぶつければそれが必ず届く/届けさせられると信じられる大(タチの悪いことにそれがマジで実現できてしまう、下手すると他人を潰せるタイプの天才で、あの2人でなければ他のプレイヤーをどんどん挫折させていたんじゃないかと思う)、
いかなる手段を用いてでも「届けさせよう」という意思が強すぎて、時に手段を間違えるけどそもそも内に抱えた衝動とテクニックは文句なく素晴らしい雪祈、
彼らと一緒に演奏すること自体が目標であり、解散してしまえばその先で演奏すること自体に執着するほどではない一方で、2人に食らいつくというただそれだけのために並ならぬ努力をすることに躊躇のない俊二、
他にも様々なジャズプレイヤーや彼らを見る人々、そして誰かを「届けさせよう」という人の物語……、だけではないと思うんですけど、少なくとも今私の頭がバキバキにこっち側にチューニングされているもんでこういう捉え方になりました。かなりよかった。
原作読んでないので大きなことは言えないですし、あるいはズレちゃってる可能性もあるんですけど、「生まれくるものを全て肯定する」作品と、「生まれただけでは自分の中にしか存在しない衝動をどう多くの人に伝えるか」を描いた話をほとんど同時に見れたのはかなり僥倖だったと思います。ありがとうございました!