#名探偵ピカチュウ ドダイトスが何故やばいかを語ると長くなるんだけど、
巨大ドダイトスのくだりがよく本筋と関係ないやりたかっただけと言われる点について、むしろ中盤ほぼここへのミスリードなぐらい本筋なの。
ドダイトス、伊達にタマゴグループ「かいじゅう」やってない、感電超大作。
ドダイトス図鑑文章の「おおむかしの ひとびとは だいちの したには きょだいな ドダイトスが いると くうそう していた。」という説明文に心ときめかせてきたファンは多く、そういったファンアートもたくさん描かれてきたし、自分も20th祝いつくす動画で巨大ドダイトスを出したほど。(描いて下さったのは某ひとし先生)
このポケモンがロマンの塊であり、その道理を引っ込ませるロマンこそポケモンのそのものの魅力なのだ。それを映像化してみせた名探偵ピカチュウスタッフには全身全霊で拍手を送りたい。
巨大ドダイトスを如何に成立させているかを整理すると、中盤が全てここに集約した構造なのが見えるだろう。
・郊外の研究所で登場させるとシナリオに組み込まれている
→ライムシティで登場させると「キングオブモンスターズ」になってしまう
・ドダイトスと「成長促進剤」という伏線・理由付け
・普通の大きさについてヒロインに言及させる
→様々な研究が為されている場所だと示すと同時に、「通常サイズはこのぐらい」であることを明確に伝えている。ポケモンファンでさえ正確なたかさはわからないし、このセリフがなければ後に出る巨大なサイズがスタンダードのキャラだと思われてしまいかねない。
・通常サイズの飼育場に対するドダイトスの庭というセリフ
→まごうことなき庭… 追われている緊張感とともに もうドダイトスの登場おわりだなと、思考からフレームアウトする
・ゲッコウガに襲われコダックの念力を発動させるくだりから エスパーの幻覚というミスリード
→予告でも使われていた、あの渡辺謙も出演していた作品「インセプション」で見た悪夢のような地面の盛り上がり、念力によって起こった超常現象なのかと思わせる流れもうまい。もちろんコダックの頭痛と超能力という一連の流れ、ニンジャアクションするゲッコウガも絶対に盛り込みたい魅せ場だったのは間違いない。
・執拗なまでに天変地異のスケール感を描くシーンが続く
→皆が考えるポケモンのスケールじゃない地割れ、ドダイトスだとわかるまで全く本体を写さない徹底ぶりすべては最後の巨大ドダイトスのカットまでの「貯め」あの一瞬のためのシーケンス、セリフ、展開。
(追記:意外性ある仕掛けというニュアンスよりは「ドダイトスの庭だったんだ…」までのカタルシスの積み重ねですね ドダイトスサーチしてても察しの良いファンの皆さんならだいたいこの辺りで気付いてるんですよね。自分は地割れの下に川が流れてたとこでした。結果を知っていても何度見ても楽しいと思います。
…とはいえ伏せたい意図も汲んで、内容についてはリプライご遠慮頂けますと助かります。)
・やりすぎスケール しかも一体じゃない
→全景を見せる時ティムたちは見えないほど。容赦はしない 道理はひっこめ
・ここでポケモンファンなら聞いたことのあるだろう「大昔の人々の空想」が本当になった
→同様にこの映画自体がポケモンがいる世界を描いたものという構造をとっている。終盤のアニメデザインのポケモンバルーンとあわせて、虚構と現実、メタの多重構造。完璧。
悔しいことに自分が巨大ドダイトスを演出するとしたら、具象的にポケモンを出して巨大感を見せてしまうだろうなと、そのために人と並んで画面に映してどちらも認識できる程度の大きさでとどめてしまっただろうと…『名探偵』では、ドダイトスを知ったなら誰もが一度はする想像を はるかに超えたスケールで 常識を疑うほどのカット数をかけて表現してみせた。中盤の一見ポケモンに関係ないような芝居と演出が多くがこのドダイトスのロマンのためのものなのだ。
創作行為に携わる一人として非常に打ちのめされた。「絵」ではない。これが「映画」体験。
あんなに尺を割いてまでこれをやるというのは並大抵の覚悟ではない。やってみたかっただけという以上に、今ここでぶちこまなければ今後機会もなかっただろうと、そして絶対に面白くなると確信して作っている。そこに痺れる(ry
・あのあとどうなったの(投げっぱなし)
→自由に妄想しましょう 楽しい!
背中があそこまで馴染むぐらいあの場で寝てたし、水源も近いしまた静かに眠るんじゃないかな…
超能力酔で途中からほんとに妄想だった表現という解釈でもいいかも。その境目が無い夢と冒険の世界なので。
そもそも必要なものだけあれば良いのであれば映画もゲームも見なくていいだけだ。本筋だけではなく「最高に楽しい無駄」を提供してくれた『名探偵ピカチュウ』の真髄だと断言しよう。
ここがドダイトスの庭だったんだ…