「私たちは、ゴミではない。」
ジャニオタトレンド一位騒動についての見解
#SixTONESANN #神田沙也加
どんなことよりも、まず始めに。突然の訃報について、神田沙也加さんのご冥福をお祈りいたします。
そして私のフォロワーへ。内容が内容なので、いつもマシュマロは真面目に答えてるけれど万が一にでもふざけてるように思われて揚げ足をとられるようなことがあったら嫌なので、いつものような「~だぬ」という語尾で言葉を紡ぐことはしないけど許してね。
すごく嫌な話にはなるけれど、私の口にした「ご冥福をお祈りいたします」という言葉は、間違っても「SixTONES界隈の保身のため」に言ってるのではなく、私自身が誰かを大切に思ったことのある一人の人間として、かけがえのない命が失われてしまったことを悲しんでいる含みのない言葉だ。今回のことを思うと本当に胸が痛い。
その上で、つまりは「いま言ってきたこととは完全に切り分けられたものだよ」という前提のもとで、今回のトレンド騒動についての見解を話していきたいと思う。もしかすると私の文章力の問題でそうは読めない箇所が出てくるかもしれないけれど、私自身は本当にそう思っていることをどうか一先ず信じてもらえたらと思う。
そもそもとして、"SixTONESのラジオのハッシュタグを使っており、かつ「神田沙也加さんが一位だ!負けちゃった」というような呟きをしたファン"の"全て"が、昨夜の神田沙也加さんの騒動について知っていたはずであるという前提そのものに私は懐疑的だ。
必ずしも知っていたとは限らないし、「その人(やモノ)がトレンドの一位にいるのかを常に知ろうとしなかったことが悪だ」と怒っている人が怒っている人たちの"全て"ならまだしも、実際はそうでない人が多いようにみえる。というかそれでも「オタクたちの全員が全員、トレンド一位の騒動に目を通してツイートを控えるなんて現実的ではない」し、たとえどんなに民度の良い界隈であったとしても一定数、事態を知らずに呟く人が出てくるのはどうしたって防ぎきれない事態でだろうと強く思う自分がいる。
それに、神田沙也加さんの身に起きた騒動を知っていたSixTONESのファンが、「神田沙也加、トレンド一位で邪魔だな~」というようなことを口にしていたとして(というかそもそも本物のなかに混じるモメサやスト担アンチ"も"参加している可能性だって大いにあるだろうし実際私もいくつか見かけた)、それってSixTONESのファン"だから"起こったことだと結びつけるのが本当に適切なのだろうか。それって、あまりにも安直すぎやしないだろうか。
たしかに私たちはSixTONESのファンという意味では同じ場所に属している仲間のようなものだけれど、各々をみればやはりそれぞれが違う思想をもった一個人にすぎない。もちろん実際に神田さんの騒動を知ってなお、トレンド一位ほしさに悪意のある言葉を吐いたSixTONESのファンがいるのであればそれは本当に恥ずべきことであるという立場であることには変わりがない。
そういうことも加味した上で、「これだからジャニオタはゴミだ!」、ひいては「SixTONESのオタクはゴミだ!」と非難をしている人たちの行動が本当に適切なのだろうか。
人の死というセンシティブな出来事を前に、もしくはジャニオタというものに付きまとった偏見を元にして、本来するべき思考までもを停止してしまってはいないか。私たちは「SixTONESのオタクが(もしくはジャニオタが)どうもすみませんでした」と必要以上にペコペコする必要が本当にあるのか。
気持ちはわからなくもないけれど。だって、ここまで叩かれてしまったら、ここまで火種が大きくなってしまったら、どんな正当な訴えかけがそこに存在していたとしても、ひとたびそれを口にすれば火に油を注ぐことにしかならないから。黙って頭を下げ続けるのが賢い場面だってあるのかもしれないってわかってる。そんなの現実世界でも嫌というほど見てきたし、わかってるけれど。わかるからこそ、頭を下げるジャニーズオタクやSixTONESファンに「頭を下げるな!!」なんて言わないし、言うつもりもないけれど。
私たちは、ゴミなのか。
私たちが愛し、ゆっくりと育ててきたSixTONESファンという共同体って、ジャニーズオタクというコミュニティーって、そんなものなのか。
私は、ジャニーズを好きであることにも、SixTONESを応援していることに、そして彼らのファンであることに大きな誇りを持っている。
そして、それを「ゴミ」と言われることに「YES」を示せない。私たちの愛してきたものって、そんなものだっただろうか?
違う。
たとえ火に油を注ぐことになるとわかっていても、ひとつも聞き入れられなくても、自分の信じるもののためにNOを示さなきゃいけない場面がある。私の誇りと信念に誓って、譲れないものがある。
私たちは、ゴミではない。
私たちをゴミと、クズと、もしくは見るに耐えない言葉でひとまとめにして罵倒したあなたに言いたい。
私からあなたへ。
あなたは、人の死を悼んだがゆえに、私たちのことをひとまとめに「ゴミ」と呼んだつもりでいるかもしれないが、実際には人の死というものを隠れ蓑にして、より人を"死"に近づける「言葉の暴力」をふるっているだけではないのか。
あなたは、人の死を悼む口実で、無意識に人の心を殺める暴力をふるっている自覚はあるか。
その暴力は、正当か。
誤解のないように言っておきたい。誓って言うが、これらのことは、私がジャニオタだから、もしくはSixTONESのファンだからと無条件にそちらに肩を寄せる形で擁護して言っているわけではない。
以前から常々私は口にしているが、「誰が言ったかではなく、何を言ったかが大事だ」と思う。それは私自身にも適用されることだ。属している場所から言葉を選ぶのではなく、私が私自身として私の言葉を発信することに意味がある。今回のことはもし私がジャニオタでなかったとしても、もし私がSixTONES以外のジャニーズグループのファンだったとしても同じことをいうと誓える。
それでも殴るというなら、私はもう何も言わない。ハナから聞く耳を持たない人には、どんな言葉も届かないから。
それでも、誰かに何かが届くことを願って、この文章を締めくくりたいと思う。
言葉は救いにも、凶器にもなり得る道具だ。