#でーどくしょ
思いついてしまったので、続きがあると聞いても書く、SCP-536-JP「がきじろ」についての考察・感想文
SCP-536-JPは「村での餓鬼供養を担わされ、生きながら餓鬼道に堕とされた家族の話」ではないかと
[オブジェクト記事に関して]
タイトル: SCP-536-JP - SCP財団
URL: http://scp-jp.wikidot.com/scp-536-jp
作者: Pear_QU(@pear0001sub)様
ライセンス: CC BY-SA 3.0
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素晴らしい作品を投稿してくださった作者様に感謝。
作者様による続きがあるとのお言葉はこちらで確認
https://twitter.com/Raise_high_card/status/1275287628200329218
なので、この文書は、taleが来る前の私的な感想文となる。シンピョウセイ、ウスイ(;´Д`)
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最初に、端的に、私がこのSCPオブジェクトについてまとめた感想を書く。
「ミッドサマー イン ジャパン」
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まず、記事で確認できるオブジェクトそのものについてを箇条書きしてみる。
財団が求める情報は以下の通りだろう。
・SCP-536-JP (メタタイトル:「がきじろ」)
・オブジェクトクラスはSafe。収容方法も確立され、隔離保管によって現状は完成。一般的な稀覯本の保管法
・表紙に「いた」と書かれている、日本語の日記帳(以下「日記」)
・物理的な異常特性無し
・若干異質感を覚えるが、内容本文は日記。ほぼ文書のみで構成される
・日記の本文・転写・スキャンしたデータに異常特性。特定のページ(日付)を読んだ場合に暴露する
・暴露した読者は、そのページに書かれている内容を長期記憶できず、また忘却によって人に話すことができなくなる
・異常特性は財団が標準的に持つ対ミーム予防処置技術、記憶補強薬の服用で一時的に対処可能
・(推測:故にこの報告書では内容の記載はされていない。が、読むことは可能であり、知識として持ちうる)
・異常特性に暴露しない最後の(最新の)日付記事に、他とは違い写真が添付されている
・写真の裏地には「あわせて」と書かれており、写真は報告書内にも添付されている(推測:故に異常特性無し)
また収容に直接関係の無い、財団による発見時に判明した内容をまとめると、以下のようになる。
・SCP-536-JPの発見者は非財団の一般人。異常特性による記憶障害のカウンセリング記録からエージェントが確保と隠蔽工作
・一般人による発見場所は宮崎県児湯郡で行われた古本市。1992年6月開催
・昭和51(1976)年6月15日から同年8月17日までの日記
・異常特性をもつ日付は6月21日、7月19日、8月5日、8月17日
・報告書に抜粋されている日付は上記を含まないが、同時に飛び飛びである(推測:なぜなら、一般人のカウンセリング記録の内容は報告書内の抜粋には存在せず、また毎日書いてあると証言)
・日記の内容は異常特性の有無に関わらず異質。家族に起きた「不幸な出来事」の列挙が主となる
・異常特性を持つ記事は、それに加えてことさら「怪異性」が強く、少なくとも発見者である非財団の一般人には不可解である
・(推測:その記事は不可解ではあるが、起きていることは書かれている人間にとって致命的な何か、というわけではない)
・抜粋されている記事のうち、8月4日、8月16日の二つは、主語や目的語にあたる語がない(推測:故にそれは日記筆者の不幸である)
・抜粋されている記事のうち、一般的ではない単語・地域性に富む単語については、財団職員に寄る注釈がついている
そして発見後の調査によってわかった事実により、素性を探るための調査が財団職員達によって行われた。その結果わかったことのまとめが以下。
・日記の著者(以下「著者」)は、古書市と同じ宮崎県児湯郡に住んでいた「穏坊」家の成員である
・穏坊家の人間は調査開始時全員死亡か行方不明(推測:故に遺物となった日記が市へ)。調査の対象が地域そのものとなる
・調査対象となったのは宮崎県児湯郡西米良村(以下「村」。また穏坊家以外の村民を「村民」)
・村では餓鬼信仰が未だに残っており、餓鬼供養を(一般的なものよりも)懇ろに、行わなければいけない
・村で餓鬼と言われているものは、血や涙を啜るもの(仏教的には「少財餓鬼」と呼ばれる)
・餓鬼供養は一般的な施餓鬼のそれではなく、血や涙などを調達する
・調査の結果は上記の事がわかったのみで、新たな異常物品も無く、異常特性の由来も隠坊家の(記載のない・出来ない)出来事も不明のまま
・調査にあたったメンバーは、精神の不調を調査後に訴えた。カウンセリングと休養でそれは快復した
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以上長々と続けてきたが、これが上記を書く上で参考にした版(24 Jun 2020)の報告書の簡易な、推測を織り込んだ箇条書きまとめである。これらをベースに、私の感想からの考察「村での餓鬼供養を担わされた家族の話」を導き出してみよう。
なお、メタ的な観点もそれに含むし、また報告書に誤謬は無いということを前提にしている。
導き出すに当たっての道程は、「報告書をなぞってわかる感想、から来る担わされの痕跡」「その言葉が持つ意味から探る」「日記」「写真」「妄想:日記」「妄想:なぜその異常特性が発現したのか」「妄想:メタ」「まとめ」という流れで行いたい。結論自体は最初ので出てくるので、残りはそれの補強、あるいは私の稚拙なこじつけ、が以下の文の主体だ。
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私が出した考察へは、なぞって読む事で自然と読者にそういう雰囲気が導かれる、と思っている。メタタイトルにも含まれる、怪異の正体の最有力候補である「餓鬼」に関する記載が、最後の調査で判明するからだ。一般的な怪談では最後に縁起や因果というものを載せる流れであるし、SCP財団コンテンツでもその流れは多い。また、日記の著者である隠坊家への地域住人の態度を見ると、ミステリーで言えば探偵が証拠をツラツラと並べていくと、犯人がたまらず自供しその原因を吐く流れにすら思える。少なくとも、後ろ暗いなにかがあったのだろう。
村民が穏坊家(の話)に対して表情を(恐らく)曇らせていたのには、村民が加害者であるか、あるいは被害者であるか、そのどちらかだろう。そして口減らし等の、現代から見たら忌まわしいような描写、そしてそれが行われる為に「血や涙」を積極的に「調達する」、という描写は、村民が加害者サイドであるとして描いていると言える。
もちろんこれはひっくり返す事ができ、「血や涙」を調達するために穏坊家が自・他家に対して暴虐の限りを尽くした、と言う展開も十分に有り得る。だがそれだと、後述のこじつけ、をする余地として今まで描かれていた報告書の事実のほとんどは意味がなくなるか弱くなり、メタ的に考えてその線は薄いと思われる。そもそもそれで日記が財団の目に止まる流れそのものが不自然になってしまうのではないだろうか。
なお、あり得る可能性として先に書いておくが、「風習が廃れているというのは嘘。未だに村の中で行われていて、たまたま死に絶えた穏坊家のだけ表に出た」「風習が残っているかいないかに関わらず、穏坊家が供養していたそれだけが周りの家と比較して強かったため滅亡」「日記を書いている人間は、外部の家か、あるいは人ではない」というのもある。どれも怪談やSCP財団コンテンツとしてはあり得ると思うのは、作者様の力量の高さを示すものだろう。
ではその被害者になったと思われる「穏坊」家とは一体なんだろうか。報告書には、著者がその構成員である、と書いてあるだけだ。なので一瞬叙述トリックを疑った。例えば「著者は穏坊家の人間だが、日記に書かれている被害者は穏坊家の人間ではない」等が出来てしまうのだが、それだと後述のこじつけが合わなくなるし、なら逆に「[編集済み]であっても作者の名前が報告書に記載されていないし、日記の抜粋を見るに著者の名前は伏せられている。だが他の被害者の名前はあるし、それを見て穏坊家の人間だと著者を判断したのであれば、著者が穏坊家の人間ではない」という叙述トリックも出来るなと思い、あまりに不毛なため取り下げた。なお、名前が未記載であり、上記まとめで「著者だろうか」と推測している箇所だけが、実は餓鬼や他の村民によるものである、というのも考えたのだが、それならそう書くか、そうかもしれないと推測できる情報を書いているだろう、とメタ的に考えて却下する。
閑話休題、穏坊家の穏坊とはなにか。検索してみると、恐らく同じ読みである「おんぼう」として「隠亡」というWikipedia項目が引っかかった(「ひょっとして」機能であるが)。
Wikipedia「隠亡」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E4%BA%A1
隠亡、は「隠坊」「御坊」「煙亡」とも表記される、死体を荼毘に付す職業、のかつての言い方らしい。その歴史的経緯から賤業とされ、差別的なニュアンスを持つ単語らしい。検索を深めると、そのニュアンスで「穏坊」と表記されている例すら見かけた。こういった、死や霊的な側面に近いことと、被差別的なニュアンスから、名前とするにはもってこいだったのではないだろうか。また、穏坊や隠坊の坊は坊主の坊であり、餓鬼という仏教的概念を扱うにはこれまたふさわしい。なお、穏坊という言葉もかつて存在していたそうだが、それは花柳界での医師、すなわち性病専門の医師の事を指し、その名の由来の多くは隠坊から来ているそうなので、同じものとして考える。「田舎の閉じた性」というエロティックなテーマと「餓鬼と膿」というものから性病由来も面白そうだが、それ以上に伸びしろがないので棄却する。もっとも、津山三十人殺しを語る上で必ず当時の夜這い文化が言及されるように、テーマそのものとしてオカルト文脈ではネタとして使えるものであるし、日記の記述にもわざわざ夜這いが出てくる程ではあるのだが。
Weblio「穏坊」 https://www.weblio.jp/content/%E7%A9%8F%E5%9D%8A
そして今回の怪異の根本であると目されるアノマリー「餓鬼」について探ってみる。前述したように、この村での餓鬼は「少財餓鬼」を指す。少財餓鬼は「血や膿、人間の糞尿や嘔吐物、屍など、不浄なものを飲食することができるといわれる。」とされている(「阿毘達磨順正理論」)。ここで注目したいのは、報告書に記載されているが、資料や簡単に調べた範囲では「涙」について記載されていないということだ。これは後に言及する。
Wikipedia「餓鬼」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%93%E9%AC%BC
では、メタタイトルとなった「がきじろ」とはどういう事だろうか。本文中には餓鬼精霊(ガキジロ)と存在が呼ばれているものを確認でき、似た響きの言葉として「フケジロ」も現れる。報告書内では財団職員の注釈によれば外精霊と書くそうだがこの「外」を「餓鬼」に言い換えたもの、と考えるのが報告書を読んだ上では自然な推測の流れだろう。しかしココであえて「はずし」てみると、「がき」は餓鬼として、「じろ」を、一つは「依代」という意味のしろ、が訛ったものと仮定できる。餓鬼の依代、すなわち餓鬼が顕現したことを指す。あるいは「餓鬼城」として、餓鬼が居る家、を表したものと見ることも出来るかも知れないだろう。
さて、いよいよ、SCP-536-JPのアノマリーとしての本体、日記の内容に言及していこう。
報告書に抜粋されている記事が日付的に飛び飛びであることは、発見者のカウンセリングから推定できる。抜粋された日付には、特定の規則はなさそうではあるが、異常特性をもった日付はすべて仏滅なのは特筆に値するだろう。では、抜粋されている記事ではというと、6月15日「日記初日。和子が指を挟み腫れる」8月11日「信雄がフケジロに会ったと泣く」の二つが仏滅に起きている。ここで私は、この二つの出来事が、異常性を発揮するほどではないものの、餓鬼の関わりが深いものなのではないか、と考えた。
また、名前から察するに、餓鬼の供養となる膿や吐瀉物を生じてしまうような被害を受けているのは、女性ばかりである。抜粋が全体ではないこと、また写真が家族構成を表すものではないか、ということを考えると、単に女性のほうが家庭内に多く結果的にそうなった、とも言える。だが同時に、盆の起源となった施餓鬼において、その元祖の一つたる「盂蘭盆経」で最初に供養される事となる餓鬼が、盂蘭盆経の主役、目連尊者の母親であった、という事が無関係であるといい切るには縁が遠くないように思う。
Wikipedia「盂蘭盆経」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%82%E8%98%AD%E7%9B%86%E7%B5%8C
日記の終わりの日が盆であることも特筆に値する。もっとも、本来盆は7月15日なのであるが、商売上の文化などで8月15日まで伸びた「月遅れ盆」であり、翌日16日に盛大な送り火等が各地で催されるのは言うまでもないだろう。そう、問題なく閲覧できる最後の記事「嘘をつかれる」が16日だ(そして最終日にして異常特性を持つ17日は、前述の通り仏滅)。
現在では先祖の霊を精霊として迎えるのが盆である、ということになっているが、前述の盂蘭盆経にもあるように、本来は餓鬼供養、施餓鬼としての側面が強かった。これは村において餓鬼供養が重要であったことと符合するだろう。
施餓鬼として供養する際に、施餓鬼法と呼ばれる修法があるようだ。それにあたって、独特の作法が存在している。詳しくは後述のリンクを参照していただくとして、その作法が存在する理由として、餓鬼の特徴が挙げられている。その中には、餓鬼が光、日の光は勿論のこと、灯明をも嫌うというものがあった。これを穏坊家に当てはめると、家の中が非常に暗かったのではないかと推測することが出来るだろう。となると、「台所で指を切る」「追いかけっこしてて机の角に頭をぶつける」「扉に指を挟む」「階段の手摺に目をぶつける」「玄関で転んで上がり框に頭をぶつける」「酒をこぼす」「椀を落とす」「夜這い」という外因性の強い日記の記述の大体は、すでに日没後か家の中が暗いことがその原因として挙げられるのではないだろうか。(これで明るくなったろう。ヨシ!)
Wikipedia「施餓鬼」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%BD%E9%A4%93%E9%AC%BC
日記に出てくる食物に関する事も興味深い。出てくる食物は、「菜」「唐芋(さつまいも)」「だれやみの酒」「芋粥」「ぬか床(につけられたもの)」である。そのうち、食べている描写が出てくるものは「芋粥」のみである。芋粥は昭和50年代の田舎で生活する農民の食事としてどれぐらい普遍であったのかはわからないが、現代の感覚からしたら少々粗食だ(無論、菜などを添えてあったのかもしれない)。この芋粥という食事、餓鬼が憑依する「餓鬼憑き」においては典型的な対応の食事であるとされている。ヒダル神にも相当する餓鬼憑きの空腹に対し、新潟県では粥や雑炊といった軽めの食事を出すという。また伊豆諸島の漁師は磯餓鬼という海上での餓鬼憑きを恐れていたそうだが、その対処として芋(恐らくさつまいも)を持参したという。保存食としての有用性に加え、現代科学から見た餓鬼憑き・ヒダル神の正体の一つ、ハンガーノック対策として糖質を持つことの有効性の証左であるが、これにも何らかの意味付けを考えてしまうのが考察者の悪い癖だ。
Wikipedia「餓鬼憑き」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%93%E9%AC%BC%E6%86%91%E3%81%8D
8月16日に添付されている写真、これは記事の顔ともなっている(作者様のTwitter投稿でも、この写真が一緒に投稿されている)ため、内容を考察する上で避けて通ることは出来ない。なお、「あわせて」の意味の一部は後の妄想に委ねる。
まずこの写真、ぱっと見て異常な箇所は、右側中央に位置する顔(以下「アノマリー顔」)だ。これがこの世のものではなさそうである根拠として、色合いも異常ながら、なにより立ち位置がおかしいことが挙げられる。アノマリー顔は黒背景に白い顔が浮かび上がっている構図だが、この黒背景は空間ではなく、後ろにあるふすまの枠、化粧縁の黒塗りである。また底部を見ると、手前側にタンスがあるのだが、ふすま下部の敷居とタンスとの間には空間がないように見える。すなわちアノマリー顔が浮かぶ箇所には、人間が居るには物理的に不可能であるように思える。心霊写真の類型の一つ、存在できない場所にある顔であり、アノマリー顔がまさにアノマリーである事の証明となる。そしてそれはつまり、穏坊家に起きた怪異の象徴であり、すなわち餓鬼である、という式が高い確度で成り立つだろう。
アノマリー顔は何をしているのかというと、写真に映る人間を凝視している。視線の角度を考えると、どうも見ている人間は、中央若干右上に位置する眉毛の濃い男性、ではないだろうか。そして私はこの男性を、日記の著者として推測している。日記としては極めて人格面を排除されている記述だが、私がそうであるからなのか、ある年齢以上の男性であるように感じられた。また、敬称などが一切廃されているため、家長である(故に年齢が一番高齢層な、中央で口元が隠れている男性)であるとも推測ができるが、当時は核家族ではない家庭(特に都市部ではない家)も多く残っており、単純に年長者=家長とはならない(例えば親戚であるとか、著者が若いほうであれば、叔父など)構図もあり得る。またそもそも日記という体裁をとってはいるが、その実は報告書的な側面が強く(故に淡々と出来事が記されている)、それなので敬称や続柄に配慮していないとも取ることが可能だろう。もっともその場合、自分の名前を記載していないという謎が残るが。
日記の8月4日には「目があった」とだけ記されている怪異が有る(その次の日に異常特性がある)。この目があった、がわざわざ怪異・不幸として書かれているということは、すなわち視線を合わせることが奇異であるという証拠であり、その相手が著者と餓鬼であると推測するに足る。餓鬼は本来視線を向けられることを嫌う(これも施餓鬼の作法の中にある)のだで、見てしまった・そして向こうもこちらを見ていた、という事は確かに禁忌に近い不幸だと言えるだろう。そして餓鬼の視線はそれ以前・それ以降も、著者に対して向けられていたのではないか、と考えると、アノマリー顔の視線を受けている一人、写真の若い方の男性を著者だと考えた理由になるだろうか。
また私の第一印象を覆すようにして思考すると、著者は一番左上の比較的若い女性、なのではないかとも思う。顔に特徴がある(後述)のと、前述のアノマリー顔の視線の先にあること。そして女性であれば、横暴に振る舞う家長(やそれに近い男性)を名前呼び捨てで書くことにも違和感は遥かに薄れる。この二者の違いは、のちの「あわせて」考にも影響する。
さて、SCP財団コンテンツとして、この写真は元の写真から加工されたものであり、(加工の有無を問わず)本来の写真そのものが持つ意義とは変えられている。これはSCP財団のオリジン(両方を指す)からそうであり、宿業である。だがあえてその禁忌に触れ、オリジナルの写真と「あわせて」、その違いを見てみよう。もっとも、だからといって写真のオリジナルに対する印象が変わるわけでもないし、そのオリジナルが持つ意義を本SCPオブジェクトの解釈に用いるわけではない。(大変めでたい写真である)
写真のオリジナルのURL: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hosokawa_family_1957.jpg?uselang=ja
写真のオリジナルのライセンス: CC BY 2.0
写真の作者(撮影者): Yasuhiko Ito氏(2010年公開 1957年撮影)
写真同士を比較すると、アノマリー顔の有無がまず大きく違うわけだが、それ以外にぱっと見て取れるのが、全体の写真としての「暗さ」だ。特に、撮影の際の光による照り返しがほとんど(左のタンス上部を覗いて)排除されており、全体的に「明暗」を暗くしてコントラストを下げた様な写真になっている。そして、元の写真では確認できる大きさの瞳のほぼ全てに照り返しがあるのだが、それが全て、丁寧に潰されている。左タンス前のつづらの模様の残り具合やタンスの木目の残り具合からみても、単に縮小→拡大によって潰れたとは思えない。
加えて、何名かの目に、これまた潰れた・着色された、以上の差異を見て取ることができる。中央若干左の若い女性(少女とも言えるかもしれない)の左目は目玉以上に若干大きくえぐれているかのように空虚であるし、その真後ろの女性の左目は、大きく歪められて下を向き「まるでこちらを左目だけで直視しているかのようだ」。その左の女性の右目も、元の写真と比較すると圧倒的に違和感を覚える程に肥大化している。これら大きく目が加工されている女性3名は、先に著者として挙げた若い男性に向けているアノマリー顔の視線の延長線上にある(あるいは、若い男性を見ていない可能性もあるが)。
日記の記述から判断すると、中央の若い少女が恐らく「明美」ではないだろうか。左目の損傷具合がそれを物語る。またその背後の女性が階段の手摺に目をぶつけた「和子」ではないだろうか。もっとも、これらに関しては、写真の撮影された時期が日記の殆どの記述の後である、という前提あってこそではあるが。
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ここから更に強い電波、妄想が発生する
アルミホイルで心臓を包もう
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依然として残るのが、「8月16日に起きた『嘘をつかれる』とは」「写真の裏の『あわせて』とは」という大きな二点だ。これについて、「写真は8月16日に撮られ、現像された」という前提の上で、話を進めよう。
8月16日につかれた嘘、これを私は大きく分けて二つ考えた。
一つは「餓鬼供養を行うことで、8月16日、盆の終わりによって餓鬼が収まる」というものだ。その餓鬼供養には、家庭の中で起きた事も外(すなわち穏坊家以外の村民)から起きたことも含む。それが嘘であった、という証拠として「合わせて」日記に掲載されているのがあの写真であり、それに映る餓鬼が根拠である。
もう一つは「先に逝った親族(おそらくは子供)の供養のために、餓鬼供養を行っていたが、供養されることがなかったと8月16日に気がついた」またそれの発展型として「餓鬼のように生活し供養することで、一種の降霊儀式のように振る舞い、餓鬼(となった先に逝った親族)と会えると信じていた(が、会えなかった)」というものだ。調査記録にある「口減らしの伝説」と合わせれば、そのようにして間引いてしまった子が復活する、と考えるという物語も推測することができる。この場合、写真のメッセージは「会わせて」となり、書き手は女性(最奥左)ではないか、という推測に傾く。
そして最後に、それら二つを会わせて「餓鬼供養のつもりが、餓鬼そのものになってしまい、今も霊的に存在している」というものだ。供養のために行っていたか、あるいは降霊のためかは不明だが、餓鬼に親しい生活によって餓鬼へと、生きながらなってしまった。
こんな文書を書いておいて言うのもなんだが、これらの総合としての推測は、そこまで重要ではない。そういう雰囲気のある背景があるんじゃないか、と思わせることがホラーには重要だ。そしてそれは、作者様が書かれる続編的TALEで明らかになるか、また新たな情報が加わるだろう。殺されるかも知れないが、それを好奇心で持って掘り待つのが、我々読者だ。
そして、財団として残る謎が、本オブジェクトが持つ異常特性の正体、ないし根本である。
私はそれを「餓鬼、あるいは怪異存在がそれを喰らうから」と推測した。
報告書に記載されている餓鬼が食うため、供養となるために、生み出されるべきもの、それが「膿と涙」という表現で何度も繰り返されている。膿、あるいは血、あるいは嘔吐物、などは、実際の少財餓鬼もそれらを啜るものである、とされている。しかし涙を啜るというものはなかなか見つからなかった(餓鬼になっての責め苦が辛いので泣いているものはいる)。なのに何故この報告書では涙が出てくるのか。私の考えでは、涙は無論生理的な反応や防御反応として発生する事もあるが、記憶を振り返ったり同情したり、苦しい目にあった時に流すものでもある。餓鬼やそれに類する怪異は、その涙を啜るために、思考そのものまで食い尽くして占領するのではないか、と考えた。あるいは、財団の記憶増強剤によって記憶を保ち続けることが可能なら、読んだ内容の記憶そのものが餓鬼にとっては咀嚼した結果の涙と共に結びつき、反応そのものを喰らうために記憶にも食らいついているのではないか、と考えられる。故に、村民が穏坊家に対して違和感のある反応をするということは、加害や被害でなかったとしても、既に餓鬼に食われて「話すことが出来ない」状態だったのではないだろうか。
以上が、報告書から考えた私の感想、手前勝手な妄想文である。
では、更に(蛇足感は否めないが)メタ的に解釈してみよう。
記事のDiscussionにもあるが、このSCPナンバーは前に記事があった。SCP-536-JP「視線」というSafeオブジェクトで、無数の瞳からできた馬の彫刻(認識災害により、全身が花で覆われているように見える)だ。近づいた人間に対し体から宙に浮く目玉を排出し、その目玉は対象から1mの距離でつきまとい、延々とジロジロ見てくる。その視線に応じてストレスを感じる、というオブジェクトだった。つまり、SCP-173のメタ的な作品とも言える物体だ。この作品と同じナンバーとして投稿されたということは、現在の「がきじろ」にも視線の要素が重要である。それはどこに現れるかというと、日記の中の「目があった」と、写真の人物のほぼ全てが「こちらを向いている」ことである。写真の出自からして元からこちらを向いているのは理由があるのだが、目の部分を加工されている最奥中央の女性は、実はオリジナルの写真だと視線が若干ずれている。にも関わらず加工までしてこちらをガン見させている理由は、写真の中の人間、餓鬼として精神体となっている存在、が見ることによって……第四の壁をぶち抜いてこちらを見ている。だとすれば、「がきじろ」は餓鬼がじろっと見てくる事を指すかも知れないし、「あわせて」とは、「視線を合わせて」ということだ。それが何らかの禍事で有ることは、日記(まだ餓鬼ではない)の記述で明らかになっている。
何故私が「第四の壁をぶち抜いて」、つまり我々現実世界の読者に呪詛を含ませていると考えたのか。それは調査記録の最後にわざわざ付記の様な形で書いてある「調査隊の精神不調」である。調査隊員が記憶増強剤を利用して本文異常性を確認したのかどうか、については記載が無いものの、ひとまずそうしていないと仮定して、具体的な話をせずとも穏坊家に対して思いを馳せてしまった段階で、後に引きずったという描写である。これはすなわち、同じようにSCP-563-JPを閲覧し意味解釈し、脳で咀嚼した我々もまた、この調査隊と同じような状態になっているのではないか、という「呪い」である。また、我々が「がきじろ」の核心について語れないことそのものが、実はすでに異常特性に暴露している、故にわからないのだ、と言う解釈も可能だろう。
作者様であられるPear_QU様の他作品や、参考になさっている作品に、こういった類型が見られることも付記しておこう。「てうぶく」では「おつかれさま」であり、かつ、それは「話を聞いて同情や思いを馳せる」だけで「手遅れ」で「逃さない」になってしまう代物だ。SCP-511-JP「けりよ」については「しんに」で「のろい」や「<!-- ソースを見ないとわからないため無視 -->」の具合が非常に良い。私はソースをみて「おぉ、こんにちは、ありがとうございます」と思わず呟いてしまった。「しんに」の「嘘」に関しては、洒落怖の「リアル」に代表される読後感を覚えた。また「無縁」では神代文字や(7)の方もあるのだが、Discussionにて指摘されている「みさき」(「忌録 document X」阿澄思惟著 収録。またwebページ版もあり)との類似性があり、ではその「みさき」(るversion)はどうなっているかというと、大祓詞を逆さまにした詠唱が延々と続く。というように、作者様の丁寧な「悪意・禍事」の描写がある以上、これを期待してしまうのも仕方がないと言い訳しておこう。
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SCP-563-JPは非常に内容の濃い、素晴らしい作品である。
日付からは「盆」を意識せざるを得ず、また宗教に関係なく想像しやすい「餓鬼」という存在を用いて、禍事を想像させ、私の邪推が当たっていれば第四の壁を抜けた呪詛すら含ませている。
ケルト神話・文明に知識がある人間が映画「ミッドサマー」を見た時に覚える味わい深さと同じようなものを、「がきじろ」を読んだ時に覚えることが出来た。まさに、和ッドサマーだろう。季節も近いし。視線の方のSCP-536-JPが花にまみれているのも面白い(私はあの映画のラストカットで「ゆっくりしていってね!」と思わずにはいられなかった。ウイハルー)。
私ごときが考察できる内容よりも、恐らく作者様が考えていらっしゃる内容は深いのではないか、と私は考えている。予告されている追加のTALEが、今から楽しみでならない。「けりよ」に対する「しんに」であれば、ひょっとしたら、写真を更にレタッチするかも……
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なお、完全に蛇足だが、写真の若い方の男性が、私が中高とお世話になった教師と非常によく似ていた。特に眉毛。