ファフナーBEYOND 4〜6話の操、SDPで自身の死期を悟った段階ではまだそこまで死を恐れてはいなかったと思うんですよね
彼が死ぬことを強く意識したのは容子さんとの喧嘩の後
(恒例の長文) #fafner
SDPで自身の死を悟った瞬間、操は自分はミールに命を学ばせるためのコアとして生と死の循環を繰り返すんだと語ってて、この時点では死への不安は多少あったとはいえそれを受け入れているんですよね。
しかし容子さんとの喧嘩の後、彼は美羽の前に現れて「世界が平和になったら美羽を食べてもいい」という約束を破ってでも生きたい=死にたくないという思いを露わにする。
精神的な幼さを残しつつも約束は守らなきゃいけないものと理解している彼がそれでも尚生きたいと願った理由、やっぱり容子さんとの喧嘩の中で生じたものなんですよ。
容子さんとの会話の中で「お母さんは娘を2人も亡くしてるから子供が死ぬのに慣れてる」=自分がいなくなったとしてもきっとお母さんはそれを乗り越えていけると言った操は容子さんとすれ違ってかなりきつい言葉を浴びせられてしまうんですが、同時に容子さんが今も尚心の中では翔子とカノンを失った悲しみを抱え続けていることにも気づいてしまう。(操には読心能力があるので)
そして自分のことを翔子やカノンと同じように我が子として愛してくれていることも。
自分がいなくなった時に翔子やカノンの時と同じような悲しみを容子さんに背負わせてしまうこと、そしてその悲しみはどんなに時間が経っても完全に癒えることはなくそんなに簡単に乗り越えることはできないものであることを操は知るんです。
自分が死んでしまうことで大好きなお母さんにこれ以上悲しみを背負わせたくないからこそ約束を破って美羽に食べさせてほしいと懇願したし、同時に美羽がいなくなればまた同じように他の人が悲しみを背負ってしまうことにも気づいたからこそ操は「自分は一人で死ぬから」と言って姿を消す。
(それはそれとしてボレアリオス組やルヴィたちがみんなしてシュンッて現れたら消えたりするのちょっとシュールで面白かった)
たとえ生と死の循環の中で生まれ変わるとしても"今ここにいる自分"はいなくなってしまうこと、それが大好きなお母さんに消えない悲しみを背負わせてしまうことを理解したからこそ操はボレアリオスで涙を流したんです。
HaEで「空が綺麗だ」と語り、「戦いたくない」と叫び、一騎の視力を取り戻して消えていった先代の来主操はとても優しい子だったし、同じ記憶を受け継いだ今の操は竜宮島と海神島での日々を通してたくさんのものを見て学んできただろう。
そしてミールのコアとして生きる彼が最後に学んだのが誰かの死を背負う悲しみと死にたくない=生きたいという感情。
7話以降で操が無事に生き延びて容子さんと和解してくれることを祈ってます。
だって真矢ちゃんが言ったように操が願ったのは「遺された人に自身の死を背負わせること」じゃなくて「ここにいた自分のことを忘れないでいてほしい」ということだから。