『科捜研』でもお馴染み岩下悠子さんの小説『水底は京の朝』読んだよ。リドルミステリだけどそれがこの小説の仕掛けでもある……と思う。最後のオチは宗教(仏教)チック、でもそこが好きだ。ふせったーネタバレあり。
【独断によるわかりにくいあらすじ】
京都にある撮影所にて、10月期連続ミステリードラマの撮影が行われようとしていた。ドラマの演出を務めるひとりである女性監督・美山が主な語り手。そしてその美山が警戒心を抱く相手である偏屈なドラマのサブライター・鷺森が探偵役になる。
ある日、美山は鷺森に、「ある秘密」を暴かれてしまうところから話が始まる。
「暗闇に消えた祭」「いわくつきの鬼面」「呪いの人毛かつら」「謎のペンダント」――美山は鷺森とともに、撮影所の周りで起こる不思議な謎に遭遇する。
その先にあるのは、夢か現か、或いは――?
【だらだらと脈絡のないネタバレもしている感想】
ミステリーと思いきやホラーやサスペンス色も濃いミステリーなんだけど恋愛小説の傍を通って官能的で美しいミステリーだった。締めが好きだなぁ。
なんだか夢の中にいるような読み心地だと思いながら読み進めていった序盤。
読み始めた最初は、足元がおぼつかない、かろうじて呼吸はできる水底にいるかのような感覚。ゆらゆら揺れて、息苦しくて、冷たくて、暗くて、でもそこには確かに光も色もある。けど、そこにある「真実」にはまだ人の手は触れられていない。
タイトルの『水底は京の朝』、最後まで読み終わると「これほどピッタリで、そしてこんなに美しいタイトルはないな……」と心が震えた。
もうこれ完全にネタバレなんですけど、この小説は主な語り手の美山監督と探偵役の鷺森が、水底にある京都を眺める話だったのですな。その京都に朝が来たという美しい情景が、ふたりにも見えるようになったんだという話なのだと。
最初から美山監督がバリバリに鷺森さんを警戒していて、すぐに理由はわかるんだけど最初はとっつきにくさは感じた。「なんでやねん」って。
でも、すぐに理由がわかる。そしてそれは、最終的には間違っていなかったことがわかる。
鷺森さん、完っ全にやべぇ人だって! 絆されたらダメだよ、美山監督ぅ!
しかし読んでいくうちに、「あっ、これ美山監督もやべぇ人だな?」ってわかるんで、もしかしたらお似合いのふたりなのかもしれない。脚本家と演出家への風評被害!(冗談です)
美山監督の一人称が主なので、彼女の語り口のクセに慣れないと辛いかも。お世辞にも読みやすくはないかな……でも、それもまたこの小説の仕掛けなのではないかと、私は超好意的解釈してますが。
「この目の前にある色や景色は、果たして横にいる人と自分で同じものが見えているのか」っていうのは、学生時代に誰もが一度は考えることだと思ってるけど、どうでしょう。
この空の色は、私とあなたで同じ色に見えていますか?
その赤いポストは、あの山の木々は、花は。
この世の全ては、あなたにはどう映っているんだろう?
全5編の短編集なんだけど、そのどれもが「リドルミステリー」。つまり、確かな真実が描かれるわけじゃない。
どれもが「そう解釈できる」ぐらいの話。むしろそういう解釈合戦の話もあるぐらい。
その解釈の中から、人は自分にとって都合のいいもの、心地の良いもの、自分の思考の及ぶ範囲のものを選び取っている。
この世の全ての事象とは、自らが感じ取り判断した結果である。
この小説は、そんな人間の認識の話なのだと思っています。
人は結局、自分が認識できた事柄でしか物事を見られない。
だから、自分から見れば答えがAでも、他の人から見たらBかもしれない。
そして、謎に物語を、もっと言うなら様々な事象に意味を求める生き物は、人だけなんだよね。だから苦しかったり間違えたりもする。
でも、それだけじゃない。
人が宗教に、物語に、風景に、モノに、人に、「視る」事柄も、そこに求める真実も様々だ。そして「視る」こととは、人がそれらに何かしらの答えを求めて足掻いて闘っているということ。
その形は水のように不定形だ。ゆらめきさざめく水面を覗き込んで自らを映すように酷く不安定で、その姿は傍から見たら滑稽かもしれない。
そんな不格好な足掻きを、戦いを、「それでも」と肯定するのがこの小説なのだと思う。
どれだけ不格好でも、明確な答えなどわからなくても、自分で「視て」闘うことが大事なのだと。
不気味に思えた読み始めの感覚も、見る人が違えば異なる意味を持つ。その意味の差分を追いかけることも、ひとつの立派なミステリーだと私は思う。
やっぱり岩下さんの世界観、私は好きだー。
突き放しているようで、なんだかんだで優しい。醜く不格好な足掻きも、肯定してくれるところが優しい。「視る」ことは向き合うこと、闘うこと。
そんな「あっ、これ『科捜研』でも見たー!」って描写がちょこちょこあって、『科捜研』ファンとしては嬉しかったりもしましたw そもそも、京都の撮影所舞台ってのもニヤニヤしちゃうよね。まぁ、たぶん内情は小説とは全然違うんだろうけど。
話には全然関係ない下卑た感想を箇条書き。マジでネタバレ全開。
・岸さんのモデルって、名取裕子さんだったりするのかな。「撮影所で野菜育ててる」とか「豊満な体型」とか、ちょっと連想しちゃった。いや、明確なモデルなんざいねーよって言われたら言い返せないぐらいのこじつけなんだけど。
・鷺森さんについて、最初は「好きな子に意地悪しちゃう男子小学生かぁー? オイ」と思ってニヤニヤ面で読んでたんですが、読んでいくうちに「あっこの人、やべぇ人だ」ってわかるのが面白かった。序盤の美山監督が警戒するのもそりゃそうだよ!
過去がどうあれ、たぶん「やばい人」でいいと思うんだけど……美山監督とは最終的に波長が合っただけで、やってることは結構度を超えてると思うよ!?
帯に興奮してるのが一番やべぇなと思いました。性癖を一応は他の人の前だと隠せてるあたりが更にヤバい人感マシマシである。で、想像力豊かかつ最近少しノイローゼ気味設定の美山監督以上に現実と妄想の区別ついてなさそうな面があるところが更にヤバい。創作家って、現実から半歩浮いてないとできない……のか?(風評被害)
・美山監督本人は自分の体型について「小柄で少し太り気味」くらいの認識っぽいが、鷺森さんからすると「ちっちゃくてかわいい、おっぱいでけぇ」(こんな表現じゃない)なのが笑う。オッサンか!
でも逆に美山監督の鷺森さん評が、内面については徐々に少し氷解していくとはいえ、ビジュアル面ではあんまり褒めてない気がする。「彫りが深い」(これも否定要素の一部になったりする)とか「細い割には精悍な体つき」ぐらいじゃないか、褒めてたの。一応、ヒロインの相手役なのにアンタ……
まぁ確かに、テレビドラマの監督ならイケメン俳優も間近で見てるだろうしな……って、違うか。
・作品のテーマ的に意図的なんだと思うけど、全体的に雰囲気が薄暗くてホラーチック。大雑把に言えば人の心の話なので、それに向かい合うと、こうなるのかもしれない。
あと、仄かに官能的。直接的な描写があるとかじゃないんだけど、フェチズムを感じる場面がたくさんある。好きな人は好きなプレイとかあるんじゃないですかね。プレイって言うな。
美山監督から鷺森さんへは、どちらかというとメンタル面で支えよう・助けようみたいな思いが強いんじゃないかと思うが、鷺森さんは普通に美山監督に対して性的興奮してるんだよなぁ。
あ、思い出した。帯もやべぇが、浮世絵もやべぇと思った。というか、1話に1回は「鷺森さん、やべぇな!」って思う箇所が出てくる。一番そう思うところが強いのは、美山監督が語り部の中だとやっぱりかつらの話かな。筆プレイ……(プレイじゃない)