シン・ウルトラマンにおいて問題になっているセクシュアリティ描写について、なぜああいった描写になってしまったのか自分なりの考察をしてみました。追記をご覧下さい。
デザインワークスの庵野秀明氏のインタビューを読んで補足された情報
シナリオ段階では神永=ウルトラマンと浅見の恋愛関係めいた描写が存在した、具体的には最終決戦前の神永と浅見のキスシーンだが、的確な素材が存在しなかったために落としたと証言されている。
ので、完成されたフィルムでは神永と浅見の関係性はぼやけた印象を受けるが、庵野氏は異星人と地球人の恋愛を描こうとしていたということが明確になった。
この部分からもわかるように、完成作は本来シナリオが内包していたテーマ性がスポイルされている部分があるのは明白である。
また、上記の事を頭に入れて本作の事を考えると、何故浅見に対してああもセクシャルな描写が積み重ねられているかがわかった。
個人的に最もキツいと感じた、神永が浅見の匂いを嗅ぐシーン。
シンエヴァをフィルターにして考えると分かり易い。マリがシンジの匂いを嗅いだり、初号機のLCLにシンジが綾波を感じたりと、庵野氏は匂いに性的なメタファーを内包させる演出をよく使っている。あのシーンはメフィラスのベータボックスの位置を特定する為の手続きとして物語上は存在するが、ウルトラマンが浅見固有の匂いを記憶するというのはそういった文脈的に落とせなかった部分だろう。
メフィラスはウルトラマンのような紳士がそのような変態行為を〜と罵るが、あれは異性種間の交渉に近い禁忌のような物なのだろう。
また浅見というキャラクター、自分のケツも他人のケツも叩きまくる他者との距離感がバグった昭和系ガハハオヤジ的な内面を持った女性っていうのもマリとミサトを足して割ったようなキャラクターなのだが、これも地球を代表してウルトラマンと恋愛関係になる女性として庵野氏が想定したとなるとこういうキャラクターになるのは納得できる。
っていうか単純に庵野さんこういう女性が好きなんだと思うんですよね。
ウルトラマンと人間の恋愛は過去作でも勿論描かれているんだけど、シンマンではもう一つ踏み込んだ、SEXの匂いがする話を本当はやりたかったのではないだろうか。
それこそ子供番組としてのフォーマットでは描き切れない部分を。
ウルトラマンという理性が純化され先鋭化したような存在が、人間の男性と融合する事で人間の女性へのSEXという野生に目覚め、それにより不条理さを獲得するというお話。
その不条理さは時としては自己破滅をもたらしたり、自己犠牲という行為ももたらす。
それを表現する為には浅見が人間的な生命力に溢れ性的に魅力がある存在に見えないと話が成立しないんだけど、結果的に上手く表現できていたかというとその部分に関しては直接的表現すぎてウェルメイドとは言えない仕上がりになっていたと思う。
また生身の人間が実際にそれを演じているという部分が枷にもなっていて、アニメで絵だったらそこまでエグみが無いようなシーンも(実際エヴァでは似たような事散々やっていたし)実写だと性的なエグみが直接的に全面に出てしまったな…と感じる。
思い返せば庵野秀明作品には常にSEXの臭気が伴う。唯一無いのかシンゴジラくらいだ。シンゴジラが一般に受けたのは寧ろ臭みの無さが一番の原因だったのではとすら思う。
シン・ウルトラマンは本来の庵野秀明作品に寧ろ歩み寄った形でウルトラマンをリブートしているとも言えるのだが、いかんせんそのシナリオに対しての的確なアプローチが現場レベルで実践されていなかったというのが、賛否における否定派の主張だし、それ自体はそういった側面があるのも事実だと思う。
庵野氏と樋口氏の作風ってゴダールとマイケル・ベイくらい違うと思うんだけどその噛み合わなさが凄く表出してしまった部分もあるのかなと思う。
まだ直接シナリオを読む機会に至っていないので上記の考察は手元にある情報に基づいた推察、いや妄想に近い物なのだが、しかしもしこれがそうだったら現状以上にハレーションを生んだ作品になっていたかもしれないなあ。自分はシンウルトラマン諸々問題点を考慮した上でも肯定派なのだけど、やはり庵野氏自身のディレクションによるシン・シンウルトラマンが見たいという意見には同調します。
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