6章が怖いという話
凍雨刃の願いってヒースクリフが誰かに依存しない自由意志で何かを選べて少しでも笑っていられる世界にいてほしい(精神的自立)なんですけど、
3,4,5章とタイトルの裏返しになる結論で終えていて。
(シンクレアは義体への感情やクローマーと向き合い、イサンは翼を得て羽ばたき(変わり)、イシュメールは定義した悪を処断すること無く復讐の連鎖を断った)
そうなると6章は心を通わせる話になるのかなとぼんやり思うわけで。
それ自体は嬉しいことなんですよ。嵐が丘って後半はヒースクリフがロックウッドとの出会い、子供世代の成長などを通してキャサリンを受け入れ理解し死ぬ話なので……
ただ、そこでキャサリンが生きたまま心を通わせてしまうと、地獄になるんですね。
リンバスの物語って、キャサリンとヒースクリフ、どちらが主人公でどちらが「成長する(=歩み寄れるようになる)」側かと言うと、ヒースクリフじゃないですか。
でも嵐が丘原典を参照する限り、対等に、それこそヒースクリフが自由意志でモノを選べるようになるためには、歩み寄らなきゃいけないのはキャサリンなんですよ。
キャサリンが「わがままでやべーやつ」なのは原典のヒースクリフが言ってるくらいお墨付きなんです。私の私怨じゃないんですわ。
そんな彼女の発言一つ一つに苦しんで復讐に走るのがヒースクリフだから。
キャサリンが歩み寄らないままヒースクリフが歩み寄ると、一口に言えば『完全服従』に近いんですよね。
自分の願いであるキャサリンとの結婚などを含めた物理的関係性をキャサリンのために捨てて、キャサリンの言うように魂の繋がりだけを求める。これがヒースクリフによるキャサリンへの歩み寄りの形ではないかなと思うわけです。
だから私は受け入れられなくて。
虐待下、恵まれない家庭環境で育ってしまった子が、唯一愛をくれる人に酷いことされても絶対服従して幸せです、と言う。
これって物凄く不健全で歪んだ幸せで、当人が幸せ!と言っていても私は到底受け入れられる気がしなくて。
だから最近、怯えています。
垢消しは正直副題みたいなもんで、私はヒースクリフにそうはなってほしくないんだよ……
※これを言うとキャサリンとヒースクリフに幸せになってほしくないだけじゃんwって言い出す輩出ると思うんだけど、キャサリンから歩み寄らない限りその幸せが不健全だから苦しい受け入れられないってだけなので…………
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○キャサリン死ぬ、キャサリンの心を理解して想い続ける
×キャサリン死なない、キャサリンの心理解して服従しふたりでハッピー
○キャサリン死なない、決別
○キャサリン死ぬ、決別
○問題の先延ばし(1章2章パターン)
こんな感じです。
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