追憶とクロストとゲー魔王最新話に触れながら色々脳みそ整理した結果の「オスカって最高だよな」って話
※クロストのティツィをしっかり踏むので、あの彼の事が好きな人は読まないほうがいいです。
ティツィの追憶の時あんなに発狂してたのに、なんでこんなに冷静なんだろうな〜と思ったけど“知ってる”からだあ!と理解した。
ティツィの時は追憶のティツィがオスカを内包して出てくるかどうか解らないまま待ってたところに、思ったよりちゃんと“過去”だったから脳から汁が出たけど、今回はこれだけの流れがあって「もう知ってる事を聞く」だけだったから、繰り返しよく聞く気に入った音楽を耳にして「やっぱりいいなあ」としみじみする感じ。
私はオスカがバルジェロに呪われてる前提で話をしているし、最早それは公式から提示されているものだと信じてるから「え!?やっぱそうだよね!?!?」とかじゃなくて「わあ〜いつものサビ〜!!!」みたいな感じの喜びというか。
オスカの感情は居心地がいいから、浴びると落ち着いちゃうのかもしれない。
オスカがヴァローレにだけ異様に固執してるのも“わかる”からなあ、普通に。
嫌だって言いながら動向探っちゃうのは、それもう好きなんだよね。
まあ好きっていうか、自分に影響を与えちゃうのが解ってるからこその執着。
あと「どっちが正しいか」じゃなくて「どっちが自然の摂理に逆らってるか」を問いかけてるのはとても心地よかった。
どっちがおかしいかっつったらお前らどっちもおかしいんだよな、だからそれでいいじゃんか、なあ〜!?!?!?
確かにな、オスカってずっとどっちがおかしいかの話をしてた気がする。
自分が狂ってるとは思いたくなかったんだろうな、大丈夫だよふたりとも狂ってるから。
クロストの誰アーノさんのことをマジで最後まで好きになれなくて、最新話も何言い出してんだお前………自分で決めた道は貫けよ………と思ってたからそれを前座にオスカがば〜ん!と出てきたのがとても良かった。
そんな生ぬるいものじゃないんだよな、やり直せるとかそんなもんじゃない。
心の底や脳みその奥に存在するそれは切っても切り離せない何かで、何度生まれ変わっても取り除けず、けれどそれが間違いなくオスカをオスカたらしめるものだから、取り除いてしまったらもうあなたはオスカでもティツィアーノでもない。
何よりも嘘をついたままアイツらといてお前はそれで幸せなのか?そんな訳あるかよ、ふざけんな。バカにすんじゃない。
私はオスカの選んだ道をすべて肯定しているから、死を否定する事もなく、ましてや本心を圧し殺したまま生きてる世界を羨ましいとも思わない。
ラジオに宛てたおたよりにこんな事を書いていた。
【クロスストーリー内のティツィアーノを見る度にきっと他のユーザーの皆さんとは違う胸の痛み方をしています。
(「こんな世界があったらな」よりも「オスカがいない世界なの辛いな」を考えてしまいわりとあの世界を否定してしまっているので。)】
私はこのクソみたいな世界も、クソみたいなティツィアーノと名乗る誰かも、早くぶっ壊してほしくてたまらなかった。それも出来るならオスカの手で。
オスカのやった事は何も間違ってない、あなたの欲しいものはあなたが間違いなく手に入れた、だからそれを覆す事は何者にも許されない。
そう思いながらクロストを追っていたから、公式からのアンサーがあまりにも鋭く胸を突き刺して焼け焦げついてしまった。
これは昨日深夜に普津澤さんに宛てた『ゲー魔王』の感想の一部。
【もっと一緒に子供のまま、あの頃のままここでこうしていたかったけれど、時間は残酷にも人を変え、大人にし、そして道を分つ。
その上であの時にしがみついて”終焉”を望む人間の事を、私は否定したくありません。
そして特定の誰かに終わりにしてもらう事を望む人間の一番の救いは、その対象がきちんと"終わり”に導いてくれる事だと信じています。
一緒に肩を並べてあの時の様に笑い合う事は決して出来ないけれど、君と紡いだ美しい物語を美しいままに終わりにさせて欲しいと思う感情は、それこそクリエイターが一瞬の刹那を作品に落とし込むための根幹的な衝動だとも思います。】
『ゲー魔王』を読むとそれこそクロストや富授の解像度が爆上がりするから連チャンで読めて良かった。
今までを読んでない人も最新話だけは読んでくれ………ぜひ………。
普津澤さんの人間関係の美を取り巻く思想がここである以上、やはり富授は最高に美しい物語である。
そしてあの終わりを美しいと理解した上で過去を振り返ってセンチメンタルになったり、「こうだったらな」とありもしないifに思いを馳せるからよいのだ。
けれどそれは現実を美しく終わらせられているからこその余裕で、圧倒的な美が無ければそんな生ぬるい世界を求める事さえもしない。
だってそうでしょう、富授があるからオスカの事を好きになって、過去を知ったから「そうならなかった方」をあくまでも無いものとして求めている。
最初からそうならなかった方と向き合っていたら、果たして自分はここまで好きになって焦がれたか?答えはNOだ。
(私は、私はね。他の人のことは知らないし世の中の正解をここで定義する気はない。)
ていうかロク(ゲー魔王の主人公)が「お前を“悪”にしたのはオレだ」って言っててすっっっっっっごいびっくりして、それこそロクってわりとバルジェロタイプの人間だと思ってたからそこって自覚あったんだ、と。
口にはしてこなかったけど自分のルーツは須吾杉と共にある事をきちんと覚えていて、道を違えた事を「オレは変わっちまった」と自分で形容していて、その上で須吾杉を悪にしちゃったって言ったこと。
ロクと須吾杉の人間関係は決してバルジェロとオスカには紐づかないけれど、でも、けれど、けれどもしバルジェロがオスカの狂気に対して自責の念に駆られていたら………?
そんな可能性が脳裏をよぎったら頭がおかしくなりそうになった。
どちらが自然の摂理に逆らっているかを証明しようとするオスカに、オスカを狂わせた自覚があるバルジェロが向き合ってのあの富授ラストだとしたら結構あの………あ………はい………やばいんすけど………と言うのでこれはこれでそういう解釈も最高じゃね〜の!みたいなフォルダにいれた。
考える事、まだまだいっぱいあって嬉しいな〜。
何よりオスカが公式に愛されていて本当に嬉しい。
創り手にこんなに大事にされる登場人物の事を好きになれて本当によかった。
この1ヶ月ほどの自分のバタバタも日記にまとめようと思ってガタガタ下書き書いてたけど、本当に怒涛だったな………。
富が今後こんなに盛り上がるのって一体いつなんだろうと思ったらちょっとセンチメンタルになっちゃったから、きちんと富需要あるよ〜!!!ありがとう大好き〜!!!!!って公式に宣言していきたい。