
閃光星 flare star ※つるみか
第五話 鶴丸狩り
★この辺からこの話の捏造設定が出てきます。
★適当な審神者名が出ます。
同人誌にする予定のつるみか話 バックアップ兼サンプルとして 年内予定
「よし、このくらいでいいか」
鶴丸は茂みの中で、破いた上着を眺めた。
慣れた作業に鼻歌が漏れる。三日月は付近を偵察している。
鶴丸と三日月が秋津の本丸を出て一ヶ月が過ぎた。そろそろ、山姥切の支度が終わる頃だった。
一ヶ月前――三日月と審神者『秋津(あきつ)』と山姥切が同盟らしき物を結んだ後、この本丸のこんのすけをどうするかという話になった。
こんのすけは既に三日月と鶴丸の存在を知っている。今後、秘密の会話ばかりをして、のけ者にする事は出来ないし、そんな事をしたら政府に目を付けられる。
離れに呼んで事情をかいつまんで話す事もためらわれ、待ちぼうけをさせていた。
――そこで山姥切が幾つか提案した。
今から、三日月と鶴丸は荷物をまとめ、本丸を発つ。抜糸があるならその後で出立する。そうすればこんのすけには『二振は数日、この本丸に世話になったが怪我が治って、出立した』と記録される。
――ちなみに医者は審神者の知り合いの本丸の薬研藤四郎だ。
薬研には秋津が『三日月達の事を黙っていてくれ、主にもそう伝えてくれ』と頼めば問題無い――秋津が気を利かせて役人を呼ばなかったのが役立った。
二振の出立後、山姥切が自分の本丸に戻り、一つ目の修正パッチを作って持ってくる。
一つ目の修正パッチはこんのすけのデータを書き換える物で、油揚げに模したそれをこんのすけに食べさせる事で直ぐに適用させられる。
これを食べるとこんのすけは政府に隠し事ができるようになる。
これは政府直々の、特殊な内偵に就く本丸で使用されている物で、調べられなければそれとは分からない。機密も機密だが、そもそも開発したのが山姥切の主だと言うから、犯罪も犯罪だ。油揚げなのは何も知らないこんのすけへの、せめてもの気遣いだ。
これは山姥切が街で秋津に渡し、秋津がこんのすけに食べさせる。
その後、山姥切は一、二週間かけてもう一つのデータを用意する。こちらは三日月達専用の大がかりなアップデートとなる。
三日月達がこの本丸に存在していること、こんのすけとこれから話す事、三日月達が跳ぶ時代、知り得た情報を外部に漏らさないようにする為のデータだ。
……三日月達は自由に行動し、全ての行き先や目的を秋津やこんのすけに話す訳ではないが、念を入れて、本丸を想定した亜空間にサーバーを作り、こんのすけの中にそれを管理する別頭脳を用意する。
三日月、鶴丸、山姥切以外が記録を閲覧するには、生体認証、感情認証、雑談に紛れ込ませた秘密の質問、三日月達の許可などいくつかの鍵が必要で、無理にその蓋を開けようとした場合、即座に内容が消去される。
こんのすけは電子端末では無く『管狐』なので、さらに複雑だという。
つまりこんのすけは、秋津の本丸のこんのすけである一方、三日月達専用のこんのすけにもなるという事だ。
秋津と話す時と、三日月の補佐をする時で、使う領域が切り替わる、らしい。
三日月と山姥切はあれもつけたい、これも必要だと真剣に話していたが……鶴丸はこんのすけを不憫に思った。
要するに……おかしな改造をされた結果、仕事が倍になるのだ。鶴丸だったら文句を言う。だが悲しいかな管狐。三日月はどちらでも良いと言ったが、秋津があっさり同意した。それだけ本気なのだろう。そこにこんのすけの意志はない。鶴丸は同じ道具としての悲哀を感じた。違法改造とはあんまりだ。せめて会う度に可愛がろうと決めた。
山姥切は『主の手を借りるかもしれないが、堅牢かつ柔軟性のあるデータを作る、具体的には――』と詳しく説明した。
鶴丸は一般的な所は理解できたが、残り半分は専門用語で分からなかった。そこにいた誰も分からなかったと思う。唯一、三日月が、本丸審神者をやっていた頃に学んで基礎くらいなら分かると言ったが、話が長く途中から眠そうにしていた。
山姥切は加州のあくびで我に返って、計画の続きを話した。
こんのすけ改ざん用のデータができた後、山姥切は自分を、主の引退に伴い刀解された事にする。
……これはもちろん虚偽の刀解記録だ。
あらかじめ政府の知り合いや役人に『主が引退するので、機密保持のために刀解をしてもらう』と不自然で無い程度に言いふらしておき、連結用の偽山姥切を担当者立ち会いの下、山姥切の主が刀解する。
刀解される刀剣は刀の状態でも問題無いし、偽山姥切には土下座してあらかじめ頼んでおく。念のため職員の端末内のデータも改ざんしておくが、引退に伴う刀解は流れ作業なので練度と個体番号が合えば怪しまれる可能性は少ないらしい。
刀解後の確認は不可能で『何処何処本丸の練度いくつ、個体番号××の刀剣がいつ刀解された』というデータしか残らない。
その間に山姥切は荷物と道具をまとめて、秋津の本丸に移動する。
ここまでを一ヶ月で終える。
その後、『山姥切国広』は秋津の本丸で鍛刀された事にして(勿論データ改ざんだ)、その後は加州達とつつがなく暮らす。
秋津は現在顕現している十振に『いずれ三日月の刀になる可能性が高いので、三日月と鶴丸を次の主と思って仕えるように』と語った。
――『他より多芸に育てるからそのつもりで! 目標ができてよかった!』とか『これから顕現する刀にもそう言い含めるように』と、秋津の意外な情熱に刀剣達の方が驚いていた。
秋津は今後自分の本丸に『三日月宗近』と『鶴丸国永』が来ても顕現させずに、連結にまわすとも言った。まさに至れり尽くせりだ。
山姥切の練度は二十三。
彼は主の手伝いが主で、出陣する事はほどんど無かったと言う。
山姥切の練度を聞いた後、加州が提案した。
『それなら、一緒に出陣すればいいね。あ、時間があればだけど。あと、俺達にもデータの書き換えを教えて貰うことはできる? でも俺に分かるかな』
『だ、だれでも、さいしょはなにもわからない、おれだってそうだった。いまからやれば、じゅうねんで、あるていどはできる。むき、ふむきがあるが、むずかしいことは、とくいなやつががんばればいい、きそをまなんで、そんはない、お、おお、……俺で良ければ教える』
『そっか、じゃあ頑張ろー、皆』
加州が微笑んだ。
――三日月と鶴丸はそこまで聞いて、出立した。
『ありゃ完全に惚れたな』と呟く鶴丸に、三日月は『ほんに、何があるか分からぬ物だなぁ』と同意した。余程驚いたのだろう。三日月は呆けた顔をしていた。
秋津との関係は偶然から始まった物だが、大した入れ込みようで、鶴丸も、三日月も驚いた。
鶴丸と二人きりになった後、三日月『これも何かの縁だ。秋津のその気が続けば、あの本丸の刀を譲り受けるつもりでいる』と語った。
そろそろ一ヶ月。今は江戸時代の安宿を借りて、山姥切からの連絡待ちだ。
機械に関しては鶴丸もたまに顔を出して覚えていくつもりだったが、覚えるとなると時間もかかる。秋津の本丸にどの程度入り浸って良い物か、鶴丸にどういう役割が必要なのか?
三日月に尋ねると、色々できれば助かるが、まずは練度だと言われた。
その前に、『やって欲しいことがある』と言われ、今、こうして羽織を破いている。
鶴丸は羽織を地面に置き、小さな缶を取り出して、慣れた手つきでぶちまけた。
◇◆◇
「鯰尾、気を付けろ」
「あ、はい!」
遠征を終えた帰り、鶴丸国永は荷車を引いて歩いていた。
資材集めは大成功、と言った具合で手伝いの礼として金子までもらった。
鯰尾が周囲を見回しよそ見をしていたので注意した。
今日の面子は、隊長の今剣、薬研藤四郎、鯰尾藤四郎、骨喰藤四郎、鶴丸国永、和泉守兼定だ。
荷車の前方に薬研、鶴丸、鯰尾、中ほど左側に和泉守、反対側に骨喰がいる。今剣は荷車に乗っていて、和泉守と喋っている。
よそ見で少し離れていた鯰尾が鶴丸の側に近寄って来た。
「鶴丸さん、代わりましょうか?」
荷車は交代で引いていたから、鯰尾は引きたいのだろう。彼は荷を引くのが好きらしい。「刀が荷車を引くって目茶苦茶、面白くないですか?」と真面目な顔をして言っていた。
「そうだな、じゃあ……」
どこかまで、と言おうとしたが目印になりそうな物は無い。その場で止まって交代した。
鶴丸達は再び歩き始めた。昼飯は何だろうとか、そういう話をする。
しばらく歩いたところで、今剣、鯰尾、骨喰がほぼ同時に顔を上げた。
「誰かいる」
三振は右手、木々の間を注視した。
「ん?」
鶴丸が注目すると、確かに気配がある。刀剣男士の気配が一振。
「骨喰、見て来てくれるか?」
「わかった」
骨喰が駆け出した。一番近かったのでつい指示を出してしまったが隊長は今剣だ。
今剣はぼくも行きます、と言って付いていった。
鶴丸、鯰尾、和泉守、薬研はしばらく待った。
「なあ、こういう時はどうするのがいいんだ? 他の仲間に出くわすこともあるのか」
薬研が呟いた。薬研は顕現して一月が過ぎたばかりだ。
和泉守が答えた。
「そうだなぁ。普通は隊長が采配するんだが、行っちまったな」
「俺もうっかりしていた。自分で見に行けば良かったな」
鶴丸は言った。
「たぶん遠征中の、他の刀剣ですよね? 動きが無いし、少し変な感じするけど」
鯰尾が言った。鶴丸も同感だった。遠征先で他部隊に出会うことは稀にある。目的が同じ場合は協力する事もあるが、無視する事もある。
「だろうな。相手が任務中なら、なるべく関わらない方がいいんだが……」
鶴丸は言った。部隊でいるならともかく、一振の場合、任務の途中かもしれない。この時代は遠征先として政府が推奨しているので、危険は少ないはずだが雑魚が出る事もある。
四振は二振が戻るのを待った。
……ところが、しばらく待っても帰って来ない。
鶴丸は首を傾げた。
「――どうしたんだ?」
「話してるのかな」
「もう少し待つか……いや、俺が行く」
和泉守が言った。
「気を付けろ、加勢がいるなら叫べ。戻るまで待つ」
鶴丸は頷いて言った。和泉守が頷いて森へ入って行く。
「ん? 今、声がした」
薬研が言った。その声は鶴丸も聞いていた。和泉守の驚いた様な声だ。
「行くぞ、敵かもしれない。注意しろ」
三振は森を進んだ。
ところが。
「えッ?」
入って一歩目で、空から網が降ってきた。
◇◆◇
「いや、本当に悪かった、申し訳無い!」
鶴丸は相手方の怒りを収めようと必死に手を合わせていた。
傷だらけの風体だが、刀傷は破いた物で、血は血糊だ。
秋津本丸を出て一ヶ月。今回の罠は気持ち良いくらいにはまり、初めの二振以外の残り四振を捕まえることができた。大抵、一振、二振、良い時でも三振、そこで種明かしをするのだが。演技と口車の練度に加えて、罠の腕も上がってきたのだろう。近頃は狙った通りになる事が多かった。
今回、罠に掛かったのは、今剣(ただし怪我が血糊だと分かっていた節がある)、鯰尾は交渉して、和泉守は針金にかかり吊されて、残り三振は入り口近くの網にかかった。この網は鶴丸が頃合いを見て発動させるのだが、本当に良く捕れるな、と自分でも感心する。落とし穴を避けた鯰尾には誉をやりたい。絶対穴にはまる位置で踏んで落ちるはずだったのに、素晴らしい身のこなしで、仕掛けの枝一本を掴んで逃れた。
鯰尾藤四郎は鶴丸の一番の敵だ。
刀を突きつけられて、その後は鯰尾に種を明して、協力を求めるしか無かった。
罠の練習をしている、と言った後はだいたい呆れられて怒られるのだが、今回、部隊の中でも怒っていたのが鶴丸国永だった。
「全く、きみには節度ってものがないのか。驚きを求めるのは分かるが、全く、巫山戯た事をしてくれる」
目は笑っているが、同じ鶴丸だから本気に近い怒り方なのが分かる。
一方の和泉守はやれやれ、と言った様子だ。
「いや、悪かった。主の命でな。罠の修行に励めと言われて、もう一ヶ月、あちこちでやっているんだ。そろそろ噂になってないか心配だ。聞いてないか?」
鶴丸は命令だから仕方無い、と言ってさらに謝りなだめた。
鶴丸はようやく溜息を吐いた。
「別に聞いてないが……あんまりやると、上に叱られるぞ。お前さんの主にもそろそろ止めろと言っておけ」
まだ怒っているようだ。
「そうする。詫びと言っちゃあなんだが、これは俺のIDだ。いらないって言うかもしれないが、何か困った事があったら手伝う。なあ三日月? きみ、遅いぞ」
鶴丸が見ると、三日月が来ていた。
「すまんなぁ、大福を買っていた」
「全く」
いつもはもう少し早く出て来るのだが、今日は遅かった。
――三日月が下調べをして、鶴丸が怪我の振りをして罠を仕掛けて、刀剣達を捕まえる。
鶴丸はこの一ヶ月、出陣とこの作業にいそしんでいた。
無差別では無く条件があって、まず、鶴丸国永がいること。長谷部、初期刀の六振がいない事。冗談が通じそうな部隊である事。それ以外にも、主の霊力、という物があるらしいが、それは鶴丸には分からない。
そうやって三日月が選んだ部隊を、鶴丸が襲っているのだ。
――目的は罠の練習では無い。先程の連絡先だ。
何度も繰り返していくうち、三日月はどんどん雑になっていた。おかげで叩かれたり、攻撃されかけた事もある。反撃を食らったこともあった。
「ははは。すまんなぁ、主が変わり者で」
三日月が笑った。
この言い方に、鶴丸はいつも笑ってしまう。今回も口を押さえて肩を震わせた。
「これは詫びの大福だ。皆で食べてくれ」
と言って、風呂敷を渡す。
「――毒でも入ってんじゃ無いのか」
舌打ちして言ったのは鶴丸だ。この鶴丸国永は真面目な性格らしい。自分が罠に掛かって苛ついている所を見ると、美学を持った職人気質か。鶴丸国永にも色々あって、呆れつつ喜ぶ者が五割、大笑いする者が四割、怒る者が一割。斬りかかってきたのが一振。この鶴丸国永もおそらく本丸に帰って笑うのだ。
「ははは。普通の大福だ。困った事があれば力になろう」
三日月が微笑んだ。
鶴丸国永が三日月を見た。
「……分かった。覚えておく」
鶴丸はようやく、やれやれ、という仕草をした。
鶴丸は鯰尾に声をかけた。
「そうだ、鯰尾。きみは大した動きだった。まさか避けるとはな。誉をやろう」
「ええ~、全く。俺、鶴丸さんに鍛えられてますから。役に立ったのかな?」
鯰尾は苦笑している。鶴丸国永は帰りたそうにしていたが、今剣が鶴丸に話しかけて来て、しばらく立ち話をした。内容はたわいも無い事で、どのくらい時間が掛かったかとか、罠にかかる本丸はどのくらいかとか、もしかして狙っていたのかとか。
鶴丸は素直に答えた。
「ここのは二日で仕掛けた。もう足腰がきつい。もっと簡単な罠を使う事もあるが、一番効果があるのは和泉守が引っかかった針金と、入り口の網だな。あれは手で引いてるんだ。ここに縄があって、これを引っ張ると網が外れる。網を避けた先にも罠があるんだ。地形によるが、相手が少なかったら、道に倒れてる事もあるぜ。バレる事もある。罠も初めは空振りが多かったが、ずいぶん慣れたな」
「ひまじんですね!」
今剣に言われて苦笑した。やや棘がある。
「ああ、暇だな。罠にかける相手は三日月が探してるんだ。長谷部のいない部隊をな」
長谷部、と言われ鯰尾が笑った。
「分かりますそれ!」
「だろう? 後は俺がいる事は絶対だな。話が通じやすい」
会話の間、鶴丸国永は黙っていた。
「おいそろそろ……帰ろうぜ」
和泉守が言った。和泉守は三日月を見て、少し眉を潜めている。
「……三日月宗近、あんた刀は?」
和泉守は迷ったようだが聞いてきた。
「主に置いてゆけと言われた。鶴、俺達も戻ろう」
三日月は笑った。
三日月が言ったので、鶴丸は立ち上がった。今までは次はどこどこ、と言われるだけだったので、ようやく報せがあったらしい。
この一月、練度上げ、穴掘りの繰り返しでさすがに疲れていた。穴掘りより出陣の方が楽だと分かったのは収穫だが。
「――やっとか!? 分かった、じゃあな。困った事があったら呼んでくれよ。と片付けか」
鶴丸は罠だらけの森を見た。
◇◆◇
「鶴丸様、お久しぶりです!」
広間にいた秋田が声をかけてきた。
「久しぶりだな」
三日月と鶴丸の回りにわらわらと集まってくる。新顔がちらほら居る。
今剣は知っているが他に、鯰尾、和泉守、長谷部――先程見た面子で笑った――と、見た事の無い白髪に緑の目の短刀。
「君は? 初めて見るな」
白髪緑目の短刀は愛染の隣できょとんとしている。
「蛍丸さんです。なんと大太刀なんですよ!」
言ったのは秋田だった。
「この大きさでか?」
鶴丸は驚いた。大太刀を見た事があったが、皆、大きかった。
「蛍は小さいけど凄いんだぜ!」
愛染が言った。
「へえ、どれ?」
蛍丸を持ち上げてみた。少し重みがある、気がする。が他と大して変わらない気もした。
比較として愛染や前田を持ち上げていると、今剣が「ぼくもだっこしてください!」と言って来た。聞いてやったら、短刀を順番に持ち上げる事になってしまったので「ただいま」「元気だったか?」等と言いながら持ち上げた。小夜と五虎退を持ち上げた後、脇差の鯰尾が「俺も……? いいのかな」と言いながら目を輝かせていたので「ちょっと待て、分かった」と言って持ち上げた。さほど重くなくて助かった。
鶴丸は和泉守を見て苦笑した。
「初めまして。鶴丸国永だ。さすがにあんたは持ち上がらない。人数が増えて賑やかだな。よろしくな」
「和泉守兼定だ。よろしく頼む。いつもうるさくって叶わん」
和泉守が苦笑した。
「あはは――元気が良いのは良い事だ。なあ?」
鶴丸は笑って、傍らの三日月を見た。三日月も短刀に囲まれて笑っているが、抱っこをせがまれて「じじいには無理だ」と言って断固拒否していた。
「代わりに撫でてやろう」
――三日月は今剣を撫でようとして、荷物を思い出したらしい。
「そうだ。土産があった。皆でお八つに食べると良い。おっと、秋津に挨拶をせねばな」
三日月は土産を差し出した。短刀達が喜んで受け取った。
その後、審神者に声をかける。
「久しいな秋津。息災か――蛍丸が出るとはな、驚いた」
「ええ、もう吃驚しました。あっお帰りなさい。ちょうど飯です。荷物を置いて来て下さい。あ、山姥切さんにどこで食べるか聞いて頂けますか?」
「あいわかった」
三日月と鶴丸は広間を離れた。
離れへ行く渡り廊下で、山姥切に出くわした。
「――三日月、話がある」
「急ぎか? 今から食事だが……」
三日月が言った。
「食事の後でもいいが……かなり良くない、いや、悪い話だ」
山姥切の表情は硬かった。
「……そうか。なら食べてからにしよう。おぬしはどこで食べる?」
すると山姥切が、僅かに微笑んだ。
「今日は向こうへ行く。……あんたたちが居るから」
「そうか」
山姥切はそのまま広間へ向かい、三日月と鶴丸は部屋に戻った。
◇◆◇
「三日月。お前の本丸は無くなっていた」
昼食後、山姥切の話を聞いて、三日月も、鶴丸も言葉を失った。
「……それは、どういう事だ」
三日月が尋ねた。
「俺は主と、お前の本丸の事も調べたんだ。そうしたら、四ヶ月前、お前が追い出されてから、一週間後に。本丸が、閉鎖されていた。……審神者が自殺したらしい」
「……っ」
三日月が絶句した。
鶴丸も言葉が出なかった。
山姥切が静かに続ける。
「あんたの本体は、今は政府が保管している。俺では受け取ることが出来ないから、受け取りに行って欲しい。すまない。もう少し早く言えば良かったが、色々調べていた」
「……一体、何があったのだ……? 自殺……」
三日月は呆然としている。
「あんたの事を気に病んだのかもしれない。それは分からないが……」
山姥切が言いよどむ。
「閉鎖、完全にか? 皆はどうなった?」
三日月がまくしたてた。
すると山姥切が、項垂れた。
「刀解の記録があったらしい。あんた以外は全て、だそうだ。報告書と調査票があるが、見るか?」
三日月が直ぐに頷いた。
山姥切が端末を操作して、まず報告書を見せた。
『本丸 閉鎖報告書 部外秘』
サーバー 山城
本丸番号 三八四一〇二四
審神者名 涼雅(りょうが)
閉鎖予定日……八月三十一日
削除予定日……未定
最終刀剣破壊数 不明※調査中
最終刀剣刀解数 百十九振※調査中
最終刀剣生存数 一(三日月宗近)
最終刀剣不明数 一(鶴丸国永)
管狐 行方不明※調査中
備考
審神者の自殺により閉鎖。座標不定につき未確認。
審神者『三日月宗近』の本丸。
調査票番号……D二五八
「次の画像が調査票だ。こちらはある程度の役人なら閲覧できる」
山姥切が画面を変えた。
『本丸調査票 番号 D二五八』
二千二百十四年、八月九日、午後十一時三十六分。政府に該当の本丸(三八四一〇二四)から救援要請があり、救援部隊を派遣しようとしたが、座標が不安定。固定不可の為、復旧開始。
八月十二日、座標を固定、救援に向かう。
同日、審神者、涼雅の遺体を確認。検視結果は99%の確率で自殺。
その他の要因である可能性は調査中。動機は不明。
正面玄関近くの梁に赤い縄を掛け、首を吊った状態で発見される。
赤い縄は三日月宗近の帯紐と断定。近侍部屋で顕現済みの『三日月宗近(審神者)』と三日月宗近の装備の一部を発見。刀が結界内に収められていたため、審神者が解除、政府で保管。刀のみ。三日月宗近本刀は不在。
※その他の刀剣の姿は見えず、連結用の刀も無し。争った形跡は無いが、こんのすけ、馬も居なかった事から何らかの事件性があると考えられる。こんのすけは行方不明。
※審神者端末に刀解記録があり、八月九日の午後に連結用を含めた全刀剣が刀解されていた。刀帳を確認したところ、刀剣『三日月宗近(審神者)』の生存が確認される。
※行方は捜査中。
『追加報告書 一』
二月十八日、西暦千四百七十年の京都・醍醐寺にて三日月宗近(審神者)発見。同時に所属不明の鶴丸国永、発見。三日月宗近が顕現した可能性あり。
※見つけ次第、状況確認と、事情により本体の返却。各所通達済み。
担当刀剣 A三十七号
――と書かれていた。
後は人間の担当者の名字と、連絡先も書かれている。
「……そうか。俺が本丸を出た後に……」
読み終わった後、三日月が深く項垂れた。
「政府はあんたを探しているが、あんたが隠れてしまったので見つけられていない。容疑者になっているかもしれないが、自分で取りに行った方が早そうだ。そこで担当に事情を聞くのが良いと思う」
山姥切が言った。
「そうしよう。調査にしばらくかかるだろうな……刀をもらい、適当なところで切り上げてくる」
三日月は言った。
「政府の手を借りないのか?」
すると鶴丸が首を傾げた。
「いや。調査はしてもらうが、一々付き合ってはおられん。A三十七は今の俺の担当だ。報告だけ上げてもらう。おぬしらには留守番を頼む」
「――ちょっと待て。俺も行く。君が疑われているなら、危ないんじゃ無いか」
三日月は留守番を頼んだが、鶴丸は行くと言い張った。
鶴丸の言葉に、三日月は首を振った。
「A三十七は頭の切れる刀だ。無闇に手を出す事は無い」
「そいつはそうでも、他は分からない。念のためって考えもあるぞ」
と、鶴丸は言いつのった。
三日月は再び首を振る。鶴丸の気持ちを嬉しく思ったが、どうしても連れて行きたくなかった。
「おぬしを連れて行けば、おぬしと共に事情聴取を受ける事になる。審神者が聴取を受ける場合、近侍は同席が可能だが逆に言えば離れる事はできない。主と俺の関係について、かなり立ち入ったことも聞かれるだろう。おぬしに聞かれとうない事もある。遠慮してくれ」
……政府の聴取では会話は全て録音され、表情や一挙一動、全て記録されるのだ。聴取の程度によっては、虚偽を述べることも出来ない。
非常に疲れる物だし、その場に鶴丸がいたら抜刀するかもしれない。勿論、聴取の前に刀を取り上げられるが、殴りかかったら即拘留となる。
「……」
三日月の説明を聞き、鶴丸は少し黙り込んだ。
鶴丸の目がしばらく細められる。冷たい表情にどきりとした。
――鶴丸が三日月を見つめた。
普段と同じ、優しい笑みだった。
「分かった。きみの仲間の事もあるんだよな。今回は諦める。だが、俺はきみが、危険な目に遭うのを見過ごせない。きみに何かあったり、きみが戻って泣くような事があれば、何年かけても、政府のやつらを全員、皆殺しにしてやる。きみの担当にそう伝えてくれ。いいな?」
三日月は驚いて鶴丸を見た。
鶴丸は、三日月の為に皆殺しにすると言って、なのに、本当に優しく微笑んでいるのだ。
なんという男かと思った。
――微笑したまま、鶴丸が続けた。
「俺はもう、きみが泣くのを見たくない。不可能だとしても、せめて見えない所で悲しむな。きみが泣く……泣かせたくないが、その時は……側に居たいんだ、って言うのを、分かってくれるか? すまん、上手く言えないな」
恥ずかしくなったのだろう。
鶴丸が頰を少し染めて苦笑した。
それを見た三日月は熱が一気に上がって動けなくなった。
心臓が凄い音を立てている。
「……ぁ」
三日月は口を開けたまま、固まってしまった。
「ほら、行ってこい。上手く事情を話して、本体だけさっさと貰えば良いさ。きみならできるだろう。俺は、そうだな、退屈だから出陣でもして待っていよう。許可を貰えるか?」
◇◆◇
鶴丸に出陣許可を出した後、三日月はぼおとしたまま街へ転移し、その後、政府に跳んで、相談窓口を訪れた。
A三十七号、山姥切長義を呼び出して、鶴丸の事を考えながら待つ。
椅子に腰掛けると、ひら、ひらと目の端に入る物がある。
……誉桜だ。
この仕組みは感情を読まれるので、今まで抑えていたが……もう無理だ。
一枚、二枚、三枚、四枚、五枚ひらひらと散り始める。
恥ずかしさに頰を染めると、さらにふわりと舞う。
『きみに何かあったり、きみが戻って泣くような事があれば、何年かけても、政府のやつらを全員、皆殺しにしてやる。きみの担当にそう伝えてくれ。いいな?』
最後はもう、なんと答えたか覚えていない。山姥切に目配せして、全て任せて来たはずだ。
刀剣男士は主に対する忠誠心が強く、普通は引き離されるのを嫌がる。
駄々をこねる子供でもここまでではない、という光景を沢山見てきたし、三日月と離れたくないと言う刀剣もいた。だが鶴丸は違う。
三日月を信じて送り出し――三日月が戻らなければ、戻って泣くなら報復すると言った。
……三日月は喜びに震えた。
また心臓が早鐘を打ち始める。
良く言い含めれば、主を一人で行かせる刀剣はいる。
だが、鶴丸が三日月を行かせたのは、彼が自分で『今回は危険が無い』と判断したからだ。
主を信じる――そんな性質は、これまで三日月が従えた刀剣の内で、一振りたりとも持っていなかった。
審神者と刀剣の信頼関係には特徴があって、どれだけ友情や愛情にも近くても、結局は人と神だ。本質は有と無で、呼び出されたから従う、作られた関係にすぎない。刀剣にとって、主は守るべき弱き者だから、大切に、というのはあくまで自分を振るう主人として、形だけの尊敬や愛情を示しているに過ぎないのだ。
審神者は『それは違う』と言うのだが――刀剣男士である三日月は『それ』こそが幻想だと知っている。刀剣男士、刀の付喪神の本質がそうなのだ。
幻想を信じ切る事ができれば、それは真実になるが。審神者と刀がそこまで行く事は難しい。恋人友人家族と言いつつも、どこかで『主と道具』という関係に依存してしまうのだ。
……三日月は審神者として、今まで多くの刀に接してきた。
一般的な審神者も、余所の本丸の刀剣も、政府の刀剣も数多く見てきた。かつて本丸を持ち、自分で顕現させた事もある。
その経験に照らし合わせると――鶴丸が示した物は今までのどれにも当てはまらない。
『違う』という確信がある。
三日月は偶々、山姥切とは友と呼べる関係を築いているが……それは刀剣同士だからだ。
鶴丸は顕現したばかりで易々と、主従を越えて見せた。
(いや、待て、これはもしや……)
三日月はある可能性を考えた。
真面目に審神者を志す者なら誰でも知っているが、刀剣男士には『領分』という規定が存在する。ここまでは許されるが、これ以上は駄目と言う刷り込みだ。
審神者と体を重ねることは領分に反するから、本能的に忌避するようになっている。
通常、刀剣男士は審神者を愛さない。刀剣男士は美しい。でなければ本丸は、刀剣と審神者の恋愛問題だらけになってしまう。神と人との恋愛は百害あって一利無し。刀剣男士は、人から向けられる感情にはどうあっても応えられない。親しみを込めることはできるが、恋愛はできない。
三日月の主もそれは理解していたが、人は弱い。
この仕組みがあって、三日月は余計に苦しんだ。領分を犯された事実が死ぬほど辛く、狂うと思った。
人に愛され、虐げられて。狂った男士達を見せられた事がある。鶴丸を持ち出せなければ三日月もああなっていた。戦う道具にとって、人との恋愛は重荷だ。
では刀剣男士同士なら?
これは規定に引っかからない。だから三日月は浮かれて、鶴丸と接吻やら共寝やらしていたが……慎重になるべきだった。
三日月が審神者であり刀剣男士だから、規定が働かなかった可能性もあるが、そう言えば顕現したとき、鶴丸に『どう呼べば良いか』を慎重に聞かれていた。
あの時気づくべきだった。あれは鶴丸が領分を外れるきっかけだったのだ。
刀剣が審神者という特殊な状況で――混乱した鶴丸は、いつの間にか領分をすっかり越えてしまった。そういう事だろう。
一つ間違えれば鶴丸は暴走して、人に容易く危害を加える可能性がある。
……刀剣かつ審神者という三日月が、鶴丸の事を言える立場では無いが。
(……? だが、おかしいな)
三日月は首を傾げた。
三日月が過去顕現した刀剣には、そんな様子は無かったのだ。愛情を求めていなかったから、では無く、三日月に呼ばれた刀剣はどれも感情が薄かった。
鶴丸が普通の鶴丸で、三日月は安心したのだ。これは主の刀だから、だろうか?
領分を差し引いても……あの鶴丸には少し得体の知れないところがある。
手持ち無沙汰になった三日月は、端末を開て鶴丸の能力を見た。
目立つのは能力値異常だ。
鶴丸は、必殺が残念な程低い――端末で『三』という数字を見た時は泡を吹いて卒倒するかと思った。通常は三十二のはずだ。
代わりに、偵察と隠匿が四十、四二と脇差並に高い。
隠匿が高くても、あんな目立つ姿でどう隠れるというのだろう? 見つかると思うのだが……機動が最大値を超えて三十六あるのもおかしい。間違って太刀に生まれたとさえ思える。必殺の三は心配になるのでやめてほしい。打撃、統率、衝力は通常値。
最大値は連結しなければ分からないが、生存も五十八と既に通常より少し高い。
(おかしな刀を喚んでしまったなぁ……だが、面白い)
三日月も数値は異常だったが何とかなった。
これは育て甲斐があると思えば良いだろう。
(――早く帰って、顔を見たい……)
味気ない景色が輝いて見える。もっと話したいと思う。
今まで三日月は、鶴丸の逃げ道を塞いでいるつもりでいた。
ところが追い詰められていたのは三日月の方だ。
三日月は本当に恋をしてしまった。
◇◆◇
十分程度待たされた後、三日月は景色の良い小部屋に通された。
この景色は投影で、実際には窓が存在しない。
六畳ほどの部屋の中央に白い机が置かれていて、窓を背に山姥切長義が座っている。机の上には紙の束、電子端末、旧時代的な白いノートパソコンが置かれている。
案内の職員が去った後、長義が目線を上げた。
「良く来たね。早速だけど、座って、何があったか話してくれるかな。俺は君を疑っていないけど、事情が事情だから、しばらくかかる。君に非が無ければ刀を返そう」
三日月は椅子を引いて腰掛けた。
「あいわかった」
気の抜けた返事と共に、数枚の桜が落ちた。長義が椅子を揺らして眉を潜めた。
「え……どうしたんだ?」
「何から話す?」
「あ、ああ……そうだな、君が何故、刀を置いて本丸を出たかと、後は、審神者の自殺の原因について心当たりはあるか? 順を追って、その日の行動を聞いていくから答えてくれ」
「あいわかった。よろしく頼む」
三日月は頷いて頭を下げた。
「え……その、なんというか、どうした? ま――まあ、始めよう」
長義が咳払いをした。
問われるままに話していたら、あっという間に取り調べが終わった。
「――なるほど。概ね分かった。君との事が審神者にダメージを与えたのは間違い無さそうだな。本丸の今後についてだが、何か希望はあるなら配慮しよう。今は閉鎖されているが、削除はもう少し後になる予定だから、それまでなら調査への立ち合いも許可しよう」
「馬がいなかったと聞いたが」
言って、三日月はしまったと思った。案の条、長義が目を光らせた。
「どこで聞いた?」
「……黙秘する。俺としたことが、失言した。政府の知り合いを通じて調書を見せて貰った、と言っておくか」
三日月は苦笑した。
「失言? 君らしくも無い。まったく、逆に心配になるよ……悪い物でも食べたか?」
長義は頭を押さえている。
「そうかもしれんな……」
三日月は苦笑した。
悪い物――鶴丸を食べた。
三日月は気を引き締めようとしたが、ともすれば鶴丸に会いたい、鶴丸が好きだ、鶴丸は今何をしているだろう、鶴丸、鶴丸と彼の事ばかり思い出してしまい、あまり効果はなかった。
「そうか。調書については、まあ良いだろう。役人なら誰でも見られるからね。そうだ。あと一つ。醍醐寺で『鶴丸国永』の手入れしたらしいね。彼の事は、ある審神者から苦情が来ている。遠征先で罠を仕掛けていたと。その鶴丸は君が顕現した刀か?」
三日月の存在はもちろん機密事項だが、人の口に戸は立てられない。噂などで知っている審神者や、刀剣もいる。
政府が一部の審神者に『審神者の三日月宗近』を見かけたら連絡を欲しい、と触れを出していた為、悪戯の被害に遭った刀剣の主が、思い当たって政府に連絡したのだと言う。
鶴丸の事を聞かれて、三日月は表情を明るくした。
「そう、そうなのだ。ようやく鶴丸を顕現することができた。今日は留守番をしているが、中々、どうして頼りになる。登録は好きにせよ」
とうとう長義は頭を抱えて唸った。
「……分かった、そうさせてもらう。君が笑うと不気味だな。他に何か困っている事は無いか。せめて今どこにいるか、教えてくれないか。以前も言ったが、報告無しで出歩くのはやめてくれ。君は自分の希少さをわきまえて……こんな事を言える立場じゃ無いが、姿を隠して、君はこれからどうするんだ。本丸が必要なら用意するが……それとも、あの、君の主の本丸に戻るのか?」
主の本丸に戻るのか、と聞かれて、三日月は思案した。
大倶利伽羅、燭台切、蜂須賀……仲間達の顔が浮かんだ。
……三日月は審神者の自殺を素直に悲しいと思えた。
それは鶴丸がいるからだ。
三日月の悲しみを受け止めた、鶴丸が。
彼のおかげでようやく前に進める。
「俺はあの本丸には戻らんが、審神者と仲間の弔いはしたい。事件性については自分で調べる故、立ち入りの許可をくれ。あそこはやはり、俺の本丸だ。何も問題がないと分かるまで、閉鎖は待て」
長義が溜息を吐いた。
「政府は君をまた、拘束することも出来るんだ。そうした方がいいって意見も多い」
長義の言葉を聞いて、三日月はついに笑い出した。
――三日月が戻らなかったらどうなるだろう。拘束したら、山姥切が居るから露見する。そうなったら鶴丸はどうする? 口約束とて、違える刀剣では無い。真白い衣装を血に染めるだろう。
「はっはっは、そうだなぁ、それもいいなぁ。あの男が血に狂う様を見てみたい。ああ、本当に、楽しみだ。血に染まったあやつは、さぞ美しかろう――さて、惚気はこのくらいにして。長義よ。実の所、何が起きたか分かったのか。敵の気配はあったのか?」
三日月は本題に入った。
長義が深く溜息を吐いた。
「ようやくまともになったか。霊力的な問題は無かったが、調書の通り、座標のズレが確認された。その上、こんのすけと馬も居ないとなると干渉があった可能性が高い。元々、戦績も運営状況も良くなかったから、そこにつけ込まれた――あくまで可能性だが。その辺りは、調査している、と言いたいが僕の一存で止めている。君に調査の全権を渡す事は出来ないが、勝手に時間を荒らされても困る。速やかに閉鎖しろ、というのが上の決定だから、君の弔いが終わり次第閉鎖になる。僕はこれ以上貧乏くじを引きたくないから、弔いは君に丸投げしたいけど、いいかな。付き沿いはつけないから勝手にやって欲しい。弔いが終わったら報告をくれ……と言うか、できれば、さっさと出て行ってくれないかな?」
最後、長義はやや好戦的な顔をした。
「ふむ……何かあったのか?」
「何でも無い。少し疲れているんだ」
長義は書類の角をめくっていた。
◇◆◇
同時刻、山姥切国広は鶴丸に付き合って、出陣していた。
山姥切は現在、秋津の本丸で練度を上げている最中だから、丁度良い。それに、鶴丸と話がしてみたかった。
――出陣先は函館だ。敵は弱く、徒党を組んでは居ない。
短刀が二振。鶴丸の突きで決着が付いた。
鶴丸にとっても山姥切にとっても物足りないこと甚だしいが、鶴丸が怪我をすれば三日月の手入れが必要になる。彼が不在の今は致し方ない。
「終わったな」
鶴丸が刀を収めた。
「ああ。敵も少ないな。しかも、弱い」
山姥切は言った。
戦闘の後には自然、会話が生まれる。
山姥切はこの鶴丸国永に対しては、なるべく人見知りをしないように頑張っていた。
新しい敵を探して辺りを見回すが、周囲に気配は無い。
「この辺りにはもういないな。適当な所で切り上げるか」
鶴丸が言った。
鶴丸は懐中時計を取り出して、時刻を確かめ、つまみをいじって方角を確かめている。
「じゃあ、あっちに行くか」
鶴丸が東を指さした。
「……」
山姥切は黙ったまま付いていく。人見知りしないと決めているのに、中々言葉が出ない。
加州の本丸で出陣し、大分、会話に慣れてきた、筈だと思う。日常会話で困った事は無い。しかし山姥切は動揺していた。
原因は先程の会話だ。何が起きているのかと思った。自分と同じ……いわゆる『一目惚れ』という現象が起きたのだと思う。そこだけは分かるが、信じられない。三日月のあんな顔は、初めて見た。三日月が頰を染めるなど……明日は雨か天変地異だ。
聞きたい事は山ほどあるのに、鶴丸と二人で話すのが初めてだと思うと、緊張してしまって。言葉が出てこない。
「そうだ、お前さん、ええと山姥切と呼んでも良いのか?」
「!」
鶴丸から話掛けられて、山姥切は肩を揺らした。鶴丸は――どう見ても気さくな性分だ。
「三日月とは長いのか?」
山姥切は少しほっとした。三日月という共通の話題がある。
「ああ。……あ、俺の事は、好きに呼んでくれ。俺も鶴丸、と呼んでいいか」
「ああ、もちろんだ」
鶴丸が微笑んだ。
「ありがとう。三日月とは、万屋の前で会った。珍しくお遣いに出ていて、大金の入った財布を落としてしまって、固まっていたら、声をかけてくれて……もう四年程前になる」
「へえ……! なるほど。四年前? 三日月はそんなに長いのか」
鶴丸が言った。鶴丸の言いたい事が分かったが、少し不思議に思った。
「いつ顕現したか、聞いていなかったのか?」
「ああ。そうだな。そう言えば知らなかった。意外と古株なんだな。君は顕現してどのくらい経つ?」
「俺は今年で、二十五年になる」
「! そんなにか!? 凄いな!」
「主は、毎年誕生祝いをしてくれる。息子のようなものだと言って……」
「へえ……そいつは興味深い。誕生祝いってのはなんだ? あ、人がするあれか……付喪神もやるんだな、なるほど」
鶴丸の言葉に、山姥切は頷いた。
そこからしばらく「でも長生きすると、年齢なんて忘れるよなぁ」「確かに」などと歩きながら会話して、お互いの事が分かって来た頃、山姥切はようやく本題に入れた。
「お前はさっきの、三日月を見たか?」
「ん? さっきの?」
山姥切の言葉に、鶴丸が首を傾げた。意味が通じなかったのだろう。
「あんな三日月を見たのは初めてだ。思ったより親しくて驚いた」
山姥切は付け足した。
「ああ……」
鶴丸が苦笑した。
「どのくらい親しいんだ? ……悪い意味じゃ無くて、三日月の事が気になる」
山姥切は聞きすぎかと思ったが、聞いてしまった。三日月の事が心配というのもあるが、二人の関係が気になった。
すると鶴丸が明るく笑った。
鶴丸は儚い見た目に似合わない、気持ちの良い、さっぱりとした笑い方をする。
「君達は本当に仲が良いんだな。そうだな、一つ布団で寝て、深い接吻をするくらいには親しいが、まだ体をつなげていない」
山姥切は鶴丸の言葉に絶句した。
「どうした?」
「いや……、何でも無い。あっ、そ、そうか、手入れがあるのか! そうだな」
山姥切は心を落ち着かせようとしていた。思ったより進んでいて驚いた。
「ああ。手入れのためだから仕方無い」
鶴丸が呟いた。
「――嫌なのか?」
鶴丸は即座に首を振った。
「まさか。ただ……一つ気になる事があってな」
鶴丸がうーん、と首を傾げた。
「何だ?」
「一緒に寝ているとき、三日月が、たまに……いや、頻繁にうなされるんだ」
山姥切ははっとした。
まさか、あの審神者との事がやはりまだ相当深刻なのかと焦った。
「なあ、良く三日月が『かだいが終わらん……かだいが……』って寝ながら唸ってるんだが、あれは何かの病気か?」
山姥切は吹き出した。
「っ。それはおそらく、過去の夢を見ているんだろう。審神者の勉強をしていた頃、三日月はいつも課題が終わらない、量が多くて間に合わない、と唸っていた。あんたと過ごして、少し、余裕が出て来たのかもしれないな」
山姥切は微笑んだ。
あの頃から、鶴丸は三日月の支えだった。
「審神者になって、お前を顕現するんだと、三日月は張り切っていた」
「へえ。そいつは嬉しいな。夢ってのは何だ?」
鶴丸が尋ねたので、山姥切は説明をした。
鶴丸はおおよそ理解したらしい。
「そうか。なら俺は夢ってのはあまり見た事がないな。あ。だが鍛冶場の夢は見た記憶がある。後は良く、暗い場所にいる感覚があるんだが……それがそうなのかもな」
「そのうち分かる。だが、夢は眠りが浅い時に見るという。もう少し様子を見て、あまり課題にうなされるなら起こして、話を聞いてやるのもいいと思う。話せば、自然と次は別の夢を見られる、気がする」
山姥切はまだ半笑いだった。
「そうしよう。面白い話が聞けそうだ!」
鶴丸は手を叩いて笑った。
ふと、鶴丸が目を伏せた。
「三日月は楽しい話、笑い話は良くするが、あまり暗い顔は見せたがらないな。……話しを待つ方がいいのは分かっているが、性分なのかやはり気になる」
「……三日月の背負う物は大きいから、注意して聞くのがいい」
山姥切は、思わず言っていた。鶴丸に見つめられて、顔を隠した。それでも、伝えたかったので必死に喋った。
「……三日月は、優秀なやつだが、苦しい事もある。たまにはあんたから話を聞いて、辛そうなら、あんたが支えてやってくれ」
「もちろん、そのつもりだ」
鶴丸が頷いた。
三日月が本音を漏らす相手は、自分か、もっと深いところは鶴丸にしか語らないだろう。
鶴丸が笑顔で手を差し出した。
「これから世話になりそうだ。よろしく頼む」
「……ああ」
山姥切は手を握り返した。山姥切はこの鶴丸なら大丈夫だと思った。
「支えか……そうなれるよう、地道にやるしかないわけだが――敵さんは全くいないと来た。こっちにいたと思ったが、移動したみたいだな。帰るか?」
山姥切は頷いた。
◇◆◇
三日月が秋津の本丸に戻ったのは夕方で、連絡を受けた鶴丸は正門が見える縁側に陣取って、今か今かと待っていた。
三日月が桜と共に戻って来て、鶴丸は目を丸くした。
――三日月は出陣服を身に着けていた。
「鶴丸!」
三日月が手を挙げた。表情は晴れやかで明るい。腰には輝く太刀がある。
一目で無事と分かり、鶴丸は駆け寄った。
「三日月! 良かった。無事か」
鶴丸は三日月の手を取った。
「ああ。この通り、久々にこれを着たが、肩が凝るなぁ」
三日月は苦笑している。
鶴丸は三日月の衣装替えを心から喜んだ。
――籠手も手袋も破れていない。思わず目が潤んだ。
三日月を見る度感じていた罪悪感を吹き飛ばす程、紺蒼の狩衣が似合っている。
髪は深い夜の色で、瞳が揺らめき輝いている。通った鼻梁、長い睫毛、金の房飾りの似合うことには驚きを隠せない。香の香りも常より強く、帯も鎧も夕日に当たって鈍く輝いている。帯や鎧を見るのは初めてだし、袖の長い狩衣を見るのも初めてだ。
袴も破れていないし、足袋も真白く、草履も真新しい。狩衣には綾紗模様があり、三日月が少し動いただけで糸がきらめく――それがまた憎らしい。
あとは刀。『三日月宗近』の優美な拵えはまさしく彼そのものだ。
三日月の強さや美しさは、どんなくたびれた格好をしていても変わらなかったが、まあ、あれは少しくたびれすぎだったとしても――真新しい出陣服のおかげで、彼のまたとない美貌と瞳の月が際立っている。
ゆったりとした着物で体の線が見えないので、この三日月の持つ力強さが目減りして、優雅さ、儚さが増している。
(驚いた……きみはこんなに綺麗なのか)
鶴丸は突然美しくなった三日月に戸惑った。
三日月は淡く微笑んでいて、いつもの表情だが……今は近寄り難く感じる。
分かっていたつもりで、ひとかけらも、分かっていなかった。
――白が黒に塗り変わる。それくらいの衝撃だった。
本当に似合っている。むしろ全く違う刀に見える。
驚いた、とだけ言ってお茶を濁しても良いのだが。
(……いや、ここで褒めなきゃ、男じゃない)
鶴丸は気合いを入れたが、何と言えばいいのか分からなかった。
「派手な格好だな。驚いた。……良く似合う」
絞り出せたのは、折れたくなるくらい月並みな言葉だった。
「……左様か?」
三日月が微笑んで、ごく僅かに頰を赤らめた。
鶴丸も頰が熱くなるのを感じた。この美刃(びじん)を腕の中に収めたい衝動に駆られて、自制した。
……鶴丸はこんな自制を何回もしている。
三日月は照れた様子で、口元を袖で上品に隠して、小首を傾げて笑って見せた。
そんな仕草も様になる。鶴丸は『頼むから動くな!』と言いたくなった。
「あっはっはっは、触っても良いぞ?」
何を思ったのか三日月がそんな事を言った。髪飾りをひらひらと動かし、何時になく上機嫌である。
「いや、それはいい! 飾りを千切りそうだ!」
鶴丸は思わず遠慮した。
動揺を隠す為、鶴丸は腰の物に目をやった。
「それより、刀を見せてくれないか」
「ん……これか? しばし待て」
三日月は頷いて、腰帯を外して、あっさり寄越した。
鞘を掲げ、鶴丸はほう、と溜息を吐いた。
「……これが三日月宗近か……! 抜いて見せてくれないか」
「……あいわかった。――どうだ?」
三日月が自らを抜いて、峰を鶴丸に向ける。
しばらく、鶴丸は輝きに酔いしれた。
「これが……三日月宗近か。……俺の父上が憧れた刀……なるほどうちのけが散っている。まさしく奇跡の業だな。月にも見えるが、星にも見える」
「星?」
鶴丸は瞳を輝かせた。
「三日月、きみは鉄が打たれるとき放つ光を見た事があるか? 鎚で打たれて、火の粉が散って、炎が瞬く。それがまるで……」
鶴丸は自分で言って、首を傾げた。
「まるで?」
「星の輝きとか、そんな物に似ている……? 星? いや、似ていないか。うん、誰の言葉か忘れた! とにかく君は美しい。いい物を見せて貰った。ありがとう」
三日月が刀を鞘に収めた。その仕草にも引きつけられる。
そこでふと気になった。
「三日月、その格好は、手入れされたのか?」
「いや、政府の予備を貰った」
三日月の静かな声を聞いて今更だがほっとした。いつも通りの三日月だ。
「なるほど、そろそろ夕飯だぜ。行こう」
先程から山姥切、秋津、加州達がこちらを見ている。
「――あいわか、……ぁ!」
三日月が手を差し出したので、鶴丸は手を引いた。