とうらぶの映画見てきました。おもしろかったー
そんでこの映画を見て「あんまり合わなかった」って感想になった人の一つのパターンとして刀剣男士がメインの同人誌を買ったつもりだったのに審神者の話の同人誌だったケースがあるのでは?
と思いました。
商業でやってる映画と同人誌一緒にするなというご意見もおありでしょうが、基本的にどのメディアミックスも「とある本丸(とある世界線)」を貫いているので「商業だから公式設定(貴方も私も含めたユーザー全ての本丸)に適用されるわけではない」という揺るぎない事実がありますんで、そういう意味で。
※もう百万遍言われてるけど前作の映画のポーションが我々の本丸にはないから、そういう事な。
私はめちゃくちゃ楽しんだ作品なんですが「私はちょっと合わなかったから他の人の感想が聞いてみたい」というフォロワーさんのリクエストに応じた「ダメな人は何が引っかかったのかな?」という考察のテキストが続きます。
※私はこの映画についてはユーザー目線で内容を楽しむというより「プロがどんな形で審神者に準じる人間と刀剣男士を絡ませてストーリーを構築したのか」という作り手目線の興味からストーリーを読み解いてるので若干、脚本家さんや監督擁護のスタンスだと思うのでそこを差し引いて読んで下さい。
で、特に前作見てた人、それから普段2.5次元見てる人ほどツイートに書いた感想の傾向に陥りやすい状況なんじゃないかと思いました。
だって「継承」も「ステ」も「ミュ」も、全て「ストーリーを動かしているのは刀剣男士」なんですよね。
※2.5は私は見てないタイトルもあるけど見た限りは全部そうだったのでそのつもりで書いてます
これまでは登場する人間は基本的に歴史上の人物がメインで、そこに歴史に名が残らない人物が関与する事で歴史が変わるパターンもあるけど、ストーリーの基本構造は「歴史に狂いが生じるのは歴史上の人物が正史と異なる動きをしたから」になってるんだと思います。
で、遡行軍と戦う以外では歴史が狂った部分に刀剣男士が入って本来人間がロールすべきだった役柄を演じて穴埋めしたりしていた。
各演目を見ている人間は「刀剣男士が物語(歴史)の一部になっているのを見ている」のがこれまでの多くの物語だったんじゃないかと思います。
ところが今回の黎明、その王道パターンから外れた形でストーリーが回されてました。
これまでは「歴史上の人物が原因でトラブルが起きていた」だったのに今回は「トラブルの原因は刀剣男士(が呪いを受けた事)」になっていて、更にその解決をする中で大きな役割が与えられたのが「審神者ですらないただの人間(観客にとっては全く知らない他人)」なわけです。
アニメの活撃みたいなストーリーを期待して買った本の中身が「特に思い入れもない、よく知らない人間のオリキャラがそれなりに活躍して事件を解決した」だったら「なんだこれ」って思うのが妥当な反応だと思うので「えっ、この話、どこがいいの?」って感じた人は多分「好きでもないメアリー・スーが主役の2次創作を見た」ような気分だったんじゃないかなと思いました。
そんな感じなので多分この映画は「創作審神者が主役の話を楽しんで読めるタイプかどうか」で感想が分かれるんだろうなと思います。
おそらくは「刀剣男士という公式キャラクターのみが好き」で「2.5次元の作品が好き」な人ほど「何これ、期待したのと違う」になりやすいお話ではないかと思います。
というのも私が見た限り、この映画は「刀剣男士の活躍を描いた物語」ではないからです。
おそらく制作側が描きたかったのは「刀剣男士の物語」ではなく「いかにして刀剣男士が生まれたか、その源流の時代の物語」だったんじゃないかなと。だからタイトルが「黎明」なんじゃないかなって。
昨日までの感想で不満点として「見たい所はカットされていたのに、余分な所では時間使ってた」っていうのもたくさん見ました。
これも上記と気持ちの根っこは同じで「私は推し(刀剣男士)が見たくて映画に来てるのに、なんでモブの人間のどうでもいいシーン見せられてんだろう」って事じゃないかと思うんですが、確かに「刀剣男士の活躍を描く」んだったら終盤の琴音ちゃんと伊吹くんのやり取りのシーンとかは不要だったと思います。
でも後の世で「審神者」が誕生する、その始まりの時代の物語だったら全部必要なんですよ。
以下、多分不要と言われていたシーンとかの意味、こうじゃないかと気付いた物の列挙
・審神者が現れる前から物の声を聞ける人間は存在していた。
・聞く気がなければノイズでしかない→聞こうとする気持ちがあるのならそれは意のある「言葉」になる→それに気付いた人間がこの時代に現れた
琴音ちゃんが何度か「歴史を守る事だけが大事なの?現代の人間を守ってくれないの?」的な質問してますが、あれも「実際にああいう事態に巻き込まれたらああいう反応はまあ自然よな」というのもあるんですが重要ポイントとしては「琴音ちゃんの質問に対して三日月は琴音ちゃんが納得するようなわかりやすくて明確な返答をしていない」所じゃないかなって思いました。(多分明確な答えは出してなかったと思います。出してたらごめんなさい)
何故かというと、刀剣男士が歴史を守るのは「審神者(人間」がそう定めたからであって、自らの意思じゃないんですよね。
「日本刀が歴史を守らなければならないと思ったから刀剣男士が生まれた」のではなく「人間が歴史を守る目的で刀剣男士を作った」じゃないと「物の意思のために人間が協力している」事になるので、あそこで三日月が明確な答えを出したら逆にダメなんじゃないかなと思いました。
私はそういう関係性で映画の世界における「人と刀」「審神者と刀剣男士」の位置付けを表してるのかなと思って見てました。
・伊吹くんと弟の話→酒呑童子の呪いを受け取った人間を利用して2012年で審神者の誕生を阻止するための手段にする
特に伊吹くんと弟のエピソード、「審神者と刀剣男士」の関係を考える上でかなり重要な要素が散りばめられてたと思います。
・伊吹くんが弟にあげたボール→ここがかなり需要ポイントだと思いました。
おそらくは量産かつ廉価品のボールに対して
・弟くんは「お兄ちゃんからもらったボール」という価値を見いだした→マジックで顔を描いた→ここからの流れ、「刀工が打ったうちの一振でしかなかったはずの刀が逸話を纏う事で名を得て後の世に残り、やがて付喪神として人格を持つ刀剣男士となる」事を踏襲してるんじゃないかと。
・顔を描く=銘切りあるいは号を付けるに匹敵する行為だったのでは?
この時点であのボールは「そこら辺にいくらでもある、替えが利く"ただ"の物」ではなくなってるわけです。
歴史に刻まれて後の世に残る物には及ばなくても「兄弟の歴史」では意味がある物が生まれた。
伊吹くんがあの「思い出のあるボールを元にして」物に蓄積された人間の思い(記憶)を奪う「鬼を作り出した」のって、使う物と目的が違うけどやってるプロセス自体は審神者と同じなわけですよ。
要するに「人から思いを奪う事で未来に審神者が生まれないようにする」以前に「審神者と同じ手法で(2205年から見て)過去が改変される」というのが今回の映画で解決すべき問題のポイントだから、伊吹くんと弟のところは尺をしっかり割く必要があったんだと思います。
そしてそこを解決するのは「審神者になり得る人間じゃないとダメだった」から説得役が琴音ちゃんだったんかなって。
※「刀剣男士が活躍する話」だったら説得役はまんばちゃんか三日月さんやろ…と思うのでここで「この映画、審神者の黎明の時代の話だからここのパートは闇落ち審神者(仮)を審神者(仮)が救う展開なんやな」って確信した。
映画の内容を見るに、酒呑童子は実際の所、マクガフィン(話を進めるために必要な小道具)でしかなかったのに、PVだとやたらと平安の部分をフォーカスしてるし、前作が歴史物だった+柄本さんみたいな大物が道長を演じているので見てる人の多くは「解決すべきは酒呑童子の呪いだ」と認識するので「伊吹くんの所は必要か?」って感じてしまったんじゃないかと思います。
要するに制作側が作りたいのは「審神者という存在の黎明となる時代の物語」なので本来だったら主軸になるべきは「審神者の源流になる人間」なんだけど、作品タイトルが「刀剣乱舞」で刀剣男士も活躍させる必要があったのが原因で、ある意味面倒くさい事になったんかなって感想です。
※描きたい内容的には、審神者の素質がある過去の人間キャラのバックボーンをもっとガッチリ決めて「刀剣乱舞エピソードゼロ」みたいな人間が活躍する話にするのが妥当だったんじゃないかと思いますけど、かなりの数いるだろう、創作審神者が苦手な人も楽しめるように考慮した最適解ではあると思うので無理な話だとは思いますが
そんで、逆に創作審神者OKタイプの人の不満は「見たい所が足りなかった」じゃないかと思いますが、そもそもが、二時間足らずの尺だと思ったら、出て来るキャラの人数が多すぎだと思うんですよね。
体感的に「劇場版のダヴインチコードを115分で作ったみたいなやつ(実際は149分の作品です)」というか、「一冊15万字くらいある上下巻の原作を二時間で実写化したので原作にあった細かい部分はバッサリカットされていたけど皆が見たい、って言ってたシーンだけは大体あった」みたいなイメージ
※ただしその原作は存在しない
個人的な見解としてはストーリーとしての完成度を上げるなら刀剣男士はW山姥切と三日月に絞るくらいでないと絶対に時間足りないと思います。
(シン・ウルトラマンを例にするとあっちは主役は神永さんのみの作品だからあの尺で行けたわけで、他にもウルトラマンが同じくらい出てたらあんなにきれいにまとまらなかっただろうなと思うので)
なのになんで長谷部と源氏兄弟が出てたかというと、集客材料として効果絶大すぎるからかと。
だって絶対「ギャルと高速バスで東京に行く長谷部」と「ステ運営が制作参加の作品にミュとは違う新キャストで極の源氏が出る」ってなったらそれで見に行く人めっちゃ出るじゃないですか。実際ギャルと長谷部はトレンドになってるし。
そこら辺で今作は「ターゲットを狭めてでも作品としての完成度を上げる」よりも「尺が足りないから、作品としては絶対外せない所だけで繋げて全体的な及第点をキープできたらOK、ラストのサプライズで見てくれたユーザーの満足度を確保する」っていうトリッキーな戦略なんかなと思います。
※多分これ2時間半の尺があったら皆がみたいやつ全部入ってた気がした。
「全体的に色々と惜しい」って感想もめっちゃわかるけど「厳しい文字制限の上でハムレットを小学生向けに書いた」みたいな感じで「原典知ってたら『わかるけど薄味すぎて物足りない!』ってなるやつだよ。監修はきっちりしてるから要点は抑えてあって誤りとかはない、きちんとした物だけど!」って現象なんかなって思いました。
そんで、脚本がやすこにゃんじゃないからダメだったの気持ちもわかるんだけど、正直前作みたいな歴史ミステリーは一回こっきりだから出来た所もあると思います。
ああいう感じの「正史ではこうだけど実は」という歴史ネタ自体は可能でも、尺が足りないとか歴史背景の説明に尺が取られて刀剣の出番か減っちゃうとかで「二時間くらいの映画に使える歴史ネタ」は案外少ないのかもしれない。
実際、公開前特番でも歴史物でやろうとしたけど上手く行かなくてニトロさんからの提案で現代物にしたみたいなコメントあった記憶があるんで…
※「そんな事ないもん!あるもん!」っていう歴史に詳しい人が応募できるシナリオコンテストとかないもんですかね…
そんでバスが襲撃された時、撮影しまくっていた実弦ちゃんの意味はなんだったん?って思ってたんですけど「2012年くらいになったら人間は変わった事が起きたら写真なり動画なりで記録を取りまくるという話の実例」をあれで見せておいて、交差点でのプリキュアオールスターズの所で「記録されたらまずいのでは?」ってなったのに実際は「皆が刀剣男士の戦いを見守っていて『記憶』には留めているけど『記録』はしていない」様子に対して「まるで全ての人間が審神者のようではないか」みたいなセリフが出て来てるわけですよ。
そこで三日月さんが「物の声を聞ける」という審神者の特性(異能)を持つ琴音ちゃんに「審神者は誰でもなれる物ではない」と言ってたセリフが否定されて「心の持ちようで誰でも審神者になれるかもしれない」という可能性を提示してるんですよね。
誰にって?映画を見ている私達にです。
だからこの映画が言いたかったの多分、私達に向かって「貴方たちの心が繋がって、未来に審神者が生まれるんですよ」って作品世界と観客をリンクさせたいんじゃないかなって思いました。
※ただしここ、私は「とうらぶ世界での私は推しがいる本丸の壁(天井)です」派の人には「いやそういうのいらんけど」かもな…って顔して見てました。自分が壁派なので…
「審神者の研修用ビデオ」っていう感想書かれていた方いらっしゃいましたが、私も多分、この映画の一番正しい見方はそれな気がします。
クッソ長くなった
私は映画館遠いので次回は配信待ちだけど「プロの人、制限の中で入れたい所はきっちり入れたんかな…すごいな…」って思って見てました。楽しかった。
【私信】まあ、万人が満足するのは無理だからね…うん…気持ちはわかるよ…
【一個気付いた事があるんで追記】
第一作がヒットした場合、二作目は同じ路線を踏襲するかどうかという判断を含めて難しいと思ったんだけど黎明が歴史ドラマにならなかった理由
・歴史物は説明が増える分二時間では厳しい
という大前提があって、もし「映画に登場させられる刀剣男士を映画制作チームの一存では好きに選べない」としたらそこで「詰み」だったのでは…?
今回の場合、酒呑童子を出すなら本来は外せないはずの「童子切」がゲーム公式で未実装だから平安のエピソードは引っ張れなかっただろうしね…
やすこにゃんに歴史物で書いて下さいって頼んで「これでどうですか」って案を出してもらえたとして、そのストーリーの主軸として必要な刀剣男士が「メディアで今推したいキャラ」と一致するとも限らない事に気付いて僕は私は。
※ここ、意図と違う捉え方してる人いるからはっきり書くと「このキャラ(キャスト)をメインにした映画で客が来るかわからないケース」の話です。
2.5未実装刀剣が必要で新キャストがメインキャラになる話だったら集客できるかどうかマーケティングが難しいだろうなって思うので。
固定ファンが付いてる既存キャストとかタイミングによってはゲーム公式での新規実装とかイベントに関係する既存の刀剣男士をストーリーの目立つ位置に置く必要があるだろうなという推測の話です
そういう制限の中で「可能な限りリアル審神者が喜ぶ要素を作品に入れる」ためにした選択で生まれたのが「黎明」だったのかなと思ったんですけど、解決策はやっぱり二時間半か三時間くらいの完全版の円盤を出す事じゃないかなって思うんですよね…出してもらえないですかね…