【辛口】ちはやふる、最終回を読んで吐いた。二度と読まないし買わないし思い出さない。あれはもう私の読み始めた『ちはやふる』ではなく、「太一推しになってしまった末次由紀の二次創作・『たいちふる』」だ。
※以下「千早が新or太一のどちらを選ぶか」ネタバレありますが、最終回の問題はそんな簡単なものではないので、まずは最終回をしっかり読んできてからお読みください
※作者が「ちはやふる」を書き始めてくださったこと、またそれが社会現象になったと言えるほどの人気作となった中で最後まで描ききるプレッシャーを思えば、完結させたこと自体は「お疲れ様でした」と心から思います。
ですが、それと内容批判は別です
あんな完璧な始まりの第一話を描きながら最悪の結末を描いたのだ。作者であることを利用して作品を殺したのだ。生みの親であれば子である作品に何をしても良い訳ではなかろう。親が子を支配して良い訳ではないように。あの第一話はどう見ても「新と千早のボーイミーツガール」だった。新と出会って千早は「姉を応援する妹」から「かるたで一番を目指す少女」になった。そもそも作者自身が当時のインタビューで何度も「千早と新の恋物語」と答えていた。それを信じて読んできたのだ。どんなに途中で「は?」と思うところがあっても。
最初に「は?」と思ったのは、かなちゃんの心変わりだ。千早が団体戦の速報をひたすら新に送るのを、肉まん君に説明されて「せっ……瀬を早み岩にせかかる滝川の」とときめいていたかなちゃんが、突然「部長、私は気付いてますよ!」と太一×千早を応援し始めたところだ。古文を愛して止まないかなちゃんが、歌の引用も無く太一の恋を応援し始めたあの時、かなちゃんはかなちゃんではなく、「かなちゃんの姿をした末次由紀」になってしまった。そしてそれは最終話、太一に告白した千早を影で泣いて喜ぶ彼女でピークを迎える。噴飯かつ反吐ものである。公式連載が作者の自慰になった瞬間である。なんというものを見せつけてくるのか。変質者か。或いは「自慰は人から見えないところでやるように」と教わらなかったのか。ならば性教育からやり直してくれ、良い本あるから。
そもそも太一は「ずっと千早を見守って」などいない。少なくとも中学の三年間は接触がほぼ無い(※小説版は読んでいないがもし接触が足されてるとしたら大概である。原作=漫画での高校入学での再開シーンからは、中学時代の二人はほぼ没交渉であったと思われる)。その上太一は彼女までいた。これで太一を応援するのだ。へそで茶が沸く話である。
もちろん、ボーイミーツガールスタートの全てがミーツしたボーイ&ガールのハッピーエンドで終わるとは限らない。「ハチミツとクローバー」ではミーツしたボーイが二人いて、ヒロインは最終的に保護者的立場の別の人間を選んだ。あれもだいぶ燃えたし私も「ゑ?」と思ったが、「ちはやふる」の酷さに比べたらマシである。
「ちはやふる」の酷さは「元々描いていたであろう大筋を作者都合(=キャラクターへの恋)でぶっ壊した」ことに尽きる。この酷さはゲーム「ギルティギアゼクス」においてザトー=ONEが本来「自我を取り戻してエディが去る」展開を用意していたのに、声優担当の塩沢兼人氏が急逝したため「キャラの命も共にすることにしました」とぶっ殺されたことに通じる(公式設定資料集に書かれている)。そんなことして塩沢氏が喜ぶと思うたか。私なら亡霊になってその展開にした担当の夢枕に立って漏らすまで責め上げる。
太一の始まりは不誠実であった。クラスのボスとして転校生の新をいじめていたし、新のメガネを盗ったことを、千早にかなり長いこと隠したままでいた。私はこれを、いつ太一が千早に言うかと期待していた。これを伝えて初めて太一は新と同じ土俵に立てると考えていたからだ。そして太一は137話でそれを実行した。千早に告白するためである。そして千早は太一を振った。当然である。長らく信じてきた友の潔白(「太一はそんなことする奴じゃない」と庇っていた)が裏切られたのであるから。
なのに最終回で、太一は千早に選ばれる。名人にこそなれなかったものの千早と両思いになるのである。「試合に負けて勝負に勝った」というのは物語の展開としては有るものだが、ここで投入するのはお門違いだ。作者はとことん太一に恋をし、盲目のまま贔屓の引き倒しをした。「えっ、この状態からでも叶う恋があるんですか!?」である。保険のCMも真っ青、やりたい放題である。神様仏様作者様。恥を知れと思う。主人公はトロフィーガールでは無い。「主人公」の取扱いを間違えないで欲しい。
私は決して「新派にも配慮した展開にしろ」と言っている訳ではない。「太一を不幸にしろ」とも言っていない。物語というのは受け手の想定を広げれば広げるほど薄っぺらいものになる。むしろ受け手を「私の愛するたったひとりのために」くらい狭くした方が良い。万人に受けるものほどつまらないものは無い。
但し、物語には「説得力」が無ければならない。本来創作とは自由なものである。突然宇宙人が現れても天変地異が起きても創作では許される。しかしそこに、読者にそれが「起こり得ること」だと納得させる力がなければ、それはもう「創作」ではなく「妄想」になってしまい、たちまち魅力を失うのだ。
私が「ちはやふる」の最終回に、ふせったーでわざわざ書くほど怒り狂っているのは、ひとえにこの点にある。要するに「説得力の無さ」である。作中某氏の言い方を借りるなら「説☆得☆力」の無さである。どのあたりに足りないのか。やはりそれはあの完璧な第一話からの、17巻の盛り上がりまで描いてからの、新の扱いが徐々にギャグ処理されていったことと、対して太一がひたすらシリアスヨイショされていったことに尽きる。特に新の記憶まで改竄されたのにはドン引きだった。「俺がサッカーやっても良かったんや」?サッカー以前に新は太一から「着てるもの昨日と一緒じゃね?」「みんなでハブろうって決めた」とか言われてる状態で、人間扱いされてなかったではないか。それに、小学生太一がサッカーやってたシーンなんて見た覚えが無いのだが。
かくして千早は作者の傀儡となり、新と太一の間でフラフラさせられ、作者の好みで太一に無理矢理キスされてみたり、シリアスに太一を振ってみたりする。一方の新へは、初期の「せをはやみ」「かささぎの」の丁寧な丁寧な、千早の無自覚の純愛展開からの17巻での自覚が、まるで無かったかのように「(千早は太一と)付き合うことになった!?ガーン」で落とされる。噛ませ犬だってもうちょっと丁寧に描かれていいだろう。扱いが完全に脇役キャラである。「説☆得☆力」ゼロ、zero、【zíərou】である。もっと言えば「雑」である。「太一が遠くに行っちゃう!ハッもしやこの気持ちは!?短歌は詠めないけど言葉にしなきゃ!『好 き だ よ』」ってアナタ。雑にも程がある。
大体千早は17巻で短歌を詠んでいる。宿題のひとつとはいえ「夏の日の暑さの届かぬ室内できみの言葉の届くしあわせ」、「この角を曲がってふっと会えるかな奇跡か夢かそういうの待ち」って、新を想って。作者が忘れていたたのかわざとなのか分からないが、いずれにしても雑である。
更に悪いのは新に対し、「大丈夫、君には由宇ちゃんがいる」とやりまくってきたことである。高校生編開始すぐ、千早たちが新を訪ねて出会った由宇は、「新の事情を説明する役」として登場させたものと思われる。新を巡るライバルであっても良い、むしろそうなって欲しかった。それがどうだ、彼女のしたことと言えば「やたらと濃いものを新に差し入れる(しかもそれが新の不調を招く)」事であり、千早との絡みは殆ど無かった上に全体的にギャグ味を帯びていた。しかもそのまま最終回では、遂に新の口から「ソースカツ丼のおかげです」と言わせることまでさせた。涙ぐんで喜ぶ由宇ちゃんまで描いて。私はこれを見た瞬間、「さあ、これで納得して!二人を祝福して!」という作者の顔が浮かんだ。そして白けた。あんな「作者に言わされてる」感満載の新でどう納得しろと言うのだ。自慰を見せるな自慰を。新、あなたかつて由宇の弁当で食中りしたよね?由宇ちゃん、新に何回「弁当の中身は考えてくれ」と言われても変えなかったよね?そんな愛情の押し売り女をあの新が愛するの?「そこに愛はあるのんか」、いや無い。ここにも支配欲の勝利がある。もはや虐待ですよこれは。
いや本当に、ひどい作品になった。数年前に「悪魔バスタースター☆バタフライ」でも、シーズン3から突然それまでの展開や伏線をぶん投げ始めて「製作陣の総入れ替えでもあったのか」とファン一同騒然となったが、まさかあの時の心持ちを再び持たされるとは思わなかった。最初にも書いたが、作者は物語の親=導き手であるべきで、決して支配者であってはならないのだ。私は二度と「ちはやふる」を読まないし触れないし思い出したくもない。最終的に作者にレイプされ殺される物語だと分かった上で本作を読むことなど出来ない。そして物語を支配する描き方しか出来ないのなら、末次由紀には二度とオリジナル作品を描いて欲しくない。少なくとも私は読まない。燃やすしかないよ……「ちはやふる」はもう駄目じゃ……。
※各種出典は私の記憶に基づいております。出典元を当たることは作品の読み返しになるため拒否しています。
※一部修正しました。出典元教えてくださった方、ありがとうございました。
2022年8月2日(火)追記
沢山の方にお読み頂きありがとうございます。もっと批判の的になることを覚悟してたのですが、幸いここまで好評を頂いており、ありがたいなぁと思っています。
私が最終回を読んだのは7月末発売の本誌でした。私がキュウべぇと契約済み@魔法少女まどか☆マギカだったら間違いなく魔女になる自信がありました、いやホント。心底絶望したんですよ、「絶望した!」どころの騒ぎじゃなかった@さよなら絶望先生。ごめん糸色先生。あとキュウべぇお前は殺す。
でも直後に「8月1日・2日と無料開放!」と見たので(※48巻まで。私は「最終回まで無料」と勘違いした)「今書けば同志と傷を分かち合えるかもしれない!!」と、幾つかの私用を終えた8月1日深夜に一気に書いたのが上の文でした。アップ時間でお分かりのように、気付いたら2時間集中してました。そのあとはひたすら同志を探しては「いいね」を押して回り、うっかり徹夜しそうでした。感想ツイートの中に「最高でした!」とか「太一おめでとう!」とか見るたび挫けそうでしたが、そんな中に見つける同志の叫びは希望の星でした。砂浜に光るビーチグラス。今も拾っております。絶望を呟いて下さった皆さんに感謝します。