「ボーはおそれている」とユダヤ教(ネタバレ)
まーじで今回ユダヤ教要素だらけなので全く拾いきれている気がしない
たぶん細かい戒律とか含めるともっとあると思うけど、大きくは流浪の歴史と最後の審判を抑えておけば大丈夫だと思う
まずは冒頭、ボーがママと電話するシーンあたり。
全編通して母親(モナ)はボーを責め罪悪感を抱かせるような言い方をする(終盤の「愛を絞り出して」云々とか)だけど、こういう子供に支配的な言動をする母親(往々にして教育ママがち)のことをジューイッシュマザー(ユダヤ人の母親)と英語圏で言うくらいすっっっごいあるあるネタ。
詳しくはジューイッシュマザーのwiki(https://en.wikipedia.org/wiki/Stereotypes_of_Jews#Jewish_mother)でも読んでもらいたい。
英語なので翻訳機能でも使ってね。
ボーの自分で決められない、「どうしたらいい?」と周りに聞くような受け身の姿勢の半分くらいはこの母親が原因だと…。
…いやどうだろう。
これも元を正せばユダヤ教なので10割ユダヤ教が原因かもしれない。
まあ、そういうところに端を発しているのは間違いない。
次に母親の家に行きたいボーを襲う不幸の数々。
このへんはモロにユダヤ人の流浪の歴史の話。
まず我が家(国)を占拠され追われ(離散)、母親の家(約束の地)を目指すも道中(散った先の国々)で迫害を受け酷い目にあう。
ユダヤ人は経済を握ることが多いから貧しい非ユダヤ人に敵視される、というのは現代アメリカでもあるある。
流浪→至るべき約束の地へという大きな流れは劇中劇の形で説明あったね。
ノアの箱舟なんかも旧約聖書(ユダヤ教の聖典)の1エピソード。
そういえばボーを刺したのは割礼した白人男性という話だったけど、割礼をするのは主にユダヤ教徒とイスラム教徒。
白人なのであのヤベー人もおそらくユダヤ教徒。
ユダヤ教徒が多くて侮辱的な落書きも多く、治安が悪い…。
ボーが住んでいた街はゲットーとかそういうことだろうか?
そしてなんやかや母親の家に辿り着き、母の支配と呪縛を脱そうと試みるも、エレインの死などなどを受け、失敗する。
小舟に乗ったボーはアーチ状の岩を潜り……って、このへんからちょっとキリスト教みがあるんだけど、そのへん現代アメリカ的なユダヤ教(キリスト教の考え方との混交)ということなんだろうか?
聖母子像(偶像)があったんだから今更?そうねえ…。
たぶんモチーフとしてこのアーチ状の岩は審判の門(考える人が眺めてるやつ)で、抜けた先のドームがまさに死後の審判の場。
ユダヤ教の終末思想では、メシアの軍勢によって地上は制圧されユダヤ人の楽園エルサレムが誕生。
全てのユダヤ人は復活し、生前の行いが良い者には永遠の命が与えられる…だったかな?
地獄の概念は宗派により諸説らしいけど。
その生前の行いを判ずる審判の場に相応しく、糾弾する母及び弁護士(電話口でボーの到着が遅れるのを詰ってた人。死後すぐ埋葬しないと母を辱めることに云々が思いっきりユダヤ教の話なので、この人もゴリゴリのユダヤ教徒)。
対するは途中で水に放り込まれた頼りないボーの弁護人。
結局ボーには「悪」という審判が下され、ボーは弁明虚しく水の中へ。
ドームの客席は誰も騒ぎ立てない。
だってそれが、善行を積まねば(積んでもダメかもしれないけれど)神に見放されるというユダヤ教的に当然の考え方だから。
ユダヤ教に則らない愚者にかかずらうこともなくドームの観客は席を立つ。
そして画面の向こうの我々も席を立つ。
………というのがユダヤ教的な部分をざっくり拾った感想。
うーん、これ宗教的に疎い日本で興行収入いけるんだろうか。
A24のお金だいぶ使ったらしいけど大丈夫そ?
とりあえず知らないまま見に行った人、見に行く予定の人にはユダヤ教の概要の履修をおすすめしたいところである。