プロデューサーに対するアイドルの羨望――【ギンコ・ビローバ】樋口円香について
初出:2020年10月25日Privatterに投稿
【ギンコ・ビローバ】True「銀」のラストの言葉「ぐちゃぐちゃにひきさかれてしまえばいいのに」はどういう意味の言葉なのか。このことを【ギンコ・ビローバ】を始めとした樋口円香のコミュから考えていきたい。
そこで注目したいのは次の2つ。プロデューサーという立場とアイドルという立場の違いについて円香が敏感であったということ。もう1つは、円香個人からプロデューサー個人に向けられた感情である。この2つから「ぐちゃぐちゃにひきさかれてしまえばいいのに」の言葉の背後にある円香の思考や感情に迫ることができると思われる。
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◇アイドルとプロデューサーの立場の対比構造
「囀」のコミュは事務所のキッチンでプロデューサーが歌いながらお菓子を作ってるところに円香が出くわすというコミカルなコミュになっている。
このコミュに出てくる言葉で重要に思われるのは、円香が言った「偉そうな肩書き」という言葉。プロデューサーという「偉そうな肩書き」を持ちながら、歌いながらお菓子作りをする暇を見せるプロデューサーを非難している。
円香はWING編で最初に現れたときから、プロデューサーという立場に向けて不信感を抱いていた。幼なじみの透はプロデューサーに騙されているのではないか。おそらく、ロクなヤツじゃなかったら許さないという感じで、プロデューサーに会いに行く。そして目の前のプロデューサーに対して不信感を隠さない。
プロデューサーは「尋問」されてるような気持ちになる。ここでプロデューサーは自分を弁護するのだが、円香はそれを信じない。「口だけなら、なんとでも」。言葉で言うだけなら、いくらでも取り繕うことができるし、自分を飾ったりよく見せようとすることができる。円香はそんな言葉を信用しない。
プロデューサーという立場に向けた態度はほかにも見られる。「天塵」では、ノクチルの配信番組への出演が決まった後、円香は1人でプロデューサーと話をしに行く。なぜあの番組なのか。プロデューサーは、あの番組へ出演することがノクチルのステップアップになるということを言う。しかし円香は、納得しない。「好きに言ってくれますね。売り物になるのはこっちなのに」と。そして「何かあったら許さない」と釘を刺す。ここにもプロデューサーの言葉を信用しない円香の態度が見える。
さらに分かるのは、美辞麗句を述べるだけのプロデューサーに対して、「売り物」にされるのはアイドルである、という立場の対比構造があるということだ。プロデューサーはいくらでも素敵なことを言える。しかし実際に表舞台に立ち、試され、評価を下されるのはアイドルなのだ。矢面に立たされ、最悪の場合には世間から傷つけられるのは立場の弱いアイドルの方であり、一方のプロデューサーは、そちらの方が偉いのに、世間の矢面に立たされることはなく、守られている。この対比構造がおそらく重要になる。
このプロデューサーとアイドルという立場の対比構造の問題が、【ギンコ・ビローバ】でも問題になってくる。その観点から重要だと思われるのは「偽」のコミュである。「偽」では、オーディションに参加したほかのアイドルを円香が元気付ける場面が描かれる。そこで円香はプロデューサーのように「願い続けることが大事」といったことをアイドルに言っていた。この言葉が「偽」に当たることだと思われる。
アイドルを元気付けたことで、ライバルを増やしたかもしれないと円香が言ったのに対し、プロデューサーは「受けて立とう」と言うのだが、ここで円香はすかさず「受けて立つのはあなたじゃないでしょ」と切り返す。ここにも円香が立場の対比構造を見つめていることがうかがえる。
さらに、円香はアイドルの衣装が「薄着」であることを非難する。「まわりの人たちは、身を守るためにあたたかい服を着てるのに」と。ここでプロデューサーは「今日は一段と冷えるもんな」と答えるのだが、円香は「今日だけじゃありませんが」と言う。つまり円香の言う「薄着」や「寒い」は、気温に関することではない。円香の言う「薄着」は、アイドルという立場は傷つけられやすく守られていないということへ向けた非難である。
ここで念頭に置かれているのは、直前に円香が話していたほかのアイドルだと思われる。オーディションに向けて緊張し、気持ちが不安定になってしまったアイドル。アイドルとは、そこまでしなければならないものなのか(さらに悪いことに、世間はそのようなアイドルの姿さえも「売り物」として消費しようとする)。WING 編の「二酸化炭素濃度の話」も想起される。円香が話していたアイドルは「素の自分で勝負しようと思います」と決意し、去っていく。
しかし作り物の自分で勝負して負けるよりも、素の自分で勝負して負けた方がダメージは大きい。円香はそのことを強く意識している(「心臓を握る」)。円香が言う「薄着」とは、このようなアイドルの立場(の弱さ)を示している。ときに素の自分を出して勝負しなければならず、それで失敗すれば傷つけられる。「身を守るためにあたたかい服を着てる」というのは、まわりの大人たち、とりわけ目の前にいるスーツを着たプロデューサーへの非難になっている(がプロデューサーは気づかない)。
この「薄着」「寒い」ということが【ギンコ・ビローバ】の中で重要なポイントであることは、ガチャ演出で語られる台詞が「冷たい、風」であること、1回特訓した後に聞けるホーム台詞が「……さむ」であることからもうかがえる。
「薄着」に着目すると、Trueコミュ「銀」から見えてくるものがある。それはプロデューサーが「スーツ」を着ているということだ。
「欠点も愛嬌に変えて、結果『いいひと』『すごいひと』にしか見せない」と円香はプロデューサーを評価する。そして「信用ならない」と。欠点さえも外面(がいめん)を整える要素へと変えることができるほどに、外面を整える技術を心得ている、と円香は見ているように思える(これは本当に「買いかぶりすぎ」にも思える)。だから欠点や愛嬌など、外面に現れてくるものを見ても、それはそうした技術によるものだから、信用してはいけないのだ。
プロデューサーは「立派な肩書きをもらっても形だけ」「スーツを脱いだらそんなにできた人間じゃない」と謙遜するのだが、円香はすかさず「スーツを着ている時は、できた人間だと自負していると」と切り返す。プロデューサーは否定したいのだが、たしかにそう聞こえなくはない。
ここでプロデューサーの外面を整える技術は、「スーツ」を着ること「偉そうな肩書き」「立派な肩書き」と繋がってくる。プロデューサーは「スーツ」を着ることで「偉そうな肩書き」や外面を整える技術を得ることができ、身を守られている。「スーツ」はあたたかい(クールビズが生まれた経緯を思い出す)。プロデューサーは「折り目正し」い「スーツ」に守られている。「薄着」のアイドルとは大違いである。そこで、「ぐちゃぐちゃにひきさかれてしまえばいいのに」という最後の言葉が出てくる。「折り目正し」い「スーツ」、つまり「偉そうな肩書き」にプロデューサーが身を守られているということに対する羨望のまなざしがここに読み取れるのである。
ここに円香の複雑さ(complex)が感じ取れる。円香は最初、透がプロデューサーに騙されているのではないかと事務所に殴り込んでくる。「天塵」でも、「何かあったら許さない」と釘を刺している。これは、プロデューサーに対して、ちゃんとしていなかったら許さないというまなざしである。しかし同時に、プロデューサーがちゃんとしているように見えるほど、それが整えられた外面のように思えてきて許せなくなってくる。
つまりプロデューサーに向かってちゃんとしないと許さないと言いつつ、同時に、ちゃんとしていることが許せないのである。ここから、ひょっとして円香は、プロデューサーがちゃんとしていないということの方をこそむしろ望んでいるのではないか、と考えたくなる。意識の上でそう望んでいるのかどうかは分からない。無意識の願望かもしれない。またそこからさらに、円香は非難したい気持ちが先行していて、その上でプロデューサーをその対象にしているだけなのではないか、という風にも考えたくなる。
「ぐちゃぐちゃにひきさかれてしまえばいいのに」は、羨望のまなざしから出た言葉で、精神分析家のメラニー・クラインによれば、羨望(envy)は、綺麗に見えるものの綺麗さや、能力のあるもののその能力のすばらしさについて、それを自分のものとしたいのに自分のものにならないので、ならば破壊してしまおう(空想上で)という感情である。これは空想上の話で、「しまえばいいのに」という言い方もそういうことだと思われる。だから、円香はプロデューサーがちゃんとしていることを分かっている。それを分かった上で、そうであるということに対して破壊的なことも考えてしまう、アンビバレントな感情を抱いている。
◇立場ではなく円香個人のこと
ただ、「ぐちゃぐちゃにひきさかれてしまえばいいのに」という羨望の言葉は、アイドルとプロデューサーという立場の対比構造だけから出てきた言葉ではないように思われる。つまり円香という個人がプロデューサーという個人に向けた感情もそこに含まれているように見える。
円香が話したアイドルが決意したように、素の自分で勝負するというのは円香にとって恐ろしいことのようである。WING編「心臓を握る」では、「自分のレベルなんか試されたくない」「怖い」と考えを吐露している。円香は、自分の心の内側や、自分のコアに近い部分や、自分の全てといったものを他人の前に曝け出したり、そこに踏み込まれることを恐れているように見える。
「信」では、円香に関するひどい噂話に対して、プロデューサーが円香の感情を代弁しようとしたときに円香は怒りを見せた。「噤」では、好きなものについて教えてほしいと言ったプロデューサーに対して、大切なものほど教えたくないと答えている。
私自身の実感をもとに言えば、それらを曝け出したとして、それらが低く評価されたり傷つけられたりしたとしたら、そのダメージは計り知れない。ならばどうして円香はそうした曝け出しが求められるようなアイドルを始め、続けている(続けてしまった)のだろう。おそらくそれが「心臓を握る」というタイトルの意味であり、これは円香について考えるにあたって重要なテーマであると思う。
このように円香は、自分の内側や、素の自分や、自分の全てを曝け出すということに対して後ろ向きである。だから円香はある意味では外面を取り繕っている。けれど自分をよく見せようとすることに対して嫌悪感を抱いてもいる。街頭ライブをしていたアイドルに対して「自己顕示欲」と言っているし、何より口先だけ良いことを言うこと(人)に対して不信感を見せる。プロデューサーだけでなく、自分を褒めてきた咲耶にもそれは向けられていた。
円香がほかのアイドルに対してぶっきらぼうだったり、プロデューサーに対してきつい態度を取ったりするのは、自分の内側などを隠しつつ、しかし隠す以上に自分をよく見せたりはしないということなのだと思われる。
しかし円香のプロデューサーに対する態度はきつすぎるように見える。「心臓を握る」では「八つ当たり」と言っているが、【カラカラカラ】True「エンジン」では、プロデューサーは「例外」であって初対面からきつかったのは「理由」があったからだと言う。この「理由」が何であるかははっきりとは語られていない。幼なじみの透を心配してのことかもしれないし、プロデューサーという立場(あるいはアイドル業界や芸能界)に対する不信からかもしれない。
【ギンコ・ビローバ】True「銀」では、そこに加えてプロデューサーが外面を整える技術を持っていることが、プロデューサーに対してきつい「理由」なのではないかと思えてくる。内側と外側について問題を抱いている円香にとって、その問題を軽々しく超えているように見えるプロデューサーは疎ましく見えるに違いない。この個人的な感情が、羨望として「ぐちゃぐちゃにひきさかれてしまえばいいのに」の言葉にこもっているのではないかと思う。
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「ぐちゃぐちゃにひきさかれてしまえばいいのに」の言葉は、このようにアイドルとプロデューサーという立場の対比構造と、円香個人のプロデューサーに対する感情とが混ざり合った、羨望の言葉であるように思われる。円香の複雑さ、あるいは矛盾がこの言葉には現れているように思う。
「複雑」というのは、コンプレックス(complex)の意味で、精神分析ではもともとコンプレックスはさまざまな思考や感情が絡まり合ってできた複合体のことを示していた。その意味でここに現れているのは円香のコンプレックスだと言える。
【ギンコ・ビローバ】は、WING編「心臓を握る」よりも前の話であるとする読み方がある。もしそうだとすれば、【ギンコ・ビローバ】以後、特に「心臓を握る」において「怖い」と思考と感情を実際に口にすることができたことを通して、円香は今後自分のコンプレックスに今までよりも向き合うことができるようになると希望を持つことができる。コンプレックスに向き合うには、無理にそれらを一貫した論理のもとに矯正することではなく、矛盾を認め、複雑に絡み合った自分の中の思考や感情ひとつひとつを解きほぐしていくことが必要だ。そしてそのためには、それらを口に出すことが有効である。
円香のプロデュースカードはまだ2枚しか出ていないし、これから感謝祭編もGRAD編もいつか来る。樋口円香の今後を見守っていきたい。
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