記憶に引きずられた乙君が五さんと恋人関係だった伊さんの家に無意識に行ってしまう話。
五伊地が前提の乙伊
無理矢理、シリアス、読む人を選ぶ内容となりますのでご注意ください。
※単行本未収録の要素があります
五伊地前提の乙伊です
乙君と伊さんの肉体接触があります
無理矢理、媚薬、読む人を選ぶ内容となります
単行本未収録の本誌ネタがありますのでご注意ください
精神がもてば続くかもしれないし、続かないかもしれない
本当になんでも大丈夫な方のみでお願いします。
怪物の蓮花
心と身体の軋む音がした。
折らんばかりに掴まれた手首の痛みと、暴れる身体をベッドに押さえ付けようとする男の重さ。
ただ生々しい、窓枠の向こうの月だけが照る夜の匂いに心が狂いそうだった。
「やめてくださいッ……やめなさい、乙骨君!」
切迫した掠れ声で伊地知は叫ぶ。
覆い被さってくる青年の血走った目を見上げる。
なぜ、こうなってしまったのだろうか。
家のチャイムが鳴り、こんな夜遅くに誰だろうかと思えば乙骨であったから、躊躇わず家に上げた。
それが、そもそもの間違いだったのか?
あの決戦から数年。乙骨とは今も高専関係者として働く同僚であり、事実上の組織崩壊を起こした呪術高専を立て直すために共に奔走している大切な仲間だ。
そんな相手が雨に濡らされた状態で玄関に立っていたら迎え入れもするだろう。
自宅を教えたことはなかったが、亡くした恋人の記憶を持つ彼には全て分かっているのだと思い出し、驚きはしたが不思議には思わなかった。
「伊地知さん……」
濡れたままでは風邪をひくだろうとシャワールームに通す前にタオルを渡そうとした手を引き掴まれ、抱き上げられたかと思うと、寝室に連れ込まれた。
理解が追いつかなかった。
組み敷いてくる乙骨の目は正気ではなく。
縫い目の走った白い肌の顔は、何か、何か別のものに取り憑かれているようだった。
「拒絶しないでください。何で嫌がるんですか。僕とセックスするの、嫌になっちゃいましたか」
よく聴き慣れた色のある低い声が言う。
伊地知は、青褪めたまま自分の耳を疑う。
全てに誓って乙骨と身を繋げたことなどない。
たとえ今の乙骨が恋人と同じ肉体だとしても、けして同一人物ではないのだから。
彼は、死んだのだ。
五条の魂は、もうここにはいない。
私を置いて旅立ち、思い出だけが今も傍にある。
「……落ち着いてください、乙骨君。記憶が混濁しているだけです。それは肉体の記憶であり君自身のものではない」
だからどうか落ち着いて自分を取り戻して欲しいと。
伊地知は、補助監督然とした顔つきと低い声で諭した。
無理矢理に暴力を振るわれそうになっている状況に、心臓は測り知れない混乱と恐怖でバクバクと脈打っていたが、乙骨に深い傷を負わせてしまうことのほうが酷く恐ろしかった。
乱れてしまいそうになる呼吸をなるべく静かにし、押さえ付けられていないほうの手で、高専所属の証でもある黒衣に包まれたぶ厚い胸板を押す。
乙骨の目つきが変わった。
底光りする空色の六眼が、ギロリとする。
「そんなに嫌なんですか……」
濡れた跳ねっけの白雪色の前髪の奥で〝五条悟しか持ち得ない〟稀有な瞳が、怒りに燃えている。
昏く重苦しく呪力の圧が増した。
ベッドにこちらの手を拘束していた指が離され、次の瞬間、スウェットの上がビリビリと尋常ではない力で引き裂かれる。
恐怖に悲鳴も上げられなかった。
奥の歯がかちかちと鳴る顎を鷲掴まれる。
まさに獣が牙を剥くように唇を噛まれる。
肌がぞわりと粟立ち、伊地知は、がむしゃらになって相手の肩を押し退けシーツを何度も蹴った。
「んん!!んううう!!」
呪力を込めた腕で突き飛ばそうとするが、全身を使ってのし掛かってくる男の身体はビクともしない。
現代最強を継いだ異能の呪術師。いくら同じ男であり歳下の若い青年だとしても腕力で敵うはずもない。
だが大人しくなれるわけもなく伊地知は必死に抵抗した。
「……ッ!」
ぬるりとした湿ったものが唇の隙間を這い、強引に口の中へと入り込んでくる。ぞわりとした寒気に全身が震える。あんなにも愛おしかった五条の一部が今はただ恐ろしかった。
黒縁の眼鏡が押し上げられて泣くのも構わずに口を蹂躙しようという乙骨の舌肉を、咄嗟にガリリと歯で食い立てた。
痛みに反射的に退いたのか。逆にこちらの肩が押されてようやく解放される。
「痛、ッ……」
「はあ、はあ……ッ……ふう……っ」
血椿の匂いが舌の上から滲んだ。
混乱と恐怖で目の前が真っ暗になりそうで情けなく息が切れる。
今のうちに乙骨の下から逃げ出さなければと、じんじんと痛む手首をどうにか動かしてベッドを這う。
それが堪らなく乙骨は気に入らなかった。
伊地知は、なぜ自分から逃げようとする? 拒絶される理由が判らない。伊地知は僕の物だ。〝学生時代〟から大切に傍に置いてきた、誰にも奪われないように。
俺だけの傍にある影だ。
乙骨は、ずきりと走った頭痛に美しい目元を歪めた。
脳が焼けるように熱い。自分に背を向けてしまう伊地知の姿を見ていると、言葉にはできないほど悲しく腹立たしかった。
空っぽで埋まらない穴の開いた胸に、醜悪な感情の全てを押し込まれるようだった。
どうしようもなく溢れる感情が烈火のごとく弾けた。
「伊地知さん、どうして……ッ!どうして僕から逃げるんですか!!」
大きな声で怒鳴られ、ひっと怯えて震え上がる人をまたベッドに縫い止める。
呪力が星くずのごとく瞬く六眼の視界が真っ赤になる。
制御の利かない脳に、肉体の記憶が激しい濁流のごとく流れ込んで自我を呑み込んでいく。
乙骨憂太という魂の輪郭が曖昧になり、五条悟という今は亡き師の今もなお伊地知へと寄せる想いが、身体の奥から突き破ってくるのではないかと思った。
「……止めてください……っ……」
伊地知さんの声が、震えている。
俯いて目を合わせようとしない痩せた顔は、見たことがないくらいに真っ青で。補助監督として働いている時の背広姿じゃない、ずたずたになったスウェットを纏う細い身体は、肩を縮こめて震えていた。
それでも芯を失わない掠れた大人の声が言う。
恐怖で竦みながらも力を振り絞り、訴えかけるように叫んだ。
「貴方は、もう死んだんです、五条さんッ!!私を一人置いて貴方は居なくなった……何があっても、それは変わらない……! 乙骨君を返してください!!」
彼の人生を、私達が巻き込んで良いわけがない。
私の想いも未来も貴方に捧げて一緒に終わっている。
貴方一人だけが、全て持って行ってしまった。
離れていても、私は、貴方に添い遂げている。
だから、どうか、終わった私達の物語に彼を引きずり込まないでください。
「乙骨君を……返してあげて、ください……っ」
骨の軋むほど握られた両手を震わして伊地知は泣いていた。
学生時代の頃から変わらない、幸薄げな痩けた顔が濡れていく。
……今日は、酷い雨だった。
灰原の死んだ日、傑の居なくなった日、七海が高専を離れた日。それらの夜も雨が降りしきっていて。自販機の明かりだけが無機質に明るい誰もいない休憩所で、伊地知という後輩は、そこでいつも一人で泣いていた。
……今日も、酷い雨だから。
弱っちいお前がまた一人で泣いてんじゃねえのかって。
ただそれだけの。
「…………伊地知」
乙骨が、違う呼び方をする。
蒼い空色の星灯りの瞳が静かに見下ろす。
愛すら朦朧としていた自分が、たった一人確かに恋をした伊地知という人間。この男が泣いているのなら、傍にいてやりたかった。
ただ、この男だけは、他の誰にも渡したくはなかった。
乙骨の境界が揺らいだ。
肉体だけとなった五条の魂の片鱗が、和紙にひとつ落ちた花墨のごとく滲んでは侵してゆく。
たった一言、呼ばれた名前。
もう二度と聞くことはないと自分に何度も何度も言い聞かせてきた愛する人の、けして乙骨ではない五条の声色に、眼鏡の奥の夜色のまなこを見開く伊地知のまなじりから滴が落ちていった。
乙骨は、開けたこともないベッドサイドテーブルの引き出しを探る。
見つけた封じ札の巻かれた木箱を、片手で雑に開く。
伊地知ですら見たことのない小箱から取り出した丸薬を口に含み、声もなく静かに泣いている痩せた顔に、高い鼻先を擦り寄せる。
「やめ……!!」
はっとした伊地知が暴れるのを力尽くで押さえる。
今度こそ唇を舌先で抉じ開けて、五条の、生前の呪いが込められた甘ったるい丸薬を喉奥へと飲ませた。
「ん、むう……んん、んぐう……っ」
怯えた夜の帳色の目に見る見る内に涙が溜まる。
あ"っ、あ"っ、あ"っ……と悲痛な掠れ声を漏らす。
急速に熱を上げていく身体をよじり、伊地知は、嫌だ嫌だと黒髪の頭を振った。
乙骨は、浮ついた意識の中で見下ろし続ける。
縫い目の額にかかる柔らかな白い前髪の下で、蒼い空色の瞳を据わらせた。
いつも世話になっている大切な仲間の補助監督の男が切なく泣いている。
軋むベッドに組み敷いた伊地知という人からは、今にも雨に散ってしまいそうな小振りな菊花の香りがした。
ただそれを守りたいような。
逆に手折って綺麗な花束にしたいような。
そんな、矛盾した気持ちが込み上げる。
「……伊地知さん」
「ひっ……!」
ビクリと震える伊地知の薄い腹を、乙骨は、本来の自分の肉体とは違う大きな手で撫でる。
まるで白粉彫りのように下腹部にぼうっと浮き上がった、薄紅色の蓮の花の蕾。
「乙骨君……駄目です」
恐怖に染まった顔で肩を押し退けてくる。
これが彼にとっての全力なんだろう。呪力操作をしているのは、六眼で見える。扱うのに随分苦労したこの目も術式も使う必要はない。
伊地知は非力だ。
壊さないようにだけ、気を付けないと。
五条も、そうしていた。
ただそう漠然と想った乙骨は、甘い呪薬に心も体も翻弄されはじめている伊地知の太腿を、武骨な手でぐっと押し開いてやった。