らぶフェス2017と2018の共通点
にっかり青江と巴形薙刀はどちらも彼岸と此岸の狭間に立っていて、結果次第ではそちら側にいく可能性があったのではないのかという感想という名の妄想
薙刀を振るう巴の前に名もなき元遡行軍三振りが現れる。
巴の動きとシンクロするように刀を振るい、吠えた声は肉声、人の声だ。続いて土方と近藤が現れ斬り合う間に巴が割って入る。義経、弁慶、頼朝、泰衡も声もなく現れ、巴の周りで切り結ぶ。
ステージを照らすライティングは暗く、まさに亡者にしか見えない。
それを眺めながらハッとした巴が亡者達に話しかける
「祭りは葬い…お前たちもそちら側からそれを望んでいたのか?」
無言で頷く元遡行軍三振り
「そうか、ならば」
と怒涛のライブパートに突入する。
今回本編終わりまで誰一人刀を振るう者はいない。振るったのは巴形薙刀ただ一振り。
人間キャストと刀剣男士がおなじステージに立つことはなく言葉を交えることはない。刀剣男士はそれぞれが舞い踊り歌い、亡者たちもそれぞれ歌い踊る。和太鼓のパートは祭りだ。
そしてそんな亡者の姿を認識し、触れ合えたのは巴形薙刀ただ一振り。
巴だけが此岸と彼岸の狭間にいて、そちら側に足を踏み入れている。
此岸と彼岸から祭りを楽しみ、舞い歌い踊る。
刀剣男士たちが消えたステージの上で軍牌を持ちながら一人たたずむ巴。
その視線の先に元遡行軍、幕末組、榎本、源氏組が現れる。最初に現れた時と同じように無言で佇み、照らされる顔色は土気色だ。それぞれは巴が軍牌を振るうごとに鳴る鈴の音の「シャン」という音と共に向こう側へと帰っていく。
付喪神が舞うのはまさに神事。
そしてたぶん東軍、西軍のどちらかが勝った場合にはなにかが起こっていたはず。
彼岸と此岸の狭間に立つ巴の手にどちらかの勝敗が託されていた。
だからこそ石切丸は巴に対して「どちらかに決めたらまず最初に私に言いなさいね」と釘を刺したのだ。あの中で(見ていた範囲で三日月も意図には気がついているようだった。それとたぶん青江)これは東西対決だけに収まらないと気がついていたのは神社の刀、御神刀である石切丸一振りだ。
彼は真剣乱舞祭2017でも同じような立ち位置にいる。にっかり青江が「真冬の怪談」を持ちかけ、100話目にならないように寸前で青江を止めた。
にっかり青江はあの時、彼岸と此岸、今回の巴と同様に狭間にあり、向こう側に足を踏み入れていた。
それと手段は違えど(百物語と祭)同じようなことが起ころうとしていたのだ。
「無勝負」と決まった瞬間に青江はみなの輪からスッと離れていく。まるで「僕の出番はないね/役割はないね」というように。
あの中で唯一、幽霊を切った刀は彼だけだ。もし勝敗の結果、亡者たちがなにかを仕出かそうとしたら、斬ってしまおうと思っていたのではないのか。
前回は止めてもらった側だから、もしかしたら今回止める側だったのかもしれない。
2017と2018はアプローチの仕方は違えど根底にあるテーマは変わらなかったのではないかという私の妄想です。