ゴジラ-1.0、もしも銀座での放射熱線-きのこ雲-黒い雨の描写を素直に受け取って全員被爆してると見てよくて、その後のお話は全部自覚なく死が確定している人々とゴジラの対決の話だと監督が自覚的に作っているなら、受け止め方が変わる
前提:
鑑賞直後の感想
https://fse.tw/URQxZ8Ee#all
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まず大前提として、私はゴジラマイナスワンは、鑑賞直後は合わないな、足りてないなと感じていました。
公開するような内容でもないのですが、友人にLINEした"こうだったら良かったのに"という内容があり、それは、"銀座のシーンで主人公含めみんな被爆しているんだから、明確に、被爆により死が確定した人々(未来のない人)、被爆しなかった人々(未来ある人)にキャラクターを分けて、被爆して死を撒き散らす存在となったゴジラに対して、未来のない人々が未来ある人々のためにゴジラをなんとかしようとするお話にすればよかった"というものでした。
敷島たちわだつみ作戦の参加者は被爆により死が確定した人々としておけば、ラストシーンの盛り上がりはわかるし、"生きている間は生きるために(病からも災禍からも)抗い続けよう"というテーマが立ち上がってくるんじゃないかと私は思っていました。
ですが、一晩たって山崎監督が"わかって作ってる"監督で、原子力の物語を意図して描かなかったと信頼することができていたら、公開された映画のポジティブなトーンを"その瞬間その瞬間の生にしがみつく人々の姿を肯定的に描くべきだ"という監督のこだわりだと思えたなら、あれはハイコンテクストな良作として見ることができるな。……と思い至りました。
山崎監督は、ゴジラによって再び壊滅的被害を被ることになる日本の、ギリギリ希望を維持できた時期までのみを、敷島の"自身の戦争に決着をつける"というポジティブなストーリーとして描いたのではないか?
敷島をはじめとした東京都民は放射線被爆の症状に苦しめられる未来は確定しており、銀座のシーンの後からはもう、彼らは"死にながら生きている"のではないか?
そう捉えたら、あの映画ってじつはおそろしいホラー映画で。
だとしたら私があの映画に感じた不満は"初見の時点でそういうウラ読みまで行うべきものだと映画を信頼するには至れなかったほど、オモテで示唆されるポイントが少ない"と表現するべきだったのではないか。
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きっかけはインクエッジ氏やHK15氏、むへどるり氏の感想ツイート。
https://x.com/02curry/status/1721143029313216529?s=46
https://x.com/hardboiledski45/status/1720741028230283565?s=46
https://x.com/muhedoruri/status/1720995645367226858?s=46
浮かんできた疑問はこんな感じ。
1. そういえば公開前の時点でどうして初ゴジ以前の時代設定にしてたんだろう?
2. そういえば、わだつみ作戦開始までの日数の間、急性被爆症状が一切出ないってことはあるのか?
3. ゴジラはスピリチュアルなものとして描かれていた?
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まずすぐ取り書かれる被爆症状について、気になって調べ直してみたら、あった。
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/10/dl/s1004-7b_0005.pdf
https://www.genken.nagasaki-u.ac.jp/abcenter/sdr/1990-2/RR90-2-005.PDF
一週間ほどたってから急に症状が出て亡くなったケースはふつうにありました。ゴジラ本体から出ている放射線量は少なく、熱線着弾地を原爆着弾地付近になぞらえればよいと仮定すると、本編終了後に被爆症状が発生することは全然あり得ます。
本編が初ゴジ以前の設定になっているのは、情報の出どころを私は知りませんが、高雄を出したかったという話もありました。これについては。まあ映画監督が表向きに語るようなことがホンネであるはずがありません。広報用のリップサービスだと見るのが当たり前でしょう。作品を手がかりに想像を巡らそうとすれば、むへどるり氏が指摘した第五福竜丸以前というのがポイントではないかと思えます。
原爆のダメージに関する研究は、広島長崎のデータが当時一旦保留されたほどには進みが遅かったと聞きます。
原爆の被害に関する研究が全然進んでいない時期を舞台に意図的に選んだとしたら、それは被爆により死が確定したことを登場人物や描かれていない民間人が自覚できないままでいてもらい、本編のトーンを悲痛すぎないものに抑えたり、リテラシーがあるがゆえに発生するパニックを本編で起こさないために行われた工夫なのではないかと想像できます。
現代でマイナスワンのような形でゴジラが日本を襲っていたら、東京のパニックは凄まじいものになるでしょう。何十万という人が、いきなり蒸発したり、余命宣告されたりしちゃうのですから。
当時でもそうなっただろうと予想できますし……本編でそこまでやるとノイジーだから、単純化したと見ても違和感はないでしょう。
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ゴジラがスピリチュアルなものとして描かれていたかどうかについては、本編から推定するに"監督はそうしたつもりだったのではないか"と思います。
HK15氏のツイートでも紹介されていた海坊主の絵との類似もありますが、ゴジラ登場の前兆として描かれた不気味な深海魚の浮上からしてまずオカルティックです。
最初の登場シーンで海上に浮かんできたものは深海魚というにはそもそも魚なのかも怪しいような奇妙な見た目をしていました。
その後も魚の浮上は繰り返し描かれ、わだつみ作戦時においても、ガイガーカウンター付きの浮きが描写されているにも関わらず音声では"深海魚の浮上を確認"とゴジラ発見の報告がなされました。
映画は比喩すら具体的に視覚化するメディアなので、あえて深海魚の浮上を抽象的な言葉になおすと"ゴジラは海の底から死をまとって地上に現れる"と書けます。
死者の国が現世の"下"にあるというイメージは広く共有されているものですから、本作のゴジラが死の世界からやってきたのではないか……と観客の無意識に訴えようとしていたのではないかという推測は成り立つように思えます。
そういった、恐れと同時に悼むべき存在として描けたと、作り手が確信していたなば、死者であるゴジラをもう一度殺してしまったラストシーンで、堀田艦長をはじめとする作戦参加者がゴジラに敬礼をさせたのだと思えば辻褄もあいます。
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ここまでの内容と、山崎監督が描かないものを要素だけ示して描かなかっただけじゃないかという信頼を仮に行って、映画の全体像を把握しようとしてみると、ゴジラマイナスワンはとんでもない事態が起きながらも、みんな無自覚なまま、生きる希望を胸にして前を向くところであえて終わらせた話であるように読めます。
放射線の被害をあえて描かなかっただけだとするならば、銀座のあの一撃でゴジラは過去最大の被害者数を叩き出し、銀座を含む復興したての東京を放射線で汚染し、GHQにも打撃を与え、国家の統治体制をぐちゃぐちゃにしたうえで、敷島ら生存者たちも彼らに自覚のないまま死の世界に連れて行っていったことになります。
本編では去ったように描かれた危機は全く去っておらず、なんならゴジラ襲来よりも遥かに厄介な"病"と戦うことが確定していることを、科学リテラシーを有する視聴者だけは知っている。本編の登場人物はみんな気づいてない。
かなりの恐怖体験です。とんでもないこと仕掛けてるぞこの映画、とちょっと興奮すらします。
だってて、ここには初代ゴジラにおいてゴジラとそのゴジラに蹂躙される人々とのあいだにあった"被爆"の有無という区別がありません。
初代ゴジラでは、オキシジェンデストロイヤーを開発して以来表舞台に出ることができなくなった芹沢博士だけが、ゴジラと同じ次元にいたから、最後は彼が自らの命とともにゴジラを殺しました。戦争のもたらした罪と罰は、狭いスケールでとどまりました。
でもゴジラマイナスワンでは、日本という国全体が、戦争のしっぺ返しを喰らいます。日本だけでなく、原爆を使用したアメリカも、自国の民をゴジラに殺され、銀座での熱線により"被爆"させられたことになります。
そういったウラ読みを踏まえた上で本編を評価するならば、たしかに"生きて抗え"というメッセージは強く響きます。
たとえどんなことになろうと、生きる意志を捨てないこと。それは抗う意志を捨てないことと同じ意味ですから。たとえ何が待っていても、最後の瞬間まで抗い続けようというのは、かなりパワフルな言葉ではないでしょうか。
……しかしながら、ここまで書いた内容について、監督がわかっていて描かなかったと思えるほど、私は作品との信頼関係が鑑賞中に芽生えなかったのです。
たぶんそれは、くどいくらいわかりやすく伝達したい内容を描いている全体の作風が目立つ一方で、本編のウラで何かが起きているぞと想像させるための手がかりがあまり提示されていないことにあります。
まず放射線周りのウラ読みについて、読み取らせるには観客に原爆周りの知識があることを前提とするわけで……ここだけ急にリテラシー求められてもな……と思います。
被爆症状についてはたとえば、登場人物周辺で銀座付近にいた人間を出してそっちが被爆者特有の症状をあらわしている…などの形で導線を引いてやらないと、あの黒い雨は単なる記号でしかないのか、本当に"あの黒い雨"と同じものなのか区別がつきません。せめて敷島の周りでそういう症状が出てるとか、ニュースでそういう話が増えたとか流れてればよかったんですけど。
また私だけでなく、ゴジラへの敬礼には違和感を抱いた方は散見されますから、ゴジラのスピリチュアル性の描写はあまりうまくいってないのではないかとも思います。これは個人的には、ゴジラの"被爆"がノイズになっているからだと思います。
ゴジラの被爆は実は厳密には描かれておらず、あくまでクロスロード作戦をきっかけにゴジラは変質したのだ、としか読めません。放射線を撒き散らすのと、過去のゴジラ作品の記憶から被爆したと思い込んでいるだけで、映像としては被爆シーンそれ自体は直接に描かれていなかったように思います。けど、"どうも違うんじゃないの?"と思わせるには本編では要素が足りてないとも思います。
なんの理由もなく現れ、被害を撒き散らす、おばけのようなゴジラ像に近ければもうちょっと確信が持てるのですが、現状では憶測にすら届きません。
好意的にウラ読みしていくには、やはりポイントを押さえられていないように思えます。その意味でやはり、依然として、本作は合わなかった、そこまで私には好意的に受容できる映画ではなかったな、という結論になります。
2023-11-06 20:41 追記
ゴジラマイナスワンの導線として見ておくべき映画は「ひろしま」と「この世界の片隅に」なんじゃないか?と考えたのでふせーとしました。
https://fse.tw/X2F2H9dE#all
以下リンク先からの引用ですが、
"特に映画「ひろしま」は実際に被爆した方々が出演している実写映画で、近年まで封殺に近い扱いを受けていた映画だが、現在は月丘夢路財団のご好意で無料公開されている。
Wikipediaの記述の引用だが、
"監督の関川秀雄は映画制作の7年前に広島に原爆が投下された直後の地獄絵図の映像化に精力を注ぎ、百数カットに及ぶ撮影を費やして、克明に阿鼻叫喚の原爆被災現場における救援所や太田川の惨状などの修羅場を再現した。そして被爆者たちのその後の苦しみを描いた。"
という説明からもその凄味が伺えるだろう。絶対見てくれ。
本編リンク(Vimeo):
https://vimeo.com/824674264/e009f0b8fd
"と紹介しましたようにホントにひろしまを見てゴジラマイナスワンの理解度を上げてほしいです。