映画刀剣乱舞の脚本が小林靖子さんと発表された時に特撮クラスタたちが靖子にゃんがどんな脚本を書くのか色々回ってきて胸の高鳴りが半端なかったんですが、三日月についてこういうことかー!!と思ったことがあって、
映画刀剣乱舞は年老いた審神者の代替わり、つまりは死が描かれているわけだけど、映画の三日月はそれに殉じようとしているように見えるわけですよ。
三日月は道端で簡単に踏みにじられてしまう小さな名もない花と、歴史の中に生きる人々を重ねて愛おしいと言う。
今まで1000年主人やその時代に生きる人々が必死に生きて死んでいったのをただただ見ていることしかできなかった刀である三日月が、ようやく一緒に果てることが出来る時が来た。
とうとう三日月の願いが叶う、その今際の際を
靖子、叶えさせない。
以前「ここで死んだ方がこのキャラは幸せだから殺さない」という私の性癖にぶっささった靖子にゃんのお言葉があるんですが
三日月はまさにこの呪詛を全身で浴びてしまったのだなって。
新しい幼い審神者が健やかに成長し、苦難を乗り越えながら必死に生きぬいた先に年老いて死んでいく様をまた見なければいけないわけだよ三日月は。
靖子…そんなん…靖子の女になってしまう…