「文久土佐」という、物語のこと。(ひとまず最低限書いておこうと思ったことはざっくり書いた)
凱旋公演見た後のメモ(2020/1/1)
https://fusetter.com/tw/FpbRL0nr
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ゆうべ書いたふせったのやつで、今回ステで示された「放棄された世界」の成り立ちとか有り様とかについてまとめた。
https://twitter.com/3000_meters/status/1199314972548857856
補足
https://twitter.com/3000_meters/status/1199464890819198977
ついで
https://twitter.com/3000_meters/status/1199530636471496704
そんで今回の「文久土佐」という放棄された世界なんですけど。
吉田東洋の一派(放棄された「文久土佐」で実権を握っている土佐勤皇党)によって折られた刀剣男士の一部隊が存在すると、東洋によって語られるんですよね。そのとき、舞台上には六振りの男士の後ろ姿が現れる(宗三、伽羅、むつ、まんば、ばみ、日本号)。これを、仮に「とある部隊」とします。
なぜ、遡行軍でもない東洋一派が刀剣男士を、しかも一部隊まるごと折ってのけることが可能だったかというと、実は彼らが「人間」ではなかったから。彼らは、当時の土佐に存在していた吉田東洋、武市半平太、岡田以蔵らそのものではない。南海先生の解析によれば刀剣男士と似たような身体のしくみをもつ、いわばニセモノ=朧の存在であり、刀剣男士と同じくらい強靱で強い。
ここで、もしこの「文久土佐」の分岐の始点が、「とある部隊」の敗北だとするなら、吉田東洋以下略の朧が現れたのは分岐以前(正史たる本流)でのことになってしまう。それは、以降の歴史で本人と朧が入れ替わっていることとイコールである。ちょうつよい土佐勤皇党が現れたら、あの時代ぜったい流れが変わる。そういう節目だからぜったい変わる。だからこれはナシだと思う。
じゃあ、どこがおかしいのか?
(1) 「とある部隊」を折ったのは東洋(朧)一派ではない?
あの説明の仕方でそれはないじゃろ…。表現としてありえるミスリードの範囲を越えている。
(2) 分岐の始点が、「とある部隊」ではない?
別の部隊が普通にソコー軍に負けた。
「とある部隊」は「文久土佐」が放棄された世界になって以降、ステ本丸より先に特命調査に入った部隊であり、何らかの原因で東洋(朧)一派に折られたもの。まあこれはあり得る。説明されてないけど、そういう判断はできる。アリの範囲。
(3) 分岐の始点が、刀剣男士の敗北ではない?
例えば何らかの原因によるループとか、ね。これもあり得る。だって、今まであんだけ刀ステ世界でのループを我々は見せられてきているじゃないか(義伝…悲伝…)。前提は充分。
東洋(朧)一派が朧として立ちあらわれた原因は、作中ではっきりと、以蔵や武市の死を知った坂本龍馬の深い後悔だと語られている。んだけど、それがどういう理屈で、どういうしくみでのことなのかは、一切説明がない。
なぜ、龍馬にそんなことが可能だったのか。刀剣男士に「似たもの」として、実在の人間に類するものが現れるというのはどういうことなのか。
語られていないから、以降はすべてわたしの妄想と憶測だけで書くんですけど。
(つづく→つづき書いた.12/15)
観劇しながらわたしが思い出していたのは、3年前の「坂本龍馬展」(京都国立博物館)で受けた衝撃だった。坂本龍馬という人は、亡くなってから「伝説」「物語」(=本人を元にした、本人でないもの)になるまでがめちゃめちゃ早かったんだよね。
https://twitter.com/3000_meters/status/801349639060553728
そして、今にいたるまで「物語」化されつづけている。
程度の差こそあれ、以蔵さんも、武市さんも、吉田東洋も、同様に、それぞれ「物語」化されつづけてきた。歴史上の有名な人物ってだいたいがそう、というか、だからこそ有名だというか、なんだけど、幕末頃になると記録がたくさん(何なら写真まで)残っていることもあって、その「物語」化される人物の範囲がとても広いように思う。
たぶん、以蔵さんみたいな、時代の節目に実働部隊として現場ではたらいていたような人物って、もっと古い時代なら、個人として名前が記録に残ることはほとんどなかったんじゃないかなー。
で、ここであらためて確認しとくと、刀剣男士というのは「さにわなるもの」が「ものの心」を励起して、人に似たかたちを持つに至ったつくもがみなんですよね。じゃあ、その「ものの心」というのは何なのか? という点について、ステくんは、過去作で、はっきりと言葉にして語っている。ステくんというか三日月ステ近さんが。
思う心がその対象(である「もの」)に宿ってその「もの」の心になる、って言ってたじゃないですか。月を眺めながら、ステんばちゃんに。
心はそうして森羅万象を巡る、『刀剣は人の心を運ぶ歴史のよすがなのやもしれん』と。
つまり、人が刀剣に対して何かを思った心、託したものが、刀剣に宿って彼らの「心」になる。ものの心を励起するわざで刀剣男士が生まれるという前提と、そうしてかたちづくられた刀剣男士が逸話や伝説を色濃く映している事実が、きれいに繋がって説明されているんですよね。
人が刀剣に投影した、見出した「物語」が、刀剣の心であり、刀剣男士という存在のコアである。(だから、切国オルタも、おのれを強くする補強材料として「物語」を求めることになるんだ、たぶん)
ならば、それに準ずるような存在であると言われた、「本人そのものではない歴史上の人物」だって、たぶんそうなんだと思ったんですよ。わたしたち後世の人間が、歴史上の人物にさまざまな思いを託して語り続けている、その「物語」が、たぶん、あの文久土佐の彼らのもとになっているんじゃないか、と思った。
(そうすると、本人そのものよりも、本人のエッセンスを煮詰めたように純度が高い可能性があるし、だからこそ、より救われ難い気もするんだよね。生きている人間はいろいろ混じっているし複雑だし、それなりに脇道もあるかもしれないけど、「投影された彼ら」はある種の理想像だからさ…あー、だから目的に先鋭化しやすくて、恐怖政治とかになっちゃったのかもな)
そして、「顕現」のきっかけが龍馬さんの後悔の念だとすれば、彼はちょっとさにわの素質を持っていたのかもしれない。
そんで、この龍馬さんがそのような朧の存在を生みだしてしまったがために、その「容れもの」である「文久土佐」自体が、朧のループ時空となってしまったんではないかなあ、というのが、今のところのわたしの受け取り方です。
龍馬が願ったのが「生き返ること」だったら容れものまで変わることはなかったのかもしれないけど、「死なないこと」を、つまり「やり直し」を願ってしまったのであれば、死に至る道筋からのやり直しになっちゃうから、容れものごと変わる必要がある。
そして、容れもの(改変された歴史と言ってもいいし、物語と言ってもいい)がすべて作りものなら、作り手である龍馬は登場人物たり得ないから、あの場所にいる龍馬も本人ではない。
「願った彼」は、文久より先の時点に存在しているんだから。
(ゲームの文久土佐イベントのラストで、どこかで生きてるだろうって言われてたのは、やっぱり坂本龍馬なんだとここで納得する我)
これさー、「義伝」の時にさー、政宗様の「見果てぬ夢」に対する思いが黒甲冑たんという存在に繋がったのだとしたら、そこには我らの思いも入ってるじゃん~東北の民たちの夢でもあるじゃん~おおおんおおおん、って、東北に縁のあるチームでさんざん騒いでたんですけど、その延長線上でもあるんだよ…我らの思いが、物語世界に干渉しているという道筋はすでに示されていたのだ…。
(刀剣乱舞というゲームそのものが、そういうメタを現実にどんどんやらかしてきているという事実からもね)
やー、もう、ステージ上の、人ならざる姿をさらけだした彼らを「うわー、このデザインカッコイイ…」と眺めながら、同時に「ああああ、わたしたちのせいだ…わたしたちが彼らに託しているからだ…」と、重たい気持ちにずーんとなりました。
ただ、その重たい気持ちにとって救いになったのは、このお話のなかで、以蔵さんが肥前くんと言葉を交わし背中を託して戦うことでたしかに何かを救われており、それはまた、龍馬さんとむつくんにとっても同様だったのではないか、と思える部分があったこと。
いや、物語に罪悪感を感じつつ、物語に救われちゃうの、アレなんですけども。
今回、動き、殺陣で圧倒的な最強感があったの間違いなく以蔵さんなんですが、その以蔵さんが吐露するめためたな内心に対して、唯一、本当に寄り添えていたのが肥前くんで。
(以蔵と龍馬の間には強い友情はあるんだけど、龍馬さんがあまりにも俯瞰的に物事がみえちゃう人なので、気持ちを向け合うことはできても、寄り添い合うことはできない)
元主ーその愛刀って感じでもなくて、ただ心底つうじあった同士のようで。幸福感とはほど遠いのだけど、何かもう、この世界の中でふたりきりみたいな感じがひしひしとあって。痛々しさと同時に、よかったねぇよかったねぇ…ってなる感じ。
たぶん、わたしが涙ぐんだのこのへんだった気がする(もう結構、見てから日が経っているのでおぼろげですが)
何かもっと書きたいことがいっぱいあったような気もするんだけど、風邪をひいたりなんだりしているうちに、もうだいぶ記憶がおぼろげなので。あとは思い出したらちょこちょこ箇条書きを付け足す程度にしておきたい。
お正月にもういっかい、見に行きます。
あ、吉田東洋の声がすごくよかった…。唐橋さんってあれですよね、最遊記の舞台で健一だったかたですよね(見てはいないんだけど、発表されたときに健一の本物ぶりにびびった記憶はある)