『ターミネーター:ニュー・フェイト』がっつりネタバレ、冒頭の少年ジョンの殺害は間違いなく賛否分かれますが、否定意見も恐らく「俺らの映画をぶち壊しやがって」と「まだ古臭い価値観に囚われてる」に二分される。
がっつりネタバレすると映画冒頭でジョン・コナーが殺されます。『ターミネーター2』のEDから1、2年後くらい、CG処理で再現されたであろう当時のエドワード・ファーロング美少年の姿のまま、同じく若い時のシュワちゃんの姿をしたT-800の手で。このジョンの殺害をきっかけに、今作でサラ・コナーは新ターミネーターREV-9に追われるダニと彼女を守るグレースに協力することになる。
確かにこの出だしはプロット装置めいた所があるし、『T1』『T2』の前提や描いたものを台無しにすると言えばそう。ただ僕としてはむしろ「そうきたか!」という思いで、その後どういう形でこの展開を広げるのか期待しながら映画を見てました。最初はサラはダニに自分自身を、彼女にやがてジョンの姿を見るかたちで、最終的には何とかカバーしてくれたように思います。若い姿のままのジョンが殺される展開をあえて開幕に持ってきたことに、「過去作への素朴な思い入れでものは作りませんよ」という作り手側の意志をかんじたし、僕もその前提で映画をみることができました。
そのおかげで一つ気づけたこととしては、ジョン・コナーが反乱軍のリーダーである資質ってこれまで特段描かれたことなかったんだなと。1はあくまでカイル・リースとサラ・コナーの物語で、ジョンの存在は完全にマクガフィンだった。少年時代のジョンが主役となる2でも、彼が反乱軍のリーダーであるのはあくまで未来の話で、基本的に守られる側でしかなかった。3と新起動はあまり覚えてないんですが、3のジョンでリーダーらしい所を見せた訳でもなく、ただのアクションヒーロー的なキャラとして描かれていたように思う。詰まる所、人類滅亡の運命に抗うターミネーターシリーズの「ジョン・コナーは特別な存在である」という前提自体がある意味運命論的なもので、それがそのままシリーズの呪縛になっていたと思うんですよね。そして筋肉マッチョマンのシュワちゃんとエドワード・ファーロング美少年のハートウォーミングストーリーでもある『T2』。アクションヒーローの活躍と少年時代の感傷が結びついて、本シリーズが「男の子」映画として語られることを決定づけたのだと思います。
今作『ターミネーター:ニュー・フェイト』の出だしは、そうした観客の『T1』『T2』に対する漫然とした思い入れをぶっ壊しにかかるものだった。その上で描かれたのは戦う女たちの連帯。ストーリーそのものは性別を変えても成り立つといえ、『T2』と同じ素材とモチーフでこれをやったことが革新的で、フェミニズムの流れを踏まえた現代の価値観で『T2』をアップデートした作品であったのだなと。ちなみにラストバトルはREV-9を囲んでの集団戦。屈強なヒーローが戦いをリードし他が補助に回る形でなく、誰もが前線に出て体を張りREV-9を追い詰めていく。『デッドプール2』でティム・ミラー監督が見せた彼なりの倫理観や信念が、このチームワーク重視の戦闘スタイルからもうかがえるようだったなと。
……とここまでが僕自身のファーストインプレッション。本作への反応をみた限りでは、好意的で力強い感想も多いけど怒ったり落胆したり人も実際多い。「1と2以外は駄作」「シリーズがフェミニズムで台無し」「見に行く気すらない」等々。概ね予想通りの批判ではあるけど、興行収入の出だしが低いのはちょっと残念。今後伸びてほしいものですがはてさてどうだか。
ただ他の感想を読んでいるうちに、自分は「子殺し」をちょっと甘く見過ぎていたかもしれないとも思いました。
そもそもジョンの殺害が今作のサラ・コナーの発端で、それがなければ彼女は再び戦いに赴くことはなかっただろう。見守り育て共に過ごした存在をプロットに都合の良い形で殺す。そういう形でしかサラを旅立たせることはできなかったのかという部分と、子殺しの場面そのものが観客に痛ましさを感じるものになっていたかという部分。これらには確かに疑問符がつく気がします。またよくよく考えると、ジョンが殺された後のサラ・コナーの人生というものも本作からはあまり見えてこない。人物造形はT2で示された「戦う女」の延長だし、かつてのT-800に重ねるような演出もある。そもそも今作のT-800、人間としての人生を送るカールからの匿名情報を頼りにサラは未来からの刺客をハントしていて、そのメッセージの結びはいつも'For John."だった。本作はシリーズを縛っていたであろうジョン・コナーの呪縛を解いたけど、サラも解放されていたか……というとちょっと怪しい。強い女性を描く上で、母親の子供への思いが前提になっていて、そのために装置的に「子殺し」が使われている。言われてみれば確かにそこは安易で古臭かった。
こうした点を見過ごして、作り手の意図に唸ることができたのは僕自身が独身男性の観客であったからの気もします。ターミネーターシリーズへの思い入れについても、昔テレビの洋画劇場で見て楽しんでいたという人並み程度。この映画に関して、僕自身は安全圏にいたのかもなと。そんなことを思いました。
※追記1
「"I'll be back."ってそれあなたが憎んでる人のセリフでしょ」というシンプルな指摘を見かけて、あーあーそうだ確かにそれはキャラ造形の粗であるかもしれないと思った(まあフレーズ自体は一般的なものですけど)。
それというのも、今作でのサラがカール含むT-800型ターミネーターを殺す気満々な一方、ジョンを守ったT-800をどう思っていたかについては言及・描写が不足してるんですよね。そのくせ台詞やサングラスなどのアイテムを通じて、今作のサラはT-800を思い出させる部分がある。今作のカールと『T2』のT-800は別物ですし、「ジョンを守ったT-800はサラにとっても特別だった」みたいな補間を観客側でできなくもないんですけど、確かに表層的なファンサービスになっちゃってたかも。
これに関連して、サラとカールの確執を解く鍵として、ダニとカールのやり取りを丁寧に描いてよかった気もする。例えばダニとカールのやりとりにかつてジョンを守ったT-800を見る、といった描写の積み重ねが必要だったのではないかなあと。そうした流れの中でダニの資質もカールとの和解も描けるし、さらにジョンを守ったT-800やジョン・コナーへの追悼ともなる。
こうしていろいろ振り返ってみると、今作が観客を挑発したものの詰めの甘い部分があって、作り手のコンセプト先行になってしまった部分があるのは否定できない。僕自身はとても楽しんだし、描いたものを評価してるし、シリーズの一本としても大いにありだろうと思ってるんですが、他にもやりようがあった気もしています。