#すずめの戸締まり
#すずめネタバレ考察
閉じ師の古文書を解読してみたら、
ダイジンが要石になったときの衝撃のエピソードが綴られていた
その他情報
・古文書の災害のモデル
・西の閉じ師一族の名字
・ダイジンゆかりの神社2ヶ所
(12/17追記情報:「石上」の由来(推測)、モデルとなった浮世絵)
('23/2/5追記修正:①の解読を微修正、②の新海誠本2掲載部分を追記)
('24/4/4修正:②③解読文・意訳を修正)
ニュータイプ1月号に掲載されている、閉じ師の古文書3件をそれぞれ解読してみました。(スタッフインタビュー記事の隅に資料として掲載されたものです)
特に、白要石(ダイジン)について書かれた③の内容が衝撃的だったのでピックアップします。
なお、①②③の原文の解読結果は最下部に載せています。
●古文書の概要
①『夜分大焼之圖』 (モデル画:「浅間山天明大噴火 夜分大焼之図」)
…1783年の浅間山の「天明大噴火」で、山の頂上の鳥居からミミズが噴き出したときの災害の様子の記録
②『黒要石収拾之圖』 (モデル画:「おそろ感心要石」)
…1855年の「安政江戸地震」(※③の1年後)のとき、黒要石(サダイジン)が一度抜けたが宗像氏が対処し、人々の祈りによって大神がミミズに打ち勝った旨の記録
③『寅の大変 白要石』 (モデル画:「あんしん要石」)
…1854年の「寅の大変」(相次いで起こった、安政東海地震・安政南海地震・豊予海峡地震)のときに、先代の大神が居なくなり、新たな者が白要石(ウダイジン)と為った旨の記録
※注:古文書の記載内容は、映画の完全な設定ではない(監督の中で確定事項ではない)と思われますので、その点ご留意ください。監督の発言とは矛盾しているかもしれません。
監督は以前、「ダイジンたちの正体について明確な設定はない」「でももしかしたらダイジンは子供の閉じ師だったんじゃないかと思いながら脚本を書いた」という旨を仰っていました。
(私自身が聞きました。該当レポ →https://fusetter.com/tw/KXi4ajFr)
●③『寅の大変 白要石』の意訳 (※一部は未解読)
尾が暴れ河内を揺るがす なゐ(≒地震)の神。
閉じ師 石上一族が伝えるところによると、(古くから要石であった)老猫が、勇敢にも満身創痍であるのに合戦のごとく日見不(ミミズ)と闘ったので、ついに大神は泡となったそうだ。
瞬く間に、日見不が尾を振って河内三国に地震が起こり、日見不は勢いを増して、とうとう伊予肥後に至るまで揺らした。
(被災した)三輪山の大和河原の遺児が世を嘆き、(閉じ師の)石上に願い出たので、常世へ入り要石に鎮座した。
ここに新たに白い右大神が立った。
人々はこれを悲しみ敬意を表し、大村神社に奉った。
●つまり……、
・先代の白要石(右大神)は、ミミズとの闘いに敗れて泡となって消えた
・ダイジン自身が約170年前の安政地震の震災遺児であり、先代が消えて地震が相次ぐ世の中を見て、「ぼくが要石になるよ!」と本当に要石になってしまった張本人だった
……ということですね。
ダイジンが生前のことを憶えているかは分からないけれど、
鈴芽が常世に母を求めたように、ダイジンもきっと亡くした母を求め続けていた……。
一度は母の居なくなった現世を捨てたけれど、170年の時を経て目覚めたら、現世に鈴芽という母を見つけた。だから再び生きたいと思った……。
でも常世での鈴芽の言葉は、人間だったダイジンのかつての言葉でもあった。
そして今の母である鈴芽はまだ生きていて、今度こそ生き続けてほしかった。
地震が起これば、また誰かが母親を失うことも、本当は身をもって知っていた。
だからいつか泡になるとしても要石の役目に戻った……。
(監督……これは小道具にこっそり仕込むには劇薬すぎやしませんか……??)
また、以下についても読み取れます。
・ほんの170年前には、人々は要石の大切さ・ありがたさをきちんと知っていて、サダイジンもダイジンも信仰されていた。その後はそれぞれ廃墟の後ろ戸に移されて、今は誰も知らず、忘れ去られたまま要石の役割を続けている
・西には閉じ師一族「石上」氏が居る(or居た)。役目を申し出たダイジンを要石にしたのが石上氏。
なお、古代豪族に「石上(いそのかみ)氏」があり、これが由来と思われる。(宗像氏も地方豪族)
・古文書に書かれている限りでは、ダイジンはおそらく閉じ師一族ではない。常世へ干渉できる素質はあったのかもしれない
・人間のダイジンの出身地は、奈良県桜井市の三輪山(の大和川付近?)。三輪山は古神道における霊山。
三輪山には日本最古の神社「大神神社(おおみわじんじゃ)」があり、「白石の神域」と呼ばれる遺跡もある (ダイジンの家が神職やそれに準ずる家だった可能性はある?)
・ちなみに、奈良県天理市に、石上氏ゆかりの「石上神宮(いそのかみじんぐう)」があり、こちらも日本最古の神社。大神神社~石上神宮は立地が近く(~10km程度)、日本最古の道「山辺(やまのべ)の道」で結ばれている
・ダイジンが要石として祀られたのは、三重県伊賀市の大村神社。境内には要石社があり、関西を代表する要石とされている
●古文書①②③の原文の解読結果
※変体仮名は現代かな遣いに直し、文脈を推測して濁点を補完しています。
※解読者本人は理系で、古文については素人です。推測で補ったり、文法が怪しくてもそのまま書いた部分もあります。修正可能なので、分かる方いらっしゃいましたら、補完や誤読のご指摘等頂けますと助かります。
※スペシャルサンクス:古文献の教養がおありの 元とらんね勘桂さん(@toranne33)&卯月かりんさん(@udukikarin1)ご夫妻に内容の確認等をお手伝い頂きました。ありがとうございました……!!✨
※スペサン2:りくさん(@riku_sousuzu)の夜分大焼之図の解読結果(https://privatter.net/p/9696796)を受け、一部修正させて頂きました!平安文学専攻の教養すごい……ありがとうございます🙏✨
①『夜分大焼之圖』
浅間ヶ嶽…神社にて
日見不之神現る
猛々しく尾振回れば
忽 …雲天に満
山崩れ降灰甚しく
吾妻川黒く濁り
江戸至迄泥濁す
天明三癸卯年
七月六日より
遂に地を砕き
火石数多に
三日三晩此暴…り
②『黒要石收拾之圖』
安政二年乙卯神無月
(下段:「新海誠本2」のP17に掲載)
東の要石
黒猫の姿なる大神
此れ以てしても
安政のなゐの神
留め叶わず
大地震 ありけり
黒石 抜けたるを
閉師 宗像一族直ちに
修繕せん
(上段)
江戸市中
惨々たる
有様に努々
嘆くべからず 地震靜まり
後の…憬に 世…し尽くすが
…な…ち 日見不見定め古今
東西後ろ戸閉じるが閉師なり
数多百姓のたゆまぬ
祈願信心 集め…れば
大神 日見不下するゝ以て
此れに報いるなり
③『寅の大変 白要石』
嘉永七年甲寅
尾暴れ河内揺るがす なゐの神
閉師石上一族伝え…には
…き老猫猛々しくも
満身創痍にして
合戰の如く日見不と
闘いければ 遂に
大神泡となりけり
忽ち日見不
此れ尾を振…に
河内三國震え
日見不……振り増して
果ては伊予肥後に至る迄揺…したり
三輪山は大和河原の遺児世を嘆き石上に
願い出でれば常世郷へ入り要石に座するなり
此処新たに白き右大神立つ
人々此れを憂れ敬ひ大村神社に奉るもの…り