CoC「沼男は誰だ?」
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桜
自分で撮った桜の写真に短歌を添えたものを2つ、無言で出しましたが、あれはどちらも美砂さん視点です。
▼春ごとに花の盛りはありなめどあひ見む事は命なりけり
古今和歌集に載っている詠み人知らずの歌、つまり古すぎて誰が詠んだか分からない歌(もしくは匿名)です。
「春が来る度に花は美しく咲くでしょうが、それを愛でられるのは命があってこそなのです。」というような意味です。(ただ、これは私の解釈に寄せての意訳ですから古文の授業ならハネられるでしょう。ご留意ください。)
美砂さんにとって「桜が咲くこと」とは、あの手紙にこめたように「恋が実ること」です。それをベースに歌を拡大解釈して、「こうしてあなたを愛せるのは命あってこそ。私が生きていて良かった。あなたを生かして良かった」という意味に取りました。そう思えて仕方なかったんです。
もうひとつ。花や桜といえば一華さんですから、紅緒さんの目線で解釈すれば、この歌の本来の意味になるでしょう。自然は変わらないのに人間はどうだ。彼女が死んでしまっては何の意味もない、と。ただし沼男本編で彼は「散る桜が美しいとは思えない」と言っているのに対し、歌の作者は散る桜は儚く美しいと思っているかもしれません。
これは写真を撮った時の話ですが、無数の花弁が風に散る音は、作られた一華さんが彼の名をそれぞれに呼ぶのを思い起こさせてなりませんでした。
こんな思いを押しつけられる桜は少し可哀想ですね。古代より日本人はそうしてきたのですから今更ですが。
▼満開を支え立つ木よ苦しかろ 私は咲かぬ方が苦しい
あの写真を撮った場所、桜の木の下で詠んだ歌です。
この場合の桜は一華さんの愛で、木は紅緒さんのことです。木はたくさんの花を咲かせて重そうです。それを見ている美砂さんはその木ではありませんから、重さは解りません。ただ自分の恋の花が咲かない苦しみを味わうことしかできないのです。