サンデー本誌「葬送のフリーレン」第119話「思い出」感想!ヒンメルの人生にしんみりする回。
第1話「ヒンメルは幸せだったと思いますよ」「そうなのかな…」問答が効く。石碑はフリーレンのためのもの? #フリーレン #frieren
ヒンメル切ないなぁという感想が多めです。
9000字くらいです。
<フリーレン様、報連相は覚えてくださいよ!!!>
・三日三晩も難所を抜けて女神の石碑まで付き合わされたフェルンとシュタルク、結局何のために来たのかもわからないままでかわいそう過ぎない?wフリーレンあるあるだと思うけど、自分の中で自己完結しちゃっていいものではなくないか?もう過去に戻る手段はないのだから、過去に戻っていたという話をしても影響はないというのに。
・でもフリーレンからしたら、大切な記憶(特にヒンメルと幻影の中で心を通わせた体験とか)だからこそ、フェルンやシュタルクにも共有したくなくて、自分だけの想い出に留めておきたかったのかもしれない。そういう複雑な感情が生まれていたのかも。
・フリーレンの言う「得るものはあった」とは何なのか。フリーレンがヒンメルとのロマンスをどう捉えているかわからないので、恋愛方面は置いておくとして、自分の今があるのはヒンメル達のおかげなのだと直接に感謝を伝えられたことなのかな。
<女神の石碑は何のために?>
・フリーレンが帰還するとともに石碑からは役目を終えたように魔力が失われ、ただの石の残骸になってしまったという。つまりあの石碑の魔法はこれまでに他の誰かが発動させていなければ、あの一度だけしか発動できない性格のものだったのか。何のために女神様はそんなものを置いたのか。もしも女神様が全知全能なら、あるいはシュラハトよりもさらに高い精度で1000年よりも遥かに先の未来を見通す力があるなら、今回のフリーレンのためだけに石碑を用意した可能性もあると思う。前に触れた時間に戻るというあまりにも尖り過ぎて不便なタイムスリップシステム、膨大な時間を持て余すエルフのためにあるようなものだもん(笑)その中でもさらにフリーレン専用に用意した可能性もあるよね。石碑は確かあと9つ存在しているんだっけ。そのうちのいくつかが現存はしていたっけ?他の石碑にも何か役割があるのかもしれない。ところで帰還の呪文が描かれている聖典の時巡りの鳥の章を空白の章として、魔法の解読をひときわ難解なものとして構成したのも何か意味があるのかもしれない。人類による聖典の解読の進捗をコントロールしている気はする。どうなんだろ。あと、戦士の人が言っていた「女神は無学な戦士にすら恩寵を授けてくださる」というセリフの意味が地味に気になる。形骸化した石碑参りの文化の由来も気になるけど、「女神の恩寵」が指すものと、「女神の寵愛」と呼ばれる概念とはまた違うものなんだろうか?
<ヒンメルはMなのか問題>
・薄情なのも含めて好きとか言いましたぜこの勇者……。あばたもえくぼというやつなんでしょうか。ヒンメル自身は、かつてフリーレンとの初対面時にドライな対応を見て「なんて冷たい人なんだ」とショックを受けていたので、特に薄情なのが性癖というわけではないと思う。フリーレンのことを、欠点も含めてまるごと受け止めて愛しているという器のデカさの現れなんだろう。その証拠に今回の女神の石碑編では、フリーレンの変化を「君らしくない」「とてもいい」とあっさり受け容れて喜んでいた。自分がよく理解していたはずの女性が、自分の知らないところで変わってしまっても、それを祝福できるのが本当に偉大だし愛が深いと思う。
<旅は道連れ、世は情け>
・ヒンメルはおじいちゃんでも強かった。道中の魔物くらい余裕なんですワ……。こりゃあアウラちゃん達魔族がヒンメルが死ぬまで引っ込んでいるのも道理なんですワ……。7年目にして研いでもらったはずの剣が、棺に納められた時には傷だらけになっていたのも、生涯現役で使っていたからだったんですね……。そんなヒンメルが第1話で杖をついていたのは、力を使い果たして王都に帰ってきてからはさらに体力の低下が進んでいたせいとかだったのだろうか?それにしてもヒンメル、自分達パーティーはかつて7年目に、フリーレン一行でも足掛け4年かけて辿り着いた石碑に、晩年にソロで何年もかけて旅するのはあまりに強過ぎる。まぁ魔王討伐した勇者ヒンメルの存在が牽制になって道中にいたはずの多くの魔族は引っ込んだだろうし、寄り道しなければ最速2年くらいで着ける距離なのかもしれないが(北側諸国の山での越冬をうまく回避する行程で進んだにしても、いったんグラナト領~シュベア山脈付近で冬に入ると半年は足止めになるのでやっぱり最低2年はかかりそう)。フリーレンが半世紀流星を見る約束を覚えていた場合、王都に戻ってくるはずだとヒンメルは考えていたはずなので、解読を終えてからかなり道中を急いだと思われる。寄り道をしている暇はなかっただろう。たとえ魔族の襲撃に悩まされないにしても、いくらヒンメルと言えど老人の一人旅にリスクはあるに決まっている。おそらくヒンメルのことだから、今回登場した戦士に案内してもらったように、シュベア山脈等々の厳しい難所では道中うまく人の手を借りて旅をして来たんだと思われる。こういうところがコミュ強ヒンメルと個人主義のかつてのフリーレンの違いだと思う。
・それにしてもどうしてヒンメルは一人で危険な旅をしていたんだろう。ハイターは当時聖都シュトラールの司祭の要職にあってとても忙しかっただろうから同行できないのはわかるんですが、どうしてアイゼンはヒンメルについて行かなかったのか?女神の聖典の解読は三人で協力して行ったはずなので、一緒に行ってもいいような気がするのだけれど。アイゼンは衰えているとはいえ、ヒンメル一人で旅するよりずっと安全になったはずなのになぁ。このあたりの不思議は一言でいいので説明がほしいところです。
<ヒンメルの選択>
・ヒンメルはフリーレンのために人生を捧げて生きる選択を後悔はしなかった。今回の119話を読んでそれは確信できました。
・だが、それにしては老ヒンメルのあのどこか静かな沈痛を帯びた表情はどういうわけか。もっと満足したような笑みを浮かべているおじいちゃんヒンメルが見られるだろうと予想していた私の胸は抉られたよ……。フリーレンの前ではあんなに笑っていたのに、今回の戦士の回想ではただの一度も笑んでいないとは(魔王討伐の旅の思い出を語る時は楽しそうだったらしいけれども)。フリーレンの前では格好を付けていたから常にあんなに優しく微笑んでいたのか、それともフリーレンがそばにいることが彼の幸せだったからあんなにも楽しそうに笑っていたのか。フリーレンに会えない現状があの陽キャの極致にいるはずのヒンメルから笑顔を奪ってしまったのだろうか……。やっぱりさ、フリーレンの幸せにヒンメルは必ずしも要らなくても、ヒンメルの幸せにはフリーレンが必要だったんじゃないかな。本当に切ない。
・アベツカサ先生のヒンメルの心の機微の表情の表現は本当に繊細ですごい。彼が後悔をしていないのはわかるんだよ。だけど119話の老いたヒンメルの複雑な表情や姿勢からは、彼が諦めたものの途方もない大きさと、短命種の人間の老境に降り積もった時間の重み、それゆえの一抹の疲れも感じるのです。かつて難なく振るっていた剣が大きく見えるほどに、老衰で縮んでしまった身体で魔物を屠った勇者ヒンメルの後ろ姿には、118話の最後にフリーレンが見たヒンメルの背中が見せていた頼もしさは感じられなかった。何とも言えないさみしさ、悲哀、愁いと、ほんの少しの虚ろの色を帯びているように、私には見えた。とても。とても悲しい……。自分の死期の足音が迫るのを聴きながらヒンメルがどんな気持ちでいたかはわからないけど、過ぎ去った遥かな日々や歳月の重さや限りある時間に想いを馳せながら過ごしていたんじゃないか。
・今回の戦士がフリーレンの薄情さを指摘した時、私はクヴァールが封印された村のことを思い出しました。「冷たいよね」「でも、村を見捨てるほど薄情ではない」と麦藁帽の老人に語っていたヒンメル。クヴァールを倒した後、フェルンはフリーレンに「ヒンメル様は、フリーレン様を信じていたのだと思いますよ」と言っていたけれど、今話になってみてやっとその言葉の重さがわかったような気がする。きっとヒンメルであっても、フリーレンを信じることは、言うほどに簡単でもきれいごとでもなかったのだと思いました。「たまには顔を見せるよ」と言いながら、半世紀の間たったの一度も会いに来ないフリーレン。覚悟はしていても、50年もの間一度も会えない相手を想いながら、頼りない再会の願いをよすがに生きるなかで、もう二度と会えないかもしれない、彼女には忘れられているかもしれないという恐れを感じなかったはずがないのです。自分の選択や誰かとの約束を信じるということは、叶わないかもしれないという絶え間ない不安や、自分の行いには本当は意味がないのかもしれないという虚無感の日々の浸食に抵抗することです。魔王を倒すよりも、きっと日常の何気ない日々を大切に生きて積み重ねる方が遥かに難しいと私は思う。そんな壮絶な孤独の闘いが永遠に続く疲れが、勇者ヒンメルの表情と全身にあらわれていた翳りの正体じゃないか、そんなことを考えて泣いてしまった。
・愛したフリーレンが、自分の存在を「励み」にして未来で幸せに生きていることを、ヒンメルはもう知っているわけですよ。※じゃあもう頑張るしかないじゃないですか。自分の選んだ道が正解だってわかっているんだから。未来からやってきたフリーレンの幸福な姿を見て、自分の努力が実ることはわかっているから、幻影の中で心が通い合った瞬間だけを心の支えにして、あの後もフリーレンのために銅像を建てたり、女神の聖典を解読したり、クヴァールの村を定期的に訪れたりと、できることを精いっぱいやる。だけどもそれはそれとして、それゆえに自身の願いはずっと鮮やかなままに抱え続けなければならなかったわけですよ。「片時も忘れたことはない」という感慨の重さよ。フリーレンを忘れないというヒンメル自身の誓いというか意志もあるのだろうが、その一方で、生涯をフリーレンに捧げながら生きたので、忘れることができなかったんだと思う。だってそれがフリーレンの未来を守ることになるのだという正解を知ってしまっているのだから。忘却をゆるされないまま相手を求める恋心を抱え続けるのは、とてもつらいはず。そして、そうやって一生懸命にフリーレンが孤独にならない未来のために戦っても、今話で登場した戦士のように、人々の勇者の記憶の風化は既に始まっているんですよね。ヒンメルの「物語の中か。そうか。もう遠い過去なんだな」を語る二コマのヒンメルの眼にたたえられている何とも言えない哀愁にはほんと胸が詰まる。ヒンメルの中では魔王討伐の時から連続した時間が流れていても、若い世代はそうではないんです。人間とエルフ、当事者と新しい世代の間の、埋めがたい時間の断絶を感じさせるシーンです。
・で。こういうもろもろを咀嚼した今になって女神の石碑編を思い出すと再びダメージが襲うんだよね。思えばアイゼンは未来からやってきたフリーレンに、「無理に未来に帰還せず、長命種の特権を利用して、このままこの時間軸で過ごして待つのも選択肢としてアリ」という提案をしていたよね。だけどフリーレンは「私は元いた時間に帰りたい」「大切なものが沢山できたんだよ」と語り、はっきりと拒否した。そんなフリーレンを見て彼女の未来を守るために「フリーレンのために女神の聖典を解読して石碑に呪文を刻む」と即決で約束したヒンメル。フリーレンに対する理解力が半端ないヒンメルなら、今のフリーレンであれば自分の想いに応えてくれるほどに変化しているかもしれないと予感はしていたはず。それなのに、自分の願いにとって何の得にもならない方の約束をすぐに決断したんですよね。こんなんまたしてもヒンメルはフリーレンにフラれたようなもんじゃん;;;;どこまでも惚れた女の前でカッコつけおって……。しかもその後グラオザームの見せた幻影によって、フリーレンがヒンメルの男性としての愛を受け容れる希望まで見せられてしまった。それなのに強い意志で誘惑を退け、未来にフリーレンを帰すことを選び抜き、彼女との約束を果たすためだけに、寿命の短さと戦いながら解読作業に励みたった一人で女神の石碑までやってきたのだと思うと……勇者ヒンメル、あまりにも一途で切ないよ。純愛も深くなりすぎると淵の底に至って辛いのだと初めて知りました……。ヒンメルはそれで良くても私がつらいんだよぉ。。。第7話のアイゼンを思い出すよね。「お前とヒンメルが可哀相だと思ったんだ」「30年前のあの日、お前はヒンメルを知っておけばと口にした」「あの言葉はヒンメルに直接伝えてやるべきものだ」。だめ。アイゼンの心境といっそうにシンクロを深めてしまうのは私だけではないでしょ。オレオールで再会できるくらいしか、死者のヒンメルが報われる途はないもんな。回を追うごとに第1話に込められた文脈の切なさがどんどん掘り下げられ、フリーレン一行の旅の目的の意義がどんどん大きくなっていく。これぞ巧みな構成の勝利というもの。でもそのせいで俺達の胸は締め付けられ泣かされる仕様。まったくひどい漫画だよ(泣笑)
・今話のヒンメルがどことなく沈んで見えるのは、フリーレンに会えていないからじゃないかと感じた。ヒンメルはフリーレンが大好きで、フリーレンのそばにいて幸せになれるのだとすると、忘れられているのではないかと疑うほどの長い時間を待っていることは、ヒンメルから本来の活気を少しずつ奪い去っていったのかもしれない。本当に会いたくて会いたくてたまらなかったよね。それだけ大好きだったのに、魔王討伐後に王都で別れる時には、フリーレンを引き留めるようなそぶりは少しも見せなかったことにも今さら胸が痛む。どれだけ格好付けなんだよ……。第1話で再会が叶った時は本当に嬉しかっただろうな。フリーレンに忘れられていなかった。きっとフリーレンの孤独を和らげるためにもと、一生懸命に楽しいものにしたかつての旅路が、ちゃんと彼女の心の中に残っていたのです。フリーレンと最後に出逢えたことで、119話の表情から見えたような翳りと憂いと虚無感が消し飛んで、あんなに優しい眼差しで万感を込めてフリーレンに「ありがとう」と言えるくらい満足できたんだと、今ならわかる。そうしてハイターが「ヒンメルは幸せだったと思いますよ」と言うような生を全うして逝ってしまったんだ。もう切ないとしか言えない。
・それにしても「それに最後には必ず会いに来てくれる」という台詞は、第1話の「…もう一生会えないのかと思っていたよ」と矛盾する。ヒンメルにとってフリーレンや自分の選択を信じることはやっぱり、疑念との闘いに打ち克つことだったのではないだろうか。あるいは既に死期を悟っていて、フリーレンとの約束の半世紀流星の日まで、自分の寿命が保つのかどうかを心配していたのかもしれない。
<何を考えているかイマイチわからないフリーレン様>
・ヒンメルの表情は彼の内面や歴史を語るにとても雄弁だったが、一方でフリーレンの心情はわかりにくかったと感じる。戦士がフリーレンを「薄情」だと評したように、実際どこまで感情が動いているのか、私には読み取れなかった。ヒンメルたちと心を通い合わせた過去から帰還してきたばかりだというのに、フリーレンがヒンメルの結婚願望をどう捉えたのかもわからないし、感傷的な様子は微塵も見受けられない。ヒンメルの想いが特別なことはさすがに理解したと思う。だけどそれを受けてどう感じたのかが語られない。それどころか戦士に、なぜ自分にヒンメルの話をしたのかと問う始末。自分のヒンメルへの感情が何なのかを精査した感じもない。これは一体どう解釈したらいいんだってばよ……。ヒンメルの表情の描写の繊細さと比べて考えるに、作画者が意図的にフリーレンの表情や言動から感情を取り去っているようには思える。
・そもそもフリーレンは「ヒンメルをもっとよく知っておけば」と後悔して、ヒンメルとオレオールで話すための旅をしていたはずなのに、女神の石碑編ではバタフライエフェクトの危険を考慮しているとはいえ、ヒンメルのことをよく知ろうとしているようにも見えなかったし(むしろハイターと同郷だと忘れていた)、「そう言えばヒンメルってこういう奴だった……」と最近ではヒンメルのことをまるで忘れていたかのように、自分の記憶を確かめるようなシーンもあった。あまりにも淡泊では!?!?!?(笑)前回の感想にも書きましたが、個人的にはこの女神の石碑編でフリーレンの心にどんな変化や影響があったのかがわかるようなシーンがあると、石碑編の存在意義を確かなものにできるし、巷に氾濫するフリーレンの「クソボケ」の汚名を多少は雪ぐことができると思うので、ぜひともここはいつもの淡泊の味を多少は濃くしてでもわかりやすく描いてほしい。
・戦士は、ヒンメルがフリーレンの「薄情」に心を痛めていること、ヒンメルがフリーレンのことを語る楽しそうな様子から彼女を深く愛していることを察していたんですよね。というかヒンメルの想いは周囲の誰にも駄々洩れだったのかもしれないけど(笑)だから「これは伝えておくべきことだと思ったまでです」とフリーレンの問いに返して言う。ここの彼の背中のカットはトーン効果がかけられてなかなかエモーショナルになっていて意味深です。きっと彼も、アイゼンやハイターと同じように、ヒンメルが充分に報われていないと感じた一人なのだろう。だからせめてヒンメルがどれだけフリーレンを想っているかを、ヒンメルのために伝えてあげたかったんだと思う。フリーレンおばあちゃんはマジでもう少しだけでいいからヒンメル達に想いを馳せてあげてほしい。短命種の人間たちが、もしくはエルフよりは短命のドワーフが、人生の残りのほぼ全ての時間を、自分の未来のために費やしてくれたことを、そのかけがえのない重みを感じてほしい。ヒンメルもハイターもアイゼンも、貴重な時間の多くをフリーレンに捧げている。女神の聖典を解読したり、フランメの手記の位置を割り出したり。特にヒンメルはパーティーの中で最も短い生涯のほとんどを、フリーレンのこれからの未来のために捧げてくれた。そしてフリーレンと最後に会えたことを、たった一つの褒美にして死んで逝った。そのあまりにも重過ぎる事実をもっと噛み締めてほしい。フリーレンはハイターに関しては最後を看取り、フェルンを引き取ることで恩返しができたと思うし、アイゼンへの恩返しは今実行中のわけだけれど、なんとヒンメルには何の恩返しもできていないんですよね……。これはヒンメルの恋を叶えることで彼に応える責任があるという話をしているわけではない。もっと単純に、自分の幸福のために時間を捧げてくれた人に「ありがとう」を言う以上の感謝をあらわしてあげてほしいという意味です。ひょっとしたらそういう場面が見られるのはオレオールに着いてからになるかもしれないけれど……。
・フリーレン、いったい何を考えているのかこの期に及んでわからない……。さすが洞察力がカンストしているザイン&ハイターが「何を考えているかわからない」と匙を投げるエルフだぜ……。今回の美しいヒンフリ表紙のアオリ文「私の胸に………君がいる」「勇者は未だ生きている。私が覚えている限り――」くらい素直に自分の内面を吐露するフリーレン様が見たいです(笑)それにしてもこの表紙も扉絵もほんと美しいな……。フリーレンにとってもヒンメルにとっても、一緒に過ごすことができた奇跡のような10年間の青春が、人生最良の時間だったんだと思う。本来は同じ時間を生きていけないはずの二人が互いの道が交差したのがほんのわずかの時間だったとしても、その間は本当に完璧に幸福だったんだろうな……。なんでヒンフリは結ばれなかったんだろう……。ダメだ、また泣けてくる……。全部魔王が悪い。
<いよいよ帝国領編へ>
・次回からいよいよ帝国領に入るとのことで、新章が楽しみです。マハトが警戒していた魔導特務隊とかも出てきたりするんだろうか?帝国とは何なのか、すごく気になっているので掘り下げが楽しみなんですよね。現実のローマ帝国が東西に分裂してから、東ローマ帝国だけその後1000年近く長く存続したように、かつての「統一帝国」が南北に分裂して今は北側だけが残っている、そんな歴史があるんでしょうか?ひょっとして統一帝国時代のフランメの掘り下げとかきちゃう???帝国の「国防結界」はやっぱりフランメの手によるものなのでしょうか?帝国がシュトラール通貨とは異なるライヒ通貨を鋳造して北側諸国に流通させているようなディテールも気になりますね。新しい冒険が本当に楽しみです!
※「僕は?」「励みになっているよ」というあのやり取り、ヒンメルは未来のフリーレンにとっての自分がどんな立ち位置なのか探っていたような気がしてならない。フリーレンの答えで、自分は彼女と生涯を共にするパートナーにはならなかったのだ(結婚しなかったのだ)ということは察したと思う。
<余談>
ところで多くの人が指摘するところですが、「葬送のフリーレン」、不老の存在と人間との刹那の交流の切なさが描かれるという点で、半世紀前の少女漫画の傑作、萩尾望都の「ポーの一族」を思い出すんですよね。私は中でも吸血鬼エドガーに心を奪われ、婚約者との幸福な結婚生活を捨ててまで、生涯を永遠の少年エドガーの追跡に費やしたオービン卿をヒンメルに重ねてしまいます。長年の捜索の甲斐もむなしく数十年が過ぎた頃、思いがけず霧の中でエドガー少年と奇跡の再会を果たした老オービンは「私のことなぞ忘れたろうね」と投げかけます。エドガーは「覚えてるよ、魔法使い」といたずらっぽく微笑んでみせ、老オービンは滂沱の涙を流すという、郷愁に彩られた美しく幻想的なシーンです。あの瞬間、大切なものをなげうってまでエドガーに懸けてきた老オービンの人生は報われたんですよね。ヒンメルもフリーレンに最後に会えた時、そんな心境だったんじゃないかなぁ。