
閃光星 flare star ※つるみか
第三話 万屋
同人誌にする予定のつるみか話 バックアップ兼サンプルとして
年内には…がんばる
翌日、鶴丸は三日月、審神者、加州と共に江戸風の街を歩いていた。
万屋のある街は刀剣男士や審神者、店番の式神で賑わっている。
三日月は紺色の着流しと緑色の羽織を羽織っていた。足元は少しくたびれた草履。これは全て審神者に借りた物だ。丈は少し短いが、審神者と三日月は身長が近いのでさほど不自然さは無い。これが審神者の趣味なのか、審神者も殆ど似たような格好をしている。
鶴丸と加州は出陣服だ。
「主、こんのすけのアップデートっていつ終わる?」
「夜まで掛かるらしい」
「帰りにお土産買っていい? 油揚げとお菓子」
「もちろんだ」
加州と審神者が会話している。
鶴丸は当初、周囲を見る余裕が無かったが、ある店の前に鶴丸国永がいるのを見て吹っ切れた。
「三日月、見ろ! あれは俺じゃないか?」
あまりにそっくりな後ろ姿を見て、鶴丸は近づいた。
鶴丸は手を挙げて声を掛けた。
「よっ! ちょっと良いか」
すると前の鶴丸が振り向いた。顔もそっくりで驚いた。
「――こいつは驚いた! 俺か。何か用か?」
鶴丸を認めて、前の鶴丸が目を輝かせた。
大仰な反応に声を掛けた鶴丸の方が驚いた。
「ああ。俺も驚いた。聞いて良いか? 俺はここに初めて来たんだが、これは何て食べ物だ?」
「鯛焼き屋だが――きみはもしかして顕現したてか!?」
前の鶴丸は食い付きがとてもいい。鶴丸は少し戸惑った。
「あ、ああ、まだ十日だ。で、鯛焼きってのは美味いのか? ずいぶん良い匂いだが」
「鯛焼きを初めて食べるなんて、こいつは楽しみだ! 目茶苦茶美味いぞ。あっそうだ、折角だし奢ってやろう。なあ。そっちの三日月はお前さんの連れか?」
三日月が無言でゆっくり頷いた。
「そうか、二人で来たのか?」
「いや、あちらにあと二人いる。知り合いの審神者と加州だ」
鶴丸は審神者と加州を示した。
「なるほど。四つか。面倒だまとめて買っちまおう。俺が二つで六頼む。悪いが二つずつ袋に入れてくれ」
店番が返事をして焼いてあった物を袋に詰めていく。
あっと言う間に手渡され、鶴丸は驚きながら袋を二つ受け取った。
「――悪いな。ええと、いくらだ?」
鶴丸は三日月を見た。
三日月は財布は持っているだろうと思ったのだが――。
「鶴丸、まだ下ろしていない」
三日月が言った。そう言えば銀行で引き出して、両替してから使うと言っていた。
「ああそうだったな、加州、すまないが頼む」
「いや、このくらい奢るぜ」
加州を呼ぼうとしたら鶴丸に言われた。
「いいのか?」
「気にするな。俺に会うのも珍しいからな!」
「珍しいのか?」
「――いや、そこまででも無いんだが、俺はあまり外に出てこないからなぁ……俺に声を掛けられたのは久しぶりだ。これは俺の連絡先だが、良かったら登録してくれ。ああ、俺は、俺を見つけたら渡す事にしてるから気にするな」
鶴丸はまくし立てて、四角い紙を渡してきた。
「そいつは嬉しいが――なあ、審神者殿、俺の連絡先はどうしたらいいんだ?」
すると審神者は、とりあえず連絡先を貰っておいて、後で端末から連絡すればいいと言った。
「ええと、ひとまず一方通行で認証するので、本丸番号と識別番号を教えて頂けますか?」
審神者が番号を入力すると鶴丸のふざけた顔写真が出てきて、完了と表示された。
「――鶴丸さん、鯛焼き買った?」
すると少し遠くから、ずいぶん派手な格好の乱藤四郎が声をかけてきた。前の鶴丸の連れらしい。
「ああ、迎えが来たか。困った事があったら呼んでくれ。近頃暇なんだ。じゃあな」
鶴丸は言って、手を振って去って行った。
「ありがとう。いつか鯛焼きの礼を出来ればいいんだが――」
鶴丸は手を振りながら声をかけた。
返事は無く、そのまま向こうへ消えた。ずいぶん忙しそうな自分だと思った。
「三日月……悪かった」
鶴丸は三日月を見た。三日月は苦笑していた。
「まあ良い。連絡先に関しては、審神者殿の許可がいるのだが……」
「そうか。審神者殿、迷惑をかけてすまなかったな」
「え、ああ、いいえ。でもこんなに……すんなり連絡先を渡すなんて、どこの本丸だろう?」
審神者は首を傾げて端末を見た。
審神者の隣で端末を覗いてた加州が「げっ」と声を上げた。
加州と審神者が端末を確認している間に、三日月が鶴丸に説明をした。
「この形の連絡先を渡すと、連絡先を貰った刀剣の審神者が、渡した刀剣の主の、階級と持っている刀剣を見られるようになる。普通は余程信頼した相手にしか渡さない物だが――さて、どこの本丸だ?」
三日月が審神者に尋ねると、審神者は「古参の本丸みたいです」と答えた。
「刀剣男士も全て揃っていて、極も全部いる。極乱が六十六。他もそのくらいです……」
「コワッ」
加州が呟いた。
「極ってのは?」
鶴丸が尋ねると、加州が『修行に出て強くなった刀剣男士で、衣装も替わる』と説明をした。先程の乱は極だったらしい。
「へえ、なるほど」
「なるほど、余程守りに自信があるのだろう」
隣で三日月が微笑んだ。鶴丸はその笑みを見て、若干引きつった。
「きみ、またよからぬ事を考えてるのか」
「……」
三日月が曖昧に微笑んだ。
◇◆◇
「いらっしゃいませ、三日月宗近様、鶴丸国永様。ご用件は何でしょう」
個室には行員と書かれた名札を付けたこんのすけがいた。
銀行では順番待ちの札を取り、それぞれ個室に案内された。
三日月と鶴丸は同じ部屋に案内されたが、審神者と加州は別の部屋だ。
「貯金を下ろしたいのだが」
「はい、おいくらでしょう?」
今回の遠征での報酬は五千両。一両は千円だから円にすると五百万円になる。
「全て下ろしたい」
三日月はそれを全て一括で下ろした。
一両残らず全てで、銀行のこんのすけが「振り込み詐欺では無いですよね?」と「使い道はなんですか」「本当に詐欺では無いですよね? 怪我をした方や他の刀剣や長谷部様、博多様に確認しましたか? 今からして下さい」「円換算で五百万円ですよ? 桁間違えてませんか?」と再三、再四確認した。
三日月は何度も頷き、使い道については『本丸の増築』で押し切った。
その後、三日月が小判での受け取り、現金で知り合いの本丸への送金を希望すると言ったらこんのすけの目が血走り、送り先についてしつこく聞いてきた。
送り先が今隣にいる審神者の本丸だと分かると、すぐに審神者を個室に呼んで質問攻めにした。
「本当に、本当にここに送って良いのですね? 両本丸の審神者様、近侍様共に書類にサインしましたね? 詐欺でも知りませんよ? 現ナマ小判を送りますよ? ……手続完了。……。……アリガトウゴザイマシタ」
まだ疑っているようなこんのすけの見送りを背に、審神者と三振は銀行を出た。
「貯金を引き出すというのはかなり大変なんだな……」
鶴丸はぐったりしていた。加州も審神者も同じ様子だ。
審神者の本丸に送った小判の使い道は分からないが、これが三日月が一度で済ませたがった理由かもしれない。
「現金五十万以上の引き出しとか、余所への送金は大変だって聞いてたけど、近侍の署名もいるなんて……疲れた」
審神者も疲れた様子だ。
「審神者殿がいて助かった。現金だからなぁ」
三日月はのんびり言ったが、銀行内部には三日月を背景にした三日月の似顔絵があり『その振り込み、ちょっと待った! おじいちゃん!』と書かれていた。
三日月は四千五百両を小判で本丸に送って、残り五百両のうち四百両を『高額小判為替』というたった四枚の紙にした。これは審神者だけが使える紙幣らしい。
残りの百両は現物の小判が九十両、あとの十万円は『円』の一万円札が五枚と、残りは千円札、小銭に変わっている。
一行は適当な飯屋に入った。ちょうど昼時で混んでいる。
鶴丸は天丼を初めて食べた。三日月は静かに蕎麦を啜っている。
「それでも結構、手元にあるな。何に使うんだ?」
鶴丸は尋ねた。九十両も十万円も審神者に借りた風呂敷に包んでいるが、荷物になる。
加州と審神者も興味津々と言った様子だ。
「一度に下ろさなくても良かったのでは? まあ手続きは大変ですが……」
審神者が言った。
「ふむ。俺はこんのすけを持っていないからな。一度に済ませておきたい」
三日月がのんびりと言った。
「うーん。なるほど……そうですね」
審神者はうーん、とかなるほど、と何度か繰り返した。
「ん? どういうこと?」
加州も鶴丸も首を傾げた。
審神者は三日月を見た。三日月は味噌汁を啜って、置いた。
「審神者の口座は便利だが、使う度に追跡される」
三日月の言葉を聞いて、鶴丸は何となく察した。
審神者も分かったらしい。三日月の後に続けた。
「――現金にしておけば、その心配は少ない……三日月様にはこんのすけもいないから……うーん、良いんですか?」
「つまり? きみは、これきりにしたいと?」
鶴丸は言ってみた。すると三日月が頷いた。表情は硬い。
「きみの政府嫌いはよっぽどだな」
鶴丸は呆れた。三日月は政府から報酬を貰うのが嫌なのだろう。
「嫌っているわけでは無い」
三日月は苦笑したが、政府に近づきたくは無いのだろう。
――これ以上の会話は本丸でした方がいいので、鶴丸は話題を変えた。
「それはいいんだが、なあ、円と両ってのはどう違うんだ?」
両替するということは同じ金には違い無いだろうに。分ける理由があるのだろうか。
すると審神者が三日月に目配せした。
三日月は『説明は任せた』とばかりに茶を飲んでいる。
「ええと、両は審神者だけが使えるお金でして、円は刀剣男士専用のお金なんです。三日月様はさに、んん、ですから両方使えるのでしょう。これは相当凄い事ですよ」
審神者が両と円の仕組みを鶴丸に説明した。
刀剣男士への給金、買い物、小遣いには円しか使えない。
これは刀剣男士による両の使い込みを防止するための措置で、普通は本丸にまとまった現金が置いてある。また、自分の本丸のこんのすけに頼めば現金を用意してくれる。
――刀剣男士は各自『刀剣通帳』を持つ事ができるが、導入するかは審神者の自由だ。
一方の審神者は『審神者通帳』を持っていて、引き落としで買い物ができるが、刀剣男士は通販か、現金での支払いしかできない。
審神者が買い物をする時は残高があれば生体認証で財布を持たなくてもいい。
使った金額が分からないので現金派もいるが、この審神者はほとんど通販か、事後請求だという。
「円はこの国の基本通貨なので審神者になりたての場合は、審神者も円を使うんですが慣れてくると全部両で払うようになるらしいです、そっちの方が便利だって聞きます。両は通販とかで便利なんで、俺も持ち歩くのは数千円と小銭くらいですね。ツケで買う場合、無駄遣いには注意が必要ですけど……」
「なるほどなぁ。両と円の桁が違うのは?」
「さあ、それはどうしてでしょうね? 一両は千円ですが、両は基本が小判で、小銭が無いんですよ。もっと小さい単位はあるらしいけど、皆に馴染みが無かったからかな。小銭が出たら円を使うか、一両で払って、お釣りを円で貰う感じです。そうだ、ここの支払いをしてみますか?」
鶴丸は試しに円での支払いをしてみた。
合計で三千八百円。札を出してお釣りを貰う。簡単だった。
「税があると刀剣が混乱するから、税込みになってるんです」
審神者が言ったが、税の説明はよく分からなかった。
「――それで、これからどうする?」
鶴丸は三日月に尋ねた。審神者と加州は今日は休みで買い物を手伝ってくれるという。
「まずは俺と鶴丸の財布を買う。その後は着替えだ、他にも揃えなければ……」
「財布? きみ、持って無かったのか」
着替えや必要な物は今朝、適当に紙に書いた。財布くらいあると思っていたが、それも無かったらしい。三日月は買う物を書いた紙を加州に渡した。
「案内を頼む」
「うん。分かりました。財布ならあそこかな。出陣用の、高いのじゃなくて良い?」
「ああ。なるべく節約したいが、任せる」
三日月は頷いた。
「分かった、任せておいて」
◇◆◇
まず、一軒目、和風の小間物屋で財布を選んだ。
三日月は藍色、鶴丸は薄い灰色。値札に出陣対応と書かれていた。
これは落とさないように紐付きで、時代に合わない金属を使っていない、手作りの財布らしい。同じ物の色違いだ。
二軒目では着物と履き物を選んだ。
「内番服は規定の物が安いからそれでいい?」
「ああ」
加州に聞かれて三日月が頷いた。刀剣男士によって決まった服があるらしい。加州もそれを着ていると言った。圧倒的に安かったので鶴丸も規定の服にした。出陣服と違って手入れで戻らないが、一着あると便利らしい。
が、頼んで出て来た三日月の服を見て、鶴丸は仰天した。
「――何これ!? ださっ」
加州が鶴丸の気持ちを代弁した。
鶴丸の内番服はごく普通の白い袴と着物だが、三日月の服は紺色の作務衣におかしな肌着、おかしな黄色い布と……とにかく全く似合いそうに無い。審神者は着用図を見て吹き出し『ぎりぎり有りじゃないか? これはこれで相当面白い』と言っていたが加州に怒られた。
鶴丸もこれは嫌だと思ったが、ぎりぎり有りだという審神者の意見も――少し分かる気がした。三日月は素材がいいので、これくらいで丁度良い。
「どうする、違うのにするか? きみなら何を着ても良く見えそうだが、これじゃあ、旅は出来ない」
「いや、以前も着ていたし、これが良い」
着慣れた服を見て三日月は上機嫌だ。余程気に入っていたらしい。
「駄目~ッ、うちではともかく、旅先では駄目! 今から選ぶから、両方買って!」
「荷物は少なくしたいのだが……」
三日月が言った。
「じゃあうちで寝る時使えば良いから。選ぶよ主! お金はうち持ちで良いんだよね?」
加州に言われて、審神者が頷いた。そして三日月の内番服と趣味の良い着流しと羽織、鶴丸の内番服、履き物、下着、後は二振とも揃いの浴衣を購入した。
「あ~、まあ良いか……お礼です、受け取って下さい」
審神者が顔認証で支払いをした。
結局、着物で加州達の報奨金の三割が消えた。
◇◆◇
「これでだいたい揃ったかな」
審神者が言った。着物や旅装束などは本丸に送り、そのほかの細かい物は手持ちだ。三日月は怪我をしているので鶴丸が持った。
加州が、懐から丸い鎖付きの時計を取り出した。
「主、休憩しよ。疲れた」
加州が言った。
「時計か? 今何時だ?」
三日月が尋ねた。
「ちょうど三時過ぎ。あっ、時計も買わないと。通販の方がいいかな。また目録見せてあげる」
「助かる」
鶴丸は言った。加州は買い物が上手く、店をよく知っていて助かった。
「加州、時計は転移装置についてるぞ。何処かで休もう」
審神者は疲れた様子だった。
「あ、そうだった。ならいいか。後は何かある? 何処に入る?」
「どこでもいい。近い所。刀剣男士、体力がなぁ……」
鶴丸はまださほど疲れていない。加州も習慣として言った様子で、余裕がありそうだ。
……鶴丸は審神者というのは大変な仕事だと思った。
刀剣は六十以上あるらしい。それを一々世話していたのでは身が持たないだろう。刀剣に任せるにしても、審神者にしか出来ない事もある。
手入れなどその最たる物だ――と考え、昨夜の三日月との会話を思い出してしまった。
「俺は休んだら先に帰ろうかな、良いですか?」
審神者が三日月に尋ねた。三日月は「ああ、それが良い。助かった。してどこに入る?」と言った。
休憩の後、審神者と加州は先に戻って行った。
加州は残りたがったが、刀剣男士が審神者を一人にするのは良くないらしい。審神者は「土産を買って帰る」と言っていた。
「それで、どこに行くんだ?」
三日月が「まだ用事がある」と言うので鶴丸は三日月と二人で残った。
帰りは審神者の本丸に招待という形で戻る。
「うん。しばらく別行動したいのだが」
「別行動? どこに行くんだ」
「野暮用だ」
「じゃあその辺にいる。どのくらいかかる?」
鶴丸は細かく時間や場所を決めようと思ったが、三日月は街にいれば鶴丸の居場所が分かると言った。それほどかからない、というので、適当に近くの店を見て待つ事にした。
鶴丸は先程買った財布に金を入れて貰って、懐にしまった。
そして一人になった鶴丸は適当に見て回った。
街も面白かったが、刀剣男士を見るのが楽しい。見覚えがある気がして、一振に声をかけた。
「君、ちょっといいか?」
振り返ったのは、眼帯をした洋装の刀剣男士だ。
「あれ、何かな?」
「俺は顕現したばかりなんだが、その眼帯……もしかして君は伊達の……光、忠か?」
「! うん、そうだよ。僕に会うのは初めて?」
「ああ、やっぱりそうか!」
「鶴さんだよね。今日はどうしたの?」
「買い物なんだが――」
鶴丸はしばらく雑談した。
「っと、いきなり話掛けて悪かったな」
「ううん。楽しかったよ」
燭台切の本丸には大倶利伽羅も太鼓鐘も鶴丸もいると言う。三日月はいるのかと聞いたら、まだいないと言われた。そういえば三日月宗近を見かけない。
そんな事を考えていたら、短刀に囲まれる一期一振を見つけた。
道の反対側を向こうからこちらに向かって歩いてくる。鶴丸は一瞬足を止めた。
(数が多い……)
揃いの服を着ているのは、全て粟田口の刀剣だろうか。一期以外に六振もいる。引率は大変そうだ。一期は手を引かれている。少し離れている事もあって声をかけるのは止めた。
そう言えば一期は大阪城で焼けたはずだが……あれは薬研藤四郎だろう。一度焼けた刀剣も問題なく顕現しているらしい。
「いち兄、こっちです」
「いい匂いがします」
「土産はどうする?」
――鶴丸は眉をひそめた。
顕現して色々見て回って、何となく、刀剣男士や本丸の在り方という物を察してきた。
つまり審神者が居て、戦い、暇や許しがあればこうして街に出ることもある。
刀剣は六十以上居るらしい。あっというまに五十振、場合によってはそれ以上の大所帯になって、かつての仲間とも再会できると言う。
(退屈そうだな……)
鶴丸はそう思った。鶴丸は狭い場所が好きでは無い。何を退屈と思うかは刀剣次第だし、やってみれば存外楽しいかも知れない。
他の鶴丸達は、本丸で何を考え、どう暮らしているのだろうか? 鶴丸は自分をあまり見かけない事に気が付いた。一期一振もそうだが、鶴丸には初めに会ったきりだ。あの鶴丸は『鶴丸はあまり出てこない』と言っていたが、それは少し分かる。鶴丸は交友範囲は広いが、結局、親しい友とはしゃいでいるのが楽しいのだろう。
鶴丸は道の端に寄って、板壁にもたれた。江戸風の街並みがどこか余所余所しく感じられる。楽しいが、そもそもここは一体どこなんだ? あの空は何だろう。とどうでも良い事を考えた。
あの審神者の本丸に世話になって、まだたったの二日だが、鶴丸の中に苛々とした、釈然としない気持ちがある。
それが何か、何故か分からない。
……おそらく三日月に関する事だと思うのだが、何に苛ついているのか分からない。
その時ふっと、目の前を蒼がかすめた。
「わぁ、三日月さんだ……」
という声が聞こえた。
三日月が戻って来たのか、と思って一歩踏み出すとそこに居たのは、蒼い刀剣だった。
「――あ」
と言った声は、次の瞬間、驚きに変わった。
「待て、君!」
鶴丸は思わず声をかけた。
三日月は足を止めて振り返った。連れらしき刀剣は三振。
鶴丸はそれに構わず、三日月を見つめた。
――群青色の着物に闇色の髪。長い睫毛に薄い生成り色の肌。三日月の浮かぶ瞳。
その三日月宗近は髪に金の房飾りを巻いて、金の胸鎧や金帯を身につけて、黄金色の太刀を佩いていた。長く揺れる袖の先にも金の房があった。
「うん? 何か用か?」
三日月は小首を傾げて優しく微笑んだ。微笑んだとき、僅かに房が揺れた。
またとない美貌と過剰なほどの典雅さに、鶴丸はしばらく絶句した。
「どうした? どこかの鶴丸」
三日月の言葉で我に返った。
「……ああ。……いや……人違いだ。悪かったな」
「ああそうか、よきかな」
三日月は穏やかに微笑み、立ち去った。
鶴丸はしばらく呆然としていたが、辺りを見回し、細い脇道に入った。
足元がふらつく。中ほどまで来た所で、壁に手をついた。
鶴丸は腹の底から唸った。
「ッ、くそ……! 三日月ッ!」
鶴丸は拳を握りしめ、思い切り壁を叩いた。板壁に穴が開いてしまい余計苛立った。
本来の『三日月宗近』は優美な着物を着て、黄金色の太刀を佩き、穏やかに微笑む刀剣男士だった。自分が知る三日月との、あまりの違いに目眩がした。吐き気かもしれない。
先程見たあれが『三日月宗近』なら、自分が見ていたのは一体何だ? あんな物は刀剣ではない。あんなぎらついた目をした男は、刀剣男士ではない!
……おかしいと思っていた。刀剣男士の服装は基本的に派手で、華美で、おおよそ戦いには似つかわしくない。鶴丸だって、派手な白装束を着ている。
それがどうだ? 初めて出会った三日月は飾りの一つも身につけず、ぼろきれのような着物を着て――着物は、先程見た蒼い着物に間違いは無い――あれがどうして、あんな無惨になったのか。金の鎧や帯はどこにある? 優雅な袖も無い。籠手と詰め襟は持っていたから、鎧や帯は三日月が捨てたのかもしれないが、そうで無ければ、三日月は支度の間もなく本体も持たず、着の身着のまま放り出されたのだ。
刀剣男士は本丸で、審神者に従い生きるモノだ。
三日月は鶴丸を抱えて何を思ったのか。
鶴丸は思い出した。
あの審神者の本丸で初めて飯を食べたとき、皆が気の毒そうにしていた。泣いている者もいた。あれは、そういう事だったのだ。三日月は、怪我の酷かった鶴丸を心配していると言ったが、違う。
……三日月は同情されていた。
『三日月宗近』は天下五剣の一振りにして最も美しいと言われる刀。
これだけ刀剣男士がいれば分かる。鶴丸や一期一振、三日月は霊力の高い、珍しい刀なのだ。
優美で誰もが羨むような三日月が、あんな姿でいること自体が、他の刀剣達にとってあってはならない事なのだ。
自分の主をあのような姿にする事は、刀剣にとって恥ずべき事だ。加州を見ていれば分かる。
加州は審神者から離れなかった。主を守る為に。
主を守る為――。
鶴丸はうつむいた。
ぽたぽたと音がする。何だろうと思って、自分の顔に触れたら濡れていた。
(――涙?)
人は悲しい時に泣くのだ。出会った時、三日月も泣いていた。三日月の涙は悲しみだったのだろうか。それとも違う感情で――? 三日月は鶴丸を見て微笑んでいた。
三日月は鶴丸に『運が良い』と言ったが……その通りだ。良いかどうかは分からないが、とんでもない事には違いない。
鶴丸はよりによって、三日月を主に持ったのだから。
◇◆◇
(はて……ここはどこだ?)
用を終えた三日月は、元の道に戻ろうとしたのだが、どこをどう進んだのかすっかり迷ってしまった。行きは店の名を尋ねながら着いたのだが、帰りに『鶴丸はどこだ』と聞いても返事があるわけがないので、素直に鶴丸の気配を探った。
しばらく分からなかったが、少し移動したら見つかった。
――気配を辿ると元の通りに出た。
三日月一振なら自分の居場所が分からなくなってお終いだが、これは便利だと思った。
鶴丸は茶店の長椅子で休憩しつつ、団子をかじっていた。
少し遅くなったようだ。三日月は声を掛けた。
「鶴丸、すまん。戻ったぞ」
遅くなった自覚はあるので謝った。
鶴丸は三日月を見て、立ち上がって伸びをした。
「ああ、ずいぶん遅かったな? 何処まで行ってたんだ」
鶴丸が首を傾げた。三日月は苦笑した。
「ははは。すまんなぁ」
「すまんじゃないぞ、きみ、怪我しているくせに。荷物が増えるなら連れて行ってくれ。いや、一人で行かせた俺が悪かった。とりあえず置いてくれ。もう買う物は無いのか?」
三日月は長椅子に荷物を置いて、鶴丸の右隣に腰掛けた。
「ああ、無い」
「団子いるか?」
鶴丸の皿には団子が一本残っている。
「貰おう」
三日月はその一本を貰った。鶴丸が茶を頼んで、温かい茶が来た。
「他に何か食べるか? そろそろ日が暮れそうだ」
「そうだなぁ。戻ろう。どうだ、楽しかったか」
三日月は『鶴丸国永は、こういう賑やかなところが好きだろう』と思って言った。
鶴丸が少し考える素振りをして頷いた。嬉しそうに微笑んでいる。
「そうだな、色々面白い物が見られた。伊達の光忠にも会ったし、一期一振も見た。そうだ、三条の石切丸もいた。ここはずいぶん賑やかだな、早く帰ろう、もう飯の支度しているはずだ」
「? あいわかった」
三日月は少し首を傾げた。
鶴丸は少し気が立っているようだ。何かあったのだろうか、待たせすぎたかと思ったが、帰るのが先だ。二振は帰路についた。
……鶴丸の気が立っているというのは、三日月の気のせいだったらしい。
本丸に戻った鶴丸は終始楽しげで、夕飯の片付けを手伝ったり、短刀と風呂に入り、風呂から出た後は近侍部屋――暇な刀剣達のたまり場になっている――でそのまま雑談をしていた。
近侍部屋には三日月、鶴丸、大和守、愛染、秋田がいた。
鶴丸の右隣に大和守がいて、鶴丸の膝の上には愛染がいて鶴丸は愛染の髪をぬぐっている。三日月は鶴丸の左後ろ、少し離れた座布団の上で、秋田の髪を髪を拭いていた。
鶴丸は人の体や食べ物、土産物や万屋、他の刀剣について話していて、三日月も合いの手を入れたり、自分の買った物について話したりした。秋田と愛染が「一緒に行きたかった」といって口を尖らせている。
いつか機会はあるさ、と言って鶴丸が苦笑した。
鶴丸は隣の大和守に話掛けていた。
「鯛焼きってのは初めて食べたが、美味いもんだな。人間はよく食べると思ってたが、こんなにしょっちゅう腹が減るなら仕方無い」
大和守も風呂上がりで髪を下ろしている。
「そうだね。僕もそう思った。何でこんなにお腹空くの? って。夜食食べすぎると怒られるけど、カップ麺とか美味しいよ。沢山あるから分けてあげる。後で持って行くけどいい?」
「そいつは助かる。三日月はよく食べるからなぁ。ところで、カップ麺ってのは何だ?」
三日月は先程から鶴丸の様子を観察していた。
三日月は過去、何度か鶴丸国永を演習で見かけた事があった。その時も衣装の白さと肌の白さに驚いていたが、こうして、改めて見ると本当に色が白い。
今は湯上がりなので血色が良いが……寝ている時はまるで死人で、肌も冷たく恐かった。
三日月にとって『鶴丸国永』という刀剣は、縁はある物のあまり関わりのない刀剣という位置づけだ。
過去の記憶を持つ自分もいるらしいが、三日月はぼんやりとしか覚えていない。
白い付喪神、人の形をした白い光。少し活発だった気もする……? 会話をした覚えもあるが、内容は忘れた。それが三日月にとっての鶴丸国永だ。演習で出会った鶴丸は皆、昔がどうとか過去の思い出がと言っていたが、正直大して覚えていない。あの本丸ではそれが普通だから、鶴丸もそうなのだろう。
……突然『あの時はこうだった』と言われたら『すまん、忘れた』と言って、傷付けるところだった。
三日月は自分だけの、唯一の鶴丸が欲しかった。
同じ本丸出身という事実が格別に嬉しく、口元が緩んでいく。
(この鶴で良かった)
視線に気づいた鶴丸が三日月を見た。
「どうした?」
「いや、何でも無い」
三日月は苦笑した。
「そういえば、清光どうしたんだろ、主も」
大和守がふすまを見た。近侍部屋の隣は審神者の部屋になって居て、主と加州はそこから出てこない。夕飯には来ていたが、何かあったのだろうか。
「さて……呼んでみるか?」
三日月は尋ねた。審神者の生活空間は、中からの操作で鍵が掛けられるようになっている。主の好みで防音もできるし、手軽に結界も張れる。本丸によるが、刀剣は夜も出陣する。外からの音は聞こえる様にしていたり、中からの音を出さないようにしたりと自由に調整できた。この本丸もそうだろう。
「うん、清光ー、なにやってんの?」
大和守が立ち上がって声をかけると、中からふすまが開いた。
「どうかした?」
加州は首を傾げた。中からの音は聞こえなかったが、外からの声は聞こえるらしい。
「さっきからなんかやってるの?」
「あー、いや、話し合い? あとちょっと、こんのすけが調子悪くて。アプデが失敗したみたい」
「大丈夫?」
大和守が言った。
「もう一回やってるから、今日はもう皆寝た方がいいかも。おやすみ解散ー。髪、ちゃんと乾かして寝な。ドライヤーで」
加州に言われて、短刀達がえー、と言いつつ立ち上がる。
三日月も立ち上がった。
「どらいやーも手伝おうか?」
三日月が言うと、愛染と秋田は嬉しそうにしたが、加州が「甘やかさないで下さいー」と言った。
それを聞いた鶴丸が腰を上げる。
「じゃあ行くか?」
「では、先に休むとするか。審神者殿によろしく。おやすみ」
「おやすみなさいー、三日月様!」
「おやすみな!」
三日月は鶴丸と共に歩き出した。ゆったり歩き渡り廊下に差し掛かる。
「すっかり馴染んだな」
鶴丸が言った。
「俺は起きていたからな」
「俺に付きっきりって訳じゃ無かったのか」
「手入れを終えたら後は待つだけだ」
「それなら良かった」
鶴丸が言った。
「良かったのか?」
鶴丸の意図が分からなかったので三日月は聞き返した。
「……」
離れに到着して、扉を開けて、短い廊下を歩いて、ふすまを開けた。
鶴丸は部屋に入るまで無言だった。
「怪我の調子は良いらしいな。良ければ見せてくれないか」
鶴丸が言うので、布団に座って、腕に巻かれた包帯を解いた。
「審神者殿が医者を呼んでくれてなぁ。こちらの技術は大した物で、縫ってこの程度だ」
三日月は言った。
傷は四寸ほどと長めだが、縫い方が上手く、すっかりふさがっている。
「痛みも殆ど無いし、薬も塗って貰った。そもそも、刀剣男士は膿むことが少ないらしい、濡れないようにシール? を貼れば風呂にも入れる。大した進歩だ。後は抜糸だが、五日もすれば平気になる」
抜糸は七日後と言われたが五日と言っておいた。治りが良く、そのくらいで済む気がしている。
「なるほど。良さそうだな。貸してくれ」
「いや、自分でやろう」
鶴丸が包帯に手を伸ばしたが、三日月は自分で巻く事にした。単に巻き慣れているからだったが、鶴丸が大げさに溜息を吐いた。
「きみはなんでも一人でやろうとする。普通、三日月は世話されるのが好きだって聞いたが……」
「俺も世話されるのは好きだ」
三日月は言った。出来る事なら何でもして貰いたいと思っている。ただ、今は一振だから仕方無い。
――鶴丸はどこで他の三日月の話を聞いたのだろう?
疑問が浮かんだが、答えが欲しい程では無い。聞かずにいると鶴丸が話を続けた。
「街で三日月宗近を見かけたんだが……きみ、出会った時、ずいぶん酷い格好だったんだな」
「ああ、あちこち引っかけてしまった。袖は懐紙がなかったので切って使った」
三日月は笑った。さて困った、と思った時に目に付いたのが長い袖だったのだ。この時の為にあるようだ、と感心した。
「鎧や帯もか?」
「ああ、まあ、そんな所だ」
三日月は頷いた。鶴丸は目を細めている。
「隣いいか」
「うん?」
三日月は布団の真ん中に、鶴丸の布団の方を向いて座っていた。
鶴丸は布団の足側に腰を下ろした。
「こっちを向いてくれ」
三日月は言われた通りに、鶴丸に向き合った。
「どうかしたか」
「――いや。別に……」
鶴丸が嘆息した。
「ところで、そろそろきみの本体を取り返しに行かないか? 放りっぱなしというのは、いかにも危ない」
鶴丸に言われて、三日月は買った品物を思い出した。
「そうだ、鶴、おぬしに渡す物がある」
三日月は立ち上がって移動して、部屋の端に置いた紙袋から巾着を取り出した。
「開けてみろ」
鶴丸は開けて、すぐに何か分かったらしい。
「手入れ道具か」
「ああ。それで足りるか?」
鶴丸は袋の中身を取り出して、いいんじゃないか、といって口元を緩めた。
三日月はほっとした。三日月はもう一つ小さな紙袋を取り出し、中身を渡した。
「これは御守りだ」
鶴丸の為に買った御守りだ。三日月は御守りがどう言う物か説明した。
「なるほど。君の分はあるんだろうな」
「無論、ある。こちらだ」
「色が違うな?」
鶴丸が言った。鶴丸に渡した御守りは金糸の織り込まれた守り袋に入っていたが、三日月の物は藍色の守り袋に入っている。
「意外に値が張った。二つ買えたのだから良しとしよう。そうだ、他にもある」
三日月は鶴丸から離れて、再び紙袋に手を伸ばした。
「きみは、俺に背中を見せないな」
鶴丸の声がして、三日月は振り返った。
「いや、いつもって訳じゃ無いか……。触れられるのも嫌がる。俺の事が嫌いか?」
鶴丸が言ったので、三日月はどきりとした。
確かに心当たりは山ほどある。三日月は首を振った。
「そんな事は無い」
三日月は鶴丸を好ましいと思っていたし、頼りにしようと思っていた。
何度も失敗して、ようやく顕現できた時は本当に嬉しかった。
そう伝えようと思ったが、先程から、鶴丸は不機嫌そうにしている。
「俺はまだ顕現したてだが、これも何かの縁だ。きみを主とする事に不満はないし、きみが旅に出るならずっとついていく。だから何があって追い出されたとか、できれば全て教えて欲しい。きみが嫌がっているのは分かるから、無理にとは言わないが……駄目か?」
鶴丸の言葉を聞いて、三日月は固まった。
そして深く、深く考えた。
「――どうして、か……」
三日月はうつむいた。
袋の中には端末がある。これは三日月の唯一の協力者がくれた物で、彼の本丸の、彼の端末として使う事が可能だ。
ここの審神者に頼んで連絡を取り、今日、街で会って受け取った。
三日月は取り出そうとしていた手を止めた。体が震える。
「どうして、こう、なったのだろうな」
彼――山姥切国広とはあの街で出会った。財布を無くして難儀しているというので、探すのを手伝った。時間が掛かったが見つかって……山姥切が、この礼は必ずすると言って、連絡先をくれた。
それから時折連絡を取っていたが……こんな事を頼むはずでは無かった。
ずっと堪えていた涙があふれ出してきた。
「俺は、逃げ出したのだ」
三日月は呟いた。
追い出されたと言うのが正しいが、逃げ出したも同然だ。
三日月は、主の足にすがりついて「鶴丸だけは、鶴丸をくれ!」と叫んだ。主は聞かなかったが、何度も叫んでいたら、異変に気づいた大倶利伽羅が主の部屋に飛び込んで、鶴丸を三日月に向かって投げてくれた。
三日月は利かない足を動かして、必死に拾って抱えた。主は三日月を殴って鶴丸を取り返そうとしたが三日月は離さなかった。そのまま門まで引きずられ、門の外に落とされた。突然の事で、誰も主を止められなかった。
三日月も何が起きたのか、全く分からず、目が覚めたらどこぞの森に落ちていた。
――捨てられた。捨てられた。捨てられた。
――主に捨てられた。
――苦しい、辛い、痛い、苦しい。
刀剣としての三日月はあの時折れた。天下五剣の一振、三日月宗近は折れた。
どこをどう逃げたのか記憶に無い。あの場所に居たくなかった。追って来ないで欲しかった。
恥も使命も誇りも捨てて、残ったのは、忌まわしい『審神者』としての三日月だった。
だからなんとしても、鶴丸だけは。己が憧れ、想い焦がれた刀だけは、どうしても欲しかった。
「つる、鶴丸……!」
三日月は端末を抱えたまま泣き出してしまった。
◇◆◇
大和守は足を止めた。
離れの扉を開けた所で、酷い泣き声が聞こえた。三日月だ。
大和守は固まって、しばらく動けなかったが、なんとか、体を動かして扉を閉めた。
三日月に起きた事は聞いている。
大和守達に話したときは冷静だったが、無理が祟ったのだろう。
三日月の話はこうだ。
「俺が顕現したのは。平和な本丸だったが、俺が審神者の力を持って顕現してから、主の力が弱まった。初めは誰も気づかなかったが、段々、手入れに時間が掛かるようになった。あるとき、俺は触れた刀を顕現させてしまった。前田藤四郎だった」
「俺は政府に引き取られ、審神者としての訓練を積んで、自分の本丸を貰った。俺は初めは言う事を聞いていたが、段々、手入れが嫌になってきた。この体は忌まわしい物で、触れあう時が一番、霊力を与えやすい。主の元に帰りたい、主と一緒にいたい。主の為に戦いたい。そう何度も繰り返して、出陣もしなくなった。俺の審神者としての力は三流で、刀を増やせば負担が増える。政府は俺を諦めて、本丸に帰した。俺は喜んで帰った。主も、仲間も変わらず優しかったが、何振りかいなかった」
「俺がいない間に、主は無理な出陣をするようになっていた。そこで前田が折れそうになった。俺は審神者の力で手入れをした。前田は持ち直して本丸に帰還したが、主の気に障ったらしく、俺は刀を取り上げられた。しばらく謹慎して、後日呼ばれた」
――俺のせいで本丸は軋んでいた。
――俺が戻ったことで主はおかしくなってしまった。
――主は俺を手に入れれば霊力が戻ると思って、実行した。
――次の日、俺は主に捨てられ、まあ、色々あってここにいる。
話を聞いていた大和守は泣いてしまった。
三日月は畳に頭を擦りつけた。
「それでも構わんというなら、手入れの間だけでいい。どうか、ここに置いてくれ。迷惑を掛けると思う。無理なら審神者を呼んで、鶴丸を、新しい主の元へ」
◇◆◇
「三日月……」
鶴丸は三日月の額を撫でた。
三日月は散々取り乱して泣きじゃくった後、眠ってしまって、その後熱を出した。
鶴丸は茶屋で聞いた話を思い出した。
ちょうど近くに三条の石切丸がいて、話を聞けたのだ。三日月というのはどんな刀剣か。
鶴丸の不確かな記憶では、三日月宗近は万事おっとりしていて、のんびり微笑んでいた気がするが、刀剣男士になってからはどうか? と尋ねた。返ってきたのは、記憶通りか、それ以上の話ばかりだった。どの三日月も程度の差はあれど、そんな物だという。
この三日月も、彼と接していると分かるが、他の例に漏れずおっとりしていて、本来は縁側で茶でも飲むのがお似合いなのだ。
勿論、出陣となればその名に恥じぬ強さを発揮するのだろう。それは主が居てこその事だ。主の居ない三日月がどうなるのか。そんな事は誰も知らない。
……まだ『主』がいると言うのが、気に入らない。これは許されることでは無い。
鶴丸は一刻も早く三日月の本体を取り戻して、三日月を自由にしたかった。
三日月の主が三日月の本体を捨てないというのは、執着から来る物だ。
鶴丸も、欲しいと言われ墓から出されたり、神社の中から取り出されたりした。
もし、このまま、三日月が刀解され鉄くずに戻ったら――主の居ない鶴丸は、三日月の主を殺し、その後は政府に討ち入りする。できる限り皆殺し、滅多斬りにして、三日月の無念を晴らすだろう。
「ん……」
三日月の瞼が動いた。うっすらと目を開ける。
鶴丸は三日月を見下ろして、唇を重ねた。
布団を跳ねると、三日月があきらめて力を抜いた。
鶴丸は三日月に覆い被さった。
三日月の舌を絡めとり、背中に回りかけた三日月の腕を、彼の耳の横で押さえた。
三日月の歯が、差し入れた舌に強く突き立った。
――鶴丸の舌を咬み切ろうとしている。三日月は苛立ち、怒っている。
三日月がもどかしげに足を動かした。
鶴丸は三日月の足を膝で押さえ込んで、顎に手をかけて、口をこじ開けて、舌に噛み付ついた。
時折、憤怒の唸りが聞こえる。
この気位の高い男を、鶴丸は口づけだけで屈服させようとした。
鶴丸は三日月が『違う』と分かるまで口を吸った。まだ抱くつもりは無い。
誤解が解けた後も口だけの交わりを続けた。互いの感覚が狂っていく。
三日月はまだ唸っている。三日月の気が変わる前に、鶴丸は離れた。
「きみは俺の事をどう思う。好きか、嫌いか?」
鶴丸は三日月に問いかけた。
「――お前は俺の物だ。お前だけは、手放さぬ」
返ってきたのは執念だ。
鶴丸は笑った。
「いいじゃないか。三日月。俺はいつかお前を抱くんだろう。その時は、俺の執念深さを、きみに存分に見せてやる」
鶴丸はまだ三日月に恋をしていない。それなのに三日月は、いずれ三日月を抱けと言う。
鶴丸は三日月を良く見下ろした。
三日月は少しぼんやりとしていた。髪が乱れて頰は赤い。腹の下が初めてうずいた。
三日月も同じ状態なのは分かっている。三日月は……いっそ抱いて欲しいと思っているのだろう。
『抱けばいいのか?』と聞いても良かったが、三日月の言葉を待った。
三日月はしばらく黙り込んで、顔を背を向けた。
そのまま泣き始めたので、鶴丸は――胸が苦しくなって力を抜いた。
三日月の上から退くと、三日月に腕を掴まれて、そのまま三日月の右隣に落ちた。
逃がすまいと、凄い力で痛かった。
三日月と鶴丸には歴然とした力の差があり、三日月が押しのけようとしたら鶴丸は敵わない。分かっていた事実にまた、苦しくなった。
三日月が抱きついてきた。鶴丸に向き合って、浴衣越しに爪を立てて、折れんばかりに抱きしめる。
鶴丸の胸に頭を埋めて、小さく呻いた。
「悪かった。だが、なあ、三日月、三日月……」
鶴丸は弱く、三日月の背中をさすった。
大切に思っている、とか大事にしたいとか、守りたいとか、産まれたばかりの身では言えない。
「髪飾りはどうした。全部置いてきたんだろう。手入れに協力すれば戻るのか……? ああ、違う、違うんだ」
鶴丸は項垂れた。言葉を紡いでも良い方向に持っていけない。
鶴丸は三日月を抱きたくない。
いつかそうなってもいい、そうなるだろう、と思っているが、今は駄目だ。
「悪かった。三日月、三日月……みかづき……」
ともすれば三日月を慰める為に、好き、という主従を越えた言葉が出そうになる。それを抑えるのが、苦しくて痛くて悲しくて熱い。鶴丸は顕現して六日で人の体が嫌になった。
「俺は君が傷付いているのが嫌だ、なあ、聞いてくれ、悪かった、謝る」
「鶴……俺の方が悪かった」
三日月の、声の熱さに驚いた。
「馬鹿、何故きみが謝る? 謝っているのは俺だ」
「鶴は、俺に謝らなくて良い。謝るのは俺の方だ――謝らなくて良い、俺には謝るな」
三日月は鶴丸を抱きしめたまま「謝るな」と繰り返した。
◇◆◇
……早朝、三日月が目を覚ますと、隣で鶴丸が眠っていた。
昨夜は抱き合ったまま眠ったから当然だ。
鶴丸は三日月の着物を右手で軽く掴んでいて、穏やかな様子だ。
三日月は鶴丸の手をそっと外し、自分の額に触れて、ゆっくりと起き上がった。熱は無い。散々取り乱してしまったが、おかげで少し気が晴れた。悲しみは薄れ、残っているのは、鶴丸への申し訳無さだけだ。
(叶うなら……)
三日月は心の中で呟いた。
三日月は鶴丸に恋をしていた。
鶴丸を拾う前、演習で見たまぶしさが気に入って早く会いたいと思っていた。おそらく一目惚れだと思うのだが、三日月はその鶴丸が欲しかったのではない。自分の本丸の鶴丸が欲しかった。それが自然な事だと思った。
恋仲になりたいと言うよりは会いたい気持ちの方が強く、会って何かを話したい、とにかく会いたいと思って探した。運良く見つけた後は暇さえあれば鶴丸を見に行った。あまりに熱心なので主や燭台切は鶴丸を三日月の部屋に置けばいいと言ったが、三日月は断った。部屋にあったら一日中眺めてしまう。部屋に無くても同じだが。
主が何度やっても鶴丸は起きなかった。中身が無いのでは? と主は言った。しかし主にも、三日月にも鶴丸の気配は感じられた。
審神者として本丸を与えられた時も、できれば連れて行きたかったができなかった。
純粋な興味が執着に変わったのはこの時だ。鶴丸は置物同然だったが、側を離れるのが辛かった。三日月は鶴丸を励起する為と思い修練に励んだ。もし、既に起きているなら会いたいと願った。
三日月が元の本丸に戻ると、鶴丸は主の部屋に飾られていた。元々そういう扱いだったので、置かれた場所が変わっただけだ。三日月も気にしなかった。
審神者となった三日月は今度こそと思ったが、どうやっても起きない。主と一緒に首を傾げ、これはこれでいいんじゃないかと苦笑しあった。
……それから一週間ほど後。
重傷の前田を手入れした事が主の怒りを買い、三日月は謹慎を命じられた。前田の手入れは性交では無くただの接吻だったが、それが怒りの原因だろうか。主はずっと我慢していたのだろうか? 主は三日月を呼び出し、術で縛って抱いた。主があのような事をするとは、信じられなかった。
主は以前から三日月に懸想していた。主が三日月に向けていたのは友情のような愛情だ。主の想いに三日月も気づいていた。三日月は贔屓され、近侍を務める事も多かった。
だが、主は想いを自分の中に留め、手を出さない分別を持っていた。
三日月が主の本丸を離れたのは三年程か。その間に考えが変わった――?
(……やはり、信じられん)
三日月は主の姿を思い出した。いっそ敵の仕業なら良かったと思うのだが……そんな都合の良いことがあるだろうか?
(だが、どうだ。おかしな所は無かったか?)
三日月は考えた。
……三日月が自分の身に起きた事を冷静に考えるのは初めてだった。
ふと、本丸のその後が気になった。仲間を放って来てしまったのだ。
一人の力で出来る事には限度がある。鶴丸さえいればいいと思っていたが、そうではない。
『何でも言ってくれ、いつでも力になる』
彼――山姥切国広の力を借りる時が来たのだろう。
「……そうだな」
過ぎた事を悔やみ悲しみ、変えたいと願うのは敵と同じだ。
三日月は鶴丸にすがることで自分を支えていたのだろう。
……叶うことなら鶴丸に『はじめて』を捧げたかった。
……顕現したばかりで、いずれ抱き合うと言われ、さぞ戸惑った事だろう。鶴丸は勿論、三日月への慕情はなさそうだが、向き合おうとしてくれている。接吻されて本当は嬉しかった。身を任せたいと思ったが、今は抱く気が無いらしい。律儀な刀だ――三日月は勿体ない刀剣を得た。自然に笑みがこぼれる。
(さて……)
どうすれば、この男をその気にさせられるだろうか。
「鶴丸、朝だぞ」
三日月が声を掛けると、鶴丸が眉をひそめ、目を開けた。