「個人的な」漆黒のヴィランズメインクエストの感想です。長いよ
Shadowbringersは己のシャドウを統合する物語
【この文章は加筆修正してnoteの記事にしました
https://note.com/rurune/n/nabcb97f6cf4d】
私が『漆黒のヴィランズ』(以下、英題のShadowbringersで表記します)のメインクエストを体験して思ったのは、「これは心理学でいうところのシャドウの物語であるのかもしれないな」ということです。シャドウとは「実現されなかった望みを持つ自分」、厨二感を持たせて表現するならば「封印された自分」です。ここからは、私の持つカウンセリングの知識を交えてお話します。
心に眠る叶えたかった望みが投影されるので、多くの場合人はシャドウの映った相手を苦手と感じます。例えばSNSで自慢やイキりをみて不快に感じる時こそ、投影されたシャドウを感じ取っている瞬間です。周りにどう思われるかも気にせず、自分のアピールをしまくれるメンタルに、認めたくはないもののある種の憧れを見るわけです。「極の馬一発で取れた―!」と喜ぶFCメンに素直におめでとうと言えない時、「そんなふうに素直に喜びを表現したかった」「けどできない」ことに居心地の悪さを感じます。”知恵”と”正義(理性)”と”節制”で抑えてしまった、原始的な心の望みがうずくのです。
このシャドウに対する対処は基本的に2つしかありません。無視するか、受け入れるかです。人の心は感じたくない感情を麻痺させる仕組みがあるので、自分のシャドウに気づくことなく「あいつむかつく」と投影先を憎んで終わる場合が多いでしょう。実質、シャドウを無視することとなります。もう一つは、「自分にもこういう心があったのだ」とシャドウを受け入れ、己と統合させることです。前者は問題を永遠に先送りにし、後者は痛みを伴うもののシャドウを消し去り、心を一段階成長させます。Shadowbringersの物語は、シャドウを統合できたものとできないものが対決する物語であると、私は受け取りました。
おそらく光の戦士であり闇の戦士である主人公(以下、主人公と表記します)にもシャドウがあるでしょう。しかし、彼または彼女は私たちそれぞれの分身であるため、性格もみな異なります。なので主人公の心情がダイレクトに描かれることはなく、もっぱらその様子は行動によって表現されます。主人公は我々の分身であると同時に夢の体現でもあるため、しばしばリアルでは実践することの難しい”勇気”ある選択が多くなります。(ダブルクォーテーションで囲っている単語はとある4つの存在と結びついた話でもあるので、ご興味のある方は「四元徳」で検索してみることをお勧めします)みなさんそれぞれの物語があるはずですから、ここでは主人公のシャドウについては語りません。
主人公自身の心情は細かく描くのが難しい。なので代弁者として選ばれたのは闇の戦士アルバートです。彼は文字通り、主人公の一部となる存在。いわば生シャドウです。かつては互いを敵と認識し、激突もしました。
さまざまなイベントと交流を経験し、プレイヤーがひょっとして自分たちは似ているかもしれないと気づくころ、アルバートもまた気づきます。主人公は「よく似ているが、俺たちにはなかったものを持っている存在」「だからこそぶつからざるを得なかった存在」であるということに。今までなんでも、どんなものを犠牲にしても、闇の戦士パーティだけで頑張り続けてきたアルバートはついに、かつて決してできなかった「託し、委ねる」という選択をし、主人公と統合されます。光の戦士と闇の戦士はシャドウと統合され、より一層成長した大きな存在となります。ふたりが一つとなった瞬間のあの表情がすべてを物語っています。(トレイラーの闇の戦士の顔を思い出してください!)
シャドウに対処できなかった者もいます。アシエン・エメトセルク。彼もイノセンスのように「なんでだよ! ひれ伏せよ!」と恥ずかしげもなく泣き、暴れ、心の望みを晒せたらどんなに楽だったでしょう。しかし彼は誰もが尊重しわかり合える、高度な世界に生まれた古代人でした。長きにわたる時の流れで自分が擦り切れ、「なりそこない」のような人間臭さを獲得してしまっていることが認められません。闇の使徒たる彼に生まれてしまった「影」。おそらく心のどこかでは気づいていても、否定するしかなかったのだと想像しています。彼の迷いは、これが望郷でなくてなんなのだという幻影のアーモロート、親友の再現に生じたゆらぎ、主人公を化け物、なりそこないと呼びながらも猶予を与え続けるなどの不安定さを感じる行動に表れます。
自分の「画策」は邪魔されてばかりで、独りぼっちだ。
なのに「あの人」の断片である主人公は、「なりそこない」の仲間に囲まれて、心から信頼され支えられている。そして自分のことは欠片も覚えてくれてなんかいない。「失望した」という言葉が印象的ですが、そもそも失望は希望なくしてはできないもの。エメトセルクにないものを得て前進し続ける主人公は、彼にとっての最大のシャドウだと感じました。
エメトセルクのすべての行動の裏には「私にも未来がほしい」という渇望が感じられました。しかし過去にとらわれている彼には変化のきっかけが与えられず、くすぶる気持ちは大きな影となります。その影は水晶公の存在によってさらに強調されます。水晶公もまた、エメトセルクにとって逃れがたいシャドウのひとつであったと私は思っています。
水晶公の一途な光の精神には驚くばかりでした。シャドウ要素が彼にはほとんど見られません。自身のネガティブな要素を誰かに投影して、うじうじしている暇なんてないから。あるのは主人公への強い憧れ。愛と言ってしまってもいいでしょう。カウンセリングで愛について扱う時、愛とは強弱関係のできる支配や犠牲などではなく、「隣に自分はいられないとしても、それでも好きな人の幸せを願うことができる」気持ちだと学びました。
水晶公は主人公への思いひとつだけで、天才たちの技術を背負い、体を塔の一部と化し、時空を跳躍して主人公を待ち続けました。エメトセルクが水晶公に目をつけたのは、アシエンですら見通すのが難しい、未来の未知の技術を有していたからだけではないでしょう。きっと、憧れを行動に変え実行してしまう馬鹿正直な強さを許しがたい脅威と感じたから。水晶公の主人公への傾倒ぶりはさまざまな場面で確認できますが、とりわけ私が恐れ入ったのはフェイスを伴ってIDに行った時でした。主人公がどのロールで来てもパーティに参加できるようにオールラウンダーになったのかと思うと、その努力に笑っていいのやら泣いていいのやら。水晶公の持つ特質はどれも、エメトセルクにはないものばかり。はっきりとは描かれていませんが、エメトセルクは本能的に水晶公を憎んだだろうと思います。そこには「私だって、大切な者のためにこうできたらよかったのに」という無力感が潜んでいます。
主人公とアルバート、水晶公。彼方より来たりし稀なるつわものども。強い光を放つシャドウたちに照らされ、闇の使徒であるエメトセルクは敗北します。人を食ったような態度は仮のもので、彼が非常にまじめな性質であったのはすぐにわかりました。ヒントトークでは真実を話し、対決にあたってはついに真の名を明かし、全力で真正面から挑んで、その結果を受け入れた。どのような気持ちでいたかは想像するしかありません。親友の幻影を見るぐらいに心が摩耗しているのに、長い長い時を画策に費やしたのに、渇望するものは得られなかった。無念であったと思います。穏やかな顔の最期であったのは、そうするしかなかったからでしょう。怒っても泣いても、悔しがっても、決着はついたのだ。戦うことを選択したのは自分。その結果は潔く受け入れる。それが消えゆくエメトセルクに残された、たったひとつの矜持でした。
弱くても、なりそこないでも、辛くても前に進んで幸せになれる。
その方法を聞きたい、知りたいと表現できたら違ったんじゃないかな。
こんなにも「厭になる」相手ばかり立ちふさがったのは、あなたが望むものが彼らの中にあったから。
敵として現れたのだから、敵として戦うしかなかった。本当にまじめです。一度決めたことを取り消せない、損な性格であったようにも思います。
編集:2019年7月6日午後20時 少し修正、追記