本国で『クワイエット・プレイス:DAY 1』の削除シーンが公開されたんだけど、ジョセフ・クイン演じるエリックがクィアまたはゲイであることを示唆するシーンなのでは…と話題になってる。以下ふせったー。
削除シーンはサムがエリックに「なぜあの時地下鉄にいたのか?」と聞くと、エリックが独白を始めるシーンとなっている。以下のリンクに動画があります。
https://people.com/a-quiet-place-day-one-deleted-scene-exclusive-8685120
以下拙いですが意訳。
エリック「家を出た時、僕は「どこにでも行ける」と思った。それでNYに来た。この街なら僕を受け入れてくれるはずだと思った。僕は本当に小さい町で育った。僕の父は...理想の息子像があったみたいだけど、僕はそうじゃなかった。この街の人達は僕のそういう部分を気にしなかった。全然違ったんだ」
突然涙ぐむエリック。
「…とても寂しかった。ある日目を覚ました時、僕にはどこにも”家”がないことに気付いた。もう孤独を感じることに疲れてしまったんだ。だから、どこかにいなくなる方が簡単だと思ったんだ」
意訳ここまで。
エリックははっきりと明言はしていないけど「父親が自分を受け入れてくれず家を出てNY(クィアに寛容な大都会)に来たが、孤独に耐えられず死に場所を探していた」という話から彼は悩みを抱えたクィアだったと解釈できると話題になってる。(「このシーンを削除するなんて勿体無い!」とか「ジョセフ・クインがクィアキャラを演じたというキャリアが消えてしまった」と様々な意見が出ている)
https://www.queerty.com/turns-out-a-quiet-place-day-one-almost-had-a-gay-hero-until-the-scene-was-cut-20240730
個人的にはエリックがゲイというのは他のシーンを見ても納得できるけど、その解釈は観客に委ねるような形になっていると思った。この削除シーンはその解釈をより深める手助けになるシーンだったと思う。
しかしもう一つの「あの日死ぬつもりだった」という点もかなり重要だと感じた。その背景があるならば、余命わずかながら最後の目標を達成したいサムと、孤独に耐えかねて死ぬつもりだったエリックがこの世の終わりのような場所で偶然出会ったということになり物語に膨らみが出てくる。あの生気が抜けた状態でサムに付いてくるエリックの行動や、水没時のパニック症状、その後の行動の変化、彼のラストなど全てのシーンに深い意味が出てくる。なんで削除してしまったんだろう。今のところこれに関するマイケル・サルノスキ監督の発言はない。(これだけでなくこの映画はかなり削除してるし変更を加えていると思われる。それは最初の予告編と実際の映画で違う部分がかなりあることからも推測できる)
とにかく何か事情があったんだろうけどこれを削除するなんて勿体無い!と思った。ジョセフ・クインの演技も素晴らしいのに!
※2024/08/02追記
最近公開されたインタビューでマイケル・サルノスキ監督が「エリックはゲイ男性だ」と明言しました。
https://youtu.be/fGVY3E8eYMM?si=JyHTxSLPOfpAzL7P
インタビュアーの「サムとエリックの深い関係性が印象的だった。これまでの『クワイエット・プレイス』は主要登場人物同士のロマンスが描かれたが今回は違っていた。どのように作り上げたのか」という質問にサルノスキ監督が答えた部分。
以下拙いですが意訳。
サルノスキ「この映画を作る初期段階からロマンスにしたくないと考えていた。世界の終わりに出会った2人が恋に落ちてキスをして終わる…そういうクリシェを使いたくなかった。私はこの世界の終わりにいる2人にありそうでなかったプラトニックな関係性を見出したかった。ロマンスがあると繊細でわずかなつながりやニュアンスが見えなくなってしまう。ロマンスでお互いのことを好きになるのではなく、人間としてお互いを見つめ理解できるということを示したかった。最近公開された未公開シーンをご覧になったと思うが…それは最終的な映画には使われなかったが、エリックはゲイ男性だという前提の元で作り上げた。2人の間にプラトニックな関係性を感じたならその影響だと思う」
訳ここまで。
監督〜〜!その判断マジでよかったと思います。なんでこの映画に異様に惹かれるのか理由が少しわかったような気がする。ありきたりなハリウッドメソッドの男女ロマンスを最初から避けて作り上げたんだ。
しかし改めて監督本人がエリックはゲイだと明言したこと、その前提で全シーンを撮影したということは印象的だった。でもやはりゲイであることよりも「ゲイであることで実家を出て、NYに来ても孤独を感じ、あの日命を絶とうとしていた」ということが重要だと思う気持ちは変わらない。(最近見かけた考察で「冒頭の人形劇の人形はエリックの人生を暗示していたのでは」というのを読んでああっ…!ってなった)
削除した理由についてはまだ言及がなかったけど、言葉を使わないコミュニケーションで形成された繊細で深い関係性が重要だと監督は考えているみたいなので、セリフで説明しすぎてるこのシーンはカットしたのかな、と思った。
このインタビューの一部書き起こしがこちら↓にあります。監督は動物が大好きなので動物をCGIで描くようなことはしたくなかった(だから今作の猫のフロドにはCGIを一切使用していない)等の話も面白かったです。
https://filmspeak.net/interviews/2024/7/30/a-quiet-place-day-one-writerdirector-michael-sarnoski-talks-power-of-connection