天気の子、神話的に正しい場面とその正しさを真正面から無視する場面があって凄く良いんだけど、神話的正しさを無視する場面は必ず物理的に正しい場面なのスゲー熱かった
雨が上がった後、圭介さんが窓を開けるのは「境界を取り払って外の世界と一体になる」儀式とも捉えられる。
地下の事務所から抜け出して娘さんと電話で繋がったりできるみたいに、自分から廃ビルに向かって帆高と合流しに行くみたいにね
境界を取り払うのはだいたいタブーに近い行為で、代償が発生することもあるんですがこの映画ではそれを無視する
しかもここで室内と屋外の水位を同じにしているから後で玄関を開けて外に出ることができるようになるっていう物理的に正しい場面でもある
あと、異界で会いたかった人と会えたなら、二度と離れちゃいけない(少しでも離すと連れ帰れなくなる)というのが定石だと思うんだけど、手を離してもまたお互いの元に帰れるんですよね
ここ私個人的には神様メチャクチャ二人のこと応援したなと思ってるんですけど
ここでは二人が手を離しちゃったあと、陽菜さんが両手両足を広げて背中で風を受け減速しているのに対し、帆高が頭から落下して空気抵抗を低減し陽菜さんに追い付くという神話ガン無視・物理オッケーのマジでクソ熱い場面
知らんけど