アニメサクナヒメ10話感想まとめたら、前半、厄介オタクが原作のエピソード好きすぎて悲しき(愚痴)モンスターとなってしまったので、アニメ勢や10話をなんの衒いもなく楽しめた方は見ないほうがいいかと…!無粋ですが原作と比較もしちゃってる
大前提、原作のエピソードが大好きすぎる&これまでのアニメ版で120点の再構築を連発してもらっていたおかげで、10話に120点期待してたら100点をお出しされてグチグチ言ってるという、甘やかされた厄介オタクが贅沢な文句を言っているお話なのですが。アニメ制作陣への感謝の気持ちに陰りなど出ていないのですが。
尺が!!!!!!足りてない!!!!!!!!
加えて、原作ゲーム愛が強すぎるというか、原作再現にこだわった結果、せっかく良い具合に落としこんできたアニメオリジナル描写と齟齬が出ている気配がする!!!!!
ここに来て「媒体違うのにそのまま再現しようとしたら無理が出るぜ…文脈が…」って気持ちになるとはな!?!?
・石丸と兎鬼のエピソードどうすんだ…どうするんだこれ…
ワンチャン、兎鬼から兎神へと成ったわけだから、鬼神の力を失った人間の攻撃程度なら持ちこたえる…かも…しれないが…? ここは次回が本当に気になる。石丸と兎鬼の"赦し"は性質が異なると思うが…どうするんだろう…。
石丸が「山賊に家族を殺された」なのも、本人のままならなさという意味では分かりやすくなったが、麓の世で生きるままならなさの意味では軽減された印象で、うーーんここは好みかなあ。まあ山賊がはびこり、遺児に救いの手が差し伸べられないという意味では、飢饉と戦乱が続き、人々に余裕がないって環境が後ろにあるはあるからなあ。
・サクナ様の言動の動機があまりにも「本人の慈悲深さ、高潔さや意思の強さ」だけに還元されていて、悪い意味でのお行儀の良さを感じてしまったのがとても辛い。が、これはおそらく尺。尺の問題。
小舟で逃げようとして「今までとなにも変わっていない…!」って気付いて踏ん張るのは凄くカッコいいんですが、「現実問題として、自分は都に逃げられるけど、大龍復活で余裕がなくなる都に人の子らやアシグモ、河童を連れていくのは無理」のワンクッションがないのがなあ…サクナ様を解釈する上で大好きな場面だけに辛い…!
これまで厳しいこと沢山言ってきたタマ爺が、ここに来て他の面々を見捨ててでもサクナ様の安全を重視するのはすごく良かったのですが、そこでシビアな現実を描写しても良かったんじゃなかろうか…!?
「逃げ場がない家族たちを守れる/守りたいのは自分である」と、神としても、家長としても自負するサクナ様が大好きなのと、現実の農業でも数多くあったであろう「自分らには逃げ場などないのだから、何があっても、腹を決めて腰を据えてやれることをやるしかない」の悲哀をも呑み込む凄味に圧倒されたので、そこカットは悲しい…でもたしかに後々の展開考えると尺がない…ぐぬぬ…
兎鬼に対峙する場面でも、ギリギリで刃を逸らす強さは大変尊く美しいものだが…タマ爺の叱り&説得がないので、サクナ様自身の矜持に還元されてるのがなあ…!
いや矜持は大事、つーかあそこで見逃すのは、「敵は絶たないと我が身に害が及ぶ」の合理に対して、「私はその道を選ばずとも生き抜いてみせる」の矜持に他ならないので、そこは分かるんですが。
その結論へ至る前に、タマ爺の説得はさんでもええやろというか…矜持だけでは堪えられない憎しみが襲ってきて道を誤りかけた際に、身内から「そちらへ行くな」と引き止められて、どうにか道を外れずに済むってのは全然違和感ないと思うんですけどもね…だからこそ我らは群れて暮らすわけじゃないか…でもまあ、かいまるの命乞いはあるし、なによりもたしかにタマ爺の言葉を挟む尺がない…ぐぬぬぬぬ…!!
・サクナ様の誓いに併せて、大船でつっこんで来て小舟も重い空気も吹き飛ばすココロワ様がやりたい、わかる。わかるよ。すごくわかる。私も大好きですよ。
でもちょっっっっと描写が雑じゃないかね!?!? そこをやりたかったのなら、二柱とも追放にする意味なくない!? もしくは、やるにしても、ココロワ様をもうちょい切羽詰まった状況に追いこんだほうが説得力ある気がするぞ!?
原作では、ココロワ様は何も知らないので、ダイナミック上陸からの「あら、ごめんあそばせ」が成り立つんですが。大好きなんですが。
アニメでは、鬼の頭領と戦っている状況で、罠の疑いを踏まえ死闘へ向かうサクナ様へ「お気をつけて」と伝え機巧兵も残した上で、人の子らの安否確認に走っている途中で恐らく火山が噴火、戻ってみたら家屋は崩れ落ち誰もいない状況、自分の身すらも危ういため苦渋の決断で沖へ退避、噴火の様子が落ち着いたので急ぎ戻ってきて今ですよね。
第一声が「ごめんあそばせ」ではなくない!? もっと切羽詰まって「サクナさん、ご無事でしたか!」「他の皆さんは!?」じゃない!? ココロワ様、そこまで情が薄い神様ではないと思うのですが!?!?
あと、これまであれだけ走ったり飛び込んだりしても外れなかった髪飾りを落とすのなら、兎鬼に斬りつけられて辛うじて回避しつつ、機巧兵いないので逃げることしかできず…ぐらいしたほうが、人の子の安否確認もできずに沖へ逃げる、の説得力は出たんじゃないかなあ…斬られた髪飾りを拾うほうが絶望感は増すし…まあ作画コスト度外視の素人考えですけども…。
加えて田右衛門たちも、急に鬼の群れに襲われ神様たちは誰もいないのに、逃げるときにものを持ち出す余裕があったってのが違和感がな…鬼と遭遇してもどうにかなっとるやんけ!? ってなるんだよな…。
なんというか、こう…原作再現は嬉しいんだけど…文脈や登場人物の言行一致のほうが私にとっては重要だよ!! の気持ちになるのが本当にぐぬる。これまでは巧いことアニメに落とし込んだり、オリジナル描写加えて物語の筋をを守ってきたじゃんか…!
まあ総じて(石丸と兎鬼まわりを除いて)重箱の隅をつつくようなもん。厄介オタクが自分の思い入れがあるエピソードだからって120点を期待しただけでございます。それはそう。自覚している。ただでさえひとつひとつの粒度がデカくて重いエピソードが続くからね、まとめるの大変だったんですよね。わかるわかる。
ということでこっから先は好きポイントなんですが!!
・サクナ様カッコよすぎ。
いやぁもうずっとうちわ装備してキャーキャー言ってますが、サクナ様、本当にカッコよすぎてこれは家長の貫禄である。
悪い意味でお行儀良すぎでは? とは思いつつも、家や納屋が焼けたことより人の子の無事を喜び、逃げずに留まると決めたら例えタマ爺からの進言でも聞き入れず、「成長した我らならもう一度立ち上がれる」と信じ、しかして人の子たちへ命じるのではなく相談しようとするの、まーーーーあ格好いい以外に表現できんのよな! さすが俺たちのおひいさまだぜ!! 「相変わらずムカつくガキじゃ」の嬉しそうな優しい声音にすべてが詰まっている。いっぱいしゅき。
あと、家が焼けて先が見えずともなんとか踏ん張ってたサクナ様にとって、ココロワ様の安否不明かなり厳しいかもって状況が、心折れる最後のひと押しになるのは正直興奮した(人の心??????)
ココロワ様自身の自覚はさておいて、サクナ様にとってのアキレス腱なココロワ様は大変味わい深くていいですね。まあココロワ様のアキレス腱もサクナ様な気はするけどね。
・人の子勢の…! 成長が…! 著しく…! 感慨深く…!!
序盤では何もかも他人事だったきんたが「おいらのせいだ…!」って慟哭するのもあらゆる意味で成長を感じて好きですし、その上で時間を置いたら「もっかいやり直さねぇか?」を言えるのも良すぎる。サクナ様と人の子たちが、それぞれで考えて同じ「もっかいやり直す」の結論に至るのが、心がつながっている証左であり大好きである。
苦境故に希望も期待もできなくなっていた子どもが、安心できる環境で自分の好きなことに注力し、地に足つけた生活を重ねることで、再びの絶望にも今度は負けじと立ち上がるのとんでもなく好きな展開でしたね…とても良い…。ゆいに「助(す)けてくれねぇか?」って言えるようになったのも嬉しい。
ゆいも、自分の甘さが足を引っ張ってしまった自覚を持ち、「力仕事でも何でもやる」と宣言するのが頼もしい。他面々のアクが強すぎて相対的に目立ってなかったけど、なんやかんや選り好みしてた彼女がここにきて一皮むけたのは良い。ミルテが「きのこ、たくさん集めます!」と続いてくれるのも嬉しい。
でもって、かいまるのトラウマが、憎しみを堪え赦しを与えたサクナ様の姿で改善されるのも良かった。本当に。良かったんだけど石丸がなぁーーーマジでどうするんだろう石丸と兎鬼まわり……。
あと、アニメ版の田右衛門、石丸関連だとなんか妙にシビアというか…田右衛門ではなく"桂右衛門尉瑞月朝臣高盛"的な考えかたしてるのがちと気になりますね。石丸への理解が妙に高い。どうなるんだろう。や、ちゃんと話し合ってくれると嬉しいんですが(バッチバチに切り合っている次回予告から目を逸らしつつ)
・再起を決めてからのココロワ様は安定して良い。なんも心配要素がない。頼もしい。
ココロワ様が早めに合流したことにより、田んぼ復活のテンポが早いのは見ていて爽快感ありました。ゲームでの「二つ世の山、三万座を調べてきました!」(力技)も好きですが、「土には自浄作用があるのでしょうか…あっつまり!」(閃き)なのも大好きですね。前者は車輪の神の本領発揮、後者は発明の神の本領発揮の趣がある。
地味な点ですが、ココロワ様が田んぼの縁に膝ついて、両手もつけて「自浄作用…?」ってしてるの、珍しく子どもっぽいというか、やんちゃな仕草で愛らしくて好きです。あと「都へ戻る」ではなく「都へ向かう」なのが、帰る場所はヒノエであると認識していそうで細かい言葉遣いだけど丁寧で好き。
追放されてるのに都へ行けるのか? とは一瞬思ったのですが、よく思い出してみたら二柱に出された勅は「鬼の出てくる原因探して解決して来い」で、鬼の出てくる原因は大龍です! までわかってしまえば、ココロワ様が適切な理由作って戻れる気がする。伝説級のやべえ敵が復活したのに、直前までの警備担当や、都随一の武神の血を引く神と連携とれないのはリスク大きすぎるもんな。多分、大龍復活時点でココロワ様とタマ爺が裏で動いてるやつだ。
ところで「黙って頭を下げていてください」、二柱のこれまでを思うと大変感慨深いと同時に、集中して考えごと始めると口を動かすのがおろそかになるピーキー具合も感じてとても可愛らしいのですが。
これは駄目な百合豚の妄想なんですけどね、ココロワ様の尻に敷かれているサクナ様も愛らしいなーとぼんやり思ったところに、過去の自分が呟いた「サクナ様の性格タケリビ様よりだなぁ」とか「タケリビ様、トヨハナ様に逆らえない力関係な気配がする」とかが変な角度で刺さったんですがどうすればいいかね。なんで過去の自分のまったく関係がなかったはずの感想が、今の自分の妄想に助走つけて刺さってくるのか。
というかアニメ版のサクココ、タケリビ様とトヨハナ様の姿に妙にダブってなんなんだろうねこれ。駄目な百合豚の幻覚だね。はーー見えないものを見ようとして望遠鏡を覗きこむのは楽しいな!!!!()
・再起を誓い青空が戻る背景絵の変わらない美しさとか、アニメだからこそ見られる再建途中の家と納屋の姿(先に豆腐型で屋根を作るのなるほどとなる)とか、かいまるにゲットされたアシグモ(違うが)とか、きんたやゆいに見える伏線とか、ノーマルアブラムシ君どころかレインボーアブラムシ君やメタルアブラムシ君までにょきにょき出てきた花咲かサクナとか、全体で見ると相変わらず良さが詰まっていましたし、次回も楽しみですね…!
石丸と兎鬼まわりがどうなるのかは、本当にわからないが…。