ただ、ドアンのキャラが全く別人だったしので、その結果ザク海にぶん投げるラストシーンとそん時のアムロの台詞が原作そのままなのなんか微妙に釈然としない感じになってたのがちょっと気になる所ではあったり。詳しくは追記。
元のドアンのキャラってぶっちゃけ割と情けないキャラみたいなとこあると思うんすよね。
ほら、冒頭で縛り付けられた連邦兵のシーンあるやないですか。子供達を守るためと言ってダイレクトに人殺しをする事もできず、さりとて見逃すこともできず、とりあえず重傷だけど身動きとれないようにしといて実質衰弱死待ちみたいな。
ドアンって割とそういう心の弱さがあるキャラとして描かれてたと思うんすよね。だから戦場に耐えきれず脱走兵になっちゃったみたいなとこがある。
なのにそのくせザクは捨てられないのがドアンで、普通に島の住人として静かに生きとりゃ良いのに、連邦軍やジオン軍が近づくたびに「追い払わなくちゃ」つってザク持ち出して撃退してるんすよアイツ。ドアン本人は「追われてるんだ」とか「早くこの怯えて暮らすのやめたい」とか言ってるけど、いやなんかそれお前の妄想であって過剰防衛しとるだけでは?って味なんすよね元のドアン。
なので、なんつーかドアンにとってのザクって「心の弱さ」の象徴的なとこがある訳ですよ。
だからこそ最後のアムロ君の「いやこんなん後生大事に抱えとるのがアカンのやないんか」ってセリフになってると思うんだけど、劇場版のドアンって普通に「強い大人」であって、実際凄えちゃんとした使命感と責任感のもとあの島に留まってるし、ジオン軍も連邦軍も撃退しなくちゃならない必然性がある。
映画のドアンのザクはドアンにとって「なすべき仕事をなすための大切な武器」として描かれてる訳ですよ。
なのでアムロ君が「あなたの体に染み付いている戦いの匂いを消させて下さい」って原作ほぼまんまのセリフ言うんすけど、正直「いや別にこのドアンはザク持ってても良くない?」ってなってしまったし、普通に島にジオンの地下軍事施設ある以上、今後も静かに島暮らし続けるのは難しい訳で、「これ本当に今後ザク無くても大丈夫なん??」って。
いやまあ分かるんすよ、「ミサイルの処理も終わったし、これでもう兵士として生きるのはやめて良いですよ」ってシーンなのは、ただそれするにしてももうちょい原作から巧いこと改変した方が良くなかったか?っていう。ぶっちゃけ原作エピソードはあらすじを元にしてるだけでキャラもテーマも全然別ものなので、別に無理に原作再現せんでも感は正直ありましたね。
まあ言うて特別気になったのはそこくらいで、割と普通に手堅い作りで2時間しっかり楽しめる良作だったんじゃないでしょうかって映画なんすけどね。