※月の道しるべネタバレ注意
世長の家庭環境に関する考察。迷ったけど公式が公表してる戯曲モチーフ(『身毒丸』)関連だし、せっかくだからまとめておく。簡易だけど去年冬くらいから調べてたことを一挙放出
月の道しるべの世長の
・実母もしくはそれに類する人物が亡くなっている疑惑
・↑は世長が罪悪感を抱くような形であった可能性あり
・アニメイト特典を含め繰り返し登場する「家出」のイメージ、示唆
・アニメイト特典の「虐待を受けてきた息子による親殺しと家出」の話
全て彼の戯曲モチーフの『身毒丸』及びその元になった伝承と、作者である寺山修司の経歴や作風と合致する。
そっくりそのままではなくとも、やはり世長は元ネタと何かしら近しい環境で育ってきたんじゃないだろうか?
参考にされていそうなものは以下の通り。
※多すぎるので主だったもののみ記載。
①身毒丸の家庭環境
・実母≒世長の実母?
身毒丸を火事から庇って亡くなっており、彼の深い心の傷となっている(≒月の道しるべの世長?)。
・実父≒世長の実父?、イザクの実父
情けない性格で息子をかえりみない。
実母と違い、子はまた作ればいいと火事の際に身毒丸を見捨てようとした。
(補足)寺山修司の父親
『身毒丸』は寺山の実体験も取り込んで作られた作品である。
彼曰く父はアル中で子供の相手をろくにしなかったという(≒イザクの酒呑みで子どもを粗末に扱う父親)。
寺山が小学生の頃に戦病死したとされるが、アル中が原因と書かれることもある(≒世長の引越しにも関与?)。
・義母≒世長ルートのエピローグの母親?、イザクの実母
名は撫子。
実父が見た目に惚れて後妻にした見世物小屋の元蛇女(≒イザクの父は農場のヤギに一目惚れした、※ヘビもヤギも性欲や悪魔の象徴)。
身毒丸を虐待し、皮膚病と失明の呪いをかける。
『身毒丸』は義理の母子の愛憎劇だが、そのテーマは母(親)殺し(親を乗り越えようと足掻くこと)である。
(補足)寺山修司の母親
体罰を振るい、子供を激しく束縛する人だったという。
そんな母への激しい愛憎が『身毒丸』を含む寺山の作風そのものにも強い影響を与えている。
母をモデルとしたキャラクターが出てくることも少なくない。
ただし、設定はそのまま実母であったり、義母に変更されていたりと様々。
『身毒丸』の義母・撫子もその一例である(≒世長とイザクの母の食い違い?)。
また、自分の母は性的にふしだらな存在であるという罵り文句も寺山作品においてよく出てくる表現(≒イザクの母は農場のヤギ)。
ただ、上記の当て嵌めを行うと、生まれつきと思しき世長のヘビそのもののような不可解な言動に新しい疑問が生じるのも事実(理由については今回は割愛)。
実母というよりそれに類するような人物(祖母?)が亡くなったと捉える方が矛盾が少ないように思える。
②『身毒丸』以外の登場人物
・乙姫≒希佐
『身毒丸』の元になった『俊徳丸』の主人公・俊徳丸の恋人。
俊徳丸が義母の呪いで醜い姿となっても彼を愛し続け、絶望から救い出す。
『身毒丸』及びそのもう一つの元ネタである『愛護若』の物語には存在しないキャラクター。
乙姫にあたる人物がいない身毒丸及び愛護若は俊徳丸のように救われることなく死んでいく(※身毒丸は台本版参照)。
世長ルート及び世長版不眠王は、この乙姫が登場する『俊徳丸』と類似した物語である『ヴィルヌーヴ版美女と野獣』が強く意識されている。
③キーワード
・家出
寺山作品において、家や故郷は一般的な帰りたい場所、帰るべき場所とは異なる。
家族や因習に縛られ、苦しむことになる、閉鎖的で逃れたい場所である。
フギオーが古いラテン語で逃避を意味する名を持ち、ハヴェンナの外を望むのもおそらくこれが理由の一つ。
この点において、フギオーの元ネタの中に寺山修司の『田園に死す』があるのではないかと推測される。
・息子による親殺し
殺す対象はほぼ母親に限定される。
身毒丸を始め寺山作品において、外界の女とつがえず、自らを縛りつけ、痛めつける母を乗り越えられなかった(大人になるための通過儀礼に失敗した)息子に明るい未来はない。
世長は春~夏頃は寺山修司による『身毒丸』の同系統作品『毛皮のマリー』の要素が強く見られる。
本人が望まないジャンヌを無理やり続けることが義母・マリーによる主人公・欣也への虐待行為(男娼になることの強要)と重ねられている。
つまり、その後のシナリオで世長がジャック転向を成功させることは、彼の母への叛逆、大人になるための通過儀礼の一つに値する。
実際、秋公演は先述の図式に綺麗に当てはまるようになっている。
※世長は希佐(=外界の女)とパートナー(=つがい)となり、フィガロ(=ジャック、男)として舞台に立ち、物語の中でメアリー(=強い母属性持ち)を殺そうとする。
世長版メアリー(2022年のハロウィン絵)の外見が『白雪姫』を彷彿とさせるのも、『毛皮のマリー』が同作をベースにした戯曲であるためと思われる。
あのメアリーは、本編の世長が選ばなかった、あるいは望まなかったifの姿と言える(これはおそらく他キャラも理由は違えど同様)。
なお、秋以降も世長がジャンヌの練習を個人的に続けていることは『毛皮のマリー』とは別の意味合いを持つ(今回は割愛)。
2021年冬~現在くらいに新しく調べたり、整理し直したことは概ねあってそうかなあとは思いつつ、分からない、暫定とするしかないこともまだまだ多い。
もっともっと勉強が必要。