「若きウェルテルの悩み」5月4日13時回の感想です(ながにゃん中心)。なんか思ってたよりも喜劇よりに描かれていた気がするけど、これは全体でそうなのか、この回がそうだったのか気になるところ。その他ネタバレありの感想も→
前半の数遊び辺りのやり取りとか、ちょっと突き抜けて大げさな感じすらあるのウェルテルの話し方や間のとり方とかが喜劇っぽかったなと。
悩みってタイトルだし、最初の台詞でウェルテルが死ぬことが分かったのと、既に終えた公演の感想を軽く見ていて、もっと全体的に仄暗さのある鬱屈とした話かと思っていたら、ウェルテルの語り口からは弾けた感じすらあって。
悲しい結末だけど悲劇ではない、と私は捉えました。
以下は台本を購入したので、順序に沿って。
なんですが、台本の本編に入る前に岩波文庫の解説からの引用が入ってて、なんかこのゲーテの言葉を知ってるのと知らないのでは物語の解釈にも影響が出ません!?!?となりました。
“ゲーテは「もし生涯に『ウェルテル』が自分のために書かれたと感じるような時期がないなら、その人は不幸だ」といっている。”
(いや勝手に人の不幸を決めるな、というのがこの言葉に対しての私の感想です笑)
最初のウェルテルの台詞、「愛しいロッテ、ぼくは死にます」でじっと前を見据える松田さんの視線の強さで、一気に朗読劇に引き込まれました。
ここの台詞が普通に落ち着いた青年のかっこいい感じだったので、その後がだいぶ若い感じで幼い感じすらある演技だったの、同一人物!?となったりもしました。
永塚くんの髪型が、役に合わせてじゃないと絶対しないやつだったので、登壇した瞬間にひゅっとなりました。
「怪人二十面相」ぶり、今年二度目。
全員登壇してからの語り出しがヴィルヘルムで、スピーカー近めの席だったからか、イヤホンとかで聞いてるみたいな感覚があってちょっとゾクゾクした。
(イヤープロテクターしてたせいかも)
最初の手紙の日付が5月4日で、今日じゃん!!!となった(笑)
過去の「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」でも確か同様のこと(日付が重なる)があったので、それを思い出したり。
ウェルテルの身分、途中まである程度の身分の貴族の放蕩息子だと思ってたら、一度ヴァールハイムを離れた後の伯爵態度があんなので、結局よく理解できなかったなー……
最初絵の話ばっかするから、画家なのかと思いきや、宮廷で働いたりもしてたし。
この辺りの時代背景の知識がないのもあってよく分かんなかったところ。
前半の方で手紙を読んでるウェルテルの方をはっとした感じで見るヴィルヘルム。
というのが2回ぐらいあったと思うんだけど、どうしてそこでそういう仕草だったのか分からなくて。
(そんな重大な話をしてるところには見えなかったんだと思う)
最後までの展開を知った今だったら、その反応の理由がわかったのかなー?
どこだったかは覚えてないので、答えは迷宮入りなんですが。
永塚くんの待機時の座り方は
・足を組んで後ろに体重
・前傾姿勢
+それぞれ顎に手を置く
っていう感じで大まかに4パターンに分類できる感じだったんだけど、顎に手を置くと肘をついてるかのように見える佇まいで、それが手紙に目を通してる感があって良かった👏
ウェルテルの手紙は途中から、松田さんだけが読むんじゃなくて、永塚くんも読むようになったんだけど、ウェルテルになってるわけじゃなくて、あくまで第三者で感情を入れ過ぎないようにしてる塩梅が良かった!
時には手紙に書かれてることを理解できないという感じすらあったのも良くて。
あと、確か最初に読んだときだけゆっくりマイクについて、タンッて足音をさせたのも良くて印象に残ってます。
数遊びのシーン、ほっぺをぴしゃりと叩かれるのはご褒美で、それ目当てに間違える人も出るのでは……?とか思ったら、期待を裏切らずにウェルテルが「他の連中よりも手厳しかった気がして、たまらなく嬉しかった」って言うから、笑いそうになったよね(頑張って耐えた)
ウェルテルがロッテも自分のこと愛してくれているという理解、ロッテ側が全くそう思ってなかったら怖いやつだよななど。
ウェルテルのロッテの元に使いの少年をやって、帰ってきた時に頭を抱いてキスをしたかった云々の告白がやべー奴過ぎた。
ここのシーン、ウェルテルの語りじゃなくて、ヴィルヘルムの語りで語られたので、やばさがちょっと中和されてたのかな。
でも、創作の中でなら一周回ってそういう愛情表現好きかもしれない(苦笑)
アルベルトとウェルテルの会話、どう読んでもウェルテルの主張は飛躍し過ぎで、駄々をこねる幼子と常識のある大人の話なんだよなー……
アルベルトに完全同意だよってなりながら聞いてた。
九月十日の夜の出来事、ウェルテルがロッテの手に口づけをしてもアルベルトは怒らなかったの?という疑問。
それに対しての意趣返しで、これまでは見せてこなかったロッテへの口づけを、ウェルテルの目の前でしたのかもしれないけど。
アルベルトが自分の婚約者であるロッテに想いを寄せるウェルテルを害そうとしてないことが不思議だったんだけど、友愛だと思ってたのかな?
だけど、ロッテ宛のウェルテルの手紙を読んだら流石にそうじゃないことを理解したから、そののちのアルベルトのウェルテルに対する態度はきつい当たりになった、という理解をしました。
こばぴょんの農夫が未亡人への恋心が抑えられなくなって、人を殺してしまった後の告白のシーン、話しながら視線が泳いでるのめっちゃよかった。
って公演直後にメモしてたけど、台詞の分量的に解雇に至るまでの身の上話をウェルテルにしたときかも。
あの農夫ただのモブじゃなくてとっても良い味出してました。
ロッテのそばに戻った後の十月二十六日、ロッテのところへ女の友達が訪ねてきたので、隣の部屋へ行きってどういう状況???
忍び込んでる?ねえ、ロッテ大丈夫????
永塚小林の、それぞれ女性としてのやりとりが聞けるなんてね!
こばぴょんはここまでにも女性役あったけど、ながにゃんはなかったので、モブの会話だったけど女性役での会話わーい!ってしてました(笑)
ヴィルヘルムのロッテへの愛情はどう見たって男女の間のものだったのに、神聖で、純粋で、兄妹のような愛だと思ってたって言っててびっくりしちゃった。
最後のウェルテルの訪問、アルベルトが今日戻ってこないことをウェルテルには教えちゃって、それは駄目でしょ!って思ったんだけど、その前のロッテの心情の独白と、「お互いに苦しまずに済んだものを」っていう辺りの台詞を合わせると、ロッテにもそういう気持ちがあったっていう……?
ここで朗読されてるオシアンの歌がよく分からなかったので検索かけてみたら、論文がひっかかってきたんだけど、そこで書かれてるロッテの態度が今回の朗読のものと違ってて、え?え?となっています。
感覚としてクライマックスの良いシーンなんだろうなということはわかっても、いまいち私の心には響かなかったので、もうちょっと理解したいので、書籍の方に手を出しますかーの気持ちがちょっとだけあります(これは手を出さないパターンななりそう)
最後にもウェルテルが、最初の手紙をもう一回読むところ(実際には最後のがフルで朗読劇冒頭のは省略形)、台本じゃなくて便箋に書かれているものを読んで、封筒にしまう演出めっちゃ良かった!!!!
手紙の内容もこれからの希望に溢れたものだから、結末を知ってから聞くと、あぁ……ってなってしまうのも心に響きました。
その終わりの余韻がとてもきれいで、それだけでこの朗読良かった……になってしまうぐらいには好きだった。
このシーンでこばぴょんだけは台本を閉じて前を向いてじっと聞いてたんだけど、それもすごく好きだった!
原作を全く知らずに調べずに朗読劇に臨んで、観劇後に色々調べてみたら、ゲーテが自身の実体験と友人のことを混ぜ合わせて作ったとあってびっくりしました。
実体験ならそれは共感できるでしょって言いたくもなる……(笑)