アニメ「葬送のフリーレン」第14話「若者の特権」感想。完璧な一編になりましたね!鏡蓮華の蕾と花の対照、蓮のもつ仏教的意味合い、勇者MVを想うと泣ける。冒頭と締めで二度鳴る鐘のアニオリ演出も好き! #葬送のフリーレン #フリーレン
こちらはアニメ「葬送のフリーレン」第14話「若者の特権」の感想になりますが、ほんの少しサンデー本誌118話のネタバレも含まれるので御注意ください。
なお、このページの内容は以下の本誌第118話に関する感想https://fse.tw/nIjcg7W9#all の中の「12/9追記部分」と全く同じものです。そこから抜き出して独立させたページになります。興味のある方はそちらもどうぞ。
<アニメ第14話「若者の特権」の放映をうけて>
・何も文句のつけられない完璧な一編を観てしまった。118話までを読んでいるとまた違った感慨もあって、胸がいっぱいになる。
・これを発見したのはおそらく私が最初だと思う。フリーレンの指輪の鏡蓮華は蕾で、フェルンの腕輪は花が咲いているという事実を。というか原作漫画読んでた時からフリーレンが「おそろいのデザインだ」と言っているわりにはフリーレンの指輪とフェルンの腕輪の鏡蓮華の意匠があまり似ていないことが気にはなっていたんですよね。
今回の放送から遡ること約2週間前の11月25日の拙ツイート
「フリーレンはフェルンの腕輪と自分の指輪が鏡蓮華の意匠でお揃いと言ってるんだけどあまり似ていない。アニメではもっと指輪がハッキリ映るのでより似ていないことが明確になる。というか指輪のほうが蓮に見えない。が、もしかしてフリーレンの指輪の方の蓮は蕾だったのでは!?と今さら気付いた」
「え???辛くないか???蕾の恋なんですか?社会性が幼いところのあるフリーレンが自覚するには……咲くには早すぎた恋ってことなんですか……???」
「アニメ12話フリーレン『想いは言葉にしないと伝わらないのに』おそらくアニメ14話の鏡蓮華回のヒンメルにブッ刺さるやつ。。。」
(注:てか今回第14話でザインも同じこと言ってましたね……)
先週第13話放映直後の予告を受けての12月1日の拙ツイート
「『葬送のフリーレン』第14話サブタイが『久遠の愛情』ではなく『若者の特権』、ヒンフリ的にキツイ演出がされる予感。未熟故にぶつかれたシュタルク&フェルン、一方で老成して冷めていたフリーレンと成熟した諦めの中で愛を沈めたヒンメルは『若者の特権』を享受できなかった、そんな構成なのでは」
「フリーレンのヒンメル&フリーレンは成熟して見えていたが指輪の鏡蓮華は蕾を象っていて、『想いを言葉にする』ことはなく愛の花が咲くことはなかった。幼くて未熟なシュタフェルは心をぶつけて仲直りして、腕輪の鏡蓮華には大輪の花が咲いた。そういう対比演出を『若者の特権』とういサブタイに仕込まれてそう」
放映終わってみたらば、この推測は当たっていたんじゃないかと思う。鏡蓮華の装飾品は原作のデザインからして蕾と花の違いがあるので、たぶん原作サイドが最初から仕込んでいた演出なんじゃないかな。
・いちばん心が動かされたアニオリは、フリーレンが指輪を見つけるシーンです。原作ではストイックな短い描写だったがアニメではフリーレンが「失くした装飾品を探す魔法」を使うシーンが美しかった。フリーレンは飛ぶ。飛行魔法は風の影響をキャンセルできないから、ぐらぐら揺れている。まるで、フェルンに指輪の意味を指摘されて動揺した内面が映し出されているかのように。フェルンに鏡蓮華の花言葉を伝えられたフリーレンは何を想ったのだろう。取り返しのつかない時間のことをまず考えたと思う。だからフェルンに「どうでもいい。ヒンメルも花言葉の意味なんて知らなかったと思うし」と突き放すように、そっけなく言ってしまう。「なくしものには慣れている」と自分に言い聞かせるように言う。多くのものを失いながら生きていかなければならないエルフの孤独を、これまでそうやってなだめてきたのだろう。指輪の意味を、それを失くすことの重さを深く考えることから目を背けるように。自分がいかに多くのものを取りこぼしてきたのか、ヒンメルが亡くなって後悔したから、人を知る旅を始めたフリーレンだった。だけどヒンメルの想いは向き合うのには重過ぎる。何も言わないまま逝ってしまったヒンメルが、何を考えて自分に関わってくれて、どれだけの葛藤を呑み下してフリーレンと別れたのか。考えると辛い。そんなヒンメルの想いが詰まった指輪が見つからないかもしれない恐怖を考えるのも怖い。そんな気持ちだったと思う。
・フリーレンは感情表現が下手だ。悲しい時に悲しい顔しないし、怒っている時に怒った顔をしない。だけどフリーレンの中ではちゃんと感情が動いている。それがあまりに些細な動きで彼女自身が見逃してしまうか、あるいは、向き合いたくないから蓋をしているだけなんだと思う(なぜ抑圧していたかは、ヒンメルにフランメを思い出すから花畑の魔法を使いたくなかったと語るエピソードが全て物語っている。同じ歩調で時間を歩めるエルフの仲間を失っているフリーレンにとって、人と関わって生まれる感情に素直になることは、孤独を増幅するリスクを孕むものだったのだ)。
・飛行魔法で空を飛び、画面の左側から光がフリーレンの視界に入る。光がフリーレンの瞳に反射してとてもきれい。作画 is そーグッド。。。原作ではその直後に回想が始まるが、アニメでは飛行する間に指輪が光る前と後で、回想が二度に分けて挟まる演出がなされる。これによって、フリーレンが失くした装飾品=想い出を見つけたことを暗示しているのだ。光の条が天にのびていくあの瞬間に、ヒンメルがあの時伝えなかった想いをもようやく「見つけた」んだと思う。この時、指輪を示す光が左側から差してくるのも演出意図があると思う。漫画とか舞台では右から左に向かって時間が流れるという法則に則って演出される。左側(下手)は未来の方向なんですね。つまり、あの日ヒンメルが誓った久遠の愛情(想いを言葉にして伝えないことで完成する愛)がフリーレンの未来を導いてくれる光の標になるんだよね。
・なお、フェルンがフリーレンの指輪探しを手伝う場面では、原作よりもフェルンがかなり語気強く真剣に訴えていて、フェルンの「それでもきっと大事なものです」を聴いてフリーレンが考え込むカットが挿入される。フェルンはフリーレンが取りこぼしてきたり、捨てたりしそうになる感情を拾って手渡してきてくれるんだよな。クヴァールを倒した村でもそうだった。「よくわかりませんが、ヒンメル様はフリーレン様を信じていたのだと思いますよ」。フェルンは本当にいい子。
・原作では必ずしもフリーレンがヒンメルの恋に気付いていたかどうかはハッキリさせていないように思じていた。心地よい行間と程よい余白によって曖昧にぼかされていて、読者の解釈に委ねられていると。でもアニメは初めから、このシーンを「フリーレンがヒンメルの想いに気付いた」解釈で描こうとしていたと思う。なぜなら第1話でヒンメルの葬儀後にフリーレンが指輪を取り出して眺めるシーンがあるからだ。第12話でハンバーグのレシピをトランクから見つける時にも、意味深に指輪を手に取って一瞬見つめるシーンがある。フリーレンは今回、指輪を見つけるのにトランクの中身をたくさん取り出している。そこまでしないと指輪が出てこなかったのも、示唆的だと思う。フリーレンにとっても指輪の存在は引っかかってはいたけれど(第1話・第12話)、トランクの奥底に仕舞い込んで、蓋をしたように、心の深い奥底に仕舞い込んで蓋をしていたんだな。指輪を贈られた意味が、無意識に気になりつつも、考えることを回避していたんだろう。その答えにようやくたどり着いた時の瞬間の、美しいきらめきが、失くした装飾品を探す魔法の効果で表現される……。こんな完璧な演出あります???第1話から周到に用意されていた伏線が、布石が、一連の描写が、フリーレンが80年越しにヒンメルの想いに気付いたという解釈を連れてくる。おかげで、原作の「一解釈」を、違和感なく大きな腹落ち感をもって受け容れられるのです。丁寧なつくりのアニメにマジ感謝。。。
・街に着いた冒頭のシーンでも鐘が鳴り、最後にヒンメルの無言のプロポーズのシーンでも鐘が鳴っていたのもアニオリでいい演出だった。フェルンが誕生日を迎える街とヒンメルがプロポーズした街を、アニメでは同じ街にしたんですね。ヒンメルから指輪をもらった時には鐘が鳴っていたので、Aパートで街に到着した時にフリーレンは鐘の音に記憶を刺激されたのだろう。アニオリ回想がそこで挿入され、最後に現在のフリーレンが思い出の時計塔を見上げる流れ。フリーレン、やっぱりあのプロポーズのことがどこかで印象に残っていたんだね……。二つのエピソードを結び付けて物語に層を与える仕事、ホント丁寧で職人技を感じる……。
・ヒンメルがフリーレンに想いを明確に伝えなかったのは、色んな意味合いが考えられる。鏡蓮華の回の後フォル爺のエピソードがある。先述したフランメの想い出を語るフリーレンの「そんな顔」を見てしまって、フォル爺の壮絶な生き様を見て、下手に関わりを深めてフリーレンを縛る呪いになりたくないとか、彼女を余計に孤独にしたくないとか、そんな高潔な意図が第一義だとは思う。それが第118話でフリーレンにキスしなかったヒンメルの勇気とつながってくる。。ヒンメルはフリーレンを余計に孤独にしてしまうような言葉の誓いは贈らなかった。フリーレンと安易に結ばれるよりも、フリーレンのこれから先の生が寂しい孤独なものにならないよう、銅像を遺して思い出の痕跡を散りばめ、仲間と過ごす楽しさや人と関わり合う大切さを魔王討伐の10年の旅で精いっぱいに伝えて来たんだよね。今のフリーレンの変化はヒンメルの愛のおかげなんだと思うと何も言えなくなってしまう。あの日フリーレンに指輪を嵌めて誓った久遠の愛情は長寿であるエルフのフリーレンのために本当の意味での永遠の愛を贈るためのものだと思うし、その覚悟の表れでもあると思う。
・一方でヒンメルは無償の愛だけではなくて、フリーレンと結ばれたい欲望を持つふつうの男性だったことも第117話、第118話で明らかになってしまった。フリーレンのことは好きだから結ばれたい。だけどフリーレンを孤独にしたくない。鏡蓮華の指輪を贈った時のヒンメルも既に、気持ちは一生伝えないことにほぼ決めていたのではないかと思われますが、ずっと恋心を秘めて抑え付けたままにしているものだから、想いが膨れ上がってこぼれそうになる瞬間だってあったと思う。その日たまたまフリーレンが鏡蓮華の指輪を選んだから、その機会を利用して溢れそうな自分の気持ちを伝えたという形にして、自分で自分を納得させたんだと思うな。フリーレンはハッキリ言葉※にしないと伝わらないタイプなのでヒンメルはフリーレンには気付かれないと確信していたと思う。でもほんの少しだけ、縋るような気持ちで、気付いてくれることに賭けていたんじゃないかという気もする(※混沌花の回のザインの回想でハイターが「フリーレンは意思疎通も信頼関係を築くのも拙かった」「だから私はフリーレンの言葉を信じた」と語っている。つまりフリーレンはバーバル=言語的なコミニュケーションを重視するタイプ。ノンバーバルなコミュニケーションもできるヒンメルとはコミュニケーションの型が違う)。
・そういうわけで私は最近、もう一つの説を考えている。それはヒンメルは高潔であると同時に、強欲で独占欲が非常に強かったという可能性だ。ヒンメルは、フリーレンにとって一瞬で過ぎる50年を共に生きるより、その後の彼女の一生全てが欲しくなった可能性があると思うんですね。フリーレンが生きる目的を、天国でヒンメルに会うことへと変えてしまいたかった。決定的に。永遠に。これは単にオレオール(魂の眠る地)=天国と呼ばれる場所へ行く今回の旅のみを指しているのではなくて、フリーレンがこれから歩む悠久の時間を、生きて死ぬまで歩み続ける人生という旅路そのものを、天国へ行く=ヒンメルに会いに行くことを目的のものにさせてしまおうということ。そうやってフリーレンのその後の時間を全部自分のものにしたかったんじゃないか。その作戦は成功したように見える。フリーレンの時間は「ヒンメルの死後」という形で積み重なっていく(ファン界隈がよくアフター・ヒンメルと言っているやつw)。フリーレンは銅像を見る度にヒンメルを想うだろうし、勇気を出す必要に迫られた時には記憶の中のヒンメルに背中を押してもらうだろう。ヒンメルの死によって、人を知って人と関わるようになり、ヒンメルのこともアイゼンやハイターのことも、自分と関わってくれた人のことも知っていく。自分自身のことも。周りからどんなに大切に想われていたか、自分自身がどんなに彼らを大切に想っていたかを知る。そんな風にヒンメルはフリーレンの生き方に革命を起こしてしまう。そうやってゆくゆくはフリーレンが、自分の秘めた想いにたどり着いてもらうことまで含めて、ヒンメルの願いで策略だったのかもしれない。
・フリーレンが天国(ヒンメル)へ行く旅路を全うするまで一生分。そうやってヒンメルはフリーレンの人生をまるごと手に入れるんじゃないかな。結婚の誓いは片方が死んだらそれで終わりだけど、鏡蓮華の「久遠の愛情」っていうのは、遺された方が死ぬまで、両方が死んでからも永遠に生き続ける。だから118話でヒンメルはキスしなかったっていう考えもできるよなって、これは複数の方の感想に刺激されてそんなことまで考えました。
・ちなみに仏教の考えでは「半座を分かつ」「一蓮托生」という言葉があるように、運命共同体の二人は極楽浄土でも蓮の花のうてなに共に座るらしい。「鏡蓮華」にはそんな意味合いも込められていたらすてきだなと思います。
・以上、これらの解釈を踏まえてこのタイミングで勇者MVを観たら鏡蓮華と指輪の意匠にたくさん気付けて泣けると思うのでみんなも見てくれ。特にフリーレンが丸まっているポーズをしている二つのシーンに注目してほしい。一つ目は歌詞でいえば一番サビの「頬を伝う涙の 理由をもっと」で、冷たさを感じさせる青みを帯びた光の中で孤独に涙を流しているフリーレンの場面。もう一つは終盤にある。これは相互さんの発見ですが、鏡蓮華の「蕾」の指輪のカットの直後の卵を抱えるフリーレンのカット、周りの蓮華?の花が「蕾」から花開いていってるんですよね。そしてフリーレンが温める卵の殻にはヒビが入っていく。直後の最終カットではヒンメルにフリーレンが追い付きヒンメルが振り返るシルエットの動画になる。背景には四羽の鳥(赤フリーレン、青ヒンメル、緑ハイター、黄アイゼン)が飛んでいくのにつれて花畑がひろがり、画面の手前では二匹の蝶(フェルン&シュタルク?)が遊ぶ。つまり、この勇者MVはフリーレンがヒンメルの愛を知って蕾だった鏡蓮華の愛の花を咲かせ、大事に温めた卵(愛の結晶?)を孵し、想いを告げることなく先へ行ったヒンメルの愛にやっと追い付いて想いを通じ合わせ、仲間達で撒いた種が大地で芽吹いて未来(いま)をつくる、というストーリーなのだと思う。公式がとんだヒンフリ強火勢。
・最後にちょっとした小ネタですが、中国語の訳ではフリーレンは芙莉蓮と書くようです。蓮の字がそのまま入っているだけでなく、「芙」にも蓮の花という意味があるらしい。狙った訳だとしたら恐ろしい……(なお「莉」の字そのものは特に意味をもたない漢字らしく、ジャスミンを意味する茉と一緒に使われるのが慣用とのことです)。
・というわけで長くなったんですけど総括として。その生き様と切ない別れ方でフリーレンを魅了し、彼女の心に自分という存在を刻み付けた勇者ヒンメル、愛の天使でもあると同時に、恋の策士でもあったんじゃないか。最近はそんな風に思えてならない(笑)